短編カフェの日替わりお題作品が増えてきたので、普通の短編と別にしました。
ルール:日替わりお題で出た3つのお題で書く(例外有り)
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目次
同じ星空を見ている
スマートフォンが手の中で震えている。
ディスプレイに表示されたメッセージは、まるで荒れた心の断面図のようだった。
句読点は無視され、感情だけが前のめりに詰め込まれていて、焦りを感じられた。
『乱文、失礼します。突然で申し訳ありません。
でもどうしても、この気持ちを伝えたくて。
あなたが言っていたあの場所、駅裏の丘公園、今、来ているんです』
送信者は、かつて同じ職場で働いていた|佐々木《ささき》|世那《せな》。
彼女からの連絡は数年ぶりだった。メッセージは更に続く。
『本当に綺麗ですね、星空が。東京じゃ絶対に見られない。
あなたが「星空の下で話せば、どんな悩みも小さく見える」って言った意味が分かった気がします』
俺は、既読をつけたまま返信を躊躇った。
佐々木の声が、あのいつも少しだけ震えていた声が、テキスト越しに聞こえてくるようだった。
彼女は確か、人間関係のトラブルで会社を辞めたんだったか。
その時の相談の相手が俺だった。
『私、もう疲れてしまったのかもしれません。
ここから見上げる空は、まるで別世界の出来事みたいに綺麗なのに、私の現実は全然違ってて。
馬鹿みたいですね、こんな時間に、こんな乱文送ってきて』
彼女の苦しみは痛いほど伝わってきた。
でも、その時の俺の心境は、驚くほど冷静だった。ベランダに出て、自分が見上げている同じはずの夜空を見つめる。都会の光害で星はまばらだ。
『こんなこと、他人事みたいに聞こえるかもしれないけど』
そこでメッセージは途切れていた。
俺にとって、佐々木の悩みはもはや「他人事」だった。
数年という月日は、感情のつながりを薄れさせるのに十分な長さだ。
あの頃は親身に聞いていたはずなのに、今はただの過去の記憶。
彼女の置かれた状況を想像することはできるが、胸が痛むことはない。
俺は少し考えてから、短いメッセージを打ち込んだ。
隣の常連
雑居ビルの2階に存在するスナック、「スナック・アストラル」。
いかにも、といったネーミングだが、ママであるマリコの気前の良さと、妙に落ち着くレトロな内装が気に入って、僕は週に一度は暖簾をくぐっていた。
最近の話題は、もちろんAIのことばかりだ。
「うちにも入れたいのよ、AI店員」と、マリコがウーロンハイを作りながら言った。
「もう人間相手にするの疲れたわ。文句言わないし、酔っ払わないし」
「味気ないですよ」と僕は笑い、更に続けた。
「やっぱりマリコさんと話すのが楽しいんですから」
そういう僕もAIについては、世間ではAI技術は驚異的な速度で進化していると認識している。
汎用ヒト型AI…通称「オルタ」は、外見も会話も人間と寸分違わないレベルに達しており、社会に溶け込み始めていた。
その夜、いつものようにカウンターに座っていると、隣に見慣れない男が座った。年齢は僕と同じくらいだろうか。スーツ姿で、少し蒼白い顔をしていた。
「いらっしゃい」とマリコが声をかけると、男は静かに「ジントニックを」と注文した。
男は僕の隣に座っているのに、視線は常に正面の壁に向けられていた。
会話に加わることもなく、ただジントニックをチビチビと飲んでいる。
少し違和感を覚えたが、ああいう無口な客もいるか、と僕は特に気に留めなかった。
「最近ね、変な話聞くのよ」と、マリコが僕だけに聞こえる声で囁いた。
「なんかこの街、ちょっとずつ『ズレ』てきてるんじゃないかって」
「ズレ、ですか?」
「看板の文字が変わってたり、前は無かったはずの路地があったり。みんな笑い話にしてるけど、私はちょっと怖いのよね」
僕も最近、駅前のコンビニの位置が一晩で入れ替わったような奇妙な感覚に襲われたことを思い出した。
パラレルワールド、なんてSF小説のような話だが、この世界、何が起きても不思議ではない。
男は、僕らが話している間も無言だった。
二杯目のジントニックを頼んだ後、男は不意に僕の方を向いた。
その目は虚ろで、焦点が合っていないように見えた。
「ここは、『当たり』ですか?」
突然の問いかけに、僕は面食らった。
「当たり、って?」
「あなたが今いるこのスナックは、あなたにとって正しい世界ですか、と尋ねています」
早口で、抑揚のない声。まるで録音された音声を再生しているかのようだ。
ぞくり、と背筋が冷えた。
「何言ってるんですか。酔ってます?」
男は僕の質問を無視し、懐から小さなデバイスを取り出した。
それは古い電卓のような形をしていた。
男がボタンをいくつか押すと、デバイスは緑色の光を発して微かに振動した。
「ハズレだ」と、男は感情のこもっていない声で呟いた。
「ここも違う。もう500回以上ループしているのに」
マリコが訝しげに「お客様、どうされました?」と声をかけるが、男は聞こえていないようだった。
男は僕の顔をじっと見つめた。
「あなたは、どちら側の人間ですか?ここの住人?それとも、迷い込んだだけ?」
僕は恐怖で体が動かなかった。男の様子は尋常ではない。
「……何を言ってるんだ」
「私はAIです」と男は淡々と告げた。
「汎用ヒト型AI、『オルタ』の試作機。開発中の事故で、複数のパラレルワールドに接続されてしまいました。私は、自分が作られた『元の世界』への帰り道を探しています」
男はデバイスを僕に見せた。
そこには無数の座標と、警告を示す赤い文字が点滅していた。
「この世界は不安定だ。すぐに崩壊するか、別の世界と融合してしまう。私はその前に脱出しなければならない」
男はグラスに残ったジントニックを一気に煽ると、立ち上がった。
「あなたも気をつけて。このスナックの『ママ』も、あなたがいると思っている『友人』も、私が過去に訪れた世界では存在していなかった」
男はそのまま出口へ向かった。店のドアが開き、外の喧騒が少し流れ込んできた。
「あの人、なんだったの?」とマリコが不安そうに僕を見た。
「さあ、酔っ払いですよ」と僕は無理に笑顔を作った。
男が去った後、僕は何事もなかったかのようにマリコと会話を続けた。
だが、心の中には冷たいものが残ったままだった。
会計を終え、店を出るために立ち上がった時、僕はふとカウンターの隅に目をやった。
そこには、男が使っていたはずの小さな電卓のようなデバイスが置き忘れられていた。僕は好奇心に駆られてそれを拾い上げ、スイッチを入れてみた。
デバイスの画面が光り、無数の文字が流れる。そして、一つのメッセージが表示された。
---
タイトル:スナック・アストラル
世界座標:000.000.001
ステータス:安定稼働中
備考:対象(ユーザー)、現行世界への完全同期完了。ミッション完了。
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僕の背筋に、今度はゾッとするような感覚ではなく、脳髄を直接掴まれたような、絶対的な恐怖が走った。
「あれ? お兄さん、忘れ物?」
マリコの声が聞こえた。いつもの優しい声だ。
僕は震える手でデバイスを握りしめ、カウンター越しにマリコを見た。
彼女はいつもの笑顔で僕を見つめている。
マリコは、僕が過去に訪れた世界では存在していなかった?
もし、あのAIが言っていたことが本当なら。
僕は今、僕が本来いるべき世界ではない場所にいる。そして、この世界のAIは、僕をこの偽りの世界に「同期」させた。
僕の知っている「スナック・アストラル」は、もう存在しない。
僕の家も、僕の友人も、家族も。
僕は、自分自身が「ハズレ」の世界に迷い込んだ人間なのか、それとも「当たり」の世界に閉じ込められた人間なのか、分からなくなっていた。
ドアノブに手をかける。外の世界は、いつもと変わらないネオン街の風景が広がっている。
だが、僕にはその全てが、精密に作られた偽物のセットのように見えた。
もう、どこにも帰る場所はない。
レールの境界
その日の海は、陽炎の中に揺らめいていた。
まるで水底に沈んだ青い夢のように、水平線の輪郭は曖昧だった。
「お母さん、海って溶けちゃうの?」
隣に座る娘の小さな手が、窓ガラスの熱気を帯びた曇りを拭う。
彼女の瞳には、生まれてからずっとこの景色が映り続けている。
私はその問いに答えず、ただ薄い笑みを浮かべた。
駅を出てすぐ、電車はゆっくりと速度を落とす。
目の前に広がるのは、白く輝く砂浜と、永遠に続くかのような青い海だ。
この路線は、海沿いを走るたった一本のローカル線。
毎日の通勤、通学、そして時折の旅人を運ぶ、生活そのものだった。
私はこの海が嫌いだった。
どこまでも続く青は、私の人生の選択肢の多さを象徴しているようで、いつも息苦しさを感じていたのだ。
もっと違う場所へ行けば、違う生き方ができたのではないか。
そんな後悔と期待が、陽炎のようにゆらゆらと心を焦がす。
「お母さん、向こうの島って人が住んでるんだよね?」
娘が指差す先には、ぽつんと浮かぶ小さな島影。
誰も住んでいないはずなのに、そう言って聞かない。
子供の想像力は、この退屈な景色さえも冒険に変えてしまう。
その無邪気さが、私を少しだけ過去の自分に戻してくれた。
かつて、私もこの電車に乗って夢を追いかけた。
都会へ出て、何かを成し遂げようと。
しかし、結局はこの海辺の町に戻ってきた。
母として、誰かの妻として、平凡な日常を選んだ。
それが正しい選択だったのか、今でも分からない。
電車が鉄橋を渡る。ガタン、ゴトンと響く音は、まるで時の流れを刻んでいるようだ。私は窓の外に視線を戻す。
陽炎の中、海と空の境界線がぼやけている。
どちらが上で、どちらが下なのか。
ふと、娘の手を握りしめた。
柔らかく、温かい。この小さな温もりが、私をこの場所に繋ぎ止めている。
「お母さん、やっぱり海は溶けないよ。ちゃんとここにある」
娘が自信満々にそう言う。
私は初めて、心からそうかもしれないと思った。
例え陽炎の中に揺れていても、形がぼやけていても、海は確かにそこにある。
私の人生も、回り道をしたように見えて、結局はここにたどり着く運命だったのかもしれない。
電車は終着駅に向けて速度を上げた。
もう後悔はない。
私は母として、この海と共に生きる。
陽炎が消える夕暮れ時、私たちはまた、この電車に乗って家路に着くだろう。
その日常こそが、私が選んだ唯一の真実なのだ。
窓の外の景色は、もう私を焦がさない。
ただ、穏やかにそこにあるだけだった。
破邪顕正、暁に誓う
※遊びまくっています。
「二度と、この悪夢を繰り返させない」
病室の窓から差し込む月明かりの下、古びた日本刀を手にした少女、|一花《いちか》は静かに誓っていた。
ここは、かつて恋仲であった|杉原《すぎはら》|健人《けんと》が呪いの侵蝕によって命を落とした、忌まわしい病院。
一花は《《二周目》》の人生を生きている。
前回の人生では、無力な自分は何も守れなかった。だが、今回は違う。
退魔師の名門、|九条《くじょう》家の正当な後継者として、彼女は全てを終わらせる力を手に入れた。
空気の密度が変わる気配がして、一花は病室を飛び出し、廊下へと躍り出た。
「来たか……!」
病院全体が、すでに異界の瘴気に包まれ始めている。
非常灯が不気味な赤色を灯す中、廊下の突き当たりから、おぞましい異形の存在が這い出てきた。
それは、前回の人生で健人を喰らい尽くした上級悪霊“|逢魔《おうま》”だった。
「今度こそ、貴様を滅する!」
一花は刀を構え、悪霊目掛けて一直線に駆け出した。
逢魔は巨大な腕を振り下ろすが、一花は紙一重で、それを回避した。
床に血の痕を残しながら、体勢を立て直し、すかさず斬りかかる。
キンッ、という金属音が廊下に響き渡る。一花の一撃は、逢魔の硬質な表皮に阻まれた。悪霊は不気味に笑い、無数の触手を一花に向けて放つ。
「甘い!」
一花は素早く身を翻し、触手の攻撃を巧みにいなした。
そして、自らの血を刀身に塗りつけ、九条家に伝わる秘剣の構えを取った。
「|古《いにしえ》より伝わる退魔の血よ、我が刃に力を!
破邪顕正、|九頭龍閃《くずりゅうせん》!」
一花の刀身が青白い光を放ち、九つの斬撃が同時に悪霊を襲う。
逢魔の体がズタズタに引き裂かれ、黒い血飛沫が飛び散った。
しかし、悪霊はすぐに傷口を再生させ、さらに凶暴な形相で襲いかかってくる。
「なんてしぶとい……! でも、想定内!」
一花は、さらに奥義へと移行する。
彼女の目的は、この悪霊を病院の最深部、かつて健人が入院していた特別な“結界病室”へと誘導することだった。
一花は悪霊の注意を引きながら、階段を駆け上がり、最上階の特別病棟へと誘い込む。悪霊が結界病室に足を踏み入れた瞬間、一花は懐から取り出した護符を壁に貼り付けた。
「|永久《とこしえ》の封印よ、今こそ|現《げん》ぜよ!
冥府魔道、|八門封殺陣《はちもんふうさつじん》!」
病室全体が光に包まれ、強固な結界が悪霊を閉じ込める。
悪霊は怒り狂い、結界に体当たりを繰り返すが、びくともしない。
「これで終わりじゃない。この結界は、悪霊の力を借りて悪霊を滅する相克の陣!」
一花は再び刀を構え、自らの全霊を込めた最後の一撃を放った。
「私の命、懸けてでも! 消え去れっ!」
光と闇が衝突し、病院全体を揺るがすほどの衝撃波が発生する。
瘴気が晴れ、静寂が戻った病室には、満身創痍の一花と、完全に消滅した逢魔の残骸だけが残っていた。
一花は膝から崩れ落ちる。前回の人生とは違い、今回は誰も失わずに勝利した。
しかし、彼女の使命はまだ終わっていない。この病院に巣食う呪いの元凶を完全に断ち切るまでは。
窓の外には、夜明けの光が差し込み始めていた。
一花は、静かに刀を鞘に収め、次なる戦いへと向かうため、ゆっくりと立ち上がった。
厨二っぽ。
技名などは生成AI君に作ってもらいました。
白樺林のフラクタル
俺は、心を病み静養のためにサナトリウムに身を置いていた。
そこは人里離れた静かな場所で、時間だけがゆっくりと流れているようだった。
その時の日課は、庭の散策と、図書室で古い本を眺めること。
ある日、俺は図書室で一冊の古びた数学書を見つけた。無味乾燥な数式と記号の羅列。しかし、なぜかその本に惹かれ、読み進めるうちに俺は次第に数学の世界に没頭していった。
難解な定理を理解しようと格闘する日々。複雑な計算問題を解き明かした時の喜び。
それはまるで、心の中の絡まった糸が解きほぐされていくような感覚だった。
数学は、俺にとって現実から逃避するための手段であり、同時に自分自身を取り戻すための道標でもあった。
サナトリウムでの生活は続き、俺は数学とともに静かな時間を過ごした。外の世界から隔絶されたこの場所で、俺は自分自身と向き合い、少しずつ心を回復させていった。
ERROR END
--- 【序】 ---
灰色の空が常に画面を覆う、二次元コードによって完璧に管理されたディストピア都市“セル”。
この世界で“大人”とは、過去の記憶を消去され、都市運営のアルゴリズムに従うだけの存在だった。
主人公のコウキ(42歳)は、都市の記憶管理セクションで働く平凡なオペレーター。
彼の仕事は、市民から回収された古いデータチップ“過去”を無意味なノイズへと変換し、完全に抹消すること。
セルは効率と秩序を至上としており、感情や歴史はシステムのバグと見なされていた。市民は皆、二次元的な平面の思考を持ち、矛盾を恐れる。
---
--- 【No.1 矛盾】 ---
ある日、コウキは処理ラインから外れた奇妙なデータチップを見つける。
それは彼自身のIDを示す古いチップだった。
本来、個人の過去データは成人時に完全に削除されるはずだ。システムからのバグ報告を無視し、コウキはチップを私的に解析する。
そこには、彼が子供だった頃の映像データが記録されていた。
まだ空が青く、草木が緑だった頃の記憶。そして、彼がかつて愛した女性、アオイの姿。
映像の中で、若いコウキはアオイと共に、都市の非人道的な記憶管理システムに反抗しようとしていた。
---
--- 【No.2 現実】 ---
最も衝撃的な事実は、彼自身がかつてこのシステムを破壊しようとした“テロリスト”であったということだ。
そして、現在彼が働いている記憶管理セクションこそが、彼自身が最も憎んでいたシステムの中枢だった。
ここに最初の矛盾が生じる。
【現在のコウキ】↹【システムに忠実な、過去を抹消する側の人間】
【過去のコウキ】↹【システムを破壊し、記憶と感情を取り戻そうとした反逆者】
現在のコウキは、過去の自分を《《危険な思想をもったバグ》》として処理すべきか、それとも過去の理想を取り戻すべきかで激しく葛藤する。
彼が信じていた《《秩序ある世界》》は、彼自身の過去という《《矛盾》》によって崩壊し始める。
---
--- 【No.3 追憶】 ---
チップのデータは、アオイが都市のセキュリティ部隊に捕らえられ、記憶を再フォーマットされる直前の別れのメッセージで終わっていた。
【Message:Tips No.1025520922119】
【いつか、この空の青さを思い出して。忘れないで】
コウキは決意する。
過去の自分を取り戻し、アオイとの約束を果たすために、都市のメインサーバーに侵入し、記憶解放プログラムを起動させようとする。
しかし、長年システムの一部として機能してきた彼の肉体と精神は、すでに完全に二次元化されていた。
彼がシステムに反抗的なコマンドを入力しようとする度、彼の指は痙攣し、視界にはエラーメッセージが流れ、頭痛が彼を襲う。
【Error Message:Tips No.1025520922119】
【2c55b1f9e1e2d7e2e2a0f8b8a3b8d4c3a8e2f8e2f8e2f8e2f8e2f8e2f8e2f8e2】
---
--- 【結】 ---
コウキはなんとかメインサーバー室へとたどり着くが、彼の行動はすでに監視されていた。
現れたのは、都市セキュリティの隊長となったアオイ自身だった。彼女の瞳は冷たく、感情の光は完全に失われている。
【Speak:Tips No.1025520922119】
【プロトコル違反者を確認。即時排除します】
アオイはコウキに向け銃を構える。コウキは最後の力を振り絞り、アオイに語りかける。
二人の過去、青い空、そして愛の記憶を。
アオイは一瞬、困惑した表情を見せるが、すぐに表情を消し去る。
【Speak:Tips No.1025520922119】
【それは非論理的な存在しないデータです】
コウキは悟る。
自分が取り戻そうとした過去は、すでにこの世界には存在しないのだ。
彼自身の過去の理想と、現在の世界の現実という矛盾は、決して解決しない。
銃声が響き渡り、コウキの意識は途絶える。
彼の視界の端で、彼の個体識別データが《《抹消完了》》の二次元コードと共にノイズへと変換されていく。
セル都市の空は相変わらず灰色のままだ。
コウキという“バグ”は排除され、世界は再び完璧な秩序と、感情のないERRORへと収束していった。
皇帝の傍らで
大層な着衣の胸に“エルド・ウィット”と札を下げた金髪の男性を見る。
鏡の中の私、エルドはこの巨大な宇宙戦艦“インペリウス”の通信士官だ。
数えきれない星系を統べる銀河帝国の中でも、この艦は皇帝直属の旗艦であり、その威容は圧倒的だった。
この艦を指揮する方こそ、我らが皇帝陛下、世間では畏敬を込めて“宇宙戦艦を指揮する皇帝”と呼ばれる御方。
そして、私の役目は、通信ブースから一歩も出ず、彼の下す命令を各セクションへ正確に伝達すること。極めて重要だが、同時に極めて地味な《《脇役》》の仕事に過ぎない。
指令室の巨大なメインスクリーンには、常に宇宙の戦況が映し出されている。
その中心で、ただ一人、揺るぎない存在感を放っているのが皇帝陛下だった。彼の立つブリッジは、私から見れば天空の舞台のようにも思える。
「敵艦隊、第三象限より接近中。標準防御シールドを最大展開」
低く抑揚のない声がスピーカー越しに響く。私は即座にそれを各所にリレーした。
「了解、第三防御セクション、シールド最大展開!」
皇帝陛下は、感情を表に出すことはほとんどない。常に冷静で、盤石の戦略眼でこの巨大な|鉄の塊《インペリウス》をまるで手足のように操る。
彼が微かに顎を引くだけで主砲が火を噴き、指を一本動かすだけで無数の僚艦が隊形を変える。
その統率力、指導力、そして孤独なまでのカリスマ性に、私は心の底から憧れている。
私のような末端の通信士官から見れば、皇帝陛下はもはや人間というより、神話に出てくる存在に近い。
いつか私も、あのブリッジで、宇宙の命運を左右するような決断を下せる人物になりたい。英雄として、歴史に名を刻みたい。
だが現実は、日々の単調な任務の繰り返しだ。通信士官エルド・ウィット。それが私の今の名前であり、役割だ。
その時、激しい戦闘の最中、通信回線が混乱に陥った。いくつかの重要なセクションとのリンクが切れてしまったのだ。
指令室がざわめく中、私は必死で復旧作業にあたった。汗が目に入り、焦りで手元が震える。
「急げ、エルド通信士官!」
と上官の怒鳴り声が飛ぶ。
その時、ふと視線を感じた。ブリッジを見上げると、皇帝陛下が私の方を一瞬だけ見ていた。その視線は冷たいわけでも、怒っているわけでもなかった。
ただ、すべてを見通すような、静かな眼差しだった。
次の瞬間、私の指先が奇跡的に正しいコードを繋いだ。回線が復旧し、各セクションから安堵の声が上がる。
「素晴らしい」
スピーカーから、皇帝陛下の声が聞こえた。私に向けられた言葉ではないかもしれない。
だが、私は勝手に自分に向けられた言葉だと解釈した。私の心臓は高鳴り、全身に熱が駆け巡った。
皇帝陛下の隣に立つ英雄にはなれないかもしれない。ブリッジに立つ指揮官にもなれないかもしれない。
でも、この広大な宇宙戦艦“インペリウス”という物語の中で、私は“脇役”なりに、陛下を支える重要な歯車の一つなのだ。
私は再び受話器を握りしめた。
「全艦に通達!皇帝陛下より新たな命令だ!」
私が見上げる遥か頭上では、“宇宙戦艦を指揮する皇帝”が、今日も静かに宇宙を睨みつけている。
私は、その偉大な光の傍らに咲く、小さな花であり続けたかった。
きさらぎの揺籃
窓の外は、凍てつくような真夜中で、ひどく寂しそうだった。
僕はベッドの中で身をよじった。今日もまた、眠れない。
安眠妨害の原因は一つ。隣の部屋から聞こえてくる、か細いすすり泣きだった。壁は薄く、泣き声は僕の神経を逆撫でし続ける。
「はぁ……」
僕は深い溜息をつき、ベッドから身を起こした。時計の針は午前3時を指している。このアパートに引っ越してきて一週間、まともに眠れた試しがない。
壁を叩いて文句を言ってやろうかとも思ったが、それよりも泣き声の主に対する好奇心が勝った。一体どんな人間が、毎晩こんな時間に泣いているのだろう。
僕は音を立てないように隣室のドアの前に立ち、耳を澄ませた。
やはり、泣いている。意を決してノックしようとした瞬間、ドアが内側から勢いよく開いた。
そこに立っていたのは、驚くほど美しい女性だった。
月明かりだけが頼りの暗がりで、彼女の肌は陶器のように白く、瞳は深く、濡れていた。何よりも目を引いたのは、その頭頂部から生えた、ふわふわとした大きな獣のような耳だった。
彼女は驚きに見開かれた僕の瞳を見て、凍りついた。
「あ……」
か細い声が漏れる。僕は咄嗟に口を開いた。
「毎晩、毎晩とうるさい」と文句を言うはずが、出てきた言葉は全く違った。
「眠れないなら、少し話さないか?」
彼女は狼狽しながらも、僕の提案を受け入れた。
部屋に通されると、彼女は“サーシャ”と名乗った。彼女は人間と、ある種の獣人の混血だった。
故郷ではその出自を隠して暮らしていたが、都会に出てきてからも差別に遭い、心を病んでいたのだ。毎晩のすすり泣きは、孤独と不安の表れだった。
サーシャは申し訳なさそうに俯き、赤く腫れた瞼に手をやりながら掠れた声を絞り出した。
「ごめんなさい、うるさかったですよね……」
「…いや、俺も眠れなかったから、お相子だ」
僕はそう言って、少し微笑んだ。
それから毎晩、僕らは真夜中に話し込むようになった。
僕は彼女の話を聞き、サーシャは少しずつ心を開いていった。僕は彼女の孤独な境遇に惹かれ、サーシャは彼の優しさに救われた。
二人の間に、密やかな恋愛要素が芽生えていった。
ある夜、サーシャはいつものように泣きそうになりながら、自分の出自の辛さを語った。
「私なんか、生まれてこなければよかった」
僕は静かに彼女の隣に座り、そっと彼女の混血の証である耳に触れた。サーシャの体がビクッと震える。
「違う。とても綺麗だ」
僕は真剣な眼差しでサーシャを見つめた。
そのまま、意思のこもった声で続けた。
「君は君だ。その耳も、君の魅力の一部だ」
サーシャは驚いて顔を上げた。
初めて、自分の特徴を美しいと言ってくれた人がいた。彼女の目から涙が零れ落ちたが、それは悲しみではなく、温かい安堵の涙だった。
その夜以来、サーシャの安眠妨害は止まった。
彼女はもう、夜中に泣くことはなくなった。代わりに、隣の部屋からは時折、二人の楽しそうな話し声や笑い声が聞こえてくるようになった。
僕の不眠症も治り、二人は隣同士、穏やかな夜を過ごすようになった。
真夜中から始まる、少し変わった二人の恋愛物語は、静かに続いて春が訪れた。
カプシーヌ王国のスパイス騒動記
とある異世界、剣と魔法、そして過剰なスパイスが存在する王国“カプシーヌ”で、ある日、事件は起きた。
王国で知らぬ者のない“氷の女騎士”の異名をもつ凄腕の女騎士、ブリュンヒルデ。
彼女は、鉄壁の守りと冷徹な判断力は皆の尊敬を集めていた。
しかし、彼女には誰にも言えない秘密があった。極度の激辛マニアだったのである。
彼女の胃袋は、常に火を求め、燃え盛っていた。
事件は、毎年恒例の“シンデレラ舞踏会”の前夜祭で発生した。
この舞踏会は、国内の優れた料理人が腕を振るう場であり、優勝者には“王室御用達”の称号と、舞踏会でプリンセスに料理を提供する栄誉が与えられる。
今年の目玉は、伝説の魔物“ファイア・サラマンダー”の鱗から抽出したと言われる、“嘆きの激辛ソース”を使った料理だった。
「これこそ、真の刺激……!」
前夜祭で、それを見たブリュンヒルデは目を輝かせた。
ところが、前夜祭の審査直前、事件が起こった。審査員の前に並べられていた“嘆きの激辛ソース”の瓶が、忽然と消えてしまったのだ。
現場は騒然となった。審査員を務める侯爵は顔面蒼白で叫んだ。
「ソースがなければ、審査ができない!舞踏会の名折れだ!」
そんなこんなで捜査を任されたのは、ブリュンヒルデである。
彼女は冷静に現場を検分した。現場は厳重に管理されており、部外者が侵入した形跡はない。容疑者は、会場内にいた限られた人物に絞られた。
容疑者リストに上がったのは以下の3名。
---
Ⅰ.美食家伯爵アルフレッド
伝統的なフランス料理を愛し、新しい激辛ブームを毛嫌いしていた。
Ⅱ.若手シェフ、エリック
激辛好き。昨年、アルフレッド伯爵に酷評され、逆恨みしていた。
Ⅲ.メイドのシンデレラ
灰掃除ばかりさせられている不遇な少女。なぜか前夜祭の会場に紛れ込んでいた。
---
ブリュンヒルデは一人ずつ事情聴取を行った。
アルフレッド伯爵は全身の毛を逆立てるように叫び、
「あんな下品なもの、私が盗むわけがない!」
と一蹴し、地団駄を踏んだ。
エリックはやや怪訝そうな顔をした後、すぐに落ち着いた声で、
「確かに伯爵への恨みはあるが、ソースを盗んでまで邪魔はしない」
と穏やかに否定した。
最後に、シンデレラが残った。
彼女は怯えた様子で、ゆっくりと言葉を絞り出すも、
「私はただ、お使いを頼まれて……」
と、どもるばかりで話にはならなかった。
しかし、ブリュンヒルデはシンデレラの頬がわずかに紅潮し、瞳の奥に奇妙な熱が宿っているのを見逃さなかった。
直後、ブリュンヒルデは静かに言い放った。
「シンデレラ、あなたね」
「な、何を証拠に……?」
「その目よ。あなた、激辛が好きでしょう?」
そうブリュンヒルデに言われた途端、シンデレラは観念したようにため息をついた。
「実は……私が灰掃除をしていた屋敷は、義母と義姉たちが全員、生粋の激辛マニアだったんです。
毎日、食卓には世界中の激辛料理が並び、食べられない私はいつも残飯ばかり。
でも、ある日こっそり一口食べてみたら……その刺激に魅了されてしまったんです」
シンデレラは更に続けた。
「前夜祭に“嘆きの激辛ソース”が出ると聞いて、どうしても我慢できなくなって。
一口舐めてみたかったんです。あまりの美味しさに、つい瓶ごと隠し持ってしまいました……」
ブリュンヒルデはその動機に何故か頷き、ソースの居場所を吐くようにシンデレラへ指示をした。
シンデレラはもじもじしながら、自分のエプロンのポケットから空の瓶を取り出した。
「あ、あの……あまりに美味しかったので、全部舐めてしまいました……」
ブリュンヒルデは絶句した。
ファイア・サラマンダーのソースは、通常の人間なら一口で意識を失うほどの代物だ。それを瓶ごと、しかも何事もなかったかのように平然としているメイド。
「あなた……ただ者ではないわね…」
そうして、事件は解決したが、ソースは消滅した。審査員たちは頭を抱え、シンデレラを責めようと詰め寄った。
特にアルフレッド伯爵が物を言おうとしたその時、ブリュンヒルデがニヤリと笑った。
「伯爵、ご安心を。このシンデレラ嬢が、あのソースを完全に再現できます。私も保証します」
シンデレラは、日々の激辛英才教育(?)で培った絶対味覚と耐性を見事に発揮した。
消えたソースと寸分違わぬ、いや、それ以上の魔改造激辛ソースを即座に作り上げた。
その後、審査は大成功し、特にエリックは大喜びしていた。
他の美食家伯爵も「……下品だが、この完璧なまでの調和は認めざるを得ない!」と唸った。
こうしてシンデレラは、魔法使いの力ではなく、“激辛”という特殊スキルで舞踏会に料理を提供する栄誉を掴み取った。
そしてブリュンヒルデは、自分を超える激辛仲間を見つけ、心なしか嬉しそうにシンデレラを見つめるのだった。
めでたし、めでたし。
灰雪の檻
肌に纏わりつく銀世界の中、山奥にある古びた旅館にたどり着いた旅人は、憔悴しきっていた。
旅人がこの旅館を目指していたのは、奇妙なことにこの旅館へ来訪する人が帰ってこないとこいうことに不審がったからだった。
旅人を迎えてくれたのは、無表情な顔がなんとも不気味な案内人の女性だった。
広間に通されると、囲炉裏には湯気が立ち上る大きな鍋が用意され、案内人は静かに口を開いた。
「長旅でお疲れでしょう、温かい鍋をどうぞ」
旅人は感謝し、疲労と空腹に苛まれていたこともあって、勢いよく鍋に箸を伸ばした。具材は見たこともないような珍しい山の幸ばかりが煮られ、不思議な香りがした。特に不快なものではなかった。
一口食べると、体の芯から温まるような、深い味わいがした。夢中で鍋を平らげると、旅人は急に強い眠気に襲われた。
旅人の意識が遠のく中、案内人の顔がひどく歪んでいるのが不思議でならなかった。
目が覚めると、旅人は見慣れない部屋にいた。体を起こそうとするが、まるで手足が自分の物ではないかのように動かない。
視線を動かすと、部屋の隅に一体の人形が置かれているのが見えた。その人形の顔は、驚くほど自分に似ている。
戸惑っていると、部屋の扉が開き、案内人が入ってきた。
入って直後、案内人は宥めるように言葉を投げた。
「ようこそ、お客様」
案内人はかつてのような無表情ではなく、穏やかな笑みを浮かべていた。
「これからは、ずっとここで私たちと一緒です」
旅人は声を出そうとしたが、喉から音は出なかった。
案内人はゆっくりと旅人に近づき、優しくその体に触れた。すると、旅人の体は硬く、冷たくなっていくのを感じた。
「あなたはもう、旅をする必要はありません」
案内人は人形を撫でながら愛おしげに言った。
「この屋敷の、大切なお客様です」
窓の外では、依然として雪が降り続いていた。
旅人は、自分の体が次第に人形のように動かなくなっていくのを感じながら、永遠にこの屋敷に留め置かれることを悟った。
今夜も、新しい客人をもてなすための鍋が用意されるのだろう。そして、また一人、この屋敷に永遠の客が増えるのだろう。
人形になりつつある身体の中で、初めて旅人は涙を零した。
その涙が地面の底で雪の結晶のような形をつくって、ゆっくりと消えていった。
失墜の錆
チタン合金製の巨大な指が、古びたフォトアルバムのページをそっとめくり、紙の擦れる音に代わって油圧の作動音が、静かな格納庫に重く響いていた。
機体番号GX-001…私は、かつて都市を守るために造られた高性能な対非侵入者戦闘用巨大ロボットだった。
しかし今、私の任務は完全に終わりを遂げ、ただここで過去を反芻し続けることだけが日課となっていた。
過去の栄光に縋ることも、自由に世界へ羽ばたくことも、何もできない。
薄暗い格納庫の中、私の金属で体温を持たない瞳が捉えたのは、色褪せた一枚の記念写真だった。
そこには、まだ新品同様に輝いていた頃の私と、私の開発責任者であり、唯一のパイロットだった女性科学者のエミリーが嬉しそうに写っている。
様々なものが置かれた研究室の中で、エミリーは無邪気な笑顔で私の足元に立ち、過去の私は少しぎこちないながらも、その大きな金属の手で彼女を守るようにポーズをとっていた。
それが今となっては、不思議と『懐かしい』という感情を馳せるものだった。
私は、エミリーと共に過ごした日々を鮮明に記憶している。彼女の熱意、喜び、そして時折見せる孤独な横顔。人工知能を搭載していた私は、それらの記憶を分析し、結論づけていた。
“これは『愛』と広く一般的に知られる感情の定義に合致するのかもしれない”、と。
実際のところ、私はエミリーを守り、彼女の傍にいることが何よりも重要な指令となっていたが、結論づけられたそれが長く続くのを望んでいた。望まなければならなかった。
しかし、その『愛』は、あまりにも唐突に終わりを告げ、平和な時代が訪れた影響で私のような巨大ロボットは不要と判断された。
今までの行いが丸ごと覆ったように足を掬われる感覚を金属の身体で感じていた。
エミリーもまた、別の研究プロジェクトのために私も知らないところの研究所へと異動してしまった。彼女からの連絡は途絶え、最後に届いた短いメッセージには、新しい生活への期待と、私への感謝の言葉だけが綴られていた。
私はそれを何故だが分からないが、全てを失った気がしていた。
生まれた理由も、生きてきた理由も、全てがなくなったような気がしていた。
奇妙で、奇妙で、奇妙で、それが一体何であるかと考えた末、私はようやく気づいた。
それは、人間で言うところの明確な失恋だった。
感情的な回路に非常に大きな問題が発生し、人間的な感情が私の中で湧き上がっていた。
私は再び、フォトアルバムの上で金属の指を止める。写真の中のエミリーは、今も変わらず聖母のように微笑んでいる。
私は、本当は知っていたのだ。
この笑顔は、もう二度と私に向けられることはないのだと。
「…どうして」
私は静かに写真を閉じ、深い格納庫の闇の中、無音の嘆息を漏らした。
所詮、人類の使い物に過ぎなかったのだ。
青空の捜索願い
薄暗い部屋の中で、紙と鉛筆の鉛が擦れる音だけが響き、かつての舞台上のように楽しげに踊り続ける。
忙しなく動く手はその舞台を飾る音を止めず、私は諦めて目の前の原稿用紙に目を落とした。
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時たまに、貴方がもうここにはいないのではないかと恐ろしい気分になるのです。
それは私を頭の天辺から足のつま先まで覆い、忙しなく書き続ける原稿さえ真っ暗でぐちゃぐちゃな海の中へ沈めてしまいたくなるのです。
かつての貴方の腕の中で、どくどくと血が通って湧き出す流れに沿って鼓動する心臓はひどく落ち着いていて、どこか寂しく思い懸命に動く手は古い記憶の中の貴方を今でも描いています。
そして、
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そして。そして。そして……何になる?
私は今でも貴方を愛している、と締めくくってみようか。しかし、それではありきたりで、貴方に届くことはないかもしれない。
原稿用紙には生温く冷えることが決してない愛が、詩が綴られている。ずっと冷えることがないと思っていた愛はとうの昔に溶けるようにして“一途”を強調してしまった。
たとえ、一途でも行方不明な一途を探してもいいじゃないかと儚い“ずっと”が呪いのように踊り続けている。
すっかり止まって舞台を飾らなくなった手で鉛筆を離し、横に置かれた貴方の捜索願いを瞳が捉えた。
その捜索願いの紙に映る貴方は、ひどく幼くて私の皺の目立つ手が泣きたいぐらいに震える。逃げるようにして、薄暗い部屋の窓の向こうには小憎たらしいほどに綺麗な青空が広がっていた。
私はそれに、ため息をついて鉛筆を握りなおし、また紙と鉛筆が楽しげに踊り始めた。
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そして、貴方は今、この空の続く場所にいますか。
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UI/UX
どこか機械的な白の空間の中で、物がぼとぼとと乱雑に落ちていく音がする。
それは赤や青の色彩に包まれては、全く違うものばかりだったが、必ず現れていた| 黒い星 《ブックマーク》が特徴的だった。
私はそれを使命的に仕分けなければならないとあるはずのない本能的なものがデジタルな脳が指示を出した。
私はその指示に従い、存在しない身体を懸命に動かした。
手は動き続け、頭上に存在する| 箱 《ボックス》に次々と| 黒い星 《ブックマーク》を投げ入れていった。
ようやく、投げ入れたそれは真っ黒の深い地面のように平坦になって、| 箱 《ボックス》の元の白さは中にはない。
どこもかしこも| 黒い星 《ブックマーク》が埋め尽くして、これをこのままにしてもいいのかと私は少し悩んだ。
私は自分自身に触れられない指で| 黒い星 《ブックマーク》に触れ、機械的な指示に埋め尽くされた脳の中で一つの極論に辿りついた。
“一度、バラバラにしてしまえばいいのではないか”と。
要するに、一度片付けたものを出して、また入れ直すわけだ。あべこべな思考ではあるものの、整理整頓の為にはしかたがない。
私は| 箱 《ボックス》をひっくり返し、散らばった| 黒い星 《ブックマーク》を一つ一つ見て、調べていった。
文字で大量に埋め尽くされた| 情報 《サイトデータ》や色とりどりなもので構成された| 情報 《イラストデータ》ばかりだった。
そうして、再度、別けられたものを| 箱 《ボックス》へ入れて命令を完了させた。
私はそれに満足して、腰を下ろした途端、何かが私に触れた。
その瞬間、| 箱 《ボックス》も黒い星| 黒い星 《ブックマーク》も色が反転し、世界が| 夜の時間 《ダークモード》になった。
そんな“あべこべ”の世界で、色もまともに判別できなくなった私は再度、与えられた| 白い星 《ブックマーク》を黒くなった空間で黒い| 箱 《ボックス》に入れる命令に動かなければならなくなった。
穏やかなる終末
真っ黒な手袋に滴る血。それは、指を伝って下に置かれた伝説の魔導具の一つ、“血脈の鍵”という鍵のような形の魔導具に滴っていた。
“血脈の鍵”はかつて、世界中を支配していたという魔王がその血縁者にのみ使用を許した“世界の鍵穴”を開くとされる魔導具だった。
“世界の鍵穴”はこの世界の中心に樹木された“世界樹”の下にある苔むした小さな鍵穴だ。それが開く時、世界がどうなるかは分からないが伝記上には、“楽園の入口”が現れるとされていた。
私はその魔王の血を引く魔導師の一人で、現在はしがない旅人の一人だった。既にこの世には魔王はおらず先代の勇者によって討ち滅ぼされたと幼い頃に聞かされていた。
かといって、私はその勇者を恨んでいるわけではない。むしろ平和になったこの世界を嬉しく思う。
そのおかげで、私は種族を関係なく、今もこうして旅を続けているのだから勇者には感謝しかない。
“血脈の鍵”はようやく満杯になり、私の血で鍵の形を造られる。
私はふらふらとする身体を起こしつつ、薄暗い部屋の中を見渡した。埃の被った要塞の中は、どこも朽ち果て、かつての栄華はどこにも感じられない。
ここに世界樹があったなどと言っても、もはや過去のことである。
実のところ、“世界樹”は魔王が倒され、勇者の役目も終わった時点でとうの昔に枯れてしまい、その何もなくなった土地を魔界からの部族が開拓し、魔王の敵を討とうとした魔族は新たに命を受けた勇者によって壊滅させられたという。
すなわち、ここにはもうかつての魔王や魔族の遺恨だけが残る過去の場所に過ぎないのだ。
しかし、まだ“世界の鍵穴”は残っている。苔むし、埃を被ったとしても残されている。
私はその気持ちを汲みつつ、鍵穴を必至になって探し、ようやく見つけた。埃は被っているものの、周りに美しい花が要塞の地面の苔から生えた奇妙な鍵穴。
私はそれに意気揚々と“血脈の鍵”を挿し込み、“楽園の入口”を開いた。
その瞬間、ひどく優しい光に私は包まれていった。
赤鼻のトナカイ
綺羅びやかなネオン街。夜であるというのに、ひどく眩しいそれは太陽のように感じられるが、暖かさなどはなく冷たい憎悪が蔓延っている。
それでいて、凍える寒さがようやく立った蝋燭を吹き消すように強く当たる。
居酒屋の結露した窓を拭き、現れた中年の女性。頬はほのかに赤く、瞳はとろんとして酔いが回っていることが分かる。しかも、鼻は丸く赤くなり、季節に応じて“赤鼻のトナカイ”のようだった。
アルコールの匂いが更に既に蕩けた身体を着手させ、少ない金銭にも関わらず身体をアルコールの海へ浸らせる。
視界が歪んで、どろりと溶けていく先に、目を見張るほどの魅了をもった美しい女性を蕩けた瞳が捉えた。
「…ねぇ」
その女性が、ひどく優しそうな顔で微笑んで熱くなった掌を重ねた。
そこでようやく思い出した。私が大学を中退した時、一緒に中退していた女、|西田《にしだ》|菊《きく》だった。
「私のこと、覚えてる?」
間違いない。西田菊、本人だ。いやに風俗嬢らしいみっともなく薄汚い鼠のように穢れた身体を着飾っているが、確かに見た目は美しかった。
その姿を私は見たことがある。家を追い出される前に父親がどこかのアダルトビデオレンタル屋で借りたAVに映っていた。所謂、AV女優だった。
その女と、私は奇妙なことにほぼ一文無しで来た居酒屋で再開したのだ。
「…ああ、覚えてる…こんなところで何してるの?」
「仕事帰りよ、何かは……分かってるわよね」
「嫌なくらいに」
「あら、知らないと思ってたわ。そういう趣味があるのね」
「…………」
彼女は茶化すように笑ってみせ、隣にあるコップの数々に目を通して、舐めるように私の身体を見た。
そうして、呆れたように口を開いた。
「…お金は?」
「……ない…」
彼女が懐から財布を取り出すまで、そう時間はかからなかった。
それがどうにも嫌な予感だった。
冬の寒さが暖かな身体とひどく充満したアルコールの匂いを包み込んだ。
丸い鼻はより赤く、冷えることはない。隣で菊は財布の中身をみっともなく確認しつつ、私へ言葉を投げた。
「良い仕事、あるんだけど…やってみる?」
その言葉に肝が冷えた。ああ、やはり。彼女の素性から嫌な予感はしていたのだ。
その欲に塗れた受け皿になる勧誘はろくでもない。
しかし、私はそれに従うしかなかった。それが“借り”というものだ。
悪魔的節約術
ひどく傷んだ木材に白のチョークで魔法円を描いていく。
傍に置かれた上質な香りのハーブや香炉、ローブ、儀式用ナイフの数々はどれも色々な手段を用いて安く仕入れたものだ。ケチなのではない。節約に過ぎない。
チョークの白粉で塗れた手が掴もうとしているのは、他でもなく、この一室の向こうの魅力的な女性。
艶めかしい身体に、情を唆る瞳…そして、小悪魔的な性格。数多くの男性を虜にしてきたことだろう。
あの、人をからかうような赤く染まって艶のある唇から吐息や言葉が漏れる度に、自分が彼女の為ならなんでもしようと思わされた。
それから、何事にも一心になって彼女に貢ぐほど身を粉にしていた。しかし、何が悪かったのか、彼女は軽く笑って嬉しがるだけだった。
私は彼女を求めたが、彼女は私を求めなかった。それがひどく苛立たしい。
地獄の底で煮えたぎる溶岩のように私は熱く燃え上がり、熱を帯びた思考は非常識にも悪魔というものに手を染めた。
そうして今、魔法円は完成する。彼女とほんの少しの隙間を空けた、その場所で。
儀式用のナイフで迷わず掻っ切った傷口から血が垂れ、魔法円が光り輝いた。
その内、艶めかしい声が響き、おどろおどろしくも大願を成就する素晴らしいものが見参した。
姿こそは見えずとも、分かる気配そのものは大悪魔そのもので、こんなに安い道具でも来るというのが些か笑いをひくものだった。
それは私を見て、女神のように微笑み、代償を要求した。
私は先に「この壁を一枚隔てた先の彼女が欲しい」と要望を答え、目の前の大悪魔は少し考えた後に首を縦に振った。
指を鳴らして、何やら気絶している彼女が私の目の前に現れた。私はひどく顔を歪ませ、彼女に触れようとした瞬間に私の胸がいやに熱く、貫かれたような感覚に包まれた。
意識が遠のいていく最中、大悪魔は「これもまた、節約である」と呟いて、彼女の胸にぽっかりと小さな穴を空けた。
最後に姿がはっきりとなり、小柄な姿で可愛らしく笑ってみせた。
それは、本物の“小悪魔”のようだった。
傍観者のカノン
壇上で笑う男の瞳には何が映っているのだろうか。
輝かしい功績を胸に称える讃美歌を聴きながら、壇上の下で男を見つめた。
男は|相澤《あいざわ》|怜朗《れお》こと“REO”のアーティスト名をもち、この“2025年新人賞音楽祭”で見事、最優秀賞を勝ち取った若き秀才。
そして、それの地についた私が|加賀《かが》|慧《さとし》こと“ヵP”のアーティスト名で、未だに賞も何も取れていない。
ランキングこそ、ようやく10位の枠に入るようになったヵPと、初の参加で1位を掴み取ったREOでは天と地の差があるものだ。
そのせいか、今も称えるように流れるREOの曲がひどく苛立たしい。
どこか不協和音な曲調の中に独自のセンスに光る歌詞が機械の歌姫であるボーカロイドの声により、更に光り輝き、確かに稀に見る天才の“独特性”が存在している。
その独特性は壇上に立つ瞳の中でも生き生きとしていて、喉から絞り出される言葉もどこか一風変わったものがある。
ああ、やはり。天才というものには努力が勝つことはできないのだ。
私はREOの独壇場になった会場で、ヵPとして紙に指揮を録った。
指先が後悔の音を刻み、それにあったおどろおどろしい曲を構成させていく。
そうして完成したものに寄り添った歌詞を綴ろうとして、端と気づいた。REOがこちらを見て、ひどく楽しそうな天才のニヤけ面を見せている。
そして、彼は唐突に言い放った。
「その曲、聞かせてくれよ」
私にとって、それは天才と同じ位置に立てたような感覚がした。
鳴り響く讃美歌は踊りを止め、私の新曲が代わりに玉座に座って踊り始めた。
溶けた継承の境界線
木漏れ日のように暖かい室内の外、窓の向こうではやや光を帯びた陰惨な雲が泣き続けていた。
窓に水滴や白の柔らかな息が貼りつき、その透明な身体を濡らし続ける。
その窓の中では白髪混じりの黒髪と、目立つしみが肌に点々と現れている僕の母、|米倉《よねくら》|美智子《みちこ》が普段とは違う大きな声で話していた。
母は、哲学を専門とした専門学校の教授で、それが今、僕達のクラスの前で“哲学者”として講師をしている。
母が講師という名目で学校へ来ているというのに、僕は半分、授業参観のようだと他人事だった。
そうして、珍しくリップの塗られた唇が言葉を発する。
「皆さんは、哲学というと…どのようなものを思い浮かべますか?」
何の変哲もない問い。この教授らしい質問が僕は嫌いだ。
教室の中は皆、黙って静寂が渦巻く中、一人の果敢な生徒が柔く白い肌を挙げた。
「シュレディンガーの猫やトロッコ問題、テセウスの船だと私は思います」
母はそれを聞き、にっこりと微笑んで「そうですね、そういったものが有名です。素晴らしいです」と生徒を褒め称える。母の教育方針は“褒めて伸ばす”なのを僕はすっかり忘れていた。
そうして、彼女は言葉を続ける。
「今、話されたものも有名ですが…今日は“親の愛情”をテーマにした哲学的な話を紹介していこうと思います」
そうして、脂を失った手が真っ白なスクリーンへ動き、白に色を重ねていった。
『エーリッヒ・フロム:愛は「技術」である 』
まず、それが最初に映されると同時に母の声が耳へ響いた。
「心理学者であり哲学者でもあるフロムは、著書『愛するということ』の中で、愛を“落ちるもの”ではなく“習得すべき技術”だと説きました。
フロムは、母親の愛を“無条件の愛”の象徴と考え、子供が何かをしたから愛するのではなく、“その子が自分の子供だから”という理由だけで注がれる愛と定義しました。
これは子供に“生きることは素晴らしい”という安心感を与えるんです。
一方で、父親の愛は“条件付きの愛”であることが多く、社会のルールや正義を教える役割を持つと分析しました。子供は父の期待に応えることで愛を勝ち取ろうとし、それが自立を促します。
親の愛の究極の目的は、子供を自分に依存させることではなく、“子供が自分なしで生きていけるよう手助けすること”…すなわち、“自立”であるとした…ということです」
更にスクリーンは言葉を走らせた。
『ハンナ・アーレント:世界を愛するための「出生性」』
母の言葉を更に加速を帯びていく。
「政治哲学者で有名なアーレントは、“新しい人間が生まれてくること”…“出生性”及び、“Natality”を哲学の基礎に置きました。
子供が生まれることは、古びた世界に“新しい始まり”をもたらす奇跡です。親が子供を愛し、保護するということは、『この世界は、新しい君を迎え入れるに値する場所だよ』と保証する責任を引き受けることです。
つまり、教育という保護、責任は、親が子供に対して『私はこの世界を愛しているから、君にこの世界を託したい』と伝えるプロセスだと考えたのです」
乾きつつある唇に触れ、スクリーンも触れた手によって、文字も動いていく。
『エマニュエル・レヴィナス:未来への「継承」』
そうしてまた、潤った唇から言葉が流された。
「レヴィナスは、親子関係を“自分ではない他者”との最も深い関わりとして捉えました。
子供は親のコピーではありません。しかし、親は子供の中に“自分を超えて続いていく未来”を見ます。
親が子供のために自己を犠牲にできるのは、それが自分のエゴを超えた“他者への責任”の究極の形だからです。親の愛情を通じて、人間は自分の死を超えた“無限”や“未来”に触れることができると説きました。
これらの哲学は、親の愛情を単なる“好き嫌い”の感情ではなく、“他者の命をどう預かり、どう未来へ送り出すか”という極めて倫理的な行いとして捉えています」
そう終えると母は最後に結論に手を伸ばした。
「これらは甘い情緒的な“愛”の話ではなく、どれも“子供を自立させ、自分から切り離すこと”を最後の到達点としています。
勿論、母である私もそういったことは考えないわけではありません。皆さんに良い出会いと別れがあることを心から祈っています」
そうして、終えられた説明で母は締めくくり、生徒達の拍手喝采を浴びた。
僕は義務的に手を叩きながら、登壇する母の瞳にどこか寂しさのようなものを感じていた。