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愛の味
その日、世界は灰色の膜に覆われていた。
午後三時の薄暗い窓硝子に、雨とも雪ともつかない中途半端な塊がぶつかっては汚れた涙のようにじわじわと溶けていく。
テレビからは、どこかの遠い国で起きた凄惨な事故のニュースが音量を絞られたまま静かに流れていた。
画面の中で、見知らぬ誰かが泣いている。
テーブルの上には、冷え切ったレトルトのパスタと飲み残した炭酸の抜けたソーダが置かれている。どちらも、もう何時間も放置されたままだ。
「……ねえ、聞いてる?」
向かい側に座る彼女が、爪先でトントンと床を叩きながら言った。その声には、怒りよりももっと底の深い諦めが混じっている。
「もう終わりにするなら、ちゃんと言ってよ」
「そうやって黙っているのが一番ずるい」
男は、答えない。答えるための言葉が、喉の奥のほうで固形物のようになってへばりつきどうしても上がってこないのだ。
彼女との関係が、いつからこうして腐り始めていたのかは分からない。ただ、何かが決定的に致命傷を負ったことだけは理解していた。言葉を尽くせば尽くすほど、お互いの傷口に塩を塗り合うような、そんな不毛な数ヶ月が続いていた。
あまつさえ、男にはもう彼女を引き留めるためのまともな感情すら残っていなかった。心の中にあるのは、ただ肥大化した疲弊とはやくこの息苦しい空間から逃げ出したいという卑屈な願いだけだ。
彼女はゆっくりと立ち上がり、壁に掛けられていた薄手のコートを羽織った。ジッパーを上げる金属音が、やけに鼓膜に刺さる。
「……さようなら」
それだけを残して、彼女は部屋を出て行った。ドアが閉まる小さな音が、この部屋における彼女の存在の消滅を告げていた。
男は、しばらく動けなかった。静まり返った部屋の中で、ただ時計の秒針の音だけが心臓の鼓動のように規則正しく響いている。ふと、胃のあたりにじわじわとした不快な痛みが走った。空腹のせいなのか、それともたった今失ったものの重さのせいなのかは分からない。
男はゆっくりと窓辺に歩み寄り、冷え切った硝子に額を押し当てた。
外はもう、すっかり|霙《みぞれ》に変わっていた。アスファルトを黒く濡らし、すべてを凍えさせる冷たい雨。
男は小さく窓を開け、手を伸ばした。手のひらに落ちた霙は、一瞬で体温に溶かされて水滴になる。それを口元に運び、そっと舌先で舐めてみたが何も味がしなかった。
ただひたすらに冷たく、そしてどこまでも不味かった。