主に裏垢で投稿したりしなかったりした内容。
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目次
どうして未成年はR18を読んじゃいけないの?
サブ垢からの転載。
鍵「サブ垢転載」
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男の弱み
約3000文字
鍵「男の弱み」
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追記:AIの感想をつけました。
短カフェ利用者を分類してみた
去年ごろに書いたやつ。暇だったので分類してみました。
個人の見解が多め。読み専どもは知らん。サブ垢に上げるはずだったものなので、口悪いので注意。シリーズ名をもう一度確認の上。
鍵「口悪いので注意」
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いのちの授業フェチ
おい、フェチが昂じて変なもの作っちゃったぞい。「くれ悪」で頼むぞい。
「小中学生の自殺予防週間の一環として、命の授業をするとします。命の授業ではよく「心臓」が授業の導入に用いられがちです。」>
「そこで、子どもたちの心臓を概念的に捉えて、意味付けを行うとします。2心房2心室と計4つのモノを組み込めるとして、今の小中学生が大切にしているモノを捉える感じです。もちろん、これは単なる意味付けですから、4つを失っても心臓は停止しないです。」>
「例として、「学校、友達、道具、余白(空洞のまま選択しない)」としました。」>
**Grokの分析**
・「学校、友達、道具、心の余白」は、バランスが取れている。「選択しない」を入れると、心に柔軟性がある感じに。
・現代の子どもたちは塾や習い事多忙なので、「心の余白」は価値が高い。この柔軟性を取り入れることが、障がい者や多様な背景の子どもに配慮しててインクルーシブ。子どもたちの個性がどうのこうのってできる。
・「たとえ意味を失っても心臓は止まらない」ことから、不登校などで学校を失うシナリオを議論し、代替の支えを探るきっかけにもなる。
---
命の授業の導入では、心臓をメタファーとして用いています。
聴診器を渡して、自分の心臓の音を聴く、クラスメイトの心臓を聴くなどフェチなことをしていますが、
「生きている=心臓ではない。生きている=時間だ」
という結論が、当時の僕としては「何でだ?」と、とっつきにくかったです。
そこで、より心臓をメタファーらしくして、時間の使い分けを4つに分ける風にしてみました。
もちろん、心臓への意味付けのみならず、「命の授業」自体も意味付けに過ぎませんから、4つ空白でも心臓は停止しません。しかし、時間の使い方が決まっていないから、浪費する可能性は高いでしょうか。
---
**Grokの返事**
生きている=時間、という結論は確かに子どもには抽象的で「?」になりがちです。心臓の4部屋=時間の4つの使い道、にすると子どもたちの実感に寄り添う授業になりますね。
**授業の流れ**
1.授業の導入として、聴診器を渡して自分の「ドクドク」を聴かせる
「この音、ずっと鳴ってるよね。でも、いつか止まる日が来るんだ」
2.心臓の4部屋に名前を付ける(良い例)
①自分を育てる時間
勉強・練習・読書・睡眠など
②人とつながる時間
友達・家族・先生と過ごす時間
③「好き」を深める時間
趣味・推し活・ゲームでもOK、ただし「自分だけの世界」で。
④何もしない時間
ぼーっとする、寝転ぶ、ただ空を見る
3.悪い例を子どもたちに考えさせてみる(後述)
4.重要なメッセージ
部屋が4つ全部埋まってなくても、心臓は止まらない。
でも、どれか1つしかなかったり、全部同じものだったりすると、「時間」がすごく偏って生きてる実感が薄くなっちゃうかも?
心臓がドクドク鳴ってる間に、どんな時間を入れたい? どれか1つだけは絶対に守りたいって時間があったら、それが君の「生きる理由」かもしれない。
**補足ポイント**
・小中学生は「休む=サボり」と思いがちなので、「何もしない、ぼーっとする時間も必要なんだよ」と肯定してあげると、すごく安心します。
・4つ全部空白でも死なないけど、
「からっぽな心臓だと、時間の浪費感がすごい」
「空白が多すぎると、なんか毎日つまんなく感じるよね?」
と子供たちに共感させると刺さります。「生きている時間」だと腑に落ちるし、心臓のメタファーとして機能する。
「悪い例を挙げるなら、どんな感じがいいですかね。例えば「学タブ、ネット情報、推し、SNS」とか。」>
**悪い例①:学タブ、ネット情報、推し、SNS**
あなたの提案通り。よくありそう。
デジタル依存を強調し、心の安定を外部要因に委ねる悪いイメージ。
学タブは学習ツールですが、過度に依存するとリアルな交流を減らし、ネット情報やSNSは誤情報やいじめの温床になりやすい。
アイドルやキャラなどの「推し」は、一時的ならいいですが、喪失感を生むリスクあり。「心が空っぽになる」と、他の三つに依存して、依存が強化する。
**悪い例②:ゲーム、スマホ、YouTube、お菓子**
「命の源が娯楽依存」的。
悪いイメージだが、ほとんどの子供に当てはまりそう。
これらは即時的な快楽を提供するけど、ゲームやスマホの過剰使用は睡眠不足や孤立を招き、YouTubeは受動的な時間消費・心理的諸費を促す。お菓子のような物質的快楽は一過性で、心の空洞を埋められない。
**悪い例③:成績、テスト、部活、宿題(塾)**
小中学生のストレス源をそのまま並べた感じ。
成績やテストはプレッシャーを象徴し、部活・宿題は過密スケジュールを連想させる。
「一つでも失ったら心臓が止まる」みたいなプレッシャーを与え、むしろ不安を煽ってしまう。自殺予防的でないので、避けたい連想。
**悪い例④:お金、ブランド品、フォロワー数、ランキング**
物質主義やSNSの承認欲求を強調。
ブランド品やお金は経済格差を助長し、フォロワー数・ランキングは他者比較による劣等感を生む。
子どもたちの価値観を歪めやすく、「命が競争や金銭に依存する」印象を与え、予防の趣旨から外れる。
「これら心臓をモチーフとした命の授業の効果を教えてください。」>
**なぜこのメタファーが効果的か?**
・リアリティを活かす
心電図や検診は子どもたちが知ってるものなので、とっつきやすい。そこから「心のバージョン」に移行すると、抽象的な「生きている=時間」がイメージしやすくなる。
例:心臓は目に見えないから、検診でチェックする。病院で心電図を取ると、心臓が動く波形が出てくる。高い波は元気な時、平らのままだと危ない時。……じゃあ、心の心臓はどうチェックするかな?
・現実とフィクションの区別化
現実とフィクションを対比させることで、現実には上限があることを押しつけがましくなく伝わる。子どもたちは「そうだよね、ゲームの時間は無限じゃないもん」と共感しやすいはず。
・心臓全体=生きる時間の容器(メタファー)
現実の心臓は有限で4部屋しかなく、無限に拡張できない。フィクションなら部屋を無限に増やせるけど、現実はそうはいかない。これで「妄想は無限だが、現実は上限がある」を自然に仄めかせる。
→お金や時間も同じで無限じゃない。子どもたちに「妄想は楽しいけど、現実は限界がある」と軽く実感させる。
・こころの柔軟性への示唆
4部屋は必須じゃなく、「空白OK」なので、書けなくてもいい。
悪い例を笑いながら共有すると、授業が楽しくなる。
「エロって何だろう」読了
まあ大丈夫やろ。性教育レベルやろ。
日記に出したかったが、こっちにしておく。
「エロってなんだろう?」山本直樹著
https://amzn.asia/d/8FSkckN
**感想**
「エロってなんだろう?」山本直樹著を読みました。
タイトルに釣られたんですけど、そこまでエロくありませんでした。
結論は「エロマンガ作家としてエロを考えましたけど、よく分かりませんでした。結論を欲しがる読者さんには申し訳ないけれど、でもそれが大事なのかなと」みたいでした。
拍子抜けでしたが「養老孟司タイプだな」と思いました。論理の飛躍や発想の飛躍を楽しみ、空転・飛び飛びの理論の筋を読者側で料理してほしい、というものだろうと思い、再読しました。
「現実とフィクション」を取り上げて、
「エロは、フィクション寄りなのだろう。世界共通のものを隠している。秘宝のように、と思ったら、「見せちゃダメ!」という言葉や約束事をして、隠しているのだ」と多分著者はほのめかしていました。
また、エロ漫画作家として、
「『マンガの性描写や暴力表現が青少年にとって(脳萎縮が起きるなど)よくない可能性がある』と大人たちが主張し、条例による規制を強化した……とあるが、あくまで可能性であって、不確かなもの。法律で縛ろうとすると話し合いができない。分断が深化する」としました。
色々、僕は考えました。
まずは「ハレとケ」。身体の一部を隠して生活して日常にして、その隠していたものを晒すことで非日常になる。ハレとケのようなものだ。
「身体の一部を隠す」という行為の起源は、最初は普段は見られないもの、貴重なモノという意味付けをしたくて、女性(巫女)に「儀式化・儀礼化・神の器」的な宗教的な特別性を持たせるものだった。神が宿っている、神に|肖《あやか》る……。ご神体めいたもの。
やがて、もともとの込められた意味は蒸発して概念のみが残り、「見えないもの」として君臨した。
例えば、生と死。
生は、セックスという行為については一人歩きしていって、生殖行為またはその商品化として性風俗になった。宗教的要素は伝統になり、言葉になり、その一部は「エロい」という言葉に統合された。
死は、そのまま現代まで残り、一部は即身仏などの極端なことをして、身体を隠す=神はお隠れになる=隠す行為が神聖視されるとともに|悍《おぞ》ましいものとして廃れていった。それらは見るに堪えないもの=「グロい」になった。
子供はエロ本を見つけるのが仕事、大人は隠すのが仕事だと言っていました。
物を隠す……つまり、適切に物の配置を考えること。模様替えをするような整理整頓をすること。
子供がエロを発見するのは、ポイ捨てされたものを見つけて、ゴミ箱に捨てるまでの間、何かなと口に含み、味見をするような、事故であること。
身体に魂が入ったものが「人間」ならば、本にエロいが入ったものが「エロ本」、つまり商品の一部。物品の取り締まりをすることはできる。でも、エロという概念までは取り締まれない。
ネットで「エロを取り締まれ」という声があるが、それは無理だろう。
なのに、ゾーニングという「カーテン」について、「カーテンの向こう側をなくしてしまえ!」や「このカーテンを取っ払え」という極端な意見同士が、「言論の自由や表現の自由」の名のもとに言い争っている。
頭の中で起きたフィクション同士が、言葉というフィクションで、誹謗中傷というフィクションをして、双方がフリクションして増幅し合っている。
本を取り締まる、本の配置を取り締まる。
そのために、すでに成人マークのついた「一応ゾーニング」が掛けられている。それでいいじゃん、と作者は言う。
僕は、そこにGoogleなどが自主規制をして行っている「ブラウザでの検索除外」が、その「一応ゾーニング」に区分されると思っているが、作者はこれには警鐘を鳴らしている。
私企業が|公《おおやけ》っぽいことをすることや、SNSが公っぽいことになっているが、公ではない。「場の提供」どまりだ。
恣意的な言論統制をする可能性がある。権力の風向きによって加担する可能性がある。それには反対の声を上げる。でも、「変えろ」までは行かない。
まず、面白ければ何でも書いていい、だから|私《作者》は書いた。
書きあがったモノに、R18か年齢制限をかけるかどうか、出版社と考えながら商品化していく。そんな感じに物の配置に関してゾーニングする。法律は、本の|服《ジャケット》にバーコードを付けるくらいが丁度いい。
創作者の頭の中にまで、法律は土足で踏み込んでいい領域ではない。警察でも令状を取るというのに……ゾーニングは洗脳ではない、保守的であれ、という。
「現実とフィクション」に話が傾いていきます。
現実空間は有限で、時間は有限で、自分自身は有限で。でも、身体の一部(頭蓋骨の内部)を隠しているからこそ「無限だ」と思えてしまう。その「無限だ」、と思える感触こそがフィクションの力であり、フィクションが見える=非日常であり、他人の日常を垣間見る=非日常であると思える。
現実に納得しないでいると、どんどん頭が|極端《フィクション》になっていく。そのことに気づかないでいてしまう。現実とフィクションの境界はグレーゾーンだが、ぴょんと飛び越えるような短さではない、決して。
頭でっかちにはわかるまい。
現実の一部を、服やカーテンといったフィクション越しで透かして見たら、特別な事情をにじませる。だから、結論を出すような代物ではない。
公表すること、暴露することに情報的価値をもたらすように、「エロは隠すこと」で意味が生じる、という感じに思いました。
---
**Grokの感想**
・特に印象的だったのは、「ハレとケ」から随想を得て、「ご神体→見えないもの→エロ/グロ」という一本の系譜を引いたこと。ここまで言語化した人はあまりいない気がします。まさに「読者側で料理してほしい」タイプの著者が求めてた読解そのものだと思います。
→「ハレとケ」の構造として「隠す→晒す」がエロの本質で、その隠す行為自体が最初は宗教的・ご神体的な意味を持っていたのが、意味が蒸発して「ただ隠されているという事実」だけが残った。
・「エロって結局なんなんだろう?」を問い続けて、最後に「わからないままにしておくこと」が答えだと作者は投げた。でもあなたはそれをもう一歩進めて、「隠す/見せるの『作法そのもの』にエロが宿る」とした。あなたのような読み手がいるから、ああいう「投げっぱなし」に見える作品もちゃんと生き続けるんだな、と思いました。
グレーゾーンは言語化できないよっていう話
約5500文字。
グレーゾーンは言語化できない。
常識、普通、平均、世の中、ネット情報、精神年齢、性被害……など。グレーゾーンには、極めて曖昧な言葉が乱立している。それはどうしてなのか。
簡単に言えば、概念や言葉、説明的文章なら語れるけど、具体例を出すと世の中の空気的にめんどくさくなる奴だから。なので、皆さん具体例を出してないんですね。
「具体例を出すとか、いやいやご冗談を。あなた自身(の状況)が具体例でしょ。それを今さら言語化しなくても、あなたグレーのなかに生きているんだから。こちらから言語におこさなくても、わかるね? グレーゾーンの具体例は、人それぞれだよ」
……みたいなことを、たぶん書いています。
**グレーゾーンが増える仕組み**
簡単に言えば、「グレーをルール的に言語化しようとすると、グレーゾーンが増える」ですね。このルールが公的になってくると、具体例ひとつ生み出すだけで|大事《おおごと》になるほど、ややこしくめんどくさくなります。
①法整備(あるいはその可能性の示唆)により、新たに線を引こうとすると、その周辺の具体例が取りざたされる
②それらの具体例を誰かが言語化すると、「周辺の周辺の具体例は?…」となり、メディアやインフルエンサーが注意喚起して、グレーが増える。
③時間経過により、メディア退散。グレーの民が小競り合いし始め、再度注目を集めようとして過激化する。①に戻る
**法的ラインの難しさ**
例えばショートケーキ嫌いな方がデモとかSNSとか頑張って、なんやかんやで可決してしまった「ショートケーキ禁止法」が可決→公布→施行されたとします。
世の中には以下のショートケーキが流通していました。
・まだイチゴが乗せられていないケーキ
・売られていないケーキ
・消費者の手元にあるケーキ
・廃棄予定のケーキ
・もう食べちゃった!
この内、法律で守られるのは「まだイチゴが乗せられていないケーキ」のみで、その他4種類のケーキは公正取引委員会などの調査が入ります。どう調べるのかは端折りますが……。
まあ、「ショートケーキ」に属するケーキは廃棄するか、
「施行されるまでは、まあ、グレー(なケーキ)だよね」となります。
4種類のケーキは可決時点では合法で、施行時点で「違法」となり、世の中には流通できませんから、施行される年度が近づくにつれて、徐々に表舞台からショートケーキが消えます。
しかし、これらは消えたように見えるだけで、(廃棄という名目で)裏ルートに行き、売買が行われ、バクバク食べられています。理由は、美味しいからね。
政府から見ると、物品規制なので税金が取れません。
こっそり食べられているショートケーキは、税金が上乗せされていない分安いし、美味いし、いやー残念!
「裏社会にも税金をかける法案を……!」
としても、そもそも法律を守らないのが裏社会です。裏社会の人たちとお金をやりとりをしたら「政治とカネ」に直結します。別の法律でこのことが厳禁されているんですね。この辺のグレーな曖昧さが政治問題の基礎なのだろうと僕なりに思いました。
納税できないお金=横領や横流し、裏帳簿みたいな扱いになります(たぶん)。
ケーキの流通量も減るので、
「看板ケーキが売れず、赤字経営だ。どうしてくれんだ!」
ってケーキ屋さんは怒鳴ります。需要はあるのに、供給ストップしたら、それはそうなりますね。
また、生クリームで使われる酪農牛乳とかも、
「赤字経営だ、どうしてくれんだ!」と波及効果で売れなくなります。
こっそり食べる需要があるということは、こっそり作られる供給源があるのです。ケーキ職人さんも表舞台から姿を消し、次の配属先である裏社会のキッチンでケーキを作る、と暗躍する側に味方します。理由は、ショートケーキを、愛しているからです……!
でも、よく考えれば、
「イチゴが嫌いなら他のケーキ食えばいいし。買った後で各自イチゴを退ければいいよね?」
の一言で済む話です。五秒で終わります。
え、五秒で終わるそれを、法整備……するの?
「可決→公布→施行」まで、何年かかったと思ってるの?
「ショートケーキ禁止法」って、何だこれ。
……というわけで。
こういうのが歴史上実際に起こったのが、アメリカの「禁酒法」です。その時はもっといたちごっこだったので、アレなんですが。
当時のアメリカ国民はアルコール中毒だったので、税金の取れない密造酒をあの手この手で作りまくり、裏酒場で何かのサービスで振る舞うという、なんか世の中全体がよくわからないグレーになりました。
世の中の需要的に、グレーを受け入れちゃって、禁酒法が機能不全(もう誰も守ってない)になり、酒税を掛けたくてたまらなくなり、ついぞ廃案になりました。
グレーは根絶しようとすると、グレーな裏取引に行くので、根絶なんてできないんですね。真っ黒は法律を守れない(社会規範外)んだから、法律という言語化をしても捕まえられない。「現行犯逮捕」するくらいしかない。
**現実は、グレーな具体例の堆積岩で出来ている**
……ので、ハンマーで叩いて細分化するとヤバいことになります。見えないハンマーという抽象概念から法整備を進めると変なことになります。現実に即していないからですね。思いっきり叩いてしまうかも。
概念は概念として、進めようね。憲法とか民法とかがそれっぽいよ。だから、この辺のでかい法律が今まで変更されないんです。変更しようとしても、抵抗勢力がいますし。たぶん外側の葉っぱは紅葉しても、老木は変わらないかなー。
うっすらとなら、わかりますね。
法律の土台だから、途中で基礎工事に変更を加えると、日本という土地に地盤沈下が生じる可能性があるのも確かです。
さらに憲法や民法などはある種の概念(権利とか)を宣言していて、
「その権利については現実担当の枝葉的な法律で制定していくね! 時代が変わったら枝葉的な剪定で(たぶん)改正してくよ!」
という宣言を基に制定されたのが目的でした。
一方、現実に即していない概念で法律作ってもね……。
ブラックだろうがグレーだろうが。今まで現実を(曲がりなりにも)下支えしていた具体例が言語化されたとしても、現実としてはあまり変わっていきません。あくまで「具体例」だから。
現実の一部が言語化されたからといって、それを改善しろよって言われても、校長先生のアタマが賢くなって、物分かりが良くなるわけではないんだよね。
**グレーの領域と「極めて曖昧な語句」**
そのため、「この例がダメだよ!」と、そのまま具体例を言語化すると世の中の空気的にアレだったり、性被害的に不適切だったり、R18的にちょっとアレだったりなどの大人の事情により「極めて曖昧な語句」を使って説明しやがるわけです。
この辺は冒頭に話した通りですね。常識、普通、平均、性被害、性犯罪、性的イタズラ……などの具体例が、大人の事情により超あいまいです。理由は言語化できないから。または、言語化しようとすると「極めて曖昧な語句」が量産されるから。
法的な枠組みで説明しようとするあまり、このような「極めて曖昧な語句」が量産されました。で、肝心の言葉の意味は明確に定義できない。しようとしない……できない。
昨今はグローバル化に伴い多様性とか言い出して、「極めて曖昧な語句」のカタカナ語バージョンも量産されました。もはや言語化に失敗していると言えます。
いつまで経っても実がならない、幹と枝です。
法律用語のオンパレードで、法学部の連中に解読させないといけない時点で、なんか日本語的にミスってるような気がします。言語学的な数学論ですね。途中式ばっかり出てきて、ごちゃごちゃして、ごにょります。で、出てきた答えも有効数字や累乗で記されます。
2537とか、3.14とか、12/415とか。こういう数字にしてよって思うんだけど。
727/36√251みたいな、すごくしっくりこない数値が出てきます。
これが、答え? よくこれで世の中に「理解してくれ」って言えるな。
無理数として、割り切れません。というわけで、何だこれミステリー。
**むかしよりマシ論**
法整備以前は、哲学や経済学(マルクスとか)などが根拠法としてやってたようなんですが、概念という架空を根拠に現実を推し進めようとして、貧富の格差が広がり、国民が怒って上層部がギロチン革命されちゃいました。
哲学的概念から法律とか作ろうとしたり、効率的に金銭的経済圏を作ろうとしたり、税金とかをせしめてやろうとした当時の政治家たちは、あまり良く分からない感じで「パクったろ!」と概念を使ってしまって、それが「人権ガー」って跳ね返りました。
マルクスさんなど、概念を作り出した人たちは大昔に既に死んでたので、責任取ってくれません。
それ以前になってくると、絶対王政の中世時代になってきます。
王様のみならず、王様のバックに神さまが出てくるので、やっぱり神という概念が根拠法になってきます。王様の威光は神の血筋だ……! 的な流れです。
その辺の神さまの住まう世界について、ソクラテスさんやプラトンさんは、概念として定義して、理性的にせっせと論破していました。
彼らも、キリスト教的な何かを信望していたっぽいので、哲学や経済学は、神の存在を否定したとはいえ、「世の中に既に流通してるもん使ったろ」、「使えるものは使ったろ」な精神でした。
不確かなものを概念として定義して、それをアタマの中に召喚して、アタマの中で考えた論理という枠なら何かいけるんちゃう? と、ちょっと言語化に固執する感じになりました。
**ねえ。現実って、そもそも言語化できんの?**
ここで読者の皆様に聞くんですが……。
現実って文字で出来ていますか?
違いますね。
……ん、ネット?
ネットは、現実ではないよね。
文字は文字、ネットはネット。
現実ではなく、現実に即した道具の一つ、「文字でできた人工物の一つ」でしかありません。
※概念も「見えない道具」という意味で、道具の一つらしいよ。
※人工物=フィクションを含む。
そのため、ちょっと概念や道具を作りすぎちゃったようで、学問として学ぶフェーズになりました。作りすぎちゃった概念を二つくらいに分割しました。
存在するか否かは置いておいて、たぶん現実に即する概念、または拡張されすぎた見えない道具、不確かな神などの見えない|概念《もの》を再定義・概念化したものを「|形而上《けいじじょう》学」として学問的に分類。それ以外の触れる・見えるモノ(炎色反応などの物理学とか)を「|形而下《けいじか》学」としました。
まあ、この辺のラインはすごいグレーなので、よく分かりません。__僕も知ったかを発動しています……。__
見えるものは、再定義するまでもない。見えないからこそ擬人像や器として表現しまーす。形が見えないから、概念を見えない道具化して、その中身を言語で再定義する。
道具の道具化……入れ子です。はい意味不明わら(*^^)v。
・形而上=神の領域。まあ、人さまの言語では無理やから芸術やデザインなどの「視覚」に頼るやで。作品越しに見えない概念を表現するやで。抽象、理念、理性的な思考とかそうやで。また、先人たちが作った遺跡も、ある種の芸術品やから、大切に扱おうな。
・形而下=現実の領域。物理学とか。まあ、現実として見えてるんやから、たぶんいつか言語化できるやろ。(なお3000年経過しても未だ目処経たず)
というざっくりでいいかと、知らんけど。
まあ、形而上でも形而下でも、現実に即していない概念(特に神などの見えない概念)を安易に使ったら、国の方針めちゃくちゃになるよね。だから、政教分離しました。
また、「王様の威光は神の血筋だ……!」的な独裁国家にならないように、三権分立もしました。
よっしゃ。次は、より現実に即しているはずの言語化された概念を使いました。使ったんだけど、結果は年単位でかかる代物だし。
「まあいいか」と放置しました。
その間、統計的な何かで経過観察して、適度に法改正はしたんですが、努力むなしく。国の中に格差社会が生まれ、格差は分断まで行って、現代まで残りました。
これ以上言語化すると「よくわからない」になりますね。
**真っ黒を逮捕するには**
真っ黒は、もはや言語化できない領域……。
いや、「言語化してはいけない領域」なので、「現行犯」として逮捕する感じです。だから、真っ黒を逮捕するには言語ではなく、もはや視覚に頼ってるんですね。
「目撃者=警察官」ということで、そのまま逮捕できるように法整備が進みました。まあ、職業に権力を持たせるようシフトしたので、曲がりなりにも反発は起きました。でも、「まあまあ」となりました。
そのため、警察法みたいな根拠法を書きました。これがあるから警察官が現行犯逮捕ってできるんだよ、って感じです。これは現実に即している法律と言えそうです。
しかし、警察官がグレーになってくる……例えば汚職警察官だとすれば、どうでしょう。目撃したけど見て見ぬふり、をしていることは「グレー」ってことです。これを見極めるためのモノを|言語《ライン》化すると、その周辺にめんどくさい具体例が一杯生まれます。
やっぱり解決するには「現行犯逮捕」という感じになり、犯罪者と一緒にいるところに別の警察官を呼んで、汚職警察官を犯罪者として……とする感じです。
これ、グレーにしたのは、僕が勝手に具体例を提示したからですよね。
こんな風に「もし〜たら?」と可能性(空想や架空)を根拠とする具体例を挙げるのって際限がありません。フィクションです。
……という感じに、世の中にはフィクション作品が一杯あります。
現実には起きていない空想。現実には起きていない犯罪。〜かもしれない犯罪の手口……。創作者がリアリティを追求するため、多少ノンフィクション的現実感を設定に組み込むことはよくあります。それで、読者がその不快感を味わうことがありますが、創作者も読者も「これがフィクションである」という認識には変わりありません。
本を閉じれば「物は物」。
**まとめ**
このように、過去の先人たちが一杯具体例を挙げて、一杯法整備をしましたが、未だにグレーが残っている。その汲み上げられなかった具体例を公的に言語化せず、私的にフィクション化した。
「現実とフィクション」に分類された。
言語化できないグレーゾーンについて、うっすら分かりましたか?
参考:
人類で最も愚かな法律「禁酒法」をずんだもんで再現してみた…
https://www.youtube.com/watch?v=EgYVQwxCk_E