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Ep.1 始まりは初夏
湖水。日本のとある場所に位置する、豊かな街のことだ。
北は山、南は海に囲まれながらも、流通は盛んで、商業の街として知られている。
そんな湖水を代々守ってきたある一家が存在した。
それが宵宮家。江戸時代に藩主としてこの地にやってきたことをきっかけとし、戊辰戦争によって一度滅亡しかけるものの、明治時代から始まった海を使った流通によって任侠団体として復活。今は警察とも協力関係を築いた『特殊指定団体』として、湖水の商業の発展を担っている。
「そして今やその権威は他の都市にも影響を及ぼそうとしており・・・って聞いてるか|潮《うしお》!?」
「・・・聞いてる。うっさい」
加減を知らないバカでかボイスに眉をしかめる。机の上に頬図絵をついたまま前を見やると、あまり似合ってない黒髪のオールバックをテカテカと光らせた男が仁王立ちしていた。
「宵宮の方々は凄いんだぞ!未だ治安の悪い地域がある湖水を徹底的に警備してくださっていて、そのおかげで何人の人が救われたことか・・・!ああ、俺も宵宮組に入れたらいいのに!」
(・・・無理だろ)
|伊沢真人《いざわまさと》。夜にバイト先から家への近道だった路地裏を通って不良に絡まれたところを、宵宮の組員に助けてもらったらしい。それに影響されて、似合わないイメチェンして、必要以上に絡まれて、こっちは迷惑しているのだが。
「お前宵宮に居候してるんだろ?そういうのは詳しいんじゃねぇのか?」
・・・。
「少なくとも、宵宮は商業以外で他の地域に関わることはしてない。内部の治安も一定に維持できてないのに、外に手を出すとか馬鹿だろ」
「あー!そんなの言うなよ!夢がつぶれる!」
大声で転げまわる無様な姿を尻目に、窓の外を眺める。
窓際の一番後ろの席。一般には主人公席だとかヒロイン席だとか言われるここは案外快適だ。日の当たり具合も、風の通りもよく、昼寝に最適。遅刻してきてもあまり目につかない。
そよそよと流れる風がぬるく湿っていて、もうそんな季節かと緑に染まった桜の木を見つめる。
その時、机の横にかけた鞄の中からバイブ音が響き渡る。白いカバーをつけたスマホを取り出して、通話ボタンを押した。
「・・・何の用?|燈《あかり》」
〈お、やっほー潮!仕事だ!帰っといで〉
「・・・」
返事も返さずぶつ切りにする。鞄を手に取り、席を立った。
「あれ、潮早退すんの?まだ三限目なのに」
「先生に言っといて」
じゃあねー!だとか、ばいばーい!だとか、喧しい真人の声をBGMに帰路に着く。
最近は途中で早退することが多い。おかげで安眠をむさぼる時間(授業)を得ることができず、残念な思いをしている。それは全てあの元気な世間知らずの副代表のせいなので、まあ怒りの矛先は彼に向けておくこととしよう。
街路樹として植えられている広葉樹が、生ぬるい風に揺れた。相変わらず湿っている空気が頬を撫でる。
いつもより暑くなるのが早かった五月。激動の夏が始まる前に、少しの下ごしらえを済ましておこう。