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目次
プロローグ:私達の日常
ミアレシティの再開発が進む華やかな表通りから、入り組んだ細い路地を三つ折れ曲がった先。そこに
は、都市計画から完全に取り残されたような、ボロボロの3階建ての廃屋がありました。
壁には大人が一人通れるほどの大きな穴が空き、そこを拾ってきたビニールシートで雑に塞いでいま
す。玄関のドアは蝶番が壊れて斜めに傾き、開け閉めするたびに「ギギィ……」と悲鳴のような音を立
てる。それが、つばさ、しおん、らこ、このみの4姉妹が身を寄せ合って暮らす「家」でした。
1. 灰色の朝と、透き通ったお粥
カチ、カチ……。
長女のつばさ(12歳)が、火力の弱い古いコンロで鍋をかき混ぜます。
中に入っているのは、お米の粒が底に沈んで見えるほど薄い、味のしないお粥。一人あたり、スプーンでわずか2口分。それが彼女たちの朝食の全量でした。
「はい、みんな! 今日の特製クリスタル・スープ(お粥)ができたよ!」
つばさは、持ち前の陽キャ全開の笑顔で、欠けたお椀を妹たちの前に並べました。
「見て、今日のお粥は一段と透明感があるね! ミアレの高級レストランでもこんなに綺麗なスープは出ないよ!」
「本当だ! つばさ姉ちゃん、天才!」
三女のらこ(10歳)も、お腹の虫が鳴っているのを無視して、明るい声で応えます。彼女もつばさと同じく、場の空気を盛り上げるのが得意な陽キャです。
しかし、二女のしおん(11歳)と、四女のこのみ(10歳)は、静かに俯いたままお粥を見つめていました。二人は内向的な陰キャ。空腹は、彼女たちの心をより深く沈ませます。
「……ねえ。お父さんとお母さん、今どこにいるのかな」
末っ子のこのみが、消え入りそうな声で呟きました。
「『お前たちみたいな、何の役にも立たないいらない子は、この街のゴミだ』って言われた場所……。あの日から、ずっとお腹が空いてる気がする」
しおんが、細い手でこのみの肩を抱き寄せました。
「……考えちゃだめ、このみ。あの人たちは、私たちを捨てた。でも、私たちは死ななかった。このボロい家があって、4人がいる。それだけで、あの人たちに勝ってるんだから」
しおんの言葉は冷たく聞こえるかもしれませんが、それは彼女なりの守り方でした。感情を殺さなければ、空腹と孤独に押しつぶされてしまうからです。
2. ポケモンセンターという「戦場」
4人はボロボロの私服を脱ぎ捨て、大切に手入れしている「ポケモンセンター」の制服に袖を通します。
このピンクと白の制服を着ている間だけは、自分たちが「路地裏の捨て子」であることを忘れ、街の一部になれる気がしました。
ミアレシティの巨大なポケモンセンター。
ここは、カロス地方中からトレーナーが集まる場所です。
「おはようございます! 今日もよろしくお願いします!」
つばさとらこは、フロントで元気よく挨拶を振りまきます。彼女たちの仕事は、トレーナーの案内や、重い荷物の運搬、そしてロビーの清掃です。
「あ、そちらのケガをしたケロマツくん、こちらへどうぞ! すぐにジョーイさんが診てくれますよ!」
笑顔を絶やさず、キビキビと動く二人は、センターでも「元気な双子(のような姉妹)」として評判でした。
一方、バックヤードではしおんとこのみが働いています。
彼女たちの担当は、モンスターボールの精密洗浄と、傷ついたポケモンに与える「きずぐすり」や「きのみ」の調合補助。
「……この傷には、オレンのみの配合を0.5パーセント増やしたほうがいい。炎症がひどいから」
しおんが静かに指示を出し、このみが正確に秤(はかり)を動かします。二人の無口で完璧な仕事ぶりは、ベテランのジョーイさんからも一目置かれていました。
しかし、華やかなセンターの光が強ければ強いほど、自分たちの現実とのギャップに心が削れることもあります。
昼休み、豪華なサンドイッチを頬張るトレーナーたちの横を通り過ぎるとき、4人のお腹は悲鳴を上げます。
「……いいな、あのご飯。私たちの1ヶ月分より豪華かも」
ふと漏らしたこのみの言葉に、つばさがパッと彼女の背中を叩きました。
「何を言ってるの! 私たちは、世界で一番価値のある仕事をしてるんだよ。あのトレーナーたちが冒険できるのは、私たちがボールをピカピカにしてるから! 胸を張って、このみ!」
3. 嵐の夜、雨漏りの歌
その日の夜、ミアレシティを激しい嵐が襲いました。
ボロ家の3階、天井の穴からは容赦なく雨水が滴り落ちます。4人は壊れたドアに板を打ち付け、バケツや空き缶を並べて雨漏りを受け止めました。
「わあ! バケツに落ちる音が楽器みたい! チン、コン、カンって!」
らこがリズムに合わせて踊り出します。
「つばさ姉ちゃん、これに合わせて歌おうよ!」
「いいね! ミアレ・レイニー・ライブの始まりだー!」
つばさらこが明るく歌い踊る中、部屋の隅ではしおんが、雨風に震えるこのみを毛布で包んでいました。
「……うるさいな、二人とも。明日の仕事に響くよ」
しおんが呆れたように言いますが、その口元はわずかに緩んでいました。姉たちの「無理矢理な明るさ」がなければ、この暗い夜を越えられないことを、彼女は知っているからです。
「ねえ、いつか」
このみが、毛布の中から顔を出しました。
「いつかお金が貯まったら、穴の空いていないお家に住めるかな。味がするお粥を、お腹いっぱい食べられるかな」
つばさは踊るのを止め、静かに3人の妹たちの横に座りました。
「住めるよ。絶対。私たちは、あの人たちに『いらない』って言われたけど、今の私たちは、ポケモンセンターに、この街に、必要とされてる。自分たちの力で、居場所を作ってるんだよ」
つばさは、節くれだった自分の手を広げました。
「私たちは、捨てられたゴミじゃない。ミアレシティの地下に根を張る、一番強い雑草なんだから。いつか、プリズムタワーのてっぺんよりも高い場所まで、花を咲かせてやろうよ」
4. 4つの鼓動
翌朝。
嵐が去ったミアレの空は、洗ったように澄み渡っていました。
4人はいつものように、たった2口の薄いお粥を分け合いました。
「よし! 今日も稼ぐぞー!」
つばさの声が、ボロボロの家に響きます。
「おーっ!」と元気に応えるらこ。
「……忘れ物はない?」と冷静にチェックするしおん。
「……頑張る」と小さく拳を握るこのみ。
壊れたドアを開け、4人は光の差す表通りへと歩き出します。
背後にある家は相変わらずボロボロで、お腹は空いたまま。
けれど、彼女たちの背筋は、昨日よりも少しだけ伸びていました。
誰にも必要とされないと言われた少女たちは、今、世界で一番ポケモンが集まる場所で、誰かの「ありがとう」のために生きています。
日常1:ある日の朝
ミアレシティの夜明けは、プリズムタワーの先端が金色に染まることから始まります。しかし、路地裏の廃屋に届くのは、湿り気を帯びた薄暗い光だけ。
「……うう、寒い。しおん、足、当たってるよ……」
一番下のこのみが、薄い毛布の中で身を縮めます。4人は狭い2階の一角で、お互いの体温を分け合うようにして眠っていました。
「ごめん。……でも、起きなきゃ。遅刻したら、ジョーイさんに迷惑かかる」
しおんが眠い目をこすりながら体を起こします。彼女の朝は、まず「家の現状確認」から始まります。
「つばさ姉ちゃん、起きて。……あ、もういない」
1階に降りると、長女のつばさがすでに動いていました。
「おはよー! 見て、今日の雨漏りバケツ、ちょうど満タン! これで顔が洗えるよ!」
つばさは、昨晩の雨で溜まった水を、ヒビの入った洗面器に移していました。ろ過なんてできていませんが、彼女たちにとっては貴重な生活用水です。
「らこ! 起きなさい! ほら、今日もミアレ一番の笑顔を作るよ!」
「……むにゃ。……おはよーっ! 今日はピカチュウを100匹なでる夢を見たから、縁起がいいね!」
らこが跳ねるように起きてきます。
4人は代わる代わる、冷たい水で顔を洗います。
そして、この家で唯一「綺麗」に保たれている場所へ向かいました。3階の、比較的雨漏りが少ない部屋にある、ガムテープで補強された古いタンス。
その中には、真っ白でシワ一つないポケモンセンターの制服が収められています。
「このみ、えりが曲がってるよ」
しおんが、このみの制服を整えてあげます。
「……ありがとう、しおん姉ちゃん」
壁に立てかけられた、割れて破片が足りない鏡。
そこに映る自分たちを、4人は真剣な目で見つめます。
「よし! 制服を着れば、私たちは『路地裏のゴミ』じゃない。ポケモンたちの味方だ!」
つばさがパン、と自分の頬を叩いて気合を入れます。
「……お腹、鳴っちゃった」
このみが恥ずかしそうに言いました。
「大丈夫! 仕事に行けば、お昼にジョーイさんがたまにくれる『余ったきのみ』が食べられるかもしれないよ!」
らこが励ますように笑います。
4人は、ガタガタのドアを丁寧にしめ、光の射す表通りへと歩き出しました。
日常2:ポケモンセンターのお仕事
華やかなセンターの舞台裏:4姉妹の戦い
ミアレシティの中心に位置する、巨大なポケモンセンター。
自動ドアが開くたびに、旅の疲れを滲ませたトレーナーや、元気をなくしたポケモンたちが次々と流れ込んできます。
フロントの太陽:つばさとらこ
「いらっしゃいませ! お疲れ様です、まずはモンスターボールをお預かりしますね!」
つばさ(12歳)の声は、高い天井に反響してロビー全体を明るく染めます。彼女は陽キャの資質をフルに活かし、不安そうな顔をした初心者トレーナーに駆け寄ります。
「大丈夫ですよ、ジョーイさんの腕は超一流ですから! その間に、このパンフレットでミアレのおいしいカフェでも探して待っててください!」
その隣で、らこ(10歳)は小さな子供連れのトレーナーをケアしていました。
「わあ、かっこいいフォッコだね! 毛並みがふわふわ!……ちょっと待っててね、今すぐブラッシングの道具を持ってくるから」
らこは、自分の空腹を忘れたかのような素早い動きでロビーを駆け回ります。彼女の笑顔は、重苦しい空気を一瞬で「希望」に変える力がありました。
二人は、自分たちが「路地裏のボロ家に住む捨て子」だとは微塵も感じさせません。
むしろ、この街で一番幸せな少女であるかのように振る舞うことが、彼女たちの誇りでした。
知識の砦:しおんとこのみ
一方、一般客の目には触れない「調剤・分析ルーム」。
そこには、無機質な機械の音だけが響く静かな空間で、しおん(11歳)とこのみ(10歳)が背中合わせに座っていました。
「……しおん姉ちゃん、このキズぐすり、少し色が薄い気がする。成分が沈殿してるかも」
このみが、試験管を光に透かしながら呟きます。陰キャで控えめな彼女ですが、視覚の鋭さは並外れていました。
「……本当ね。このロットは全部再検査しましょう。ミスは許されない。ポケモンたちの命がかかってるんだから」
しおんは表情を変えず、素早いタイピングでデータを更新していきます。彼女は、膨大なポケモンの症例データをすべて頭に叩き込んでいました。
「……第4診察室のルカリオ。さっきの波導の乱れからすると、ただの疲労じゃない。……このみ、ジョーイさんに伝えて。隠れた状態異常の可能性があるって」
「……わかった。すぐに行く」
このみは、影のように静かに部屋を飛び出します。
華やかなロビーで笑う姉たちが「太陽」なら、彼女たちは深海のように静かで正確な「知恵」。この4人が揃って初めて、ミアレのポケモンセンターは完璧に機能するのでした。
忍び寄る影と、4人の結束
夕暮れ時、センターの混雑がピークに達します。
疲労で足取りが重くなる中、4人は一瞬だけ、廊下ですれ違いました。
「つばさ姉ちゃん、あと少しだね」
らこが、汗を拭いながら小声で言います。
「うん、頑張ろう。帰ったら、また明日のお粥を煮なきゃね」
つばさがウインクして返します。
その時、しおんとこのみが、厳しい表情で二人の元へ歩み寄ってきました。
「……気を引き締めて。今、緊急搬送の連絡が入った。大規模な工事現場でポケモンたちが巻き込まれたみたい。ロビーがパニックになる」
しおんの言葉通り、遠くからサイレンの音が聞こえてきました。
「……わかった」
つばさが、キリリと表情を引き締めます。
「らこ、誘導準備! しおんとこのみは、裏で薬の準備を最大数で! 私たちが、この街のポケモンを守るんだよ!」
親に「いらない子」と呼ばれた4人は、今、誰よりも必要とされる存在として、嵐のような忙しさの中へと飛び込んでいきました。
空腹で震える指先を、制服のポケットの中で強く握りしめて。
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緊急搬送の嵐が一段落し、センター内に束の間の静寂が訪れた頃。
4姉妹は交代で、スタッフ用の小さなテラスへと集まりました。
そこは、再開発で見違えるほど美しくなったミアレシティを一望できる場所です。遠くには、香ばしいバターと甘い砂糖の香りを漂わせる「ミアレガレット」の屋台に行列ができているのが見えました。
3. 昼休みの約束:風に乗ってきた香り
「はぁ……。今日の午前中は、一生分動いた気がするね」
らこがテラスの柵にもたれかかり、ぐう、と鳴ったお腹を隠すようにさすりました。
4人の手元にあるのは、今朝の残りの「お粥」……と言いたいところですが、それはもう朝に食べきってしまいました。今は、冷たい水道水が入った水筒があるだけです。
「……ねえ、みんな。この匂い、届いてる?」
このみが、小さな鼻をひくひくさせて空を仰ぎました。
風に乗って運ばれてきたのは、ミアレ名物「ミアレガレット」の甘い香り。外側はパリッと、中はもちもちに焼き上げられた生地の匂いです。
「あーっ、もう! 匂いだけでお腹がいっぱいになりそう!」
つばさが、大げさに空気を吸い込んで笑いました。「いい? みんな。想像して。今、私たちの手の中には、焼きたてのガレットがある。一口かじると、口の中に幸せがじゅわ〜って広がるの!」
「……つばさ姉ちゃん、余計にお腹が空くよ」
しおんが呆れたように言いましたが、その視線もまた、遠くの屋台に吸い寄せられていました。1枚100円……。彼女たちの今の生活では、4人分揃えるのに何日分のお米代を削らなければならないか、すぐに計算できてしまいます。
「……いつか、食べられるかな」
このみが、ぽつりと呟きました。
「捨てられたあの日から、おいしいものの味、忘れちゃった。私たちには、あんなキラキラした食べ物、一生縁がないのかな」
その言葉に、テラスが少しだけ沈黙に包まれました。
高級な服を着て、親に手を引かれ、笑顔でガレットを頬張る子供たち。自分たちとは住む世界が違うのだと、突きつけられるような光景。
「……そんなことないよ!」
らこが、このみの手をぎゅっと握りました。「一生縁がないなんて、誰が決めたの? 私たちはここで一生懸命働いてる。誰かの役に立ってる。だから、いつか絶対に食べられるよ!」
「そうだよ」
つばさが、3人の妹たちを包み込むように肩を抱きました。
「今はまだ、このお水が私たちのご馳走。でもね、いつか4人で、仕事帰りにあの屋台に寄るんだ。『4枚ください!』って、胸を張って注文するの。ボロボロの家じゃなくて、新しいお家で、みんなで笑いながら食べるんだよ」
しおんが、静かに頷きました。
「……そうだね。その時は、一番おいしいって言われている、午後3時の焼きたてを狙おう」
「あはは! さすがしおん、冷静だね!」
つばさの笑い声に誘われるように、4人の間に明るい空気が戻ってきました。
「よーし! ガレットのために、午後の仕事もバリバリこなすよ! 待ってろよ、ミアレガレットー!」
4人は、お腹の虫の音を「景気付けの太鼓」に見立てて、再び戦場であるセンターのロビーへと戻っていきました。その背中には、冷たい水と甘い香りだけで膨らませた、確かな希望が宿っていました。
日常3:光と闇
ミアレシティに夜の帳が下り、プリズムタワーのイルミネーションが街を色鮮やかに彩り始めます。仕事終わりの4姉妹がセンターの外へ出ると、夜風が火照った体に冷たく刺さりました。
4. 帰り道:遠ざかる光と近づく闇
「お疲れ様でしたー!」
一歩センターを出れば、そこはきらびやかな別世界です。
つばさとらこは、さっきまでの「完璧なスタッフ」の仮面を少しだけ緩め、肩を寄せ合って歩きます。
「ねえ、見て! あのショーウィンドウのドレス、すごく綺麗……」
らこがふと足を止めました。高級ブティックのガラス越しに飾られた、フリルたっぷりのドレス。今の彼女たちが着ている制服も立派ですが、それはあくまで「借り物の居場所」です。
「……らこ、行こう。暗くなると路地裏は危ないから」
しおんが静かに妹の背中を押します。
光の溢れる大通りを外れ、街灯が一つ、また一つと減っていくごとに、彼女たちの足取りは慎重になります。華やかなミアレの影、そこが彼女たちの「現実」が待つ場所でした。
5. 帰宅:廃屋という名の城
「ただいま……」
ガタガタのドアを、外れないようにそっと持ち上げながら開けます。
家の中は、昼間の熱気が逃げてひんやりと冷え切っていました。電気は通っておらず、拾ってきたロウソクに火を灯すと、大きな穴が空いた壁の影が不気味に揺れます。
「よしっ、夜ご飯の準備だよ!」
つばさが努めて明るい声を出しました。
「夜は……えーっと、豪華に『お粥の温め直し』! 今朝よりさらにお米が柔らかくなってて、高級リゾットみたいだよ!」
実際には、鍋の底に残ったわずかな米粒を、多めの水で再び煮ただけのものです。
4人は薄暗い1階の床(畳も腐りかけているので、段ボールを敷いています)に輪になって座りました。
「……いただきます」
このみが、震える手でお椀を持ちます。
温かい水のようなお粥が、冷えた喉を通っていきます。たった2口分。胃袋を満たすにはあまりにも足りませんが、4人で分け合うその温もりだけが、彼女たちが「今日も生き延びた」という証でした。
「……ねえ、つばさ姉ちゃん」
このみが、暗闇の中で小さな声を漏らしました。
「私たち、明日もあそこで働けるよね? 追い出されたりしないよね?」
親に捨てられた記憶は、ふとした瞬間に彼女たちの足をすくいます。「自分たちはいつかまた捨てられるのではないか」という恐怖。
「大丈夫だよ、このみ」
つばさが、このみの頭を優しく撫でました。
「ジョーイさんも、みんなも、私たちのこと必要だって言ってくれたでしょ。私たちはもう、自分たちの力で立ってるんだから」
6. 就寝:夢の中のガレット
寝る準備といっても、ボロボロの制服を脱いで、大切にタンスへしまうだけです。
4人は2階の、一番雨漏りがマシな一角に集まりました。
「……しおん姉ちゃん、寒い」
「……おいで。みんなでくっつけば、少しは温かいから」
しおんが中心になり、4人は古い毛布を共有して、芋虫のように身を寄せ合います。
壁の穴から見える夜空には、ミアレの明るい光のせいで、星がほとんど見えません。
それでも、らこは天井のシミを指差して笑いました。
「ねえ、あのシミ、ちょっとミアレガレットの形に似てない?」
「えー、どこどこ? ……本当だ、ちょっと焦げ目のついたガレットに見える!」
つばさが乗り、二人の陽キャな笑い声が静かな廃屋に響きます。
「……ふふ。おやすみなさい、みんな」
このみが、姉たちの温もりに包まれながら、ようやく安らかな顔で目を閉じました。
「おやすみ。いい夢を……。明日はもっと、いい日になるよ」
しおんが最後にロウソクを吹き消しました。
真っ暗な闇の中、4人の小さな寝息だけが重なります。
お腹は空いていて、家はボロボロ。
けれど、明日もまた、4人で「あの場所」へ行く。
彼女たちは夢の中で、きっと、昼間に約束した焼きたてのガレットを、お腹いっぱい食べているはずです。
日常4:遅刻と秘密
ミアレシティに深い霧が立ち込めた朝のことでした。
いつもは壊れたドアの隙間から差し込む光で目を覚ます4人でしたが、その日は厚い雲が街を覆い、時間が狂ってしまいました。さらに、連日の疲れからか、目覚まし代わりの古い時計が止まっていることに誰も気づかなかったのです。
「……大変、みんな起きて!!」
しおんの悲鳴に近い声で、4人は飛び起きました。時計の針は、すでに始勤時間を過ぎています。
「嘘、どうしよう!」「早く、制服着て!」
つばさとらこは慌てて着替え、このみは半泣きになりながら靴を履きました。4人は朝食のお粥
を食べる間もなく、ボロボロの家を飛び出し、ミアレの大通りを全力で駆け抜けました。
しかし、ポケモンセンターに辿り着いたときには、すでに大きな混乱が起きていました。朝の診察を待つトレーナーの行列ができ、受付にはスタッフが足りず、困り果てたジョーイさんの姿がありました。
その日の終業後、4人は事務室に呼ばれました。
ジョーイさんの前に並んだ4人は、心臓が口から飛び出しそうなほど緊張していました。
「どうしてあんなに遅れたの? いつもは誰よりも早いくらいなのに」
ジョーイさんの問いかけに、しおんは思わず身を固くしました。
本当のことなんて、絶対に言えません。もし、親に捨てられて、4人だけで穴だらけの廃屋に住んでいることがバレたら……。「子供だけで住むのは危ない」と大人たちに判断され、4人は別々の施設に引き離されて、バラバラになってしまう。それだけは、何があっても避けなければなりませんでした。
つばさが、慌てて前に踏み出しました。
「すみません、ジョーイさん! あの……実は、妹のこのみが、今朝ひどい腹痛になっちゃって。……でも、家には電話もないし、放っておけなくて、みんなで看病していたんです!」
「えっ……お腹が?」
ジョーイさんが心配そうにこのみを見ました。このみは咄嗟に話を合わせ、ギュッとお腹を押さえて苦しそうな顔をします。
「……うん。でも、今はもう大丈夫。みんなが、ずっとそばにいてくれたから……」
「……お腹が痛いなら、どうして連絡を入れなかったの? 近所の人に頼むとか、公衆電話からかけるとかできたはずでしょう?」
ジョーイさんの鋭い指摘に、しおんが静かに補足しました。
「……すみません。私たちの住んでいるあたりは、最近再開発で近所の方も引っ越してしまって……。パニックになって、電話のことまで頭が回りませんでした。本当に、すみません」
しおんの嘘は、半分は真実でした。確かに、彼女たちの住む路地裏には誰もいません。
ジョーイさんはしばらく4人を見つめていましたが、やがて小さくため息をつきました。
「……わかったわ。でも、次からは必ず誰か一人が先に連絡に来ること。いいわね?」
「はい! ありがとうございます!」
事務室を出て、人気のない廊下まで戻った瞬間、4人は一斉に肩の力を抜きました。
「……危なかった。心臓が止まるかと思ったよ」
らこが震える声で呟きました。
「……ごめんね、このみ。変な嘘ついちゃって」
つばさが謝ると、このみは首を振りました。
「いいよ。……離れ離れになるより、ずっといいもん」
嘘をついた罪悪感と、給料が減らされた絶望感。
それでも、4人は顔を見合わせ、お互いがそばにいることを確かめ合いました。
ボロボロの家、空っぽの胃袋。
けれど、4人が一緒にいられる「秘密」だけは、今夜も守り抜くことができたのでした。
日常5:アイスクリーム伝説(?)
給料が減り、お粥さえもさらに薄くなったある日のこと。
ミアレシティの街角にあるゴミ捨て場を通りかかったらこが、捨てられたばかりのファッション雑誌を拾い上げました。
そこには、眩しいほどの極彩色で描かれた「アイスクリーム」の特集ページがありました。
「……ねえ、みんな見て。これ、アイスっていうんだって。冷たくて、甘くて、口の中で消えちゃう魔法の食べ物なんだって」
廃屋の薄暗い2階で、4人はそのページを囲みました。
このみが、写真に写ったピンク色のストロベリーアイスをそっと指でなぞります。
「……冷たいのに、甘いの? お粥みたいに熱くないんだ……」
「これ、1個で私たちの1週間分のお米が買えちゃうよ」
しおんが冷静に、でもどこか寂しそうに呟きました。
今の彼女たちにとって、アイスは月にある宝石を欲しがるような、あまりにも遠い夢でした。
けれど、一度芽生えた「食べてみたい」という気持ちは、空腹と一緒に4人の胸を締め付けます。
「よし! 作ってみようよ!」
つばさが、いつものようにパッと顔を上げました。
「えっ、どうやって?」
らこが驚いて聞き返します。
「材料はないけど、冬の夜に溜まった『綺麗な氷』はあるでしょ? それに、この間ジョーイさんにもらった、薬の調合で余った『あまいミツ』の小瓶が少しだけ残ってる!」
4人はさっそく動き出しました。
しおんが清潔なボウル(もちろん、ヒビが入っていますが)に、屋根の影で凍っていた透き通った氷を集めます。それをこのみがスプーンの背で一生懸命に砕き、らこが「おいしくなれ、アイスになれ」と呪文をかけながら混ぜました。
最後に、つばさが大切に取っておいた「あまいミツ」を、宝石を落とすように一滴ずつ、砕いた氷の上へ垂らしました。
「……できた。私たちの、ミアレ特製アイス!」
4人は、小さなスプーンに一口分ずつ、その「ミツのかかった氷」を乗せました。
「せーの……!」
口に入れた瞬間、キーンと冷たい感覚が舌の上を走り、その直後にミツの優しい甘さがふわっと広がりました。
「……冷たい! でも、すごく甘いよ!」
らこが頬を抑えて声を上げました。
「本当だ……。本物のアイスじゃないかもしれないけど、こんなに幸せな冷たさ、初めて」
このみが、目を細めて味わいます。
「いつか、本当のアイスを食べようね」
つばさが言いました。
「カップに入ってて、チョコレートがかかってて、溶けちゃう前に4人で急いで食べるんだ」
「……その時は、頭がキーンってなっても、笑いながら食べようね」
しおんも、冷たい氷で少し赤くなった唇を緩めて微笑みました。
窓の外では、高級なアイスショップのネオンが輝いています。
けれど、穴の空いた家の中で、分け合ったたった一口の「氷のアイス」。
その冷たさは、彼女たちの絆を、よりいっそう温かく結びつけてくれるのでした。
日常6:おかゆより暖かい小さな温もり
薄くて味のしないお粥。いつもなら4つの器に分けられるはずのそれが、今夜はたったの3つしかありませんでした。
お給料が減らされた影響は、想像以上に深刻でした。お米の袋はもう底を突き、鍋の中に残ったのは、わずか数粒の米が浮いた、白濁したお湯のようなものが3杯分だけ。
つばさは、並べられた3つのお椀を前に、わざとらしくお腹をポンと叩きました。
「あー、お腹いっぱい! 実はさ、私、ポケモンセンターの帰りにジョーイさんから試作品の木の実をもらって、先に食べちゃったんだよね。だから今、全然お腹空いてないの☆」
つばさは、陽キャ全開の明るい笑顔でウインクしてみせました。
「えっ、つばさ姉ちゃんだけずるい!」
らこが少しだけ頬を膨らませます。
「ごめんごめん! だから、今夜は3人で私の分も分けて食べて! はい、どうぞ!」
つばさは手際よく、妹たちの前にお椀を押し出しました。
しおんは、じっとつばさの目を見つめました。しおんの鋭い観察眼は、つばさの喉が空腹で小さく鳴ったこと、そして彼女の指先がわずかに震えていることを見逃しません。
「……本当につばさ姉ちゃん、食べたの?」
「食べた食べた! もー、しおんは疑り深いんだから。いいから早く食べないと、冷めてただの水になっちゃうよ!」
つばさは笑いながら、妹たちの背中を叩きました。
このみは、つばさの言葉を信じて、申し訳なさそうにお椀を手に取りました。
「……じゃあ、いただくね。つばさ姉ちゃん、ありがとう」
3人が、たった数口のお粥を大切に啜る音だけが、静かな廃屋に響きます。つばさはその音を聞きながら、胃が捩れるような空腹感を隠すために、わざと壊れたドアの建て付けを直すふりをして背中を向けました。
「……つばさ姉ちゃん、これ」
不意に、後ろから袖を引かれました。
振り返ると、しおんが自分のお椀を差し出していました。
「……半分、残したから。私、今日はあんまり動いてないから、そんなにお腹空いてないの」
しおんは目を合わせようとしませんでしたが、その手は真っ直ぐにお椀をつばさへ差し出しています。つばさは胸が締め付けられる思いでしたが、ここで食べてしまったら、自分の嘘が台無しになってしまいます。
「いいってば! 私、本当にガレット……あ、じゃなくて木の実を食べたんだから! しおんが食べないと、明日お仕事で倒れちゃうよ?」
「……嘘。つばさ姉ちゃん、何も食べてない」
しおんの声が、暗い部屋に静かに響きました。
らことこのみも、スプーンを止めました。つばさの明るい「嘘」が、家族を守るためのものだと気づいたからです。
「……みんなで、分けよう」
このみが、自分のお椀から一口分をつばさの空のお椀に移しました。
「4人で食べなきゃ、味、しないでしょ?」
らこも、しおんも、自分たちの分を少しずつ、つばさの器へと戻していきます。
結局、4人の前には、最初よりもさらに少なくなった、ほんの一口分のお粥が残りました。
「……もう、みんな、お節介なんだから」
つばさは、溢れそうになる涙を堪えて笑いました。
たった一口。
お腹はちっとも膨らまないけれど、分け合ったお粥の温かさは、ミアレの豪華なフルコースよりも深く、4人の心に染み渡りました。
日常7:ハッピーバースデー!
廃屋のバースデーパーティー:姉妹の絆
「……せーの、お誕生日おめでとう、このみ!」
つばさ、しおん、そして11歳のらこが、声を揃えて言いました。
机の真ん中には、みんなで少しずつお金を出し合って買った、50円のスポンジと100円のクリームのケーキ。
「わあ……ありがとう!」
このみが瞳を潤ませると、陽キャならこが自分のことのように大はしゃぎして、このみの肩を抱き寄せました。
「このみ、ついに10歳だね! 私の1個下! 追いついてきたねー!」
らこは、今日のために森を走り回って採ってきた「ナナシのみ」を、ケーキの一番いい場所にトントン、と並べました。
「見て、この実は私が一番大きいのを見つけたんだよ。このみに元気に育ってほしいからね!」
らこは、自分もお腹が空いているはずなのに、一番大きな実をこのみの口元へ運んであげました。
「はい、あーん! 10歳の最初の一口だよ!」
「……らこ姉ちゃん、ありがとう。おいしい……すごく甘い」
このみが幸せそうに咀嚼するのを見て、らこは満足そうにニコニコと笑っています。
その横で、しおん(11歳)が静かに空き缶の火を見つめていました。
「……らこ。あんまりはしゃぐと、せっかくのクリームが溶けちゃうわよ。……このみ、10歳おめでとう。これ、私からのプレゼント」
しおんが差し出したのは、ポケモンセンターで捨てられていた綺麗な包み紙を再利用して作った、手作りのしおりでした。
「……みんな、本当にありがとう。私、10歳になったから、明日からはもっとたくさん働くね。つばさ姉ちゃんたちの分まで、いっぱいお粥が食べられるように頑張るから」
このみの決意を聞いて、長女のつばさが、らことこのみの二人をまとめてぎゅーっと抱きしめました。
「いいんだよ、このみ。10歳はまだ子供! 難しいことはお姉ちゃんたちに任せて、このみは笑っていればいいの。……さあ、空き缶の火が消える前に、みんなでケーキを分けよう!」
拾ってきた空き缶をロウソク代わりにして、揺れる小さな炎。
その光に照らされた、11歳のらこの元気な笑顔と、10歳になったばかりのこのみの穏やかな笑顔。
お腹はちっとも膨らまないけれど、廃屋の3階は、今夜だけはミアレで一番あたたかい場所になっていました。
日常8:パーティーの後は静かな夜空
パーティーの喧騒が落ち着き、空き缶の火も消えたあとのこと。
4人はいつものように、2階の比較的風の入り込まない隅っこで、一つの毛布を分け合って横になりました。
暗闇の中、壁の穴から差し込むミアレシティの街明かりが、細い光の筋となって床を照らしています。
「ねえ、つばさ姉ちゃん……」
末っ子のこのみが、毛布の端を握りしめながら、消え入りそうな声で呟きました。
「今日、あの50円のケーキ、すっごくおいしかった。……でもね、いつか……いつか本物の、もっと大きい、普通のケーキを……みんなでお腹いっぱい買える日が、来るのかな……?」
その問いかけに、部屋は一瞬、静まり返りました。
50円のスポンジに100円のクリーム。それが彼女たちの限界だと知っている現実が、暗闇の中で重くのしかかります。
しおんは黙ってこのみの手を握り、らこは寂しさを隠すようにぎゅっと目を閉じました。
長女のつばさは、天井の染みを見つめたまま、ゆっくりと息を吐きました。
空腹で震えるお腹を悟られないように、力強く、噛み締めるように言葉を紡ぎます。
「……うん。きっと……きっと買えるよ」
つばさは横を向き、このみの幼い顔を覗き込みました。
「今はまだ、小さなケーキを分けることしかできないけど。……でもね、私たちがこうやって4人で頑張って、ポケモンセンターで誰よりも一生懸命働いていれば……。いつか、あの屋台のガレットも、大きなホールのショートケーキも、全部『4つください!』って言える日が絶対にくる」
つばさの声が、少しだけ震えました。
「だから、今はその夢を、あのお粥と一緒に煮込んでおこう? いつか本物の味を知るための、大事な準備なんだから」
「……うん。楽しみだね、つばさ姉ちゃん」
このみは、つばさのその言葉を宝物のように胸に抱き、少しだけ安心したように寝息を立て始めました。
らこもしおんも、つばさの嘘ではない「約束」を信じるように、静かに眠りにつきました。
4人を乗せたボロボロの家は、今夜もミアレの片隅で、静かに明日を待ちます。
いつか訪れる、甘くて、大きくて、誰もが振り返るような最高のケーキを4人で囲む、その日を夢見て。
日常9:夢の続きはラムネ
翌朝、ミアレシティの街が朝霧に包まれる中、4姉妹の家にはいつもより少しだけ、前向きな空気が流れていました。
「よしっ、みんな! 昨日のケーキパワー、残ってる!?」
つばさの声に合わせて、4人は気合を入れ直しました。朝ごはんは、案の定お米の粒がほとんどない「白濁したお湯」のようなお粥でしたが、昨日ケーキを食べた記憶が、4人の心を不思議と満たしていました。
夢の続き:ポケモンセンターの奇跡
センターに到着すると、昨日よりもさらに多くのトレーナーが詰めかけていました。再開発の影響で街を移動するポケモンが増え、ケアが必要な子が溢れていたのです。
「らこ! 5番テーブルのルリリくん、少し心細そうだよ! ケアお願い!」
「了解! まかせて、つばさ姉ちゃん!」
11歳のらこは、10歳になったばかりのこのみの手を引いて駆け出しました。
「このみ、見ててね。こうやって優しく撫でると、ポケモンも安心するんだよ」
らこは持ち前の明るさでルリリをあやし、このみはしおんから教わった知識を活かして、ルリリの体温の変化を細かくチェックします。
「……らこ姉ちゃん、ルリリくん、熱が下がってきた。もう大丈夫だよ」
二人の連携は、まるで昨日誓った「大きなケーキの夢」を形にするための特訓のようでした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそして
「……はぁ、終わったぁ……」
仕事終わりのポケモンセンターの更務室。つばさたちは、クタクタになった体を丸めていました。今日は緊急の対応が多く、水分を摂る暇もありません。
そこへ、ジョーイさんがバタバタとやってきて、4人の手に小さな銀色の包みを握らせました。
「みんな、今日はお疲れ様。これ、今月からセンターの全職員に配られることになった『栄養補充ラムネ』よ。一人7粒ずつ。疲れが取れるから、ちゃんと食べてね」
受け取ったのは、何の飾り気もないアルミの包み。中には、真っ白で無機質な形のラムネが7粒入っていました。
帰り道:分け合えない「7」
帰り道、街灯の少ない暗い夜道を歩きながら、らこがその包みを振りました。
「……7粒かぁ。一人1粒だと、3粒余っちゃうね」
「……しおん姉ちゃん。これ、食べたら本当にお腹空かなくなるのかな」
このみが、お腹の虫を鳴らしながら包みをじっと見つめます。
家に着き、いつものように薄暗い中で「3杯分のお粥」を囲みました(つばさは今日も、食べたふりをして自分の分を妹たちに回しています)。
「よしっ、デザートタイムだよ!」
つばさがアルミの包みを開けました。中から出てきたのは、ブドウ糖とビタミンが詰まった、薬のような匂いのするラムネです。
「……これ、このみが2粒。らこも2粒。しおんも2粒ね」
つばさが11歳の二人と、10歳のこのみへ配ります。
「えっ、つばさ姉ちゃんは? 1粒しか残らないよ?」
しおんがすぐに気づいて言いました。
「私はいいの! さっきも言ったでしょ、私だけお腹いっぱいなんだから! このラムネ、結構甘いよ。ほら、食べてみて!」
つばさは嘘をつき通すために、自分の分の1粒をポイと口に放り込みました。
噛むと、ツンとした酸っぱさと、わずかな甘みが広がります。でも、それだけで空腹が消えるはずもありません。
「……おいしい。ちょっと変な味だけど、元気が出る気がする」
このみが大切に1粒目を口に含みます。
「……いつか、本物の大きいケーキ買えるかな……?」
このみが、昨日の夢を反芻するように呟きました。
「……うん。きっと……きっと買えるよ」
つばさは、1粒のラムネが溶けて消えた口の中で、そう答えました。
今はまだ、たった7粒の、職員全員に配られるような味気ないラムネが彼女たちの「ご馳走」です。50話先の、本当の幸せなんて想像もつかないほど遠いけれど。
「……らこ姉ちゃん、もう1粒あげる。お誕生日だったから」
このみが、自分の2粒目をらこへ差し出しました。
「いいよ、このみが食べなよ」
「いいの、二人で10歳と11歳のお祝いなんだもん」
狭い廃屋の中で、4人はたった7粒のラムネを、まるで宝物のように分け合いました。
物語が動き出すのは、まだまだ先のこと。今はただ、この小さな酸っぱさを噛み締めて、明日の朝が来るのを待つだけでした。
日常10:笑顔の練習
2日で10話達成! 嬉しい!
いうの忘れてました:夏です
それじゃ、スタート!!
ミアレシティに、容赦ない夏がやってきました。
再開発でアスファルトが敷き詰められた表通りは、目眩がするほどの陽炎(かげろう)が立っています。しかし、4姉妹が住む路地裏の廃屋は、湿った土と古い壁が熱を閉じ込め、逃げ場のない蒸し暑さに包まれていました。
「……あつい。空気が、お粥みたいにドロドロしてる……」
11歳のらこが、床に転がって力なく呟きました。穴の空いた壁からは、涼しい風ではなく、熱風とセミの鳴き声だけが入り込んできます。
「……らこ姉ちゃん、これ使って」
10歳のこのみが、ポケモンセンターで捨てられていた厚紙を拾ってきて、一生懸命仰いであげます。
そんな暑さの中でも、4人は立ち止まりませんでした。いつか来る「先の幸せ」のため、そして何より、いつか買う「普通の大きいケーキ」にふさわしい自分たちになるために。
内緒の練習:理想の「いらっしゃいませ」
「……ねえ、しおん姉ちゃん。練習、しよう?」
このみが、仰いでいた手を止めて言いました。陰キャで引っ込み思案な二人は、センターのバックヤードでは完璧に働けますが、いつかケーキを買いに行くとき、あるいはもっと上の仕事に就くとき、華やかな表通りの人たちに気後れしたくないと考えていました。
「……そうね。つばさ姉ちゃんたちみたいに、自然に笑えるようにならないと」
二人は、3階の西日が当たらない隅っこへ移動しました。そこには、割れて破片が足りない古い鏡が立てかけてあります。
「……まずは、私から。……い、いらっしゃいませ。……ケーキを、4つ、ください……」
このみが鏡に向かって言ってみますが、声は小さく、顔は緊張で引きつってしまいます。
「……このみ、それだとケーキ屋さんが怖がっちゃうわ。もっと、こう……口角を上げて」
しおんが手本を見せようとします。
「……いらっしゃいませ。……これと、これを、いただけますか?」
しおんは冷静ですが、やはりどこか「事務的」で、楽しさが伝わってきません。
「……難しいね。つばさ姉ちゃんたちは、どうしてあんなにキラキラ笑えるのかな」
このみが、自分の頬を指でぐいっと持ち上げながら溜息をつきました。
陽キャ姉妹の見守り
その様子を、1階でボロ布を洗っていたつばさとらこが、階段の隙間からこっそり覗いていました。
「……ねえ、つばさ姉ちゃん。あの子たち、すっごく真剣だよ」
らこが小声でクスクス笑いました。
「『いらっしゃいませ』だって。いつか自分たちが買いに行くときのために練習してるんだね」
つばさは、眩しそうに目を細めました。
「……いいじゃん。最高の練習だよ。二人とも、自分たちがケーキを買う姿を、もうちゃんとイメージしてるんだもん」
つばさはわざと足音を立てて階段を登りました。
「おーい! 二人とも、何してるの? 秘密の会議?」
「……あ、つばさ姉ちゃん!」
慌てて鏡を隠そうとするこのみに、つばさは笑って言いました。
「いいよ、聞こえてた! 笑顔のコツはね、お腹が空いてるのを忘れるくらい、楽しいことを考えることだよ! ほら、らこ、お手本見せてあげて!」
「まかせて! はい、このみ、しおん! ケーキを4つ買ったあとの自分たちを想像して……はい、笑って!」
らこの元気な声に押されて、しおんとこのみも、ようやく少しだけ自然に口元を緩めました。
「……いらっしゃいませ」
「……ケーキ、ください!」
夏の日差しが照りつける、ボロボロの廃屋。
お腹はペコペコで、汗が止まらないけれど。
いつか訪れる「幸せな自分たち」を夢見る練習は、栄養ラムネよりもずっと、彼女たちの心を支えていました。
日常12:暑い日は怖い話だ☆
少しだけ気温が下がった夏の夜。
廃屋の2階に、4人はいつものように身を寄せ合っていました。
まだ熱気はこもっていますが、つばさは少しでも妹たちの気を紛らわせようと、拾ってきた懐中電灯(電池が切れかかっていて、時々チカチカと点滅します)を自分の顎の下から照らしました。
「見て見て〜〜!! 怖ーい話の始まりだよ〜〜……。ヒュ〜〜ドロドロ〜〜……」
つばさがわざと声を低くして、おどろおどろしく手を揺らします。
「やった! 待ってました!」
らこは、さっきまでの暑さでぐったりしていたのが嘘のように、目を輝かせて身を乗り出しました。陽キャな彼女は、こういう「イベント」が大好きです。
「……つばさ姉ちゃん、あんまり怖いのはやめてね」
このみが、さっき流した涙の跡が残る顔で、しおんの腕をぎゅっと掴みました。
しおんは「……大丈夫よ、このみ。つばさ姉ちゃんの話だもの」と言いながらも、少しだけ肩をすくめて身を構えます。
「……いい? これは、ミアレの古い路地裏に伝わる、恐ろしいお話……。ある暑い夏の夜、お腹を空かせた4人の少女が、真っ暗な部屋で寝ようとしていたの……」
「……それ、私たちのことじゃない?」
しおんが冷静にツッコミを入れますが、つばさは構わず続けます。
「するとね……どこからか、音が聞こえてくるの。……パリッ……サクッ……モグモグ……。それは、誰かが美味しそうな『ミアレガレット』を食べている音……!」
「えっ! 食べ物の幽霊!?」
らこが思わず声を上げました。
「少女たちが勇気を出して音のする方を見ると……そこには、誰もいない。でもね、床には……ガレットの食べかすが、点々と落ちているの!!」
「キャー!! もったいない!!」
らことこのみが同時に叫びました。彼女たちにとって、食べ物を残したり、見えない何かが食べていたりすることは、どんなお化けよりも恐ろしいことでした。
「そしてね……少女たちがその食べかすを辿っていくと、最後に行き着いたのは……大きな大きな、空っぽの冷蔵庫だったのぉ〜〜!!」
「……最後が一番怖いよ、つばさ姉ちゃん」
しおんが溜息をつきました。
「あはは! ほら、ちょっとだけヒヤッとしたでしょ?」
つばさが懐中電灯を消すと、部屋には窓から差し込む月明かりだけが残りました。
「……うん。ちょっとだけ、涼しくなった気がする」
このみが、くすくすと小さく笑いました。
「……でも、ガレットの幽霊なら、化けて出てきてほしいな。一口だけでいいから、食べかすを残していってほしい……」
「いいこと言うね、このみ! 明日の夜は、ガレットの幽霊が出るように、みんなでお祈りして寝ようか!」
らこの明るい声に、さっきまでの重苦しい暑さが、ほんの少しだけ和らいだような気がしました。
空腹も、暑さも、消えたわけではありません。
でも、つばさのサービス精神と、らこの笑い声があれば、この地獄のような夏も、あと一晩だけは乗り越えられる。
4人は狭い毛布の上で、幽霊が残していくガレットの夢を見ながら、ゆっくりと瞳を閉じました。
日常13:涼しくなった次の日は
夏の太陽が昇る前から、アスファルトはすでに熱を帯び始めていました。
7. 翌朝の出発:幽霊の落とし物?
「みんな、起きて! 遅刻したらまたお給料引かれちゃうよ!」
つばさの声で、4人は重い体を引きずりながら起き上がりました。朝食はいつものように、数粒の米が泳ぐ「お湯」だけ。けれど、昨夜の怖い話の名残か、らこが床を指さしてはしゃぎました。
「ねえ見て! ここに白い跡があるよ! 昨日のガレットの幽霊が、粉砂糖を落としていったんじゃない!?」
「……らこ姉ちゃん、それはただの壁の粉だよ」
このみが冷静に突っ込みましたが、その口元には小さな笑みが浮かんでいました。
「……行きましょう。今日も一日、耐え抜かなきゃ」
しおんが制服の襟を正し、4人は秘密の我が家を後にしました。
8. 夏の仕事の厳しさ:理不尽な怒声
しかし、ポケモンセンターに辿り着いた彼女たちを待っていたのは、過酷な現実でした。
連日の猛暑で、人間もポケモンも限界。ロビーには冷房を求めて人々が殺到し、空気は殺気立っていました。
「おい、いつまで待たせるんだ! 俺のポケモンが熱中症なんだぞ!」
一人のトレーナーが、受付のつばさに向かって怒鳴り声を上げました。
「申し訳ございません! 今、ジョーイさんが順番に……」
「順番なんて知るか! 早くしろよ、このガキ!」
男は、カウンターを激しく叩きました。このみが後ろでびくっと肩を震わせます。いつもなら明るく返すらこも、暑さと空腹で頭がぼーっとしてしまい、言葉が出てきません。
「……お客様」
しおんが、氷のように冷たい、でも丁寧な声で割って入りました。
「お急ぎなのは重々承知しております。ですが、暴力を振るわれても処置は早まりません。こちらの冷却パックをお持ちになり、あちらのベンチでお待ちください。……これ以上騒がれるなら、警備員を呼びます」
しおんの気圧されるような視線に、男は舌打ちをして去っていきました。
「……ごめんね。怖かったよね」
つばさが、震えるこのみの手をカウンターの下でそっと握りました。
「……ううん。大丈夫。しおん姉ちゃん、かっこよかった……」
このみは涙を堪え、再び顔を上げました。
外は、命に関わるほどの酷暑。
ロビーには、イライラした大人たちの怒鳴り声。
けれど、4人はそれぞれの役割を必死に全うしました。怒鳴られても、お腹が鳴っても、立ちくらみがしても、決して「辞める」とは言いません。
ここで働けなくなれば、あの路地裏の秘密も、いつかケーキを食べる夢も、すべて消えてしまうから。
夕方、仕事が終わる頃には、4人の制服は汗で塩を吹いていました。
けれど、帰り際にお互いの顔を見合わせると、そこには戦い抜いた者同士の、少しだけ誇らしげな表情がありました。
日常14:本物のアイス
ジョーイさんが差し出したのは、銀色の保冷袋に包まれた小さなカップ。中には、うっすらと霜の降りたバニラアイスが入っていました。
「はい。これポケモンセンターで余って明日消費期限だからあげる。1個しかないけどね……ごめんね。4人で分けて食べなさい」
「……えっ」
4人は一瞬、息を呑んでそのカップを見つめました。拾った雑誌の中で見た、あの「夢の食べ物」が今、目の前にある。
「ありがとうございます……!」
つばさが震える手でそれを受け取ると、4人は誰にも見られないように、足早にいつもの路地裏へと急ぎました。夏の熱気にさらされれば、この奇跡は一瞬で消えてしまうからです。
9. 150円の夢:たった一つのバニラ
廃屋の2階。夕暮れの熱い風が吹き抜ける中、4人は円になって座りました。
真ん中には、蓋を開けられたバニラアイス。
「……真っ白。雲みたい」
このみが、うっとりとした表情で呟きました。
「溶けちゃうよ! ほら、早く食べよう!」
らこが促しますが、誰一人として最初にスプーンを入れる勇気が出ません。あまりにも綺麗で、自分たちが食べていいものだと思えなかったからです。
「……まずは、このみから。昨日、お誕生日だったんだから」
しおんが促すと、このみは小さな木のスプーンで、壊れ物を扱うようにアイスをひとすくいしました。
一口、口に入れた瞬間。
「……っ!」
このみの目が大きく見開かれ、すぐにトロンととろけました。
「つめたくて……すっごく甘い……。口の中で、すぐいなくなっちゃう……」
次にらこが、勢いよく一口。
「うわぁぁ! なにこれ、おいしすぎる! 昨日の氷のラムネとは全然違うよ! 濃厚だよ!」
しおんは、目を閉じてゆっくりと味わいました。
「……幸せ。体の中の暑さが、全部消えていくみたい……」
最後に、つばさが残りを掬いました。
「……本当だ。これが、本物の味なんだね」
たった一つのカップアイス。4人で分ければ、一人あたりほんの2、3口分しかありません。
それでも、4人は最後の一滴まで溶けたクリームをスプーンで掬い、宝石を慈しむように味わいました。
「……ねえ、つばさ姉ちゃん」
このみが、空っぽになったカップの底を見つめながら言いました。
「いつか、普通の大きいケーキを買えたときも、今日みたいにみんなで『おいしいね』って言いながら食べようね」
「……うん。約束だよ」
外は相変わらずの酷暑で、廃屋の壁は熱を持ったまま。
けれど、4人の口の中には、バニラの甘い香りと、奇跡のような冷たさがいつまでも残っていました。
それは、過酷な夏を生き抜くための、何よりの栄養剤になったのでした。
日常15:アイスの後は現実を見る
アイスの魔法が解けるのは、あまりにも一瞬でした。
空っぽになったカップの底を、らこが名残惜しそうに指でなぞり、それをぺろりと舐めました。バニラの甘い香りはまだ指先に残っているけれど、胃袋はちっとも膨らんでいません。
「……あーあ。なくなっちゃった」
らこの寂しそうな声が、夕暮れの湿った空気に溶けていきます。
さっきまで感じていた奇跡のような冷たさは、夏の熱気に押し返され、再びジリジリとした暑さが4人の肌を焼き始めました。
「……さあ、現実に帰らなきゃ。明日の朝ごはんの準備、しようか」
つばさが立ち上がり、1階の「キッチン」と呼んでいる古い土間へ向かいました。
4人は黙ってその後を追います。
現実:最後の一握り
つばさが棚の奥から取り出したのは、もうほとんど空っぽの、クシャクシャになったお米の袋でした。
「……あ」
しおんが息を呑みました。
袋の底には、数えられるほどのお米の粒が、寂しく転がっているだけでした。
「……これだけ? あとこれだけで、次のお給料日まで持たせなきゃいけないの……?」
このみの声が震えます。さっきまでバニラアイスに感動していた瞳に、今度は現実の恐怖が滲みました。今月は遅刻でお給料が減らされた上に、二人の誕生日のために50円のスポンジと100円のクリームを無理して買ったからです。
「大丈夫。……大丈夫だよ。お水をたくさん入れれば、お腹は膨らむから」
つばさは、震える手でお米を鍋に入れました。
「シャラシャラ……」という、乾いた、あまりにも短い音。
4人分のお米。でも、それは普通の家の「一人分」にも満たない量でした。
幸せの代償
「……私、アイスなんて食べなきゃよかったかな」
らこが、膝を抱えてポツリと言いました。
「アイスを食べてる間は、お腹が空いてるの忘れてたけど……。なくなったら、さっきよりずっと、お腹が空いちゃった」
「……そんなこと言わないで、らこ」
しおんが、火のついていないコンロの前に座り込みました。
「あの味を知ることができたのは、私たちの『希望』よ。……ただ、明日からは、今日よりずっと厳しいってだけ」
つばさは、貴重なマッチを一回で擦り、鍋に火をかけました。
ぐらぐらと煮え立つのは、ほとんどが「ただのお湯」です。
「……ねえ、みんな。明日の朝ごはんは、このお粥を半分ずつ食べて、残りは夜に取っておこう?」
つばさの提案に、妹たちは黙って頷きました。
アイスという夢を見た代償は、明日からのさらなる空腹。
「……おやすみなさい。……夢の中でなら、ケーキでもアイスでも、いくらでも食べられるもんね」
このみが、自分に言い聞かせるように言って、固い床に横になりました。
お腹の虫が「グゥ」と鳴りましたが、誰もそれを笑いませんでした。
窓の外では、ミアレシティの豪華なレストランの明かりが、皮肉なほどキラキラと輝いています。
4人は、口の中に残ったバニラの「記憶」だけを抱きしめて、空腹という名の現実と戦いながら、深い眠りへと落ちていきました。
日常16:秘密のお仕事
バニラアイスの甘い記憶が、空腹という現実にかき消されていく夜。
妹たちが空腹を紛らわすように身を寄せ合って眠りについたのを確認し、つばさはそっと立ち上がりました。
「……ごめんね。お姉ちゃん、もうちょっと頑張ってくる」
足音を立てないように、ボロボロのサンダルを履いて廃屋を抜け出します。向かったのは、ポケモンセンターとは反対側、深夜まで荷馬車がひっきりなしに行き交うミアレの外郭にある配送所でした。
内緒のアルバイト:重い荷物と震える足
「おじさん、まだ仕事ありますか!?」
つばさが駆け寄ったのは、強面(こわもて)の荷役(にやく)の親方でした。
「あぁ? お前、さっきまでセンターで働いてたガキだろ。こんな時間に何しに来た」
「お金が……どうしても必要なんです。何でもします、重い荷物も運びます!」
親方は呆れたように鼻を鳴らしましたが、山積みになった「鉄骨の破片」を指差しました。再開発で出た廃材です。
「あそこの箱をあっちのトラックまで運べ。一箱運んで、数円だ。嫌なら帰れ」
「やります!」
つばさは即答し、箱に手をかけました。
「……っ!?」
想像以上の重さに、肩の骨が軋みます。昼間の仕事と空腹で、足はすでに棒のようです。でも、目を閉じれば、空っぽの米袋と、お腹を空かせて眠る妹たちの顔が浮かびました。
(一箱運べば、お米が数粒増える。二箱運べば、明日の夜も火が使える……!)
つばさは歯を食いしばり、細い腕で必死に荷物を抱えました。汗が目に入って沁みますが、拭う暇もありません。
異変に気づく「鋭い瞳」
夜中、ふと目を覚ましたしおんは、隣にいるはずの温もりが消えていることに気づきました。
「……つばさ姉ちゃん?」
慌てて1階へ降りますが、どこにも姿はありません。
しおんは、つばさが最近、仕事中に何度も自分の腕をさすっていたり、足を引きずっていたりしたのを思い出しました。
「……まさか」
しおんは寝ているらことこのみを起こさないよう、静かに外へ飛び出しました。しおんの鋭い観察眼と、つばさの「匂い」……少しだけ残ったポケモンセンターの消毒液の香りを頼りに、夜の街を走ります。
そして、配送所の片隅で、ボロボロになりながら泥まみれの箱を運ぶ姉の姿を見つけました。
「つばさ姉ちゃん!!」
「……えっ!? し、しおん!?」
つばさは驚いて足を止め、その拍子に膝をついてしまいました。
「……何してるの、こんなところで……。一人で、こんな……」
駆け寄ったしおんの目には、悔しさと悲しみの涙が溜まっていました。
「……内緒にしててごめんね。でも、お米がもうないの。私がお姉ちゃんだから、なんとかしなきゃって……」
「……バカだよ、つばさ姉ちゃん。私たちは『4人』でしょ? 一人で背負ったら、つばさ姉ちゃんが壊れちゃう……」
しおんは、つばさの泥だらけの手をぎゅっと握りしめました。
50円のケーキも、ジョーイさんのアイスも、全部こうして誰かの無理の上に成り立っていた。その現実に、11歳のしおんの胸は締め付けられます。
「……今日はもう帰ろう。明日、私もジョーイさんに相談してみる。もっとシフトを増やせないか、掃除の仕事もやらせてもらえないか……。一人でやらないで」
「……うん。ごめんね、しおん」
二人は深夜のミアレを、肩を貸し合いながら歩きました。
秘密のアルバイトで稼げたのは、ほんのわずかな小銭。
けれど、二人の絆は、夜の寒さにも負けないくらい強く結び直されていました。
日常17:コッソリの冷たい水
ミアレシティの夏、アスファルトの照り返しは夜になっても消えない。
古い3階建ての家の3階、屋根に近いこの部屋は、昼間の日光を吸い込んでサウナのような熱気に包まれていた。
「……あつい。あついよぉ……」
10歳のこのみが、床に突っ伏したまま、ポロポロと涙をこぼした。
空腹と、逃げ場のない暑さ。小さな体には、ミアレの夏はあまりにも過酷だった。
「このみ、泣かないで。水分なくなっちゃうよ」
11歳のらこが、自分の制服の袖でこのみの涙を拭う。らこ自身も顔が真っ赤だが、陽キャな彼女は一生懸命に笑顔を作っている。
「……扇風機、壊れてなきゃよかったのにね」
同じく11歳のしおんが、動かなくなった古い機械を悲しそうに見つめた。
そこへ、階段を駆け上がる足音が響く。
「ただいま! みんな、見て!」
12歳の長女、つばさだ。
彼女は大事そうに、タオルで何重にも包んだ水筒を抱えていた。
「このみ、暑いよね。ごめんね。……ほら、これ」
つばさがタオルを解くと、中から結露で濡れた水筒が現れた。
「これ……今日、ポケモンセンターの給湯室で、ジョーイさんに内緒でコッソリもらってきたの。すっごく冷たいお水だよ」
「……つめたい?」
このみが顔を上げる。
つばさが蓋を開けてコップに注ぐと、カラン、と小さな音がした。
「氷……入ってるの?」
「うん。少しだけ分けてもらったんだ。さあ、飲んで。もう泣かないで?」
つばさが優しく促すと、このみは両手でコップを掴み、一口、大切そうに含んだ。
キーンと喉を通る冷たさに、このみの瞳がぱぁっと輝く。
「……つめたい。おいしい……」
「よかった。……しおんも、らこも。一口ずつだよ」
つばさは自分は飲まずに、妹たちにコップを回していく。
12歳の小さな家長は、妹たちの喉が潤っていくのを見て、ようやく自分も少しだけ安心したように息をついた。
「……お姉ちゃんも、飲んで?」
このみが、最後に少しだけ残った水を差し出す。
「私はいいよ、職場で飲んできたから」
いつもの嘘。
けれど、4人で分け合ったその一杯の「冷たいお水」は、どこのカフェで売っている高級なフローズンドリンクよりも、彼女たちの心を潤してくれた。
日常18:完璧な噓
アルミの鍋の底には、薄いおかゆがほんの少しだけ残っている。
4人で分けたはずの2杯分。けれど、つばさの器には、最初からほとんど中身が入っていなかった。
「……お姉ちゃん、これ。まだ残ってるよ」
10歳のこのみが、自分の分を飲み干した後、鍋を覗き込んでつばさを見た。
つばさは、わざと大きく伸びをして、お腹を叩いてみせる。
「あはは! ごめんごめん、私さ、さっきポケモンセンターの休憩室で、ジョーイさんに余ったサンドイッチもらっちゃったんだよね。だからお腹すいてない。おかゆ、後はみんなで食べていいよ」
「えっ、ずるい! お姉ちゃんだけいいもの食べて!」
11歳のらこが、いつもの調子で茶化す。彼女もまた、つばさの嘘に気づかないふりをして、場を明るくしようとしているのかもしれない。
「……本当? つばさ、顔色が少し白いけど」
11歳のしおんだけが、じっと姉の目を見つめる。
けれど、つばさは一瞬も目を逸らさなかった。
「本当だってば! ほら、このみ、最後の一口食べちゃいな。夏バテしちゃうよ?」
つばさは、震えそうになる膝を隠して立ち上がった。
本当は、胃がねじれるほど空っぽだ。仕事中、誰かが飲み残した水のペットボトルを片付けるとき、喉が鳴りそうになるのを必死でこらえていた。
「冷たいお水も、職場でたっぷり飲んだから、3人で飲んでいいよ。 氷、溶けちゃう前にね」
つばさは窓の外、遠くで輝くプリズムタワーに視線を逃がした。
「……おいしい」
背後で、このみが嬉しそうに水を飲む音がする。しおんもらこも、大切そうに最後のおかゆを分け合っている。
(……これでいいんだ)
つばさは心の中で自分に言い聞かせた。
親に「要らない」と捨てられたあの日、自分がこの子たちを守ると決めた。
12歳の小さな肩には、ミアレシティの夜は少し重すぎるけれど、妹たちの「おいしい」という声だけが、彼女を支える唯一のガソリンだった。
「……明日も、早いから。みんな、早く寝ようね」
つばさは空っぽのお腹を抱えて、暗い部屋の隅でそっと横になった。
空腹の痛みよりも、妹たちが笑っている安心感のほうが、今は少しだけ勝っていた。
日常19:久しぶりのお出かけ
夏も盛り、突き抜けるような青空が広がったある休日のことです。
いつものように薄いおかゆを分け合った後、12歳のつばさがふと思いついたように言いました。
「ねえ、今日はちょっとだけ、遠いところへ行ってみない?」
10歳のこのみが、不思議そうに顔を上げます。
「とおくいけるの? お金、ないよ……」
「大丈夫。歩いていける、とっても綺麗な場所があるんだよ」
陽キャならこは「お出かけだ!」とボロボロの靴を急いで履き、陰キャなしおんは「……日焼けするわね」と呟きながらも、どこか嬉しそうに図鑑を小脇に抱えました。
4人は、再開発で騒がしいミアレシティの中心部を抜け、石造りの街並みが途切れる場所を目指して歩き始めました。
01. 坂道の先、見慣れない景色
いつも働いているポケモンセンターとは反対の方向。細い坂道を、4人で肩を並べて登っていきます。
「……あつい。お姉ちゃん、まだ?」
このみがつばさの服の裾を掴みます。空腹の体には、夏の坂道はこたえます。
「あと少しだよ。ほら、風が変わったでしょ?」
つばさが指差した先。建物の隙間から、それまで見たこともないような鮮やかな**「緑」**が飛び込んできました。そこはミアレシティの喧騒が嘘のように静まり返った、街外れの古い広場でした。
「わあ……っ! すごい、お花がいっぱい!」
らこが駆け出します。そこには、手入れはされていないけれど、夏の太陽を浴びて力強く咲き誇る野生の花々が広がっていました。
02. 4人だけのピクニック
4人は大きな木の木陰に座り込みました。
持ってきたのは、あの水筒に入った「少しの冷たいお水」だけ。
「……ここなら、誰も『いらない』なんて言わないね」
しおんが静かに呟きました。ミアレの路地裏にいると、自分たちが街の汚れもののように思えるときがあるけれど、ここではただの12歳と11歳と10歳の少女でいられました。
「ねえ、見て! 綺麗な石見つけたよ!」
このみが、足元に落ちていた透き通った小石を拾って、つばさに見せます。
「本当だ。このみみたいにキラキラしてるね」
つばさは、空腹で少しふらつく頭を木に預け、妹たちの笑い声を聞いていました。
お出かけと言っても、何かを買えるわけでも、豪華な食事があるわけでもありません。でも、この広い空の下で、4人で笑い合っている時間だけは、自分たちが世界で一番豊かな家族のように思えました。
03. 帰路、約束の夕暮れ
太陽がオレンジ色に溶け始め、プリズムタワーの影が長く伸びる頃。
4人はまた、あのジメジメした路地裏の家へと歩き出しました。
「楽しかったね、お姉ちゃん」
このみが、つばさの手をぎゅっと握りしめます。
「うん。また明日から、ポケモンセンターで頑張ろう。……いつか、本当にもっと遠いところ、カロス地方の端っこまでみんなで行こうね」
つばさの言葉に、3人が力強く頷きます。
帰り道、誰かのお家から漂ってくるカレーの匂いに、みんなでお腹を鳴らして笑いながら。
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ミアレシティの喧騒を離れた、街外れの静かな広場。
夏の終わりの柔らかな風が吹き抜ける中、12歳のつばさは、隣で小石を握りしめている10歳のこのみの肩をそっと抱き寄せました。
木陰に座る4人の前にあるのは、空っぽに近い水筒がひとつだけ。
けれど、つばさの瞳には、今の彼女たちには手の届かない、キラキラとした未来の景色が映っていました。
「ねえ、このみ。しおんも、らこも聞いて」
つばさは、遠くに見える地平線を見つめながら、力強い声で言いました。
「今はこれだけしかないけど……いつかここで、美味しいサンドイッチとおにぎりとお弁当とお水、ぜんぶ持って行こうね!」
その言葉に、食いしん坊ならこが真っ先に反応しました。
「お弁当!? 私、シャカシャカポテトもいいな! あと、甘いタマゴ焼き!」
「……私は、ツナマヨのおにぎり。本で読んだことあるの、とっても美味しいんだって」
11歳のしおんも、図鑑から顔を上げて、少しだけ頬を緩ませます。
このみは、つばさの顔をじっと見上げました。
お姉ちゃんがいつも自分の分のおかゆを分けてくれること。
お腹が鳴っているのに「お腹すいてない」と笑うこと。
10歳のこのみは、子供ながらにその優しさと、隠された空腹を知っていました。
だからこそ、つばさが語るその「いつか」が、何よりの宝物のように思えたのです。
「……うん! ぜったいだよ、お姉ちゃん!」
このみは、つばさの腕にぎゅっとしがみつき、元気いっぱいに返事をしました。
「おにぎり、おっきいの作ろうね。お姉ちゃんも、お腹いっぱい食べるんだよ?」
「あはは、もちろん! 食べきれないくらい、たくさんね」
つばさは笑って、このみの頭を撫でました。
空っぽの胃袋はきゅーっと痛んだけど、妹の力強い返事を聞いただけで、胸の奥は温かい何かで満たされていきました。
12歳、11歳、11歳、そして10歳。
親に捨てられた4姉妹にとって、その約束は、暗い路地裏で生き抜くための、たった一つの、けれど消えない光。
「よし、帰ろっか。明日の仕事、ジョーイさんに褒められたら、また何かいいことあるかも!」
つばさを先頭に、4人は再びミアレの街へと歩き出します。
いつか、この広場でお弁当を広げる日を夢見て。その足取りは、来た時よりも少しだけ軽くなっていました。
日常20:夢に向かって
ポケモンセンターの裏側と、4人の居場所
ミアレシティの中心部にある巨大なポケモンセンター。そこは、世界中からやってくるトレーナーと、ピカピカに磨かれた最新設備、そして甘い香りのするカフェが併設された、光り輝く場所だ。
朝一番。4人は裏口から入り、使い古した、けれど真っ白に洗濯された制服に袖を通す。
「よし。みんな、名札は曲がってない? 今日も笑顔でね!」
12歳のつばさが、3人の襟元を整える。
彼女たちがここで働かせてもらえるのは、ジョーイさんの慈悲だ。親のいない子供でも、真面目に働くならと、雑用係として雇ってくれている。
01. 陽キャ組の奮闘
「こんにちは! 今日はどちらからいらしたんですか? わあ、カッコいいバッジ!」
ロビーでは、12歳のつばさと11歳のらこが、トレーナーたちの案内や掃除に駆け回っている。
つばさは、空腹で時折クラッとする頭を振り切り、誰よりも元気に挨拶をする。らこは持ち前の明るさで、落ち込んでいるトレーナーの子供に「大丈夫だよ、ジョーイさんがすぐ治してくれるからね!」と励ましの言葉をかける。
二人の笑顔は、ロビーを明るく彩るが、その足は夕方には棒のようになり、お腹の虫は絶えず鳴っている。
02. 陰キャ組の献身
一方、バックヤードの調剤室や資料室。そこが11歳のしおんと10歳のこのみの戦場だ。
「……この『キズぐすり』、ラベルが少し剥がれてる。貼り直しておくね」
「……うん。このネジ……予備、きれいにしておく……」
しおんは膨大な量の図鑑や資料を整理し、このみは壊れかけた備品の清掃や、小さなネジの仕分けを黙々とこなす。人前で笑うのは苦手な二人だが、その正確な仕事ぶりは、ジョーイさんも密かに信頼を寄せている。
03. 4人の秘密の合図
お昼休憩の時間。
ポケモンセンターのカフェからは、焼きたてのガレットや、香ばしいサンドイッチの匂いが漂ってくる。
けれど、4人が集まるのは冷たい機材が置かれた倉庫の隅だ。
「……はい、これ。ジョーイさんが『端っこだから』ってくれた、サンドイッチのパンの耳」
しおんがポケットから、小さな紙包みを取り出した。
4人はそれを4等分して、宝物のように口に運ぶ。
「おいしい……。お外で食べる約束のサンドイッチも、こんな味なのかな」
このみが、大切そうにパンの耳を噛み締める。
「もっと美味しいよ! だって、中身が詰まってるもん!」
らこが笑うと、つばさは自分の分のパンの耳を、そっとこのみの手に握らせた。
「私はさっき、お裾分けをたくさんもらったから。このみ、食べていいよ。」
いつもの嘘。
つばさは自分の喉がキュッと鳴るのを無視して、妹たちの汚れを拭ってやる。
「さあ、後半戦! しっかり働いて、早くお弁当の夢、叶えよう!」
12歳のリーダーのかけ声に、3人が小さな、けれど確かな声で応える。
冷房の効いたポケモンセンターの中で、彼女たちの空腹だけが、唯一の「現実」だった。
日常21:震える小さな手
10歳のこのみは、使い終わったトレイを洗浄室へ運ぶ係をしていました。
連日の暑さと、朝から口にした「薄いおかゆ数口」だけの胃袋。足元がふわふわと浮くような感覚の中、このみは山積みになったガラスの薬瓶を運ぼうとしていました。
「……あ」
一瞬、視界がぐにゃりと歪みました。
ガシャン! という鋭い音が、忙しく立ち働くスタッフたちの手を止めました。床には、貴重な回復薬の瓶が粉々に砕け散り、透き通った液体が虚しく広がっています。
「何してるの! このみちゃん!」
奥から現れたジョーイさんの声は、いつもの優しさではなく、プロとしての厳しさに満ちていました。
「これは今すぐ必要な薬なのよ。不注意すぎるわ。今日はもう、奥で反省していなさい!」
「……ごめんなさい……ごめんなさい……」
このみは、割れた破片を拾おうとして指先を切ってしまいました。けれど、心の痛みの方がずっと大きくて、声も出せずにただ震えていました。
02. お姉ちゃんたちの「盾」
その騒ぎを聞きつけて、ロビーからつばさとらこが、資料室からしおんが駆けつけました。
真っ先に動いたのは、12歳のつばさでした。
「ジョーイさん! 申し訳ありません! 私の指導不足です!」
つばさは床に膝をつき、深々と頭を下げました。
「このみは朝から一生懸命やっていました。どうか、私に免じて許してください。……片付けは、私たちが全部やりますから」
11歳のらこも、いつもの明るい顔を封印して、必死にジョーイさんに訴えます。
「ジョーイさん、このみ、最近あんまり眠れてなかったみたいなんです。次は絶対気をつけるから……ね?」
しおんは無言で、このみの切れた指先を自分のハンカチで包み、そっと妹を背中に隠しました。
ジョーイさんは、4人の必死な姿を見て、ふぅとため息をつきました。
「……わかったわ。怪我の手当てをして、少し休みなさい。次はないわよ」
03. 倉庫の隅の温もり
ジョーイさんが去った後、4人は薄暗い倉庫の隅に集まりました。
このみは、つばさの制服にしがみついて、声を殺して泣き続けています。
「……お姉ちゃん、ごめんなさい……。わたしのせいで、怒られちゃった……」
つばさは、このみの小さな肩をぎゅっと抱きしめました。
「いいんだよ、このみ。失敗は誰にでもあるよ。……それより、お腹空いてたんだよね。気づいてあげられなくてごめんね」
つばさは、制服のポケットに隠していた、自分の「お昼のパンの耳」をそっと取り出しました。
「これ、さっきもらったんだけど、私はもうお腹いっぱいなの。 このみ、これ食べて元気出して? 泣いてると、もっと疲れちゃうよ」
「……お姉ちゃん、うそつき……」
このみが泣きじゃくりながら言いました。
「お姉ちゃんのお腹、さっきから、ぐーって鳴ってるもん……」
つばさは一瞬、困ったように笑いましたが、すぐに力強く首を振りました。
「これは、お腹が空いてる音じゃないよ。『このみを励ましてあげて』って、お腹が言ってるの。ね、いいから食べちゃいな」
11歳のしおんとらこも、黙ってこのみの背中をさすり続けました。
親に捨てられ、社会の隅っこで必死にしがみついている4人にとって、この場所を失うことは死を意味します。けれど、それ以上に「4人の誰かが傷つくこと」が、何よりも耐え難いことでした。
「……うん……ありがとう、お姉ちゃん……」
このみは、涙でしょっぱくなったパンの耳を、ゆっくりと噛み締めました。
夕方の忙しさが始まるまで、4人は誰にも見つからないように、静かに身を寄せ合って体温を分け合っていました。