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第14話:沸点と安心
クッキーの甘い香りが残るキッチンで、真蓮はあの日からずっと、愛菜と目が合うたびに不自然に視線を逸らしていた。
「……うっせ、別に意識してねーよ!」
そう言いながら、耳まで真っ赤にしているのはバレバレだ。愛菜はそんな彼の反応を、少しだけ「愛おしい」と感じるようになっていた。
そんなある日の放課後。愛菜は真蓮と一緒に、夕食の買い出しのためにスーパーへ向かっていた。
「愛菜、今日は肉だぞ! 母ちゃんが唐揚げにするって言ってたからな!」
「ふふ、真蓮くん、本当に唐揚げ好きだね」
穏やかな会話。けれど、駅前の広場を通りかかった時、愛菜の足がピタリと止まった。
「――おい、お前! 何やってんだよ!」
鋭い怒鳴り声。
愛菜の肩が、条件反射でビクッとはねる。視線の先では、柄の悪い数人の高校生が、一人の小さな中学生を囲んで小突き回していた。
(……怖い。あの声、あの空気……)
愛菜の脳裏に、叔父の顔がよぎる。呼吸が浅くなり、指先が冷たくなっていく。
しかし、隣にいた真蓮の反応は違った。
「……あいつら」
真蓮の瞳に、静かな、けれど圧倒的な熱量を持った火が灯る。
「愛菜、ここで待ってろ」
「えっ、真蓮くん!?」
止める間もなく、真蓮は高校生たちの輪の中へ突き進んでいった。
「おい! 多人数で一人いじめて楽しいかよ。ダセェ真似すんな!」
「あぁ? なんだお前、中坊が……」
高校生の一人が真蓮の胸ぐらを掴む。愛菜は恐怖で目を伏せそうになった。
けれど、真蓮の声は、叔父のそれとは全く違っていた。
「……離せよ。俺、沸点低いんだわ。……弱い奴を泣かせる奴を見ると、我慢できねーんだよ!」
真蓮の咆哮。
彼は暴力で解決しようとはしなかった。ただ、圧倒的な威圧感と、正義感に裏打ちされた「光」の眼差しで相手を睨みつけた。
その気迫に押されたのか、高校生たちは「ケッ、シラけるぜ」と捨て台詞を吐いて去っていった。
「……大丈夫か? 怪我ねーか?」
真蓮は、震えていた中学生の頭をポンと叩き、優しく笑いかけた。
その光景を見ていた愛菜の胸に、すとんと、何かが落ちてきた。
今まで、彼女にとって「怒鳴り声」や「強い力」は、自分を壊すための凶器でしかなかった。
けれど、真蓮のそれは――。
「……愛菜? 悪い、怖がらせたか?」
戻ってきた真蓮が、心配そうに愛菜の顔を覗き込む。
愛菜はゆっくりと首を振り、自分から真蓮の大きな、温かい手をつかんだ。
「……ううん。怖くなかったよ。真蓮くんの怒ってる声、すごく……あったかかった」
「……は?」
真蓮が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
「……誰かを守るための力は、怖くないんだね。私、真蓮くんが怒るところ、もっと好きになったかも」
「っ……!!」
真蓮は、一瞬で顔を火がついたように真っ赤に染め、固まった。
「……う、うっせーわ!! 変なこと言うな!!」
照れ隠しに大声を出して歩き出す真蓮。
でも、繋いだ手だけは、決して離そうとはしなかった。
愛菜のトラウマが、真蓮という「正しい光」によって、また一つ塗り替えられた瞬間だった。
🔚