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カレンダー
から丸
匂いは、忘れていた記憶を不意に思い出させることがあります。
忘れたい記憶も懐かしい記憶も。
そんな小さなきっかけから始まる春の物語です。
**晩春。カレンダーの、もう過ぎてしまった4月27日にある桜の印に触れ、家を出る。
上を見上げれば、毎年のように桜の緑の葉が見える。
落ち着いた匂いで。
いつも通りラフな服装を身にまとい、最寄駅へと向かう。早朝の電車はやはり通勤ラッシュで混んでいて、急ぐ匂いで溢れていた。
ドアを開ければ軽く鈴が鳴り、僕がきたことを知らせる。
「おはようございます。鈴平さん。」
微かに珈琲の匂いに気づいた後、そう声をかけてくれるのはカフェの店長・宮野さん。長身で、僕よりも遥かに大きな肩幅は男らしさを強調していた。
「おはようございます。」
軽く頭を下げれば、もう一度店長の顔を見た。店のバックヤードで緑色のエプロンを被せれば、サッと髪を直し、カウンターへと入る。
いつも通り時間ぴったりだ。
また鈴が鳴る。
「おはようございます。」
もう春は終わるというのに、いつも同じ桜の花びらで飾りついたネックレスを付けて、にっこりと微笑む僕より小柄な女性は常連客だ。
この女性とは何度か会話を交わしたことがあるが、どこか懐かしく、温かさがあるのはなぜだろう。
「今日も早いですね。ご注文はいつものでよろしいですか?」
アイスカフェラテ。
静かに頷いたのを確認し、暫くすればまた女性の元へと足を運ぶ。見慣れているはずなのに、不意に止まった首元の桜のネックレスを見た時、僕はあの匂いを思い出した。
「お疲れ様でした。」
店が混み出した昼過ぎ、僕は駅へと向かった。思い出してしまったあの匂いを探して。
「秋斗!」
僕と似た細い声に、僕とは違うシュッとした顔立ちの彼に名前を呼ばれ、思わず目が潤んでしまう。そんなことを隠すように彼の元へと駆け寄ると同時に、あの香りと沢山の疑問が駆け巡った。
「春樹? なんで、?」
10年ぶりだった。偶然だろうか、それとも必然だろうか。
どっちだっていい。今すぐ僕より少しだけ大きな背中を抱きしめたい。
葛藤する僕を見て、彼は頭をそっと撫でたようだった。
彼の名は鈴来 春樹。苗字は似ているが血のつながりはない。同い年で27。中学の頃の親友だ。
そして最後に会ったのは高2の桜が咲いた頃。いや、正確に言えば4月27日。
最後に話したのは中学校の卒業式だ。
「3年後に会おうな。約束だ。」
高校は県外になってしまうことから、涙ぐむ僕を抱きしめて春樹はそう約束した。
しかし、約束した2年後に春樹は死んだ。自殺だった。
少し暖かくなってくる春、冷たかった。
何が辛かったのだろう。何が苦しかったのだろう。何が――。
その日を最後に、春樹の匂いは途切れてしまった。
「また会えたね。」
なんて口にする春樹が僕の目に映るのは幻だろうか。
「ごめんな。」
と眉を下げ、僕の体温を確かめている姿は風だろうか。
「泣くなよ。」
そう言いながら、頬に伝う涙を拭う指の体温は春樹だ。
暖かい。冷たくない。
“俺はここにいる”と主張している。
そして暫く僕は春樹に抱きしめられて、人が少なく静かなホームで声が枯れるまで泣いた。
僕の知る匂いが身を包んでくれた。
どういう訳か僕の家のソファに座る春樹は、生きているらしい。転生したのか、それとも蘇ったのか。そんなの聞かなくてもいい。
「生きてるよ。急に居なくなってごめん、もう居なくならない。約束だ。」
そう真剣な目で伝えられた時、疑う理由は僕にはなかった。
そして、只今の時刻は午後6時半。駅から家まで歩き、やっと気持ちが落ち着いてきたところだ。
暫く春樹に質問攻めをすれば、今は会社の営業マンをやっていて、運転免許も昨日買ったプリンのレシートも手にしていた。
生きているんだ。
改めて自覚をすれば、なぜかどっと疲れが増した。
「春樹、風呂入る?」
「秋斗が先でいいよ。人が入った後のお湯好きじゃないだろ?」
「うん、覚えてたんだ。じゃあ先入るわ。」
体温より少し高い湯に浸かっているだけで、長い時間が経ち、溶けてしまいそうだった。
風呂も夕食も済ませ、ベッドにダイブすると春樹が隣にいた。
ちょっと待て、こいつはなんで此処にいて、どこにも行かないんだ?
「俺、今日から秋斗の家に住むから。」
「え? おう。」
別に否定しようとした訳じゃないけど、曖昧な疑問が浮かんでいた。
まあいいだろう。
気づいたら重い瞼を閉じてしまっていた。
「おはよ。起きろよ秋斗。」
「……はよ。」
爆睡して軽い体を起こせば顔を洗い、香ばしい珈琲の香りが部屋に漂っていて、ただ心地いい。
「「いただきます」」
温かい朝食がまた体に溶けていく。
「俺もうすぐ仕事だから、眠かったら秋斗起きてなくていいからな。」
「子供じゃないし、それは俺が決める……いってらっしゃい。」
「いってきます。」
広い背中をそう見送る時、冷たい風が体を覆ったようだった。
2人分の皿を洗い、洗濯をして、部屋を片付ける。
スーパーで、なぜか当たり前のように2人分の食材を手に取った僕は、おかしいだろうか。いや、1人で食材を微笑んで見ている僕が怪しいだろう。
帰り道、桜の木が完全に緑になっていることに気づいて少しホッとした時、温かい風が身を包んでくれた。
暫くし夕食を作れば、こんな時間かと時計を見ると夜の9時を指していた。
「ただいま。」
「おかえり。」
部屋に微かに残る匂いと温もりがさらに強くなった。
「今日はカレーだよ。」
「やった、秋斗のカレーは12年ぶり?」
「そうだね。」
会話を続けようとしたが、僕には無理だった。
思わず抱きついて存在を確かめる。
春樹はすんなりと受け入れて、同じように僕の頭を撫で抱きしめた。
横目に見えた4月のカレンダーには桜の印などどこにもなく、綺麗なカレンダーだった。
そろそろ5月に変えないとな。
春の終わりを迎えよう。**
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「カレンダー」は匂いと季節、そして止まっていた時間が動きだすことをテーマに書いた短編です。
ファンタジーを含む日常感があるこの短編が少しでも心に残れば幸いです。