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小さな吸血鬼
街々はオレンジに彩られ、多少のおどろおどろしさが感じられるポップな音楽が響き渡っている。
壁と壁の間には紐状の飾りに可愛らしいカボチャやコウモリの飾りが蜘蛛の糸のように張り巡らされ、店内が透けて見える硝子には魔女やお化けのウォールステッカーが貼られていた。
その窓の先には”|Trick or Treat!《お菓子をくれないと、悪戯するぞ!》“とタペストリーの下に小さなノートパソコンの上で指を踊らせる黒髪の男性が、賑わう店内の中で腰を下ろしていた。
男性が開いているノートパソコンの横には手をつけられていないカボチャのパンプキンパイが物言わず放置されていた。
「ハロウィンでも、仕事ですか?」
不意に話しかけられた声に男性は顔をあげ、低く落ち着いた声で「今日は非番ですか?」とだけ返した。
返された言葉に、声をかけた黒髪の女性は笑って首を縦に振った。
「……警察も休みですか、良いものですね」
「ええ…八代さんは何のご職業を?」
「一応、臨床心理士です。弟はイラストレーターを」
「それは、つまり……研究家ですか。弟さんも良い方ですね」
「有り難うございます」
そう区切られた会話の中で男性、及び|八代亨《やしろとおる》がノートパソコンを閉じて、立ったままだった女性、及び|鴻ノ池詩音《こうのいけしおん》へ座るよう促した。
「…失礼します」
そうして座った後に亨に差し出されたメニュー表を見ながら、口を開いた。
「”|小さな吸血鬼《リトルヴァンパイア》“と聞くと…何を思い浮かべますか?」
「小さな吸血鬼、ですか?さぁ……無難に仮装した子供でしょうか」
「とても可愛らしいですね」
「…ええ。それで?」
亨に続きを言うように促され、詩音は更に言葉を続けた。
「…吸血鬼繋がりで……仮に、吸血鬼が本当にいるとしたら現代ではどんな生物でしょうか」
「吸血鬼は幻想の生き物では?」
「それでも、想像してほしいんです。どんな姿でもかまいません」
「…黒いマントを纏って、白い牙の生えた男ではダメですか」
「もう一捻り」
「………少し、考えさせて下さい」
「急ぎませんから、暇潰しと考えて下されば大丈夫ですよ」
その言葉を返して、店員の呼ぶ声がすぐに耳へ入った。
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「…鴻ノ池さん」
まだ温い珈琲を飲みながら詩音が亨の方へ顔を向けた。
「はい。できましたか?」
「ええ…」
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`街灯の光を頼りに若い女性が必至になって逃げていた。`
`己を蝕む病を卑下する者から逃げる為に、足を動かし続けていた。`
`やがて、一つの街灯の下で止まった。`
`目の前には真っ黒で何も見えないような闇の中を照らす光の下に、自分を笑うような|吸血鬼《ヴァンパイア》が一人。`
`彼はゆっくりと女性に近づき、恐怖で逃げられない女性の首筋に指を沿わせて、その青白い首筋に噛みついた。`
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「…その後、女性は心臓発作で亡くなった…なんて話はどうでしょうか」
「非常に面白い話だとは思いますが…吸血鬼はどんな姿を?」
「“蚊柱”です」
「……蚊?」
「はい。蚊は血を吸うでしょう?それなら、現代の吸血鬼というのは蚊ではないかと思いまして」
「…確かに、マラリア等の伝染病で人間を殺害することもできますし、言われてみればそうかもしれませんね」
「ええ…それに街灯の下に集まって大量にいるのなら、人ほどの吸血鬼と見間違えても位置によっては不思議ではありません。
人の脳や瞳には“パレイドリア”という無意味な視覚的、聴覚的刺激により引き起こされる心理現象と、3つの点が顔に見える“シュミクラ現象”があります。
ですから…無理やりですが、蚊柱を吸血鬼と見ても可笑しい話ではないかと」
「なるほど…女性が心臓発作で亡くなった要因はなんですか?」
「文章の中に”己を蝕む病“とありますから、その病気によってか…はたまた、アレルギー性のショックに引き起こさた死亡と言えば、納得できるでしょうか」
「……お話、有り難うございます」
「こちらこそ、脳のトレーニングになって楽しかったです。有り難うございます」
「では、私はこれで。代金を払ってきますね」
「…有り難うございます。後日、返金にお伺いしますね」
代金を払う鴻ノ池を見ながら、亨の視線がノートパソコンの横にあるカボチャのパンプキンパイの一切れへ動いた。
「……流石に、言ってくれないか…」
そのまま、恨めしそうに“Trick or Treat!”と描かれたタペストリーを見ていた。