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放課後の放物線
相変わらず静かな放課後だった。
教室の窓から射し込む夕日が、床に長くオレンジ色の影を落としていた。
教室にはもう誰もいなくて、聞こえるのは時計の針が刻む音と、私と瀬野先生の心臓の音くらいだった。
「先生、これ、ここの式ってどうしてこうなるんですか」
私の声は、思っていた以上に気を抜いたら消えてしまいそうなほど小さかった。
でも、その声に先生はすぐ気づいた。
「ん……ああ、それね」
先生はノートをのぞきこみ、ペンを取り出した。手元のノートに、滑らかな動きで数式を書き始める。
彼の手の動きはいつ見ても無駄がなくて、まるで音のないダンスを見ているようだった。
「この式は、ここを入れ替えて展開していく。だからこうなる。……ほら、ここ」
そう言って、先生は私の手元にそっと指を添える。
手首の脈を測ってるようにそっと静かで自然な動きだった。
紙の上をなぞるその指先のぬくもりが、肌越しに伝わってくる。
心臓、うるさい。
そう思ったけれど、顔には出さないようにぐっと我慢した。
でも、ほんの少しだけ視線が泳いでしまう。
それを察したように、先生は少しだけ口角を上げた。
出会ったあの日のように。
「……ごめん。怖かった?」
「ううん、全然」
慌てて返すと瀬野先生はもう一度片口角を上げる。
でもそれは、他の誰にも見せない、ごく小さで可憐な笑みだった。
気づくとはいつの間にか、放課後の部室で先生と二人きりになることが増えていた。
数学の問題を教えてもらうため、という理由で。
なんてのは建前で、本当はそれ以上に先生と過ごす時間が欲しかったんだと思う。
本音は私も分からない。分かりたくもなかった。
恋でもない愛でもない尊敬でも希望でも夢でもない。名前のない感情の何か。
「ここはこうやって計算するとすぐ解出ると思う」
先生の声は落ち着いていて、どこか遠くの景色を見ているような静けさがあった。
私はその声のトーンに耳を傾けながら、ゆっくりと問題を解いていく。
横でペンを走らせるたびに、自然と先生の動きを目で追ってしまう。
手の動きは無駄がなく、冷静だけど温かみがあった。
「なあ、茉音」
突然、瀬野先生が名前を呼んだ。
呼び捨てで名前を呼ばれるなんて初めてで、驚いて顔を上げると、彼の瞳は少しだけ揺れているように見えた。
自分で名前を呼んだことを驚いているような表情だった。
「、、なに」
「…ありがとう。今日、来てくれて」
言葉は少なかったけど、先生の心が伝わってきた気がした。
何よりも冷たくて優しい、甘酸っぱい気持ち。