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余白
魅檻レイ
展示室は、まだ少しだけ明るかった。閉館後のはずなのに、ひとつだけ照明が残っている。
「……それ、消さないの?」
怪盗の声に、学芸員は振り返らずに答える。
「展示のため」
「誰もいないのに?」
「作品がある」
怪盗は、ガラスケースの前に立つ。中には何も入っていない、ただの空。
「これ、好き?」
「作品の話?」
「そう」
「大好きだよ」
少しだけ、間が空く。会話がずれているのに、どちらも直さない。怪盗はケースに手を置くが、触れていない。でも、距離はゼロに近い。
「ねえ、これ完成してる?」
その質問で、空気が少し変わる。
学芸員は、しばらく黙った。
「未完成」
短く言うと、怪盗は笑う。
「やっぱり」
その笑いは、確認に近い。学芸員は、展示台に手を伸ばす。そこには、何もない。でも手の動きだけが、そこにあるはずのものを扱っている。
「……盗まないでね」
学芸員が言うと、怪盗は首を傾げた。
「何を?」
「全部」
その一言で、少しだけ間が落ちる。静かな沈黙に、ケースの鍵を閉める音が響いた。怪盗は嬉しそうでも、からかいでもない笑いを浮かべる。
「じゃあさ、知ってもいい?」
その言葉で、空気が少しだけ柔らかくなる。学芸員は、すぐには答えない。
「……勝手にして」
怪盗は、一歩だけ近づく。今度は、ゆっくり。でも触れない。ただ、そこにいるだけ。展示室の灯りが、ひとつだけ残る。その下で、作品でも人でもないものが静かに同じ場所に立っている。