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目次
海にいく
2026/03/04
海に行くことを提案したのは、ゆいかちゃんの方だった。今日は本当は学校があるけれど、私は彼女の提案に賛同した。
ゆいかちゃんは|私《あたし》の友達だ。膝くらいまである黒髪が特徴的で、舌足らずな口調がかわいい子。中学生になったばかりの頃、移動教室で迷っていたゆいかちゃんに話しかけて、それから5年たった今でも一緒なのだ。仲良くなると、彼女はなにかと私の後をついてまわるようになって、私はそれが愛おしいと感じる。
ゆいかちゃんはバイクも自転車も持っていないし、乗れない。私も同じ感じ。だからバスで行くことにした。バス停に向かいながら携帯で海への行き方を調べると、すぐに答えが出てきて、私はゆいかちゃんの手をひきながら説明した。
海には、20分くらいでついた。平日の昼の海に、人の姿はなかった。バスを降りると塩の匂いがして、ゆいかちゃんはこの匂いが少し嫌いらしい。けれど海は好きなんだと言う。海のどこが好きなの? と訊くと、ゆいかちゃんはいつものニコニコとした笑顔を浮かべた。「昔、おとおさんと行ったの。」ゆいかちゃんは母子家庭だ。
砂浜に足を踏み入れると、フワフワとした感覚になった。制靴越しに砂の不安定さと暑さが伝わってくる。ゆいかちゃんが私と地面に交互に視線をやりながら「なんか、怖いねー。」と言った。彼女の手を握ってやると、不安そうな表情がわかりやすくやわらいだ。
私は水に近付いて行った。ゆいかちゃんが跳ねるようにしてついてくる。そんな歩き方じゃ、靴の中に砂が入って気持ち悪いんじゃない? 私は気になったけれど口にはしなかった。
制靴と靴下をぬいで水に入ると、一瞬の生暖かさを感じた。でもすぐに冷たくなった。砂が足の指の間をすり抜けるのと、私の足に向かってくる波が、なんだかくすぐったい。私はスカートを手でまとめながらゆっくりと深い方に歩いて行った。ゆっくり。ゆっくり。後ろからゆいかちゃんの声が聞こえた。「まってー。」次いで、じゃばじゃばという水音。振り返ると、彼女の髪の毛が海水に浸っているのが視界に入って、もったいないと思った。
私は振り返ったまま、ゆいかちゃんに微笑みかけた。おいでよと言った。ゆいかちゃんは聞こえているのかいないのか、海の中を歩くだけでせいいっぱい、と言う様子で、足元をじっと見ながらこちらにやってきた。スカートをまとめていた手をほどき、隣に並んだゆいかちゃんの手に伸ばす。握りしめると、ゆいかちゃんはわずかに目を見開いてから、私を見上げてはにかんだ。
私たちはさらに歩いた。水が腰にまで届くほどの深さになった。ゆいかちゃんの髪の毛が海面に浮かび、私の体に時々触れる。絡みつく。
ゆいかちゃんはなにも言わなかった。なにしてるの、なんて言うと思っていたんだけど。ただ、私がゆいかちゃんの方を見て目を細めるだけで、彼女は満足するようだった。だから私もなにも言わなかった。
海は冷たい。海は綺麗。
水が胸の辺りまでやってくるところで、ゆいかちゃんはようやく口を開いた。息苦しそうな、幸せそうな表情で、言葉を放った。私も、圧迫されているような気分の中で、静かに答えた。
ゆいかちゃんはそれからずっと、私の右腕にぴたりとくっついていた。震えているように感じた。あるいはそれは私の方なのかも知れなかった。
海は静か。
ゆいかちゃんが私の後ろを歩くことは、もうなかった。
友だち
2026/03/07 友だち
「ねえ、ユイカちゃんって進路どうするの?」
わたしは朝礼で担任に配られた進路調査表をなびかせながら訊いた。
「ん…しんろってなに。」
眠そうな目をこすりながら答える彼女をみて、担任の説明を聞いていなかったのかとあきれる。「大学か就職かーそれ以外かー…ってこと。」ふわあと言うあくびが彼女の口からこぼれる。何にも考えてなさそうだなと思う。そして、多分それは当たっている。
「どっちがいいのー?」
「普通に大学じゃない?」
「じゃ、ユイちゃんもそうする。」
高校2年生にもなって自分のことをちゃんづけで名前呼びするユイカちゃん。わがままで、だから孤立していたユイカちゃん。
「でも、どこの大学に行くの?」問うと彼女は窓の外を眺めながら言った。
「なにがあるのー?」
「…知らないの? ちょっとくらい。」
知ってるでしょ。
「ユイちゃん、だいがくってなにか、知らないから。」
「…はあ?」
「ユイちゃんのぱぱは、ユイちゃんが1年生のときにいなくなったの。」
「は?」
いま、その話を出してきたのは、どうしてだろう。訊こうとしてやめる。どうせ意味とか理由なんてないのだ。数ヶ月友達をやってきて、最近ようやくそのことに気づけた。
「でねえ、それから、ままと一緒なの。でもままは、あんまり好きじゃない。ユイちゃんのこと。」
わたしがふーんと相槌を打ったとき、教室のドアが開いて、理科の教師が入ってきた。時計を見ればあと1分ほどで授業が始まるところだった。わたしはユイカちゃんの席の方にむけていた体を前に戻した。
「それでえ、ままはユイカちゃんにお金出したくないの。」
…ユイカちゃんは話をつづける。真後ろから彼女の大きな声が聞こえてくる。慌てて後ろに体をひねり、ユイカちゃん、静かにしよう、とくちびるに人差し指をあててみせた。ユイカちゃんは不思議そうな不満そうな顔で頷いた。
「ままはねえ、ぱぱのことが嫌いなの。」
次の休み時間。ユイカちゃんは当たり前みたいにさっきの話を再開した。咄嗟になんのことかわからなかったが、少し考えて理解した。相槌を打つ。
「だからユイちゃんのことも嫌いなの。」
「…遺伝子が半分父親のだからってこと?」
「…? たぶん。」
あ、わたしの言ってること、伝わってないな。彼女は遺伝子という言葉を知っているのだろうか。ユイカちゃんはのほほんとした顔で続ける。
「でもねえ、ユイちゃんはままのこと好きよ。」
「ふーん。」
「ままはねえ、かわいいの。」お目目が大きくて…とユイカちゃんはわたしの目に手を近づけてきた。驚いて避けると彼女は眉をひそめた。「…なーちゃんの目もおおきいよね。」ユイカちゃんは行き場を失った手を自身の目にやった。まぶたを撫でるように触る。
「ユイちゃんの目は、大きくないし、ユイちゃんはかわいくないの。」
たしかに。そう思ったが、そうかな、と曖昧に答えることにした。
「もっとかわいかったら、きっと、ままはユイちゃんのこと好きだったの。」
「それはわからないよ。顔なんて関係ないんじゃない。ユイカちゃんのお母さんは、ユイカちゃんが父親の子供でもあるっていう事実を拒絶してるんでしょ? 話聞いてたら。」
「…む、ずかしい。」
「ああごめん。」
だからつまり…できるだけ短く簡単な言葉を探した。見つからなかったので、わたしは口をつぐんだ。肩をすくめてわたしはもう話しませんよと意思表示する。ユイカちゃんに正しく通じたかはわからない。
ユイカちゃんは不思議だ。世間のこと何も知らないし、成績も振るわないのに、ある程度整合性のある話はできる。自分より上の立場の人に敬語も使えない。わがままだけど、それは周りを見ることをしていないというより、できない。他人の考えを読み取ることが苦手なのかと思っていたが、自身の母親の感情はここまで理解している。
わたしは話し続けるユイカちゃんに、笑みを向けた。
ユイカちゃんは、ほとんどのクラスメイトにうとまれている。そんな彼女と仲良くしているわたしも、まあ喜ばれているわけではない。
「ねえユイカちゃん。一緒に帰ろう。」
終礼後、ユイカちゃんに声をかける。ユイカちゃんはもたもたとカバンに教科書を詰め込みながら大きく頷いた。
彼女の半ば強引な入れ方のせいで、教科書のページが折れたり、敗れたりしていることに気づく。もったいない。それでもなんとかカバンにしまい、ユイカちゃんはチャックを閉めながら顔を上げた。わたしが歩き出すとユイカちゃんもついてくる。廊下に出てふと後ろを振り返ると、ついてきていたはずの彼女は少し離れたところで慌てた様子で追いかけてきていた。机と机のあいだをすり抜けようとして机にぶつかって、クラスメイトに文句を言われて、机をもどす。ユイカちゃんはどうやらそれを何度か繰り返していたらしい。
ドアのところで待っていると、教室から派手な音が聞こえてきた。中を覗く。ユイカちゃんがちょうど教卓の前で転がっていた。こけたのか。ため息をつきながら彼女の方に歩く。「大丈夫?」そばにしゃがむと彼女は上半身だけ起こして言った。
「ユイちゃん……、」何かを続けようとしてしかし続かなかったようだ。ユイカちゃんは顔を歪めた。決して大きくない目から涙がぼろぼろ溢れている。彼女は声をあげて泣いた。それは綺麗なアニメの綺麗な泣き方じゃなかった。
クラスメイトの冷たい視線がわたしにも刺さってくる。
わたしはスカートのポケットからハンカチを取り出して、ユイカちゃんに押し付けるように渡した。彼女はそれで鼻をかんだ。涙吹く用に渡したのに。まあいいか、このハンカチはもうあげる。
彼女の手に触れてにぎって、わたしは立ち上がった。「早く帰ろう。」もう、16時半だ。
ユイカちゃんはぼろぼろの顔でわたしを見上げた。その表情は悲しんでいるようだけど、たぶん怒っていた。
わたしはユイカちゃんの手をひいた。彼女はよろっとしながら立った。肩にかけられたカバンがずり落ちそうになっていた。
その日は、クレープを食べて帰った。上機嫌でクレープにかぶりつくユイカちゃんは、普通の女子高生みたいだった。
普通の女子高生になれたらいいね。イチゴの甘味が舌の上に広がるなかで、わたしは思う。
これ大好き。
息の仕方と愛し方
ギリガールズラブ
2026/03/13 息の仕方と愛し方
ユイカちゃんは何もできないんだと知ったのは、小学4年生の春だった。ユイカちゃんは私のクラスに転校してきた。転校初日、ユイカちゃんの周りには当たり前のように人だかりができていて、人と人の隙間からのぞくユイカちゃんの表情は、とても嬉しそうだった。
給食の後の掃除の時間で、ユイカちゃんは転んだ。持っていたバケツから雑巾を何度もしぼった汚い水があふれてきた。近くにいた子にそれがかかったりもした。ユイカちゃんは一瞬の放心の後、泣いた。床ですれた自身の膝を撫でながらわめいた。「うげー、最悪!」水を浴びた子が声をあげた。他の子達がユイカちゃんの方に駆けていった。「大丈夫?」と近づいてくるその子達を、ユイカちゃんはたたいた。
やってきた先生によって、ユイカちゃんと水を浴びた子は保健室に連れていかれた。
あたしはそんなユイカちゃんに、運命を感じた。
ユイカちゃんはそれから孤立した。誰も、あたしも、ユイカちゃんには話しかけなかった。
小学4年生の夏、長期休み明け、ユイカちゃんは学校に来なくなった。
小学4年生の冬、教室からユイカちゃんの席がなくなった。転校したと伝えられた。
中学生になった。あたしの通う中学校に同じ小学校だった子たちはほとんどいなかった。地区が微妙に外れていたのだ。つまらないような、あるいは未知のような正反対の気持ちで、制服に身を包んだ。
中学1年生、入学式の日、あたしは2度目の運命を感じた。同じクラスの列に、ユイカちゃんがいた。
背は低く、猫背気味で、まとまりのない長い髪を垂らしていた。小学4年生のユイカちゃんとはだいぶ違っていたけれど、あたしにはわかった。だってあんな瞳の子はユイカちゃん以外いない。どこまでも暗い瞳。
「じゃあ自己紹介をしましょうか。」入学式の翌日、教室で担任がほがらかに言った。出席番号1番の子から順番に自己紹介をしていく。数分でユイカちゃんの順番が来る。不器用に立ち上がって、ユイカちゃんは小さな口を開いた。たぶん、何か言っていた。席が遠いあたしには、何一つ聞こえなかったけれど。
中学に入学して数日が経った。クラスではだんだんグループが形成されていった。同じ小学校だった子達もいるのかもしれない。そんななかで、ユイカちゃんは1人ぼっちだった。1週間経っても10日経っても、彼女がクラスメイトと雑談しているところを見ることはなかった。
だからあたしはユイカちゃんに話しかけた。「ねえ、ユイカちゃんっ。」はずむように名前を呼ぶと彼女は視線を机からあたしの方に動かした。
「ユイカちゃん、友達になりましょ。」
その暗くて黒い瞳が、震えるように揺れた。数秒して彼女は弱い声が出した。「うん。」
ユイカちゃんは勉強も運動もビリだった。最初の中間テストで、数学で0点を叩き出したユイカちゃんに、あたしは勉強を教えてあげた。すると期末テストでは5点をとった。それでもビリだった。
あたしの96点の答案用紙をうらやましげに見つめるユイカちゃんが好きだった。
ユイカちゃんの友達は正真正銘あたしだけだった。「ユイちゃん、友達ってはじめて。」…ユイカちゃんがそう言ったのだ。
中学1年生の夏、長期休み明け、ユイカちゃんはいじめられるようになった。休みの間になにかしたのかな、と彼女の落書きされた机を眺めながら思った。ユイカちゃんの机なんて元々落書きだらけだったけど、それがユイカちゃん自身がやったものか他者によるものかでこんなに変わることを知った。
ユイカちゃんは油性ペンで書かれたそれを消しゴムで必死にこすっていた。絶対消えないのにそれがわからない、そんなユイカちゃんを愛おしく感じる。あたしが濡れ雑巾を差し出すと、ユイカちゃんは首を傾げた。
ユイカちゃんはよく爪を噛んでいた。やめた方がいいんじゃないと言っても噛んだ。彼女の爪はお世辞にも綺麗とは言い難いものになっていった。
ユイカちゃんはテストで時々、10点台をとった。彼女はそういう時、必ず自身の答案をドヤ顔で見せつけてきて、次にあたしの80点台と見比べて、口にぎゅっと力を入れた。
中学2年生の春、あたしとユイカちゃんは別のクラスになった。
ユイカちゃんは案の定、あたしのいないクラスには全く馴染めていないようで、休み時間になるとあたしのクラスの前で爪を噛みながら立っていた。あたしが出てくると、ユイカちゃんの眉は安堵のために歪んだ。
あたしがいなければユイカちゃんは息の仕方もわからないから、あたしはたぶんこれからも、ユイカちゃんに教えてあげる。
そうするとユイカちゃんは、正しく生きることができる。
主人公、成績下がってる🫨🫨
優等生から
2026/03/13 優等生から
ユイカちゃんが苦手だ。ユイカちゃんは私のクラスメイトだ。2年D組、出席番号9番、席は私のひとつ前。彼女は正直、破廉恥だと思う。人として恥ずかしいことを平気でする人。高校生にもなって自分のことを「ユイちゃん」と呼ぶし、気に食わないことがあるとすぐに幼稚園児みたいに駄々を捏ねるし、人前でも威嚇するような声をあげて泣き喚く。見ていてイラッとして、痛々しくて、それなのに必ず隣に人がいて、私は理解ができなかった。
ユイカちゃんとよく一緒にいるのはクラスで少し浮いている子だった。名前は確か奈津美だったか。茶色がかった髪の毛を高い位置で一つに束ねていて、切れ長の目が特徴的。ユイカちゃんと仲が良いとはいえ、奈津美さん自体は案外まともな人間のようだった。
高校2年生、春。
休み時間に移動教室のため教科書を抱え廊下を急足で歩いていると、曲がり角のそばに、ユイカちゃんが立っていた。
何をしているのだ、まさか、道がわからなくなったのか? ユイカちゃんならあり得そうだ。友達は? そこまで考え、奈津美さんは体調不良で休みだと、朝礼時に担任が言っていたことを思い出す。困っているようなユイカちゃんに声をかけるべきか一瞬揺れたあと、しかしそんな気にはなれなかった。私が立ち去ろうとした時、彼女の瞳が私をようやく捉えたようだった。
「う、きょ、教室どこ!」
必死そうな声が張り上げられた。
別に、私に話しかける必要なんてないじゃない。黙ってついてくればいいのに。そこまで頭が回らないのだろうか。
私はもうすぐ休み時間が終わってしまうことに内心で焦りながら、ユイカちゃんの方に視線を投げた。
「ついてくれば。」
「ま、待って、はやい。」
後ろからユイカちゃんの声が聞こえてくる。だけど私は歩くスピードを落とさなかった。左手の腕時計を見やると、休み時間が終わるまであと1、2分程度だった。
遅れたら、嫌だ。私は一応優等生なのだ。
ため息を吐きかけた時、派手な音がした。「何っ?」
振り返るとユイカちゃんが転んでいた。彼女の抱えていた教科書や資料集が散らばって、筆箱からは鉛筆やシャーペンが溢れていた。
ユイカちゃんは転んで数秒ほど経って、ようやく顔を上げた。う、う、と嗚咽のようなものをもらした。あ、泣く、この子。そう直感した。そしてそれは当たった。ユイカちゃんの泣き声、いや、鳴き声が廊下に響いた。
私はユイカちゃんの、ボロボロの教科書たちを回収して、筆箱にペンをしまって、彼女に押し付けようとした。だが泣くので忙しいユイカちゃんが受け取ってくれるわけもなくて、私は今度こそため息をついた。
その時、チャイムが鳴った。
私はもう、このまま走って教室に行くことを諦めていた。代わりにユイカちゃんを保健室に連れて行こう。そして先生に、それを言い訳に遅刻を許してもらうのだ。
「ほら、立って、保健室行くよ。」
涙に濡れたその手を取るのは抵抗があった。けれど引っ張らないと彼女は立ち上がってくれない気がしたので、仕方がないと自分に言い聞かせる。
ぬるっとした生ぬるい液体が気色悪い、と思った。
保健室の先生にユイカちゃんと彼女の荷物を渡したあと、私は教室に向かうより先に手を洗った。
石鹸も使って、何度も何度も、念入りに洗った。
それでも消えなかった。私がユイカちゃんから出てきた液体に触れたという事実と、それが染み付いているような感覚は。
ふたり
2026/03/14 ふたり
「ミオちゃんって、3年のユイカちゃんの妹なんでしょ?」
私がそう問うと、ミオちゃんは可愛らしい顔を珍しく歪めた。「なんで? 知らない。」不機嫌そうに言って視線を床に落とし、掃除を再開する彼女に、私はもっと追求したくなった。ホウキを動かしながらミオちゃんに近づいて囁くように話しかける。
「ねー、ユイカちゃんってちょっと変なんでしょ。」
音楽室には私とミオちゃん以外だれもいない。教室から離れているから、廊下で騒ぐ生徒ももちろんゼロだ。
「みんな、噂してるよ。」
ミオちゃんは俯いたまま私を睨むように目を鋭くした。初めて見る顔だった。クラスに友達がいなくてどこか浮いてる、孤立しているクラスメイトのそういう表情は、話題のネタに抜群だ。明日友達に話そうっと。
「ミオちゃんもぼっちだから、似てるよね。」
やめてよ、とミオちゃんは顔をまた俯かせた。少し長い髪の毛が重力に従って落ちていく。横からだと彼女の表情がわからなくなる。
「ユイカちゃんって、学校の中でも迷子になるって聞いたけど、ほんと? ミオちゃんも迷子になったりするの? ねえねえ。」
彼女の顔を覗き込もうとすると、ミオちゃんはさっきより大きくやめてと言った。それに思わず驚いてしまって、覗き込むことはできなかった。ミオちゃんは肩を震わせた。
「わたし、ユイカちゃんのこと、嫌いだから、やめてっ。」
音楽室に頼りないミオちゃんの声が響いた。言ったあと、彼女は私から離れて、音楽室の隅に歩いた。その肩はもう震えていなかった。あるいは、最初から震えてなんていなくて、私の気のせいだったのかもしれない。わざわざ隅まで行ってなにするんだろう、と眺めたが、彼女はただホウキで床を掃くだけだった。
私は時計に視線をやって、そろそろ掃除の時間が終わることを確認すると、ロッカーからちりとりを取り出した。
ミオちゃんが集めたゴミを回収してゴミ箱に捨てた時、ちょうどチャイムが鳴った。ロッカーに掃除道具をしまって、ミオちゃんから音楽室を出た。
ミオちゃんはずっと下を向いていた。なにも言わなかった。だから私は彼女の表情も、考えてることも、全然理解できなかった。
ミオちゃんの後ろを歩いていると、ふいに目の前の足が止まった。「ちょっと、なに?」
彼女の視線が向いている方を見ると、長い髪の毛の女の子がいた。ゴミ箱を胸に抱えている。ゴミ捨てに行く途中なんだろう。上靴の緑から、3年生だとわかる。
その3年生はきょろきょろと不安げに顔を動かしていた。そして、こちらに気づくと、安堵したように口に力を入れた。
「み、みおちゃん。」
駆け寄ってくる3年生はミオちゃんの名前を呼んだ。
そこで私は、ようやく気づいた。この3年生はたぶん、ユイカちゃんだ。ミオちゃんの姉だ。この空っぽな瞳に、普通じゃないと感じる理由が詰まっていた。
ユイカちゃんと思われる彼女は、あのね、あのね、と声を出した。
「ごみって、どこで捨てたらいいのお。」
「……1階。…ついてきて。」ミオちゃんが静かにどこか冷たく答えて歩き出す。私もなんとなくついていく。やけにゆっくりとしているミオちゃんに、もっと早く歩けばいいのに、と思った。けれどこのスピードでも精一杯そうなユイカちゃんを見て、思い直すほかなかった。
ユイカちゃんはゴミ捨て場でなんとかゴミを捨てた後、「ユイちゃんの教室って、どこ。」と泣きそうな表情で言った。ああ、呆れる。こんな子にゴミ捨てを押し付ける、彼女のクラスメイトに対しても。
ユイカちゃんを送っていくらしいミオちゃんを、私は内心で笑った。
同時に、明日友達に話すのはやめよう、と決めた。だってこんなの、なんにも面白くない。
私は目の前の2人を追い抜いて、自分の教室への階段をさっさと上がった。
妹と姉
2026/03/14 妹と姉
「ミオちゃん。」
ユイカちゃんがわたしの名前を呼ぶ。でもわたしは答えない。彼女を無視して、通学路をずんずん歩く。
「ミオちゃんっ!」
泣きそうなユイカちゃんの声が狭い道に響いた。ああ、こう言うところが嫌なんだ。すぐ泣いて、わめいて、自己中なところ。もうユイカちゃんなんて置いて早く帰りたいけど、通学リュックが重くて走れない。
わたしはくるりと振り返り、少し離れたところを無駄な動きばかりの歩き方で歩いてるユイカちゃんに言う。「早く来て!」
彼女を待つこの時間が、わたしの人生で1番、ばかみたいだと思う。だけどわたしは、合わせなきゃいけない。だって、妹だから。
「ミオちゃんって、3年のユイカちゃんの妹なんでしょ?」
掃除の時間、音楽室で、クラスメイトに訊かれた。一瞬驚いた。次に嫌悪した。クラスメイトのその口調と表情には明らかにからかいが含まれていたことに、そして、学校でもわたしはユイカちゃんの妹でいないといけないことに。
顔を歪めながら言う。「なんで? 知らない。」
学校で、ユイカちゃんは有名人だ。もちろん良い意味じゃない。わたしはユイカちゃんに関して色々言われていることに薄々気づいていた。けれど、それが私たちの学年にまで広がっていることは知らなかった。
俯いて掃除に徹する。クラスメイトは続けた。
「ねー、ユイカちゃんってちょっと変なんでしょ。みんな、噂してるよ。」
自身の髪の毛の隙間から、クラスメイトの様子をうかがった。綺麗に三日月にように上がっている口角を見て、この悪意は世界一純粋なものだと思った。
「ミオちゃんもぼっちだから、似てるよね。」
心の底から嫌だと感じた。顔を俯かせてやめてよとつぶやくように言った。でもたぶん、伝わらなかった。
「ユイカちゃんって、学校の中でも迷子になるって聞いたけど、ほんと? ミオちゃんも迷子になったりするの? ねえねえ。」
やめて、と言った。「わたし、ユイカちゃんのこと、嫌いだから、やめてっ。」
音楽室にわたしの声が響いた。それで、言葉を失う。わたしの声がこんなに弱いことに。わたしは息を吸い込んで、だけど吐かないまま、音楽室の隅にまで移動した。隅に落ちてる埃やチリをホウキで掃いた。
掃除が終わって、教室に戻っている途中で、ユイカちゃんを見かけた。ゴミ箱を胸にしっかりと抱えて頼りなさげに立つユイカちゃん。思わず足を止める。きょろきょろと動いているその瞳にわたしの姿がうつったとき、彼女の口が安堵のためにゆがんだ。
「み、みおちゃん。」
こっちに駆け寄ってくる。ゴミが溢れないか眺めていると、ユイカちゃんは舌足らずに言った。
「あのね、あのね、ごみって、どこに捨てたらいいのお。」
息を吸い込んで、今度はちゃんと吐いて、わたしは肩から力を抜いた。「……1階。」ついてきて、と、一体何回言っただろう。
ゆっくり歩いた。ユイカちゃんがついてこられるくらいゆっくり。本当はさっさと行きたかった。本当は口頭で説明して、いちいち案内するなんてしたくなかった。本当はユイカちゃんにも、2年以上通っている学校のゴミ捨て場がどこかなんて、いい加減覚えて欲しかった。本当はユイカちゃんの妹なんて、したくなかった。階段を降りながらわたしは思う。ユイカちゃんがちゃんとついてこれてるか、転げそうではないか、時々確認しながら、絶望したくなる。
だけどわたしは、合わせなきゃいけない。だって、妹だから。わたしたちは姉妹だから。
ミオちゃんは可愛らしい顔、と言う設定だけどユイカちゃんはそんなこと一度も言われてない。
ミオとユイカは顔が似ていないと推測できる。
「友だち」よりユイカちゃんは母親に「父親と似ているからきらわれている」とのこと。
→「父親と似ているユイカちゃん」と似ていないミオちゃんは母親に疎まれていない可能性が高い。
完全に後付けの設定です。
まあ矛盾しててもパラレルワールド設定で突き通すけどねーーー🙂↕️💡