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目次
第1話 地球の非常識
世界の果てと言っても怖い話ではありませんのでご安心を。
「俺、今度、世界の果てまで行くんだ」
授業中、問題を早く解き終わった私が念願の読書タイムを満喫していた時、隣の席の|夏村《なつむら》がそう言ってきた。まるで秘密の、とっておきのことをいうみたいに、声をひそめて。
私はため息をつき、本を閉じてやつに向き直る。
「あのね夏村、知ってるかな。世界には果てなんてないんだよ」
流石にこれくらい小1でも知ってると思ってたけど、このバカな夏村なら知らなくてもあり得るかもしれない。
「ずーっと昔に、ピタゴラスって人が、地球は丸いって言ったの。で、14世紀になって、フェルディナンド・マゼランの艦隊によってそれが正式に証明されたんだよ。球には端っこなんてないでしょ? 地球は球形だから果てなんてないんだよ」
私が一つ一つ、歴史も交えて懇切丁寧に説明してやると、夏村はべーっと舌を出した。
「それくらい俺だって知ってるっつーの。でもそれって|一般常識《**・・・・**》だろ?」
「一般常識だからなんなのよ」
「実際に|千波《ちなみ》は丸い地球を自分の目で直接見たことがあるわけ?」
「それは、ないけど」
「だったら、地球が丸くない可能性だってありうる。ほら前、千波がなんか言ってたじゃん。昔は太陽が地球の周りを回ってるって言われてたんでしょ? それを……誰だっけ? ガリ勉? さんが地球は回ってるって言ったんだろ。そんなふうに、一般常識が一気に覆ることだってあるんだ」
「ガリ勉じゃない。ガリレオ・ガリレイね。すごい人なんだよ」
「あーそう、その人。それで俺の言いたいこと伝わった?」
夏村にしては珍しい正論に、私は何も言えなくなる。
いやでも、地球が丸くなかったら色々と不具合が起きてるはずで……。
こう言ったら、またそれも一般常識って言われるんだろうな。
私は果てがある地球を想像してみる。
……青い星と言われる地球の美しさが半減だ。
ダメだ、また夏村の野郎のペースに乗せられてしまった。
私は頭を振って直方体の地球を追い払い、非常識なやつを睨みつける。
「世界の果て? バカじゃないの?」
夏村はあははと軽快に笑った。
「だって、本当にあったら楽しそうじゃね? 千波も行ってみたいと思わない?」
世界の果て。
そこはどんな場所なのだろう。
美しいのか、何もないのか。
私はそこに行ってみたいのだろうか。
ふと顔を上げると、|桐谷《きりたに》先生が私の顔の100倍恐ろしい顔で、私たちを笑みを浮かべながら睨んでいた(そんなのできる人はこの世に桐谷先生しかいない)。綺麗な先生が怒ると、なぜか迫力が増す。
「……夏村さん、|南方《みなかた》さん。今は授業中ですよ?」
額に怒りマークを浮かべた先生は、にっこりと微笑む。
「すいませーん」
その恐怖の形相にも怖気つかず、悪びれない様子で平然と謝る夏村。しかしそれは誇れることではない。やつが毎日毎日怒られていることゆえの慣れである。
先生の視線が私に向き、私は咄嗟に教科書でガードする。してから、この行為がさらに先生の怒りを増幅させるであろうことに気づくが、視線が怖くてガードを外せない。
くそおおおおおお、バカガキクソ夏村め! 私は優等生で通ってるのに!
私は心の中で夏村をボコボコ叩きのめすが、本人は隣で余裕綽々と勉強をするふりをしている。ピュッピューと意外と上手い口笛を吹きながら。しかし私には世界一うるさい騒音でしかない。
この騒動のせいで、世界の果ての話は保留になってしまった。
第2話 自転しそこねた惑星
「千波って、いつもつまんなそうだよね」
|明菜《あきな》がポツンと言った言葉に、私は心臓が止まりそうになった。
「そんなわけ……」
声が掠れる。ない、とうまく言えない。握りしめた手は、じっとりと湿っていた。
一昨日、友達の明菜とリリカが言った。
「千波、土曜一緒に遊園地行こうよ! あたしたち部活休みなんだっ」
私は仕方なく本から顔を上げる。今、いいところだったのに。でも、夏村でもあるまいし友達の言うことを無視するわけにはいかない。
遊園地か。
正直遊園地は好きじゃない。あの人混みにわざわざ突入して、子供騙しのようなアトラクションのために時間を惜しまず並ぶ理由がよくわからないのだ。それなら家で本を読んでいる方が何倍も時間を有意義に使えると思う。実際、土曜は買ってもらったばかりのシリーズ本を読破する予定だった。
「……いいよ」
憂鬱な気分とは裏腹に、ぎこちない笑みを浮かべてそう答えた。
さらば、夢のような読書三昧の休日。
「やったぁ!」
二人は手を取り合って喜ぶ。
私たちは今、中1。今通っている中学は4つの小学校出身の生徒が集っている。明菜とリリカは小学生の時から同じ学校で親友だったといい、いつも息ぴったりだ。同じテニス部にも入っている。
私は二人とは違う小学校で、4つの学校の中で一番人数は少なかった。夏村とは腐れ縁で同じだった。中学まで同じなんて、全くうるさいったらありゃしない。
「千波と出かけたことないから、楽しみだなー」
リリカが満面の笑みで言う。
そうだね、私も楽しみ、と心にもない相槌を打つ自分の声が、やけに遠く思えた。
朝、雀の声で起きると空はムカつくぐらい晴れ渡った青すぎる晴天で、今日の約束が雨で中止になることはなさそうだということにがっかりした。それと同時に、私はそんなにも今日の約束が嫌なのかとも思った。
……私は遊園地って場所が嫌なだけ。そう、それだけなのだ。
待ち合わせ場所は遊園地の門の前。時間ぴったりにきた私は早く来たらしく待っていた二人の姿を見て愕然とした。
二人とも先をくるりと巻いたツインテールに、色違いの可愛いノースリーブのワンピース。フリルがついたショルダーバッグ。いわゆる双子コーデというやつか。眩しいくらいの、自分には到底無縁の格好。
私は思わず自分を見下ろす。ボーダー柄のTシャツに、無難な無地のデニムショートパンツ。適当に持ってきたリュック。おしゃれさのかけらもない。せめてダサくはならないようには選んでいるけれど……二人と比べたら、何という差でしょう。
恥ずかしさとともに、憤りが湧いてくる。服なんてどうでもいいとは思っていたけれど、3人で遊ぶのに、なぜ二人だけお揃いで私だけ違うのか。ハブられたような気がして、いささか悲しくなってくる。
……まあ、答えは簡単だ。私が興味なさそうだからだろう。二人だって多分、それくらいはわかっているのだ。
夏の太陽が私を嘲笑うように照りつける。ミンミンミンとセミが何十奏で笑っている。
二人に聞こえないように、小さくため息をついた。
「行こー!」
テンションがいつにも増して高い二人は私の手を引いて遊園地の中へ引っ張っていく。
本が読みたい。
本が読めれば、嫌なことだって忘れられるのに。
数時間後、私は徘徊するおばあちゃんのようになっていた。私はどこに何があるのかもよくわからないから、楽しそうな二人の指し示すままについていくだけ。一回はぐれて大変だった。そして人混みに酔って眩暈がする。
ジェットコースターなんか地獄だった。体を揺さぶられて気持ち悪いし、ひっくり返ったりほぼ180度の角度で落ちたり、恐怖の罰ゲームでしかない。このまま死んで地獄に連れて行かれるんじゃないかとさえ思った。明菜は余裕で「ヒャッホー」なんて叫んでるし、リリカはひゃあっと悲鳴をあげつつも降りた後「怖かったけど楽しかったー」と到底信じられない感想を口にしていた。
平衡感覚が消えた私はふらふらと歩く。売店のガラスに映る姿は本当に徘徊する老婆のようだ。買ったソフトクリームもろくに喉を通らなかった。
だから、明菜が「そろそろ帰ろうか」と言った時、私は安心してしまった。やっと解放されるのかと。
傾いて来た日が私たちを照らし、影が長く伸びる。私はその間延びした影を見つめて、ひたすら足を動かす。来た時はおしゃべりに花を咲かせていた二人は今は口数が少ない。
沈黙の理由はわからないが、あまり話すのが得意でない私は安堵した、のに。
ふと顔を上げた明菜は、リリカと目線の無言の会話を交わして──、意を決したように私を見つめて、口をゆっくりと開いた。
明菜の口の動きがスローモーションで見てるみたいにゆっくりに見える。
──千波って、いつもつまんなそうだよね。
言わなければならない。何か、言わなければ。
けれどそう思えば思うほどに気が急いて、頭の中は真っ白になる。
じっと私を見ていた明菜は、少し寂しそうに笑った。
「そっか。やっぱりそうなんだね。あたしたちなんかと一緒にいても、楽しくないよね」
そうじゃない。違うんだ。私は入学当初、二人に話しかけてもらえて、嬉しかったのだ。それなのに、何も言えない。
リリカも言う。
「千波、相槌ばっかりだもん。全然自分の話しないしさ。それに千波の笑顔ってぎこちないから。ヒメナと一緒にいる時の方がずっと楽しそう」
そうか。私は馬鹿だった。相手の話を聞いてさえいれば、笑ってさえいれば、それで友情は成立するんだと思っていた。でも、そうじゃなかったんだ。そんなので誤魔化せるほど、二人は鈍感じゃなかった。
そんなのを、友情とは呼ばない。
「だからさ、千波──」
次の言葉を聞きたくなかった。いっそ耳を塞いでしまいたかったのに、それもできなかった。夏の蒸し返すような暑さの中で、私の胸中だけが、冬の冷たい空気のように凍えていた。
「無理に、あたしたちと一緒にいなくていいんだよ」
それは二人からの、気遣いという名のさよならだと思った。
黙ったまま突っ立っている私を見て──二人はため息をついた。
「……じゃあね、千波」
踵を返す二人の後ろ姿、長く伸びる影、腰のところに可愛らしいリボンがついたお揃いのワンピースをぼんやりと見つめて、私はあの二人と一緒にいていい人じゃなかったんだなと思った。
何でもいいから言えばよかったんだと気づいたけれど、もう後の祭りだった。どちらにせよ、あの時気づいていても、私は何も言えなかっただろう。
私は空っぽだった。本を読むから、知識は入ってくる。だけどその知識はいざと言う時には何も役立たない。何か言おうとすると、私の本当は何も入っていない頭からは言葉も文字も消え去って、訳がわからなくなる。何を言えばいいのかわからなくなる。
そんな私にはもちろん、友達はなかなかできなかった。小学生の時、自分から好んで私に話しかけてくるようなやつは、夏村くらいだった。
だから中学生になって明菜とリリカに話しかけてもらった時、決めたのだ。もう小学生の時のような思いはしたくないと。だから私は自分の気持ちを胸の奥に押し込めることにした。ノリが悪くて変人でクソつまらない私を必要とする人なんて、いないだろうから。それこそ変人の夏村ぐらいだ。あいつだって、幼馴染だから何となく話しかけてるだけかもしれない。
それは今の今まで、うまくいっているように感じていた。正直二人の話やノリは私には合わなかったのだが──「南方さん」じゃなくて「千波」の響きは心地よかった。これからも二人と友達でいれたらいいなと思っていた。けれどまた失敗した。そんな偽物で空っぽな私は、二人の友達だなんて言えなかったのだ。
私は夏村を思った。やつは知識面では空っぽだ。だけど本当は空っぽじゃない。自分の思ったことはずばっと言うし、でも明るくて、ふざけながらも人助けも惜しまない。そんな人だから夏村はあんなに人に好かれるんだ。
悪いのは明菜とリリカじゃない。私だ。
ダメだなぁとひとり呟いた。私はダメダメだ。いくら足掻いても、なりたい自分には、なれない。
──自転しそこねた惑星。
そんな言葉が頭に浮かんだ。
みんなはうまく回りながら、軌道に乗って進んでくのに。
夏村の笑顔を思った。明菜とリリカのワンピースを思った。
みんなは星みたいにキラキラ輝いてるのに。
こんなところでひとりぼっちで立ち尽くしている自分を思った。
私はみんなに追い越されて、光ることもできずに澱んだ思いだけを抱えて立ち止まっている。
目の前をはしゃぎ声をあげる小さな子供たちが通り過ぎていった。手を繋いだカップルが通り過ぎていった。笑い合う家族が通り過ぎていった。
私なんかには誰も、見向きもしない。そう思うと、音が聞こえなくなった。
幸せな音に包まれた遊園地の中で、私の世界だけが、無音だった。
ここにいたくない。|ここじゃないところ《**・・・・・・・・・**》に行きたい。
強く、強く、そう思った。
私はその場でスマホを取り出した。電話を開いて、夏村の名前をタップする。メッセージアプリじゃなくて、電話がいいと今だけは思った。
すぐに、夏村は出た。
『何だよ千波。そっちからかけてくるなんて珍しーな。俺のことちょっとは好きになった?』
相変わらずウザいやつだ。
「なるわけないお前みたいなクソガキ」
だけど今の私には、そのウザさがボロボロになった心に薬を少しだけ塗った。
『じゃー何なんだよ。何でもないのに電話してくるような柄じゃないだろ千波は』
やっぱりやつは、私のことをよくわかっている。
少しだけ笑って、私は何でもないふうに言った。
「やっぱ私も行くよ。世界の果て」
そう言っても、別に夏村は驚かなかった。
『えーマジ? じゃあ明日公園で自転車持って集合ね』
自転車でどうやって世界の果てまで行くと言うのか。けれど私はもう何でもよかった。ここじゃないところに行ければ何でもよかった。
「危ないことしないよね?」
『しねーよそこは安心しろ俺に任せろ。とりあえず自転車持ってこい』
「あんたの場合安心できないな。私は暗くなる前に帰るよバカ村」
『りょーかい』
ぷつっと電話が切れた。
私たちは長電話するような仲じゃない。それくらいがちょうどいい。
結局空っぽじゃない私でいられるのは、夏村の前だけなのだ。
スマホをポケットにねじ込む。煮えたぎる真っ赤な太陽が地平線に沈むのを眺めているうちに、私は自分の頬をつたう雫に気づいた。
手の甲でそれを無理やり拭って、私は遊園地の門に向かって歩き出した。
私は行く。世界の果てに。そこにあるものが、少しでも私を救ってくれるんじゃないかと思ったから。
小さな違和感は最後まで取っておいていただければと。