得体のしれない正体不明の恐怖心から格安の共有アパートへ入居した主人公:フォボスは、そこで奇妙な同居人:グロックと薄暗く狭い部屋に同居し始める。
今にも逃げ出したくなりそうな部屋は逃げ場がなく、閑静に鎮座する恐怖心は、誰かの理想郷に過ぎない。
同調性に縛られた枷を何度も振り払おうとしつつも、理想郷から足が伸びることはない。
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𝚁𝙾𝙾𝙼𝙼𝙰𝚃𝙴
本当に、ここしかないのか。
そう口から出そうになり、慌てて言葉をつぐんだ。管理人の視線と言葉が胸をひどく締めつける。恐怖ばかりが渦巻き、首筋に冷や汗が垂れる。
「大丈夫ですか?」
そう、目の前の顔も合わせることができない仲介者が机を挟んで語りかけた。
動悸がする。涙が出る。思考がミキサーにでもかけられているように、ぐちゃぐちゃになって溶けあっている。
空気で溺死しそうなくらい、呼吸がブレーキを踏み込んで、喉が何も通さない。自らが喉を掴んだ掌にようやく気づき、再度、恐怖に縛られる。頭の中が何かが這い回っている。
なんだ。なんなんだ。出ていけ。出ていけ。出ていけ!
視界が揺れる。世界が一変したみたいに、ぐるりと回って仲介者が笑ったような気がした。
……妄想?……そんなはずはない。信用できない。人も、空間も、時間も、全部。
何かが瞼の前で垂れている。ぴちょん、ぴちょん、ぴちょんと垂れ落ちている。急激に身体は強張って、心から冷えていくように氷を纏っていくようだった。
「狸寝入りでもしているのかい?」
瞼の裏で誰かが喋っている。笑ってはいない。瞼の奥から、再度、声は聞こえ出す。
「𝚡𝚡𝚡𝚡」
苗字。僕の、苗字。誰だ?誰が、言ってる。僕は、知らない。君を知らない。
「𝚡𝚡𝚡𝚡……フォボス、そう呼んだ方がいいか?そろそろ、起きてくれないか」
声が身体に絡みつく。嫌な不快感が鳥肌を通して伝わってくる。嗚呼、気持ち悪い。嗚呼、怖い。ただ、怖い。
「フォボス……君には参ったよ、僕はグロック・𝚡𝚡𝚡𝚡だ。これで、どうだい?」
まだ。まだ、ダメだ。グロックを見るまでは、何も。でも……。
ようやく、瞼を開く。シミ一つない天井、冷たさのある綺麗な煉瓦壁、打ち立てられた雨音のする微かな光だけが漏れ出たカーテンの締まった窓、隣で嬉しそうな金髪の人。嗚呼……目を開くべきではなかった。
「……良い瞳だ、大丈夫、もっと震えていい。その震えは君が生きている証拠だ。外の世界の連中は君のこの美しさを理解できないけれど、僕だけは知っているよ」
「それは……どういうこと?僕の、嫌なものを全部知っているってこと?」
「全て、とまではいかないが……君の忌々しくも美しい性分をよく知っている。君が何かを怖いというのなら、僕はそれを美しさと肯定しつつ、そう思わないようにするだろう。
すなわち、ここは君にとって、最高で最愛の_」
《《理想郷》》。そう、理想郷だ。
何故、そんな言葉が出たのか分からない。それすらも怖い。怖いということすらも、怖い。
理想郷は、狭くて、暗くて、静かだ。でも、安心感がある。
何故だろう。そう思うことが必然のような気がする。グロックが、微笑みながら「よろしく」と言う。
嗚呼、よろしく。|同居人《グロック》。