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優しさの本質
「なぁ、人は何のために生きてるんだろうな」
薄汚いシェルターの中で、若い男性が問いかけた。
外への入口は堅く、堅くしまっている。
やることがないのだろう。付き合ってやろうじゃないか。
「…こんな狭いシェルターの中で、肩寄せ合って汚染が消える日まで待つことだろ。今のところは、そうだ」
「へぇ、じゃ、優しさってなんだ?」
それに幼い少女が缶詰された人工桃を食べながら答えた。
「とっても偉い人達と、他のみんな、笑って過ごすこと!」
その場にいる少女以外の大人が笑った。
そして、無精髭を生やした男性が応える。
「そりゃ、無理な話だ。嬢ちゃん、お偉い様ってのはいつも国民の話なんか聞かないで国力だの国税だの、そんなことしか考えてない。
国民なんか金を集める駒にしか見えてないのさ。今だってそうだ。国の為だとかくだらないホラを吹いて、戦争をおっ始めた結果に核をまた喰らっちまった。
おかげでどうだ?地球は見事に崩壊して異常な数値の大気ガスを撒き散らした。
ああ、こりゃダメだ、もうここには住めねぇ。そしたら、お偉い様はどうしたよ?」
「えっと……どうしたの?」
「お偉い様だけで別の惑星に移り住んじまったんだよ。開発中の火星?とやらにな。
残された国民はその火星に行こうとしたが、ロケットってのはひどく予算が必要らしいじゃないか。つまり、莫大な金が動くんだ。金が必要になるって言ったら動けるのは運の良い富裕層の人間だけだ。
そんなこんなで、今まで平等だの平和だの言ってたのがあっと言う間に韓……隣のエセ中華国みたいに競争社会だ。
富裕層は大気ガスのない星でガキをこさえて平和に暮らす。一方、貧乏人は大気ガスのある星でガキをこさえるどころか明日の飯にすら困る程、困難な暮らしをする……それが今の俺らだ、嬢ちゃん」
幼い少女は言葉の意味を理解していないのか、しばらく頭を傾げていた。
無理もない、最近の子供はまともな教育なんて受けられない。
それこそ、こんな大気ガスから逃れるようなシェルターの中に学校なんてものはない。
「……んな話、子供にしたって分かんないわよ。ねぇ、何か面白い話をして。何か話を聞いていないとお腹が減って苦しいのよ」
そう若い、と言ってもしみの目立つ中年の女性が文句を垂れた。
その言葉に頷き、「優しさについて、また考えようぜ」と返した。
全員が首を縦に振り、若い男性が始めに話す。要は言い出しっぺだ。
「じゃあ、そうだな。
人は何か一つくらい誇れるもの持ってるだろ?
何でもいいんだ。それを見つけると尚、良い。勉強が駄目だったら、運動がある。
両方駄目だったら、お前には優しさがある。
夢をもて、目的をもて、やれば出来る…こんな言葉に騙されるなよ。
何も無くていいんだ。人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけでたいしたもんさ。
そういう自分自身を作る優しさが、俺の優しさだ」
次に中年の女性が口を開いた。
「そうね、じゃあ…気を使い合うってのも優しさだけれど、時には傷つけるのを覚悟で、本当のことを言ってしまうことも優しさ…そして、寄り添うのも優しさだと思うわ。
相手を理解して、目を見てちゃんと話をするの。それで、今は過ごせると思う」
次に年老いた男性が口を開いた。
「私は…ただ生きていてくれたらいい。
究極の優しさは相手の命を想い続ける事だと思うよ。
いつものように寝て起きて、隣を見ればそこに生涯で一番愛した人がいる。
それだけで、優しいのさ」
次に無精髭の男性が口を開いた。
「優しさの意味で何よりも明らかなのは、自分のことを大事にすることだ。
自分を大事にできれば、ほかの人にだって“敬意”と“やさしさ”、そして“寛大さ”をもって接することができるようになるだろ?」
次に四肢の欠損した女性が口を開いた。
「人の辛さが分かることが優しさだと思う。理解したその優しさで、さりげなく支えてくれるのも、また優しさ」
次に盲目の男性が口を開いた。
「優しさは、自分から与えるものなんかじゃなくて、相手が求めてきたときに、さりげなく示すものだと思う。そうした無垢な優しさは必ず誰かを救うから」
俺はただ、黙っていた。答えがなかったからだ。
優しさとはなんだろうか。
そんな空虚な質問にシェルターの人々はゆっくりと語る。
生きている人間に、たった一欠片のパンを与えることだろうか。
生きている人間に、生まれている意味を与えることだろうか。
結局のところ、優しさの本質や生きる意味など、人それぞれなのだろう。
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〘どうだ?汚染地域のシェルターの中、どうなってる?〙
繋がれた無線からチームリーダーの声がした。
大気ガスが汚染した地域の中で砂に埋もれるような形だったシェルターの中は埃が舞い、鼠や虫が踊っている。
非政府公認の団体がこうして大気ガスの中、食料や物資を届けている現状の中でその団体の一員としてこのような状況はそう珍しくない。
何しろ、ここへ前に同じような惨状を幾度となく見てきた。
大気ガスが蔓延する中で食料を買うこともできず、腹を空かせて死んで誰もいなくなったシェルターの中を。
中の人間の反応がなく無理やりこじ開けたシェルター内は想定通り、山のように人間の遺体が積み重なっていた。
その遺体をかき分けて足場を探して容赦なく進む。
非人道的ではあるが、もう食料を届ける必要のないシェルターかどうかを確認するために中に人間がいないかチェックしなければならないのだ。
少し進んだ先で何やらクチャクチャと物を含む音した。
何かを食べているにしても、何を食べているのだろう。
このシェルターの中にある缶詰や飲料水は全て空で、長い年月が経過しているのだ。
「誰か、いるのか?」
そう聞くも何も返ってこない。返ってくるのはクチャクチャとした擬音だけだった。
もう少し進んだ先に赤い液体の入ったペットボトルを見つけた。まるで、飲料水とでも言いたげな代物だった。
更に、奥。この辺りで音は大きくなっていた。その音がもう目と鼻の先と言わんばかりの距離に生存者がいた。
若い男性のような肉づきのない骨ばかりの腕から溢れた血液を啜る幼い少女の姿。
足元にはばらしたのか、ばらされたのか分からない男性の遺体が転がっている。
その食事の光景に目を丸くしていると不意に少女がこちらへ向かって微笑んで、
「わぁ、いつものご飯を持ってきてくれる優しい人だ!
あのね、みんながお腹空いてたんだけどお腹が空いて空いて、居ても立っても居られなくなって…楽しそうに叩きあったり殴りあったりして、みんな動かなくなっちゃったの。
でも、この男の人は私をずっと守ってくれて、ご飯くれたの。
食べるところは少ないし、男の人も動かなくなっちゃったけど優しい人だったの。
お兄さんも優しいよね、ご飯をくれるもの!」
無邪気に笑う少女と対比して、無線の声は人間味を帯びない冷たい指示を出した。
〘おい、そのガキ、さっさと撃て。多分…ダメだ〙
言われるまでもなく、そうするつもりだ。化け物に餌をやる趣味はない。
そう思いながら、腰に吊られた物に手を伸ばした。
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小綺麗なトラックに食料の詰まった箱を運びながら防護服を着た若い男性が同じような格好の中年の男性に話を投げた。
「チームリーダー、ここって優しいですよね」
「ん?あー…そうだな、無償で汚染地域へ物資を届けてるからな…政府から礼なんて貰ったことないが」
「…ですよね。それじゃ、優しいって意味なんでしょうね」
「随分と哲学的な話だな…なんか、影響されたか?」
「いえ、純粋な疑問です」
「…ふぅん……ま、人それぞれだろ。俺はこうやって、何の見返りも無しに物資を届けるのが優しさだな。優しいだろ?俺達って」
「……そうですね」
話の流れで切られた話題を少し、考えた。
化け物のようになった人間を殺すのもまた、優しさなのだろうか。
どう頑張って考えても、そうだと断定する答えは出なかった。