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森の奥。
自主企画参加です…!
静寂に包まれた、豊かな森に、一匹の猫が居た。白い純白のような毛と、黒い黒曜のような毛をもち、金と銀の目。優雅な立ち振舞に、しなやかな体つき。奇麗で、美しい。そんな猫だ。
森でたった一人でたくましく生きる猫の姿は、誰もが魅了された。
森の、誰もが。
--- ある熊は、猫の美しい黒と白の被毛に。 ---
--- ある鹿は、猫の金銀の目と、立ち振舞に。 ---
--- ある兎は、猫の体に。 ---
褒められようと、愛されようと、猫は褒めもせず、愛しもしなかった。誰もが羨むその姿は、誰に言い寄られたって、一言も喋ろうとしなかった。ただ送るのは、冷えた目線だけ。
そんな素っ気なさにより恋心を燃やす者もいれば、くじけて悩みこむ者もいた。
皆、思うのだ。美しい白と黒の被毛の下に、何を隠しているのか。金と銀の目で、何を見るのか。
--- 猫は、何を思い、生きているのか。 ---
猫は、満たされなかった。
---
ある星が輝く美しい夜。猫は小さな穴蔵を出る。土を振り落とし、金と銀の目をきらりと輝かせ、迷いなく夜道をゆく。
その目は、はるか道の先を目指し、木々を透かすように、その足は、迷いない一歩を踏み出す。
月は猫を照らし、純白の白い被毛は、ガラスのように光を翻し、黒曜のような黒い毛は、虹色に輝く。
小さな草むらを抜け、川をわたり、藪を走り抜ける。猫は、先を目指し、空で輝く星星は、そっと猫を見守った。
猫はゆっくりとした動作で座り込む。その目線の先には、自分と同じ金と銀の目の老梟。木の上で、幹に体を預けながら、猫を見下ろしている。
色褪せた羽をバサリと揺らし、その表紙に一本の風切羽が抜け、猫の目の前に落ちた。
二匹は、互いの金と銀の目を見交わす。
梟は、何事かをつぶやこうとしたようで、口がうすく開き、諦めるようにそっと閉じられる。
瞬きする間も惜しいように、猫は目を閉じず、じっと、眼の前の梟を見つめた。
見かねたような梟が低い声で言った。
『お嬢さん、また来たのかい』
梟は、ばさりばさりと羽を揺らし、木から飛び降り、猫の周りをグルっと回って、降り立つ。
「あ、あなた喋れるの…?」
『あぁ…喋れるが…驚いた…お嬢さん…鳥の言葉が喋れるのかい』
「わかるわよ…嫌になるほど聞いたから」
『ふふ、そういうことか、恐ろしいお嬢さんだね。』
梟は確かな笑みを浮かべるが、すこし咳き込み、絡んだ嗄れ声が出てくる。
「なんで今まで喋らなかったの…?」
『喉が痛いんだよ、熊にやられたのさ。』
梟は、何かを思い出すように空を見上げ、苦い顔をした。きっと例の熊を思い出しているのだろう。
「あなた、もうすぐ死ぬの?」
悲しそうに猫が言った。梟にまとわりつく異様な空気を感じたのだろう。
『そうだよ、私はもうすぐ死ぬさ。』
「なぜ?」
『自然の節理だよ、死というのは、誰にでも訪れる。』
「私は死なないわ」
『お嬢さん、あんたはなんで死なないんだい?』
「永遠の命よ、人魚の肉を食べたの。」
『そうか…』
「死ぬのは、悲しいの?」
『私にはわからないな』
自嘲的に梟は笑った。それから、死んで生き返ったやつはいないと、笑いながら答えたのだ。
『知り合いの梟に聞いた。どうやら私は病を患っているらしい。痛みも何も無いがね』
「そうなの、もう話せないの?」
今日始めて喋ったのを聞いた猫は、少し悲しそうにうつむく。
『そう安々と死ぬわけにゃ行かないさ』
「誰かを待っているの?」
『誰も待っていないさ、ただ、生きたいんだ。』
「そう……」
それから梟と猫は話し込んだ。まとわりつくうさぎのこと、言い寄ってくる鹿のこと、小さい頃に出会った大きな梟のこと。
そして、自分の身の回りにあった辛いこと。
すべてを打ち明ける猫。梟とは、出会って一ヶ月もしない。道で横たわっているところを、猫が助けたのだ。それから毎日、梟のところに訪れ、甲斐甲斐しく餌を届けたり、水場に連れて行ったり、そばに居るだけ。
猫は、死ぬのが怖かった。死にゆく母の背を見たから、だから、死にかけていたり、助けを求める動物は、見捨てられない。そんなひたむきな努力を続ける猫を、尊敬し、憧れた。
梟もその一人であるのだ。
何も欲さず、ただそこに静かに鎮座する梟は、彼女にとってのなにか大切なものなのだろう。同時に、彼女にとって梟は、喧騒に包まれた獣たちより、もっとも安心し、できる相手であった。静かに語り続ける梟は、どこか子守唄に似た、優しい声だ。
考え込んでいた猫が、ふと顔を上げ、梟に問う。
「あなたは、誰かを愛したことはある?」
『あるよ、唯一の妻をね。もう居ないが。熊にやられたのさ。妻は動物たちを助けていただけなのに、熊は忌々しかったらしい。』
「ひどい熊ね…私もわかるわ、その気持ち、わたしも、お母さんが居なくなったの」
『殺されたのかい?』
「そうよ、別の猫に食い殺されたの。奥さんが居なくなったのも、悲しかったし、大変だったのよね。」
『大変だったよ、お嬢さんも同じか…だが私も病の身。これで妻のとこに行ける』
どこか嬉しそうだが、沈んだ声であった。そんな声を聞いて、猫は悲しそうに顔を伏せる。
『お嬢さん、あんたは悲しまなくていいんだよ』
「悲しいもの、あなたの奥さんは、正しいことをしたわ、」
『ありがとう…妻も喜んでるよ』
しばらく沈黙し、猫が呟く。
「梟さん、好きなものは何?」
『場所でもいいかい?』
「いいわよ」
『妻といった、森の奥の花畑さ。』
「なぜ行かないの?」
『生憎、羽が悪くてね。』
翼を広げ、根本をそっと見る。その梟の羽の付け根は、無惨にも羽がもげ、ぐちゃりとした赤い肉に覆われていた。
惨たらしいと、顔を背けるわけでも、嫌がるわけでもなく、猫は梟を見つめる。
『あまり飛べないのは、しょうがないことさ。老いはどうにもできない』
猫はその言葉を聞いた途端、すばやく答えた。
「私が連れて行ってあげるわよ」
くるりと丸い瞳を梟は目一杯に開き。驚きをあらわにする。
『いいのかい?』
そう言う梟に大きくうなずき、咥えて背中に載せようと、口をあんぐり開けた時、梟が言った。『待った』
「どうしたの?」
『妻も連れていきたい。お嬢さん、木の上に穴があるだろう、そこに羽があるはずだ、取ってきてくれ。』
そう言われ猫は凹凸だらけのねじりまがった木に爪をかけ、するりするりと上り、穴に頭を突っ込み、羽を咥えた。
音も立てず地面に降り立つと、梟の羽の間に差し込む。そうしろ、そう言ってきたからだ。
『サリー、また花畑へ行こう、親切なお嬢さんが連れてってくれるんだ。
梟はそっと羽に語りかけた。
「奥さんの名前、サリーって言うの?」
『そうだよ、サリーって言うんだ。そういや名乗っていないね、私の名前はトニー、トニアと呼んでくれ。』
初めて聞くトニーという名を、猫は聞いたことがあるような気がした。優しげな声に、うっとりと耳を貸す。
『お嬢さんの名前は?』
浮き立つような柔らかな声を梟は和やかな笑顔で猫に語りかける。
「アヴィーよ。好きに呼んで。よろしく、トニア。」
『あぁ、よろしく、アヴィーさん、素敵な名前だ』
朗らかに笑うトニーを背に乗せ、走り出したアヴィーの後ろで、朝日が、二人に影を作る。長く伸びようとしている影は、歪んだ、一つの形をしていた。
猫として生を受けたアヴィーは、心が温かいと、確かに感じた。