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雪中花のキセキ
星も躊躇う宵闇の下、ぴちゃんと音がした。
其れは次第に頬を冷たく打ち、肩を濡らし始める。
季節外れの叢雨に、自分は小さく舌打ちをして歩を早めた。
けれどもその舌打ちの理由は、気紛れな天に対するものばかりではない。
満足に動けない体。
誉に値しない己。
置いていかれ、先に進まれるばかりの歩み。
其れ等が積み重なった何かが、胸に蟠って据えた臭いを発していた。
強い雨が降ると、何時もは被せている蓋が何のトリガーもなくずり落ちてしまう。
ざぁざぁと耳を削ぐ音に混じって、頭を貫くような痛みが走った。
胸を焼く嘔気を手のひらで抑えながら路地を抜ける。
少しばかり歩いていると、太い幹が視界に映った。
降り注ぐ滴の所為で上方は見れそうにないが、大きい樹木だろう。
雨も幾ばくかは防げそうだと、自分は幹に手をついた。
動くを止めた故が、ぐらりと揺れる視界のまま、茶色の支柱に寄り掛かる。
その瞬間薫った土の匂いに、息を吐き出して目を瞑る。
ふと、随分と昔の声が聞こえた。
『にいさん』
あれは、いつだったか。
未だ己も銀も幼く、貧民街を二人で生き残ることだけを考えていた頃。
『あのはな、きれいね』
『花?』
その時銀が指差したのは、大して珍しくもない白水仙だった。
貧民街の中では食してはいけぬ毒花の代表格だったが、確かにその星形と芳香は、暗い日常では足を止めるに足るものだった。
水仙のことかと問うと、銀はすっと離れてその花を掴んだ。
『、銀!』
『はい』
食べでもするのかと半分焦り、声を大きくした自分に、銀はその右手を差し出して、言った。
『にあってる。ぎんからの、おくりもの』
溝の中で生きる我々にとっては、遠く縁のない“贈り物”。其れに銀は憧れていたのかもしれない。
金品や休養の代わりの、真白の雪中花。
現実世界では花屋でも売らない有りふれた野草は、腐った日常に風をもたらす銀星だった。
またそれから、少し経った後。
自分は黒外套を得、マフィアへ入り、生きる意味を師に求め──。
その師もマフィアを去った、最初の春。
『芥川』
『……中也さん』
荒れ、噛みつくばかりだった|僕《やつがれ》を放って置けなくなったのか、やたら面倒見の良い、師の相棒の方に声をかけられた。
何やかんやでセーフハウスの一つに呼び込まれ、叱咤されながらも食べさせられ、風呂に入らされ。
所謂健康的な生活の一例をほぼ無理矢理に経験させられ、贅沢にも寝台をお貸し頂いた後、中也さんがぽつりと溢した。
『歩かなきゃなんねェよなァ』
月の昇った暗闇を窓の外に望みながら放たれたその“独り言”に、何も言うことができなかった。
あれは正真正銘の独り言だった。
僕に向けたのではない、ただ、己に向けた叱咤激励。
何も返すことなど、出来やしなかった。
それからまた春が来て、此度はエリス様に声をかけられた。
『リュウノスケ!』
『はい、何で御座いましょう』
『はい、どうぞ!』
小さな手に手渡されたのは、丁寧にラッピングされた数枚のクッキー。
自分には不釣り合いなそれに、しばらく視線を彷徨わせていると、エリス様はにこりと笑って仰った。
『ギンと食べて頂戴ね。また今年も、宜しくね!』
『……はい』
些細で、相手からは取り立てて言う程でもない気遣い。
けれども何時もよりもほんの少し、蟠りを薄めることになった微風。
『エリス様に感謝ですね』
口に含んで、心から嬉しそうに笑った銀は幸福を体現したかのようだった。
また少し。
また少し。
そうして重ねた春は、早幾年。
その幾年のうちに、歩みを進め、部下を従え、師と再び見え、強敵を倒し──。
相容れぬ奴と並べる肩を得た。
最早、懐かしいと言う感覚さえ得るようになった其れ等を頭に思い描きながら目を瞑る。
未だざぁざぁと、雨垂れが鼓膜を揺らし続けていた。
どれほど経ったろう。
突然、真綿に包まれたような感覚が体に触れた。
「芥川?」
「……、」
雨音がふっと遠くなり、気配を間近に感じる。
貫く槍が無くなったのと同時に、呼吸がしやすくなった。
瞼を開くと、ビニール傘を掲げた、相容れぬ奴──他でもない人虎が此方を覗き込んでいた。
「お前、そんなところで寝たら風邪引くぞ。そんな趣味でもあるのか?」
「……煩い」
いらないことまで言ってくる口に言い返すと、土を払って立ち上がる。
如何やら背を幹に預けた後、ずるずると地面へ落ちてしまっていたらしい。
「はいはい──って、おい! びしょびしょじゃん!」
其の儘歩き出そうとした自分を、人虎が引き止める。
其奴は、ぱたぱたと走り寄ってくると、透明な傘を此方の頭上へ分け与えた。
「そんな無頓着じゃ銀さんに心配かけるだろ。都合の良いとこまで言ってくれたら送るって」
揺れた白髪から目線を逸らす。案じるように細められた朝焼けを目に映しそうになったからだ。
「要らぬ」
「やだ。だったら着いて行くもんねー」
「“もん”とは何だ、“もん”とは」
減らず口につい言い返しながら歩みを続けると、知らず知らずのうちに大樹の下からも抜け出していた。
「あ」
人虎が突然立ち止まり、素っ頓狂な声を上げながら頭上に見入る。
つい此方も合わせるように視線をたどった。
「梅の花」
目の先にあったのは、溢れるように咲いた梅の花。
紅梅と白梅が寄り添うように、一対になって咲いている。
「綺麗だ。……そっか、もう春なんだね」
湿気でしっとりとした白い一房が、重さを示しながら揺れる。
「もう僕らが出会ってからも長いのかぁ」
「ふん。貴様は以前より頭の弱い煩いヤツであった」
「うっわ、ひっど。それを言うならお前だって初対面で足を喰い千切ってきたじゃんか」
「当たり前であろう、其方が平和惚であったのだ」
「うーん、否定できない」
梅を見ながら、軽口を交わす。
──否、梅以外を視界に入れぬ様にしていたのだ。
「……歩いてきたんだね」
周りを滴る雫と同じ様に、紛れる様に一言が落ちた。
まるで、小さな子供が、寂しさを悟って泣き止んだ時の|吃逆《しゃっくり》のような一言。
つい、梅から目を逸らしてしまった。
不意に合ってしまった目にせかされる様に、人虎が続きを口にする。
「否、何でもない──ううん、色々、消して来たんだなって。悲しみとか、苦しみとか。あと」
喜びとか。
人虎はその言葉を無理矢理飲み込んだ様だった。
そう言うものだ。
過去にあった勝敗、喜怒哀楽──全てを飲み込んで、若しやすると消えて、歩みを進める。
けれども。
歩むうちに、得たものもある。
僕は傘を握りしめる白い手に手を重ねて、傘を握った。
急に触れた体温に、人虎が目を見開く。
「……送ってくれるのでは無いのか」
口下手な己では、こんな言葉しか口には出来なかった。
此奴の胸にも、蟠った何かがある。
蟠った何かは、いつまでも消えてはくれない。
「っ──はは、うん、そうだね。帰ろっか」
消えない何かがあるのなら。
ならば──
消えない喜びだってあろう。
真白の雪中花を、またこの手に出来た様に。
口にはしなかったそんな言葉を、ふり続ける唄に溶かした。
雫の浮かぶ透明な天井の下、一歩一歩、少しずつ、歩みを進めた。
〈了〉
芥川くん!!!!
誕生日おめでとう!!!!!!
ついお誕生日祝いは芥敦にしちゃったけど、本当におめでとう!!
本編の中で、少しずつ、層を重ねるように確実に成長していったあなたが大好きです!
敦との衝突だったり、もしかしたらあった、心を通わせた瞬間だったり。
船上で、自分を犠牲にして敦くんを助け出したり。
太宰さんからの労いの言葉だったり。
銀ちゃんを少なからず家族と大事にしていたり。
そんな素敵な数々は、みんなの胸にいつまでも残っています!
それらがどうか、あなたが胸に抱く花束の一輪一輪となっていますように。
そんな祝福を込めて。
お誕生日、おめでとう!