時は平安。その頃の都・平安京は、別名「怨恨ノ京」と呼ばれていた。
人々は恨み恨まれ、憎み憎まれを繰り返す。
そんな怨恨ノ京に住まう、ある少年少女の物語。
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目次
怨恨ノ京 #1 権力がもたらすもの
ここは平安京。別名「怨恨ノ京」である。雅で優雅な表とは一変して、平安京の裏は嫉妬や嫌悪などで溢れていたのが由来だ。
ただ気品や地位を誇る貴族たちは、裏の顔を決して見せることはなかった。
泣くようぐいす平安京
|風光明媚《ふうこうめいび》な|宮中《きゅうちゅう》・|内裏《だいり》
物事には|表裏《ひょうり》あり
裏は隠し通すのみ
妬み恨みを見せてはならぬ
|門無き者《もんなきもの》は|塵や灰《ちりやはい》
弱き者は死ぬるが筋
強き者は|権勢振るう《けんせいふるう》
「これ、早う隠せ!穢らわしい!」
牛車に乗っている男性は、内側からちょっと顔を覗かせ、外を見ていた。
屋敷からちょっと出ると、そこには死体が見るも無様な姿で転がっている。
牛車の周りにいる従者は、その死体に急いでむしろをかけて手を合わせた。
流行り病で亡くなる者が近頃、多くなっている。
都には不穏な空気が漂っており、牛車に乗る男性はふん、と満足そうに笑って去っていった。
「お母さんと|九狼《くろう》には悪いけど…もうダメだわ…」
|宇葉《のきば》は震えながら涙声で言った。
妹の|宇京《うきょう》も涙を溜めている。
でも意地を張って流さない気らしい。
宇葉はそんな宇京を咄嗟に抱きしめたー
ここ数日、母の|軒野《のきや》と愛犬九狼はそれぞれ病にかかり、寝込んでいた。
そればかりか先程、宇京の友達は亡くなったばかりだ。
《死がこんなにも身近見える…》
そう思うと、宇京も意地を張ってはいられず、やがて涙を何滴もこぼす。
すると父である|弧介《こすけ》が家に戻ってきたようだ。
家と言っても竪穴式で、穴を掘り屋根を被せただけの質素な作りである。
弧介は入口から、ちょっとだけ顔を覗かせ手首を曲げ伸ばしして、「家から出なさい」と合図した。
入口には、二人ほど人があるようだ。
宇京と宇葉は険しくとも慣れた目つきで裏口から出、静かな風の吹く野原に行った。
「姉ちゃ、父ちゃんは大丈夫なの…?」
しばらくしたところで、宇京は急に怖くなった。
「…。私、ちょっと様子見てくる。宇京はここで待っててね」
宇葉は宇京の頭を撫でて、駆けて行った。
心配でたまらない宇京は、じっとしていられずしばらく野原を進んだ。
すると、烏帽子を被った少年が一人、木のそばで静かに座っている。
宇京は宇京らしくせず、じーっと静かに見つめていた。
だが、あまりに視線が厳しかったのか、やがて少年はパッと振り返り宇京を見つけた。
「そこのお嬢さん」
少年は優しく微笑む。
「何だよ!あんた!」
驚いて出た言葉がこれだったことを、宇京自身も驚いた。
「私のこと…恨んでます?」
(な、何こいつ…)
少年は怖いくらい面寄せしてくる。
「あんた誰?なんでそんなに面寄せしてくんの!?」
「これ失敬。私は大納言が息子、|左夜宇《さよう》といいます。して、あなたは?」
「あたしゃ宇京だよ。それで、なんでそんなお偉いさんがこんなところに?」
嫌味っぽく宇京が聞く。
「いろいろ訳ありでしてねえ〜」
まるで、商人のおじさんの様に言った少年は、左夜宇と名乗った。
大納言といえば、大貴族の息子なんだろう。
そしてその、生まれの差が宇京をひどく傷つけた。
「ふん。大貴族の分際で、あたしら庶民を貶そうっていうわけ?」
「そんなことはないですよ。第一、庶民のところへは行きませんし」
左夜宇の言い方はなぜだかカチンとくる。
宇京は珍しく迫り来る感情を抑えながらも、ふと思った。
「姉ちゃ、まだ戻らないのか…?」
小さな呟きが左夜宇の耳にも入る。
「お姉さんがいるんですか?」
「そうさ。でも米取りに絡まれた父ちゃんを見に戻ってから、帰ってこないんだ」
「まさか…それは家に戻った方がいいですよ!」
「なんだよ、いきなり!」
左夜宇は息を呑んだあと先程とは打って変わり、厳しい目つきを向ける。
ただならぬ気配に、宇京は家の方向へ急いで走った。
何がどうなっているかは宇京自身にもわからない。
だが、とても嫌な予感がして、とにかく走り続けた。
「えっ…?どういうこと…?」
宇京は家の薄汚れた玄関口に立った瞬間、言葉が出なくなった。
目の前が真っ暗になっているどころか、魂が吸い取られたかのように、伏していた。
「遅かったか…」
左夜宇もその光景を目にした。
そこには、父・弧介が殴られた後がある。
目にはアザが、ところどころに血が出ていた。
奥に向かうと、軒野と九狼が倒れていた。軒野の寝床には本の数十粒ほどのお粥が置いてある。近頃全く育たない米を、必死に集めた物だ。
さらにその横には、刀で胸を貫かれた姉・宇葉の姿があった。
母と九狼は病死し、弧介は殴られた死亡。宇葉は何者かに刺されている。
「えっ!なんだよこれ!おかしいじゃねえか!誰がやったんだよ!…」
涙を見せまいとしていた宇京だが、叫び終わるとすぐに泣いてしまった。
こんなに大好きな家族を、一瞬にして奪われたのだ。
左夜宇がポンっと、宇京の方に手を置く。
その手を睨みながら宇京は、
「全部貴族のせいだ!権力なんて作りやがって!あたしらが何したっていうんだ!」
と泣きながら叫んだ。
恐らく左夜宇に。
「…。そうですね…でも、お気持ちはわかるつもりです。私も数ヶ月前に、妻のしづはこの刀の持ち主によって殺されました」
すると、宇京の鳴き声がだんだん小さくなった。
ふっと、左夜宇に振り返る。
「本当か?」
「ほ、本当ですよ…」
宇京の圧がすごい。
そして凄い切り替えだった。
「じゃあ、あんたの妻と姉ちゃを殺したのは同一人物ってわけだ。あんたの妻はなんで殺されたんだ?」
「私にもわかりませんよ。ただ、しづとは昔から不仲だったんです。私が好みじゃなかったようで…」
「そのしづとかいう奴の気持ち、ちょっとはわかるな」
左夜宇の顔がムッとする。
宇京はそんなこと構わず、話を続けた。
「じゃあ、手を組もうじゃないか。あんたとあたし。、どっちも身内を殺されたわけだ」
「そうですね。じゃあ同盟でも組みますか」
宇京と左夜宇は手を取る。
先程までの雰囲気は嘘みたいだ。
その後、宇京は家族の墓を作り、宇京と左夜宇は同盟を組んだ。
同盟名は、「宇京と左夜宇の身内を殺した犯人探し同盟」を短くして「|左京犯同盟《さきょうはんどうめい》」にしたらしい。
宇京は、家族の恨みを果たすとばかりに、墓を振り返った。
でもそれは正しくない、とばかりにカラスが夕暮れ空に鳴く。
しかし宇京は、涙を振り切り、前に進むのだった。
怨恨ノ京 #2 意地張りの宇京
2 意地張りの宇京
行き場のなくなった右京は、一晩、左夜宇の大納言邸へと泊めてもらった。
初めての土や敷物じゃない床に、はじめての、きちんとした屋根。
どれもこれも、宇京にとっては夢のまた夢でしかなかった。
しかし、宇京が大納言邸へ泊まることに対して、仕えの者たちは反対の声を上げる。
それもこれも、身分の高い貴公子なら別だが、身分もない者を泊めて得にならないからだ。
宇京は、この貧富の差が悔しい思いでしかない。
「おはよう!宇京ちゃん!どう?眠れた?」
陽気で明るい左夜宇の腹違いの姉・かづらは、宇京のような気の強い女の子が来てくれてとても喜んでいる。
朝からこんなに元気なのがまた凄い。
かづらだけは味方なのだと、胸を張れる様な心持ちになる。
「うん…」
こんなに清々しく朝日を感じたのははじめてだと、宇京は思った。
暖かく、柔らかい光。
自分の目の前には、死という闇しかなかったからだ。
すると目を擦りながら、左夜宇が起きてきた。
その佇まいは昨日よりも、何故か貴族らしく見える。
「おはようございます。もうすぐで、朝ごはんですよ」
朝ご飯に出てきたのは、温かい米に、見た目のイキイキしたおかずの数々。こんな豪華なご飯は宇京が一生、生きても食べられなかっただろう。
さらに、新しくて、美しい単も着せてもらった。正式には《《着せられた》》、だが。
夢のまた夢、苦労を知らない世界に宇京は言葉がでず、ただただ時宇京だけ時が止まったかの様に、微動だにしなかった。
「大丈夫…ですか?」
床に向かってひとしきり死んだ様な目をしている宇京に、恐る恐る左夜宇は訪ねた。
そして宇京は、結論が出たかの様に、フッと振り返って言った。
「いいよなぁ。あんたたちはさ、飯に着物に邸にさ、全部持ってて。あたしゃこんな飯だって一度も食べたことないし、同じ着物を継ぎ接ぎになっても着続けて、家だって風のときは屋根が吹き飛んで行くんだ。いいよな、楽に生きれてさ!」
嫌味じゃないが、こんな性格の宇京からは、つい口からこぼれた言葉だった。
今度は左夜宇とかづらが、言葉の意味を理解しようと、ぼーっとしてしまう。
呆然と、宇京を見つめるばかりだ。
宇京が今言ったこと全て、二人にとって『当たり前』なんだから、ピンとくるはずもない。
そんな納得のいかなさそうな二人の表情に、宇京は怒りをあらわにして庭に降り立って叫びかけた。
「あたし、今日一日ここで寝てやるよ!着物も飯もいるもんか!」
子供らしく拗ねているのが見え見えだって、宇京にはどうでもいい。
それより、自分の今までの人生がこの場で色褪せてしまうことが一番嫌だからだ。
宇京の考えが益々分からなくなり、案の定、左夜宇はオロオロするしかない。
「いや…そんなところで寝てたら風ひきますよ…!」
しかし、反対にかづらは面白そうに笑った。
「宇京ちゃんらしいよ。こんなに気の強い女、他にも見たことないしね」
「姉上、それどころではありません!」
宇京は一度決めたら、取りやめない性格だ。
それ故、考えを曲げなかった。自分が正しいと。
それからしばらくして、赤々とした夕陽は何処に去ってしまった。
今夜は更待月。これは夜深くに出る月だ。
宇京は、寝る準備に取り掛かっており、質素な敷物を敷いて寝床を作っている。
それを左夜宇は眉を顰めて見ていた。
(こんなに薄っぺらい敷物で寝るつもりか…?)
それに構わず、すっかりと横になった宇京だが、数分経つと眉間にシワを寄せて、何かを不審勝手いる。
左夜宇は宇京が寝にくいだけなのかと思っていたがそれも違うようだ。
途端に地響きがする。
すると、地下から透けた化け物が出てきた。
みるみるうちに、粘っこい液状のような人型ができた。
邸の中に入っていくようだ。
「うわっ!なんだよこれ!じゃーっかしいっ!」
宇京は悲鳴と共に慌てて飛び起き、粘っこい人型から目が離れない。
と言っても、離れて見上げなければ、全体を見られないほどの大きさだ。
「宇京!逃げなさい!」
左夜宇は宇京に呼びかけたが、一番逃げるべきは左夜宇である。
「何カッコつけてんだよ!」
宇京は、人型の横へ回り、後ろから全てを見届けた。
その化け物は、左夜宇を狙っているかのように邸に入る。
「きゃあ!」
「化け物!」
下女や女房達が叫ぶ物だから、驚いてかづらやその夫・直井も人型を見に、わざわざ来る。
霊力の高い直井は、その人型を見るなりハッと閃いた。
「これは…この地の怨霊だ」
「怨霊…?」
「この地にいた農民たちの怨霊だ。大納言邸に住み着いているのだろう」
直井の祖先は、参議篁という名で知られている小野篁である。
小野篁は、閻魔王宮の役人で閻魔大王の右腕と言われた者だ。
昼は朝廷に、夜は閻魔庁に務めており、その仕事は代々小野家の男に受け継がれている。
閻魔庁では、死者を閻魔大王が定めその案内役をするのだ。
小野篁は漢籍も和歌も難なくこなしており、それ故直井も霊について詳しいのだ。
「直井様!お祓いくださいまし!」
「こんな汚い化け物、見たくないです!」
柱に寄りかかってじっと見ている女どもは、直井に向かって叫んでいる。
直井はさっさと祓う準備を急いだ。
しかし何故か、宇京がそれを止める。
「宇京ちゃん、早く逃げなさいよ!」
かづらは、なんとか宇京に叫び続ける。
「あたしはここで寝るって決めたんだ!文句あるか!」
「今更何を…」
人型は宇京の怒号に振り向き、方向進路を変えた。
この地にいる人なら誰でもいいようだ。
と、直井は懐から札を取り出し、人型に大きくにかざした。
すると人型は、だんだん小さくなって札に焼かれていくかの様な匂いがした。
しまいには、灰のように儚く、シュッと静かな音を立てて、消えていってしまった。
人型は成仏されたのだ。
直井は一息ついて、女どもは安堵の声が広がる。
女どもきゃっきゃと直井を担ぎ上げ、持て囃し人型に嫌味を言う声だ。
宇京にはそれが嫌でたまらなかった。
何より、先程の怨霊の気持ちが一番身に染みているから。
「大丈夫ですか…?宇京」
宇京は珍しく静かに俯いて言った。
「あたしも死んだらああなるのかな…怨霊になって嫌われるのかな…」
数秒置いて振り返った宇京の目は、恐怖に潤んでいる。
今にも泣き出しそうだ。
左夜宇はどう反応していいか全くわからない。
なぜ宇京が人型に同情するのかも理解できず、ポカンとした目になっていた。
「あんたには多分、一生わからない。でしょ?」
宇京はニヤリと笑う。
左夜宇にはその笑みが怖く見えた。
その宇京の微かに潤んだ目が、何かを訴えているようだった。
いやぁ〜今回は長かったです。ファンタジー要素?左夜宇の頼り甲斐、、、?
ここで陰陽師とか入れたかったんですけど…
今、もうすぐ#20まで行きかけてるですけど、公開は#2まで、、
裏設定とか裏話とかもやってみたいです。
by Negi
怨恨ノ京 #3 おいでやす、大納言一家
結構、宇京は昨夜、左夜宇の家で寝ることになった。
意地を張ったとて、あんな事になったのだから。
「ふん!頼まれたから寝てやったんだよ!」
しかし、その意地っ張りは変わらなかった。
それを面白そうに見ているのはかづらだ。
宇京のような強い少女に心惹かれるらしい。
「やっぱり、宇京ちゃんは強いね〜。それに比べて左夜宇は、頼り甲斐がないんだから」
自分の弟を非難するのもまた、かづらのパターンだ。
「姉上!いつも姉上は他人事の様に…!」
そんな微笑ましい姿を影から見ていたのは、直井だった。
そして直井は、あれからいろいろ思い直した。
数日前の騒動で、なんとなく宇京の発した言葉にしんみりしていたが、あれを言ったのが今の宇京だとは信じ難い、というころである。
なんせ、ずっと偉そうに左夜宇を見下しているのだから。
身分上で言えば左夜宇の方が天にもの登るほど、宇京の何百倍もある。
それを、宇京の性格だからと受け入れる左夜宇一家の心の広さを、改めて感じたのもまた、直井だった。
そして、そんな左夜宇達にも、ひとつの雷が落ちる。
「これ、騒がしい!」
雷声で、派手な登場をしたのは左夜宇の父・|大納言《だいなごん》。
大納言とは、位の一つで、太政官の次官(二等官)であり、正三位と公卿にも入るほどの身分である。
そしてかづらと左夜宇ましてや直井までも、雷声を聞きため息をつく以外なかった。
宇京は何やらめんどくさそうに振り向く。
(変な奴が来やがった…)
大納言はドンとすまして、向かうところ敵なしとでも言うように胸を張った。
宇京を見つけると再び餌を求める鯉の様に大きく口が開く。
「なんじゃお前は!」
「あんたこそ何よ!」
宇京はこの偉そうな男が、左夜宇の父であり、大納言であることをまだ知らない。
「いい度胸をしているな。その分際で」
「あんたも、なかなかやるじゃないか」
二人はしばらく睨み合って、ニヤリと口角を上げた。
「え…」
「左夜宇、今日の父上なんか変じゃない…?」
左夜宇とかづらは二人の睨み合いに見入っていた。
いつもは、「おはようさん」と言って、ムカムカときびすを返す父が、宇京と数秒見つめ合っていることが、かづらと左夜宇には不思議でたまらない。
自分の子でさえまともに目を見ようとしないあの父が。
しばらくすると、大納言は豪快に笑って、鼻息ひとつを鳴らし、ガハガハと帰って行った。
「なんだあいつ」
「宇京ちゃん、あれ、私の父上よ…」
「ええ!それ本当か?だって全然似てねえし!」
今更だが、宇京は慌てて、微かに見える大納言の後ろ姿と、かづら、それから左夜宇を順に見渡して行く。
「嬉しいような嬉しくないような、ですね…」
宇京の言葉に左夜宇が苦笑いしながら言う。
「それでもすごいわね、宇京ちゃん。あの父上によくも目を合わせることができて…」
「合わせられないのか?」
宇京が少し見栄を張って笑う。
大納言一家は実に賑やかで楽しいものだ。
しかしそんな中、宇京は心の中で、泣き宇葉を思い出し、かづらに照らし合わせる。
性分がここまで似ているのだと、改めて知った。
唯一、宇京が尊敬する人物が、今ここにいる様だ。
不意に、何かが込み上げてくる。
事情を知っているかづらは、宇京のわかりやすい感情の変化が現れる表情を察して優しく言った。
「いつでもおいでやす。大納言一家へ」
エッヘン by威張る大納言
何馬鹿やってんだよ、、、by遠目宇京
怨恨ノ京 #4 射礼と賭弓
今年も宮中では|射礼《じゃらい》が行われるようになった。
射礼とは天皇臨席のもと、五位以上または宮中警護部隊などの強者が、弓の腕を競うものだ。
弓の腕前を天皇に認めてもらうと、褒美を貰ったり宴に参加することができる。
そして、そんな今日のこの日のため、ドンと構えてきた者がいた。
それは大納言・|綾子四隅《あやこよすみ》である。
「綾子氏の名を轟かせてやるわい!」
上品な試合であるが、一人だけやる気満々の炎で燃えているのであった。
そのすがたに、左夜宇もかづらもドン引きである。
「左夜宇は出ないのか?」
宇京も大納言の調子に苦笑いする他ない。
「私はまだ位を持っていません。私が出場できるのは二十一歳からです」
左夜宇は|蔭位の制《おんいのせい》ー祖父の位が五位以上である場合、孫は二十一歳から高い位を貰えるという特権ーにより、左夜宇も若き頃から高い位で仕事を始めることができるらしい。
「でも、左夜宇は意外と凄腕なのよ」
「本当か?それ?そもそも左夜宇に弓なんてできんかよ?」
宇京が左夜宇を嘲笑うかのように言う。
すると今まで相手にされていなかった大納言が、面強く宇京に迫ってきた。
「わしの血を継ぐ者は誰でも弓が上手いのは当たり前じゃ!」
えっへんとばかりに、腕を腰に当てている大納言の姿を見ると、全く説得力がない。
怒鳴られた宇京も、冷ややかな目で見ている。
それに、左夜宇もフォローされた気にはならないようだ。
しかし、かづらは面白そうに笑いながら続けた。
「父上が言うのは全然説得力がないけど、左夜宇はそこらの上達部にだって劣らないくらい弓が上手いのよ」
いつも弟をからかっているかづらが、弟をフォローするなんて珍しいことだ。
母は違えど、本当に仲良しな兄弟なんだと宇京は改めて感じた。
そしていよいよ射礼が行われる時がきた。
大納言はかねてより準備していたキラキラの衣装を見に纏い、舞台に立つ。
まだ若き天皇は期待に胸を膨らませるかのように、目を輝かせる。
射礼に出場する二十人のうち、何故か天皇が特に目を輝かせた人物が大納言なのである。
いつもは茶目っ気で目立ちたがりの大納言も、今日は目つきが凛々しくなる。
的は三重の円になっており、直径七十五センチメートルほどの円板だ。
大納言は的から三十六歩下がると、弓に矢を合わせる。の合図で、矢を力強く引き、目に力を入れながら矢を|兵部省官人《ひょうぶしょうかんにん》放った。
ビュンっ!
矢は目で追えない程、素早く的に突き刺さった。
後、これを二回繰り返し、大納言の放った三本の矢は中心に二本、二重に一歩当たった。
「おお…」
天皇やそこらの公達などは、大納言の腕前に見入ってしまった。
大納言は、「してやったり」と誇らしそうに胸を張っている。
この時ばかりは左夜宇もかづらも心の底から父を誇りに思えた。
「すごいわ、父上!」
「やるときはやるんですねえ」
「ふーん。意外とやるじゃないか」
遠目で見ている宇京も、内心、驚いている。
大納言はその後、禄を賜り天皇の宴にも参加する事になった。
そして直々に
「大納言、ようやった。左夜宇の腕前も楽しみにしておるぞ」
と、お言葉ももらったのだ。
さらにその翌日催される|賭弓《のりゆみ》で、左夜宇に参加特権をも下賜したのだ。
賭弓は射礼とは違い、両者何かを賭けて争う物だった。
そして、勝者は賭けた物や天皇からの禄を賜ることができる。
逆に敗者は罰杯を飲まされることになっているのだ。
本来は|兵衛府《ひょうえふ》と呼ばれる令外官たちが参加する大会である。
翌日の賭弓当日。
左夜宇は、緊張する風もなく頼りなさそうにキョトンとただただ立っている。
実はあまり歓迎されていないのだ。
というのも、あの「威張り屋の大納言」とも称される者の息子であるということや、位さえないのに賭弓に出場することが特に年配にとっては、忌々しくてならなかった。
さらに、
「大納言の息子君が身分もない奴らを連れているらしい…」
「なんと下品な…身分も卑しい奴を帝の御目に入れるなど…」
身分もない宇京を連れているのもまた、大きな原因の一つだ。
それくらい、下っ端を引き連れるのはあり得ない事なのだ。
「久しぶりだな、左夜宇」
そんな歓迎されない左夜宇の前に現れたのは、天皇の三格の皇子・|慶牙親王《けいがしんのう》である。
左夜宇の昔馴染みらしい。
「久しぶりです、慶牙親王様」
どうやら、慶牙も賭弓に出場するようだ。
親王は普通、賭弓に出場することはないのだが、左夜宇が参加すると聞きつけてのことだった。
昔から仲良しでライバルだった仲だ。
更に慶牙は左夜宇の後ろの方に立つ、かづらを見た。
昔から、左夜宇と同じく姉と慕ってきたほどの仲だ。
かづらは軽く頭を下げるが、かづらの隣にいる女は微かだが一瞬、厳しい目つきを向けている気がする。
左夜宇の身分無しの連れだと、噂に聞いていた慶牙は
「左夜宇も落ちぶれたなぁ」
と、ついこぼしてしまった。
とりわけ悪意があったわけじゃないが、悪いことを言ったと、左夜宇に歪んだ視線を向けられる前に、足早に小走ったところで、「勝負の時にな!」と行ってしまった。
左夜宇は追いかける風もなく、ただ苦笑いを残した。
宇京は一部始終を見届けてから、
「あいつ、許さない!」
と、ドタドタ逆方向へ走って行った。
そして、ようやく宇京が帰ってきた…と思えば、なんと男装をしている。
後ろには大納言がついていた。
「どうじゃ?男も同然だ!」
「宇京、その格好はどうしたのですか?」
「言っただろ、あいつを打ち負かしてやるんだよ!」
今の宇京は女と言われても気がつかないほどの美男っぷりである。
「でも宇京ちゃん、弓やったことある?」
「ない。でも絶対に打ち負かしてやるんだよ!」
同じ台詞を繰り返し、自分に言い聞かせるように言った。
間も無く、賭弓は始まり、矢が刺さる音や、歓声が響き渡った。
そして、男装した宇京の順番がやってきた。
誰も身の上なしの左夜宇の連れだとは気がついていない。
相手は、例の慶牙である。
「私が勝ったら、その美しい衣を頂こう」
慶牙は、宇京の纏っている大納言の大切な大切な衣を指差した。
それを見ていた、大納言は冷や汗が止まらない。
何と言ったって、大納言家で一番価値のある物で、四隅の尊敬している祖父から貰った物だった。
しかし宇京にとっては衣などどうでもいいので、深く頷いてから、
「私が勝ったら、あんたの位、頂くぜ!」
ニヤリと笑った宇京の男装姿は男前そのものだった。
さらに今の発言で周りを圧倒させたのだ。
「あの男君、度胸があるわ」
「たくましい!」
女君だけに限らず、老若男女共にこの対決を期待と緊張で見つめている。
慶牙も面白そうに一つ頷いた。
両者真逆の的へ向かって立つ。
お互い、三十六歩離れて、弓を勢いよく引いた。
どちらとも、いい筋である。
果たして、結果はー
慶牙、中心に一本、二重に二本。
宇京、三本とも的外れ。
あれだけ期待させておいて、宇京は見事に全て外したのだ。
約束通り纏っていた高価な衣を、慶牙に渡す。
「なかなか面白い者だったな。名は何という?」
「てめえに名乗る筋合いはねえよ!」
宇京は悔しさにその場を去ってしまった。
大納言はそんな宇京を励ますどころか、衣のことを怒鳴ったが、後悔しても後の祭りである。
さて、次は左夜宇の番だ。
再び慶牙が自信をつけた様に登場する。
これが決勝戦というわけだ。
お互いに譲る気はなく、早々と賭けるものを言い合った。。
「私が勝ったら、左夜宇の連れをもらう」
慶牙がその場に言い放った。
先程の対決で、あの美男子は宇京だと見破ったというのだ。
しかし左夜宇は余裕そうに微笑む。
「では私が勝ったら、衣を返し、先程の対決は無かった、ということで」
周りにいる者は何の話だかわからないが、二人だけの世界に入った左夜宇は平然と話し続けた。
弓を手に取ると、左夜宇は見違える様に頼り甲斐のある男に見えた。
いつもよりも凛々しい気品を放つところは、大納言譲りだ。
(宇京の仇討ちだ!)
なぜか宇京のためだと、勝手に思い込んだ左夜宇は目一杯、弓を引いた。
宇京と大切な衣を賭けた戦いである。
そして、最初に三本の矢を放ち終えたのは慶牙だ。
三本とも見事中央を射抜いて見せた。
(ふん。これで勝負は決まりだ)
勝負ありと笑って、左夜宇に振り向いた次の瞬間。
バキッ!
左夜宇は一本の矢で、的の中心を貫き破って見せた。
慶牙はもちろん、周りにいる者は目を丸くするどころか、口を開けない者はいなかった。
「さすが我が子じゃ!」
大納言は泣き目になりながらはしゃぐ。
隅っこの方にいた宇京も、木板が割れる変な音に思わず振り返った。
そして嬉しくも悔しくもある複雑な声で言った。
「あいつ、やりやがった!」
(やって、しまった…)
しかし、この場で一番驚いているのは何を隠そう、左夜宇だった。
仮にも天皇臨席である神聖な場で、今まで長年使ってきた的をこんなにしてしまったのだ。
どうすればよいのか、その場から一歩も動けない左夜宇であった。
「ふん。今回は負けを認めてやる」
慶牙は悔しい風もなく、淡々と言う。
結局、この勝負は左夜宇の勝ちとなり、大納言の大切な衣も戻り、宇京も罰杯を飲まずにすんだ。
「今度こそあいつを打ち負かしてやる!」
宇京はこれからも慶牙を負かすことを諦めないらしい。
「しかしなんだって、慶牙親王様は宇京をもらって行くと言ったのでしょう」
「左夜宇って、本当に鈍いわね。慶牙親王様は宇京ちゃんのことが好きなのよ」
そして、このかづらの基本的な見解を、左夜宇も宇京も全然理解出来なかったのだった。
宇京君と四隅君
怨恨ノ京 #5 「ちくわの食べ尺」解けない術
#5 「ちくわの食べ尺」解けない術
その日、宇京は街中を散策していた。
商人たちで賑わってはいるものの、数十歩行ったところに、人が倒れていることも、しばしばある。
ちょうど左夜宇も一緒だった。
そうして少し進むと、道の真ん中に人集りがあるのを見つけた。
それもちょっとの数じゃなくて大勢。さらに皆、引き寄せられるようにそこに集まっている。
宇京もついつい、人集りの方へ行ってしまった。
人というものは、何かもわからない列に並んだり、何かもわからない集団に入ったりする様にできている。
「ありゃ、誰だ?」
人集りは円になるようにして、ある二人を囲んでいた。
そしてその二人は、烏帽子を着た若者同士で、なぜかお互い向き合っている。
左夜宇は目を細めて、二人の若者を必死に見ようと、もがく。
「あれは…|安倍晴明《あべのせいめい》殿!?」
「あべのせいめい?」
宇京は当然、有名人の名前も聞いたことがない。
安倍晴明は日の本一の陰陽師とも言われる今や時の人だ。
陰陽師の中でもとりわけ珍しい、怨霊が見えるといわれている。
対するは、安倍晴明よりも若い地方貴族らしき少年だ。
明らかに仕草が京育ちではない。
「あっちのは誰だ?」
「それは、私にも…」
皆が疑問に思ったその時、突然、地方の少年は自ら名乗った。
「我は|安倍晴明《あべの《《はるあき》》》である!ニセ陰陽師、退散!」
その言葉に一瞬のして、人集りはどよめいた。
しかしさすがは、安倍晴明、表情ひとつ変えないでいる。
「何をうつつ抜かしておる。この私こそ安倍晴明である」
安倍晴明と安部はるあきは睨み合っている。
どっちもそっくりだ。
すると晴明は、必死にこちらを見ている左夜宇の視線に気がつき、人集りの真ん中に呼び寄せた。
「では良いところにいらした左夜宇君に、どちらが本物か、お確かめ頂こう」
「術で勝負だ!」
晴明は、左夜宇を無理に連れて来させた。
そこまで関係のある仲ではないのだが、左夜宇も渋々やってくる。
第一、安倍晴明は藤原氏の後ろ盾があり、政敵の綾子氏の出である左夜宇はあまり晴明を快くは思っていないのだがー
「左夜宇君、しかとお見受けなさいませ。術をおかけいたしましょう」
(めんどくさいなあ…こんな素人の私にどうしろと…)
晴明が両手を合わせ目を瞑った瞬間、そばにあったカサカサの枯れ木がぱっと桜を咲かせ、途端に桜の花吹雪が巻き起こった。
晴明は目を開き、穏やかに花吹雪を眺めているようにも見えたが、その目は何か栄華を誇っているようだ。
周りからも、歓声が響き渡る。
「今は冬なのに、桜を咲かすことができるとは…」
左夜宇は、いい気分ではないが、どうしても桜に目が言ってしまう。
「あたしは、桜とか興味ねえや」
面白くさそうに宇京が横からひょっと出てきた。
満開の花を今か今かと待つような乙女心みたいなものはないのか、と左夜宇は心の底で苦笑いを浮かべている。
思いっきり顰め顔をして、晴明を睨みつけるのに、数秒もかからなかったはるあきは、大きな声で叫んだ。
「なんの!皆の衆、しかと見ておれ!」
はるあきは目を閉じ、一旦落ち着きを取り戻してから言った。
「時留術、『ちくわの食べ尺!』」
するとー
「何にも起きねえじゃねえか…てえっ!」
宇京は驚いて隣にいる左夜宇を見た。
花吹雪も散ったというのに、瞬き一つせず、まだ宙を見つめている。
はるあきはふふんと笑って、
「どうだ!我の力、思い知ったか!我こそが本命の陰陽師である!」
と大きく胸を張って、晴明にドヤ顔を見せつけた。
「時を止めることができるのですか。それはすごい。」
ところが晴明は特にオロオロする風もなく、冷静で余裕のある態度を見せた。
それが癪に触って反論しようと思ったはるあきを、宇京の質問が遮る。
「そもそもなんで、『ちくわの食べ尺』なんだ?」
「ちくわの食べ尺はちくわの食べ尺。呪文の言葉は、馬縞でも寝不足不眠症でもなんでもいいのだ」
「適当だなぁ、早く左夜宇の術を解いてやれよ」
宇京の返事を聞くと、はるあきはこくりと頷くが、何もせずに立ち尽くしている。
宇京がはるあきの顔をのぞくと、はるあきは首を宇京の方へゆっくりうごかして、
「解けない。」
と無表情で言った。
「解けない!?嘘言え!」
「第一初めて使った技だからな〜」
他人事のように、はるあきは焦る様子もない。
すると
「その術、私が解きましょうか?」
晴明が、微動だにしない左夜宇を見ながら容易く言ってのけた。
それがはるあきにカチンときて、ついつい
「我を誰と思うておる!術ぐらい解ける!」
と本心にはないことを言ってしまった。
晴明ははるあきの言葉が本心じゃないと知りながらも、
「そうですか」
とそのまま左夜宇を見るばかりである。
「早く解けよ!」
気がつくと、もう夕暮れ。
あれから数時間、はるあきは諦めない、というより晴明と睨み合っていただけである。
しびれを切らした晴明ははるあきを押し退けて、手を合わせ念じると、左夜宇は瞳に輝きを取り戻した。
「あれ?もう夕暮れですか?そのように長居したようには思いませんでしたが…」
左夜宇が全てを言い終えるまでに、晴明はいなくなってしまった。
はるあきは未だに癪と思いながらも、引き分けにしておいてやる、と勝手に鼻を鳴らした。
「はるあき殿、勝負はついたのですか?」
他人事のように何も知らない左夜宇は興味深そうに聞いた。
しかしはるあきは気分を害すことなく、
「我が勝ったのだ!」
と誇らしげに嘘を語った。
「本当かぁ?」
「本当だ!これでわかっただろ!我こそ、陰陽師なり!」
宇京は、からかうように笑っているが、はるあきは潤んだ目をしていた。
どこか先程の無駄な熱気を帯びた目とは違い、怒りや悲しみを抱いた目をしているのであった。