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この街の自動販売機は、奇跡を売っている
僕の住んでいる街の、ちょっと寂れた商店街のはずれに、変な自動販売機がある。
見た目はどこにでもある普通の赤い自販機なんだけど、売っている飲み物の名前がとにかく怪しい。
『あの日の夕焼けソーダ』
『仲直りココア』
『一歩を踏み出すためのコーヒー』
値段はどれも百三十円。缶のサンプルの下には、小さく『※一人一回しか買えません』って書いてある。ネットの都市伝説か何かの悪ふざけだと思っていた。
僕――中学二年の蓮(れん)がその自販機を使ったのは、本当にたまたまだった。
部活の帰り道にものすごい夕立が降ってきて、雨宿りのために逃げ込んだ路地裏に、そいつがあった。制服がベタベタに濡れて寒かったから、温かいものを飲もうと思って、財布から百三十円を出した。
僕がなんとなく選んだのは、一番右にあったボタン。
『失くしたもののありか(おしるこ)』
ガコン、と音がして出てきたのは、パッケージが何もなくて、白いアルミ缶に黒いマジックで文字が書かれているだけの不気味な缶だった。
でも、開けるとすごくいい匂いがして、一口飲んだ瞬間、頭の中にパッと景色が浮かんだ。
(あ、生徒手帳、机の引き出しの奥に挟まってるじゃん)
一週間前に失くして先生にめちゃくちゃ怒られた生徒手帳の場所が、急に分かった。
「え、マジで……?」
僕がアホみたいに缶を見つめていると、後ろから声をかけられた。
「それ、本当に効くんだよ」
びっくりして振り向くと、隣のクラスの潮崎(しおざき)さんが立っていた。髪をお団子に結んでいて、クラスでは大人しくてあんまり目立たない子だ。彼女の手にも、僕と同じ白い缶があった。
「潮崎さんも買ったの?」
「うん。私は『一歩を踏み出すためのコーヒー』。私、人見知りだから、明日の英語のスピーチが怖くて……お守りに買ったの」
潮崎さんは恥ずかしそうに笑った。
「この自販機、一度買うと顔を覚えられるから、二回目はコインが戻ってきちゃうんだって。だからみんな、本当に困ったときまで買わないらしいよ」
それを聞いて、僕は急に後悔した。生徒手帳なんて自力で探せばよかった。もっと大事な、高校受験のときとかに取っておけばよかった。
僕がガッカリしていると、潮崎さんは「でも、必要なときに必要な奇跡が起きたんだよ」と言って、雨が上がった空を見て笑った。その顔が、なんだかちょっと大人っぽく見えた。
それから、僕と潮崎さんは、部活帰りにあの自販機の前でよく話すようになった。
僕はもう買えないけど、潮崎さんはまだ缶を開けずにカバンに入れているらしかった。学校のこととか、好きなゲームのこととか、どうでもいい話をたくさんした。自販機の明かりに照らされている潮崎さんと話す時間は、なんだか秘密基地にいるみたいで、僕の毎日の楽しみになった。
だけど、冬休みに入る少し前、潮崎さんが学校に来なくなった。
風邪かなと思っていたら、クラスの奴から、潮崎さんは心臓の大きな病気で、遠くの有名な病院に引っ越すんだと聞いた。
「嘘だろ……」
僕は放課後、ダッシュで路地裏に向かった。
自販機の前に立って、財布の小銭を全部突っ込んで、ボタンを何度も叩いた。
「頼むから、もう一回だけ動いてくれよ! 彼女の病気が治るやつをくれよ!」
だけど、百三十円はチャリンと虚しく戻ってくるだけだった。僕は自分の子供っぽさが悔しくて、自販機に頭を押し付けて泣きそうになった。
「蓮くん?」
声がしてバッと振り向くと、マフラーを巻いた潮崎さんが立っていた。顔が少し白かったけど、いつものように優しく笑っていた。
「潮崎さん! 体、大丈夫なの?」
「明日、あっちの病院に行くの。その前に、どうしても蓮くんに会いたくて」
潮崎さんはカバンから、あの『一歩を踏み出すためのコーヒー』を取り出した。
「私ね、この奇跡、使うのやめたの」
「なんでだよ! これから手術なんだろ? 勇気がいるじゃん!」
「ううん。蓮くんといっぱいお喋りしたから、私、もう勇気はたくさんもらったよ。一人じゃないって思えるもん。だからね、これを自販機に返すの」
自販機の横には、使わなかった缶を入れる小さなポストみたいな穴があった。潮崎さんはそこに缶をコトン、と落とした。
「これで、私の奇跡は、また誰かのものになるでしょ。……ねえ、蓮くん」
潮崎さんは僕の目をまっすぐ見て言った。
「私、絶対病気を治して、またこの街に戻ってくる。だから、そのときは……またここで、普通の缶コーヒーを一緒に飲んでくれる?」
僕は涙がこぼれないように、めちゃくちゃ強く頷いた。
「うん。約束する。自販機の前じゃなくて、もっと景色のいい公園で飲もう」
「うん、約束」
次の日、潮崎さんは街を出て行った。
それから一年が経って、僕は中学三年生になった。
受験勉強の帰りにあの路地裏を通ると、小さな男の子が泣きながら自販機の前に立っていた。男の子がボタンを押すと、ゴトンと白い缶が出てきた。
『もう一度笑うための(おしるこ)』
男の子はそれを飲むと、すぐにニコニコになって「お母さん!」と走っていった。きっと、潮崎さんが返した奇跡が、新しい誰かを救ったんだと思う。
そのとき、僕のポケットでスマホがぶるぶると震えた。
画面を見ると、ずっと待っていた名前からメッセージが来ていた。
『ただいま! 駅に着いたよ。約束の公園で待ってるね』
僕は自販機に向かって、「ありがとな」と小さくつぶやいた。もう、僕に奇跡は必要ない。
僕はスマホを握りしめて、光が当たる大通りへと、全力で走り出した。
(おわり)