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「この一文から始まる物語」というお題メーカーを利用しました。
「逆境から這い上がる物語を人々は好む」
逆境から這い上がる物語を人々は好む。
故に、私のような人生は何の面白みもないだろう。
私の人生は極くありふれたものだ。例えば道端に捨てられた煙草の吸い殻のような。白い不織布マスクのような。量産式で使い捨ての人間。私が人ではなく何らかの製品であれば、きっと100均に売られていただろう。
「綾田さんさぁ、またここミスしてるよ」
「すいません、以後気をつけます」
「ほんとにさ、こういう小さいミスが積み重なって重大な欠陥を招くこともあるから。あなた大卒でしょ?日本語くらいできて当たり前だよね?」
今日も今日とて、額の禿げ始めた中年の上司に叱られる。頭を下げる。椅子がきしむ。上司が溜め息を吐く。やたらと粘ついた喋り方で彼は私をなじる。
冴えない人間というのは、何かがものすごく劣っているわけではない代わりに、些細なこともうまくできないのだ。
オフィスの隅で何やら群れている若い女性社員たちが、こちらを遠巻きに眺めてくすりと笑った気がした。同じように巻いた茶髪と、制服の胸元の大きな白いリボンが揺れた。
ここで私がデスクのひとつでも叩いてみたら、何か変わるのだろうか。捨て台詞を吐き、椅子を蹴っ飛ばして、今すぐここから出て行く。
そんなできもしない自分の勇姿を頭に浮かべて少しだけ自身を慰めた。微かに甘い気持ちがしたが、すぐに虚しくなる。
「お疲れ様でーす、お先でーす」
「お疲れ様でーす」
「お疲れ様です」
最近流行ってでもいるのか、妙に語尾を伸ばす喋り方で、残っていた女性社員二人が出ていった。寒寒としたオフィスには、パソコン数十台と給茶機、私、ずっと室内に住み着いている蝿とり蜘蛛が残された。
今日も今日とて叱られ、今日も今日とて残業である。最早虚しさを通り越して乾いた笑いが漏れる。疲れている。帰りたい。
この惨めな逆境から這い上がれるものなら這い上がりたいのだが、それは当然なのだが、這い上がれるだけの力がない。そもそも人々が望む「逆境から這い上がる人間」というのは、絶対に私のようなタイプではない。こんなぱっとしない人物ではない。
いつの間にか室内の温度は随分下がっていた。私は肌荒れした頬をぱんぱんと叩き、残業に取りかかった。