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episode1【sideセナ】
生まれつき体が弱かった弟は、いつもテレビに釘付けだった。見ているのは、決まって男性アイドルのライブ映像だけ。ステージの上で輝く彼らを見ているときは、弟はすごく幸せそうな顔をしていた。
ある雪の日、弟が俺に言った。
『あのね、僕、アイドルになりたいんだ。世界中の人を笑顔にさせて、皆を幸せにしたいの!』
目を細めて笑うその顔は、憧れに満ちていた。その顔が、俺は好きだった。
『そっか。応援してる』
『えへへ、ありがとう!…でも、こんな身体じゃ踊れないから、はやく治さないと』
弟の表情が曇る。細くて小さな手に、自分の手を重ねた。
『大丈夫、きっとよくなるよ。優姫なら大丈夫だ』
『…うん!そうだよね!』
ありがとう、と笑う弟を、守りたいと思った。夢を叶えさせてあげたいと、強く思った。
―…それなのに、どうして。
どうして、俺は。
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「―…ナ、セーナ。ねぇ、起きて!セナ!」
「ん…」
ゆっくりと目を開けると、イユニ兄さんの顔が視界に映った。日の光が差し込み、ベージュの髪が明るくと光る。
「あと5分…」
「だーめ!今日はデビューする日でしょ⁉もう時間ないの!」
「えー…」
そういえば、今日はデビューステージのために7時に宿舎を出るとか言われていた気がする。ぼんやりした目で時計を見ると、針は6時50分を指していた。
「ほら、あと10分しかないんだよ!カオルはもうミンジュ(マネージャー)と打ち合わせしてるから、セナも急いで準備して!」
「わかったよ…」
のそのそと起き上がり伸びをする。下に降りると、シウ兄さんが姿見の前で着替えているところだった。
「あ、おはようねぼすけ!お前髪長いんだから早く起きろよなぁ」
「別にいいでしょ。セットは向こうでやるんだし…」
洗面所に向かって顔を洗い、適当な黒のパーカーに着替える。車に乗り込むと、既に俺以外の全員が揃っていた。
「おはようセナくん。よく眠れたみたいだね」
助手席からカオル兄さんが顔を出した。「おはよ」とシートベルトを締めながら返す。
「はい、これ今日のスケジュール!読み込んどけよ」
隣に座るジアン兄さんから紙の束を渡される。車が発進する。紙は全部で5枚程あり、大雑把なスケジュールとその詳細が書かれていた。
「このスケジュール、すごい無理矢理感あるんだけど」
紙をめくりながら呟くと、ミンジュさんが笑った。
「仕方ないさ。君らは大型新人なんだから、いろんな番組や会社からオファーが来てるんだよ」
「まぁあんだけ大きなオーディションだったんだから、そりゃそうだよな」
ロウン兄さんが腕を組んで言う。
俺達は700人の中から選ばれた6人で、しかも所属は韓国三大事務所の中の一つ、デビュー曲のMVは1週間で1000万再生を突破し、驚異的な記録を叩き出したグループだ。それだけ注目されても可笑しくない。喜ばしいことだけど、それと同時に大変になることがアイドルというものだった。
「…」
弟の…優姫の、希望に満ちた笑顔が脳裏に過る。アイドルを志していた優姫は、俺が6歳の頃に死んだ。だから俺が、最後に託された願いを絶対に叶えてやる。
「…やっとここまで来たよ、優姫」
誰にも聞こえない声で、空に向かって呟いた。
「今日からセナ君とカオル君のヘアメイクを担当させていただきます、キム・ヨンジェと言います。よろしくお願いしますね」
控室につくと、爽やかな男性が出迎えてくれた。他のメンバー2人ずつにも担当がついていて、それぞれ挨拶を交わす。部屋の中には沢山のスタッフがいて、忙しなく動いている。
「…」
「ああ、初めて見たときは驚きますよね。大丈夫ですよ、少しずつ環境に慣れていけばいいですから」
「…ありがとう、ございます」
とても親切な対応に少し戸惑う。8年間ロクに話してなかったからか、メンバー以外との会話が覚束なかった。
指定された鏡の前に座り、よくわからないことを色々としてもらう。隣のイユニ兄さんを見ると、目の前に並べられた化粧品を見てヘアメイクさんと何やら話し合っていた。そういう知識が全くない自分が申し訳なくなる。
「そういえば、セナ君って16歳なんですよね。グループの中でも一番若いとか」
「あ、はい。そう、ですけど…」
「実はね、僕は昔役者だったんですけど、セナ君と同じ16歳で芸能界に入ったんです」
「え…」
「16歳って大人とも子供とも取れない年齢だから、周りからいろんな目で見られてしまって。特にアイドルなんかは、若いとすごく期待されちゃうんですよね」
「…」
「でも決して期待に応えようとはせずに、自分のペースで、やりたいようにやっていけばいいんです。アイドルだって一人の人間なんですから、辛くなったらいつでも話してくださいね」
なんなら一緒に逃げてもいいですよ、と悪戯っぽく笑うヨンジェさんに、どこか安心するような、まるで親のような感覚を覚える。空っぽだった心が、少しだけ塞がった気がした。
衣装に着替え、ステージ裏で待機する。ステージでは、MCのトークが終わりつつあるころだった。
「うわー、めっちゃ緊張する!あ、そうだ、酢昆布食べて落ち着こっと…」
「なんで酢昆布持ち込んでんの⁉」
「あー、あー…ねぇカオル兄、今日僕の喉どう?」
「うん、いい声出てると思うよ。ばっちり」
それぞれが初ステージに向けて準備する中、俺はただ離れた場所で皆を見つめているだけだった。そんな俺に気づき、イユニ兄さんが駆け寄ってくる。
「どうしたのセナ。緊張してないの?」
「緊張はしてるよ。ただ…」
すごく、怖い。
そう呟くと、イユニ兄さんは少し驚いたみたいだった。視線が自然と足元に向く。
「…失敗したらどうしよう、っていう不安が消えないんだ。もし、ここで失敗したら」
「大丈夫だよ」
くしゃっと頭に手が乗る。顔を上げると、イユニ兄さんが笑っていた。
「セナなら大丈夫。あれだけ練習したんだし、何より俺たちもついてる。安心してパフォーマンスしな」
「兄さん…」
イユニ兄さんの包容力にはいつも敵わない。漠然とした不安は薄れていて、目の前が明るくなったような気がした。
「…うん、そうだね。ありがと、イユニ兄さん」
ステージに上がると、皆で考えたデザインのペンライトで客席が埋まっていた。豪華なステージセットと歓声に包まれながら、目の前のファンに手を振る。
皆、幸せそうな顔をしてる。俺達を見て、幸せになってくれている。
「―この景色が見たかったんだね、優姫」
ぽつりと呟くと、自然に笑顔が零れた。
「せーの、初めまして!僕たちは、」
「「「Firmamentです!」」」
「イユニでーす!」
「カオルです!」
「ジアンです!」
「ロウンでーっす!」
「シウでーす!」
「セナです」
歓声が上がる。カオル兄さんが一歩前に出た。
「まずは、僕たちのデビューステージに来てくれてありがとうございます!すごく緊張していますが、オーディションの時より成長した姿をみせられるよう頑張ります!沢山愛してください!」
先程より大きな歓声が上がり、拍手も聞こえてくる。MCの方達のトークに切り替わると、準備の合図があった。全員が中心に集まり、配置に付く。
会場が暗くなり、イントロが流れ出す。初めてファン達の掛け声が入る音楽は、驚くほどに踊りやすかった。
オーディションの時とは違うカメラワークに何とかついていきつつ、ロウン兄さんから教わったファンサも忘れず踊る。客席はいつ見ても、明るいペンライトと笑顔で溢れていた。
(凄い…)
言葉にできないような感情に駆られ、目の前がきらきらする。俺はここにいていいんだと、安心する。
『僕の分まで…皆を、しあわせにできるアイドルに、なってね』
―…空にいる優姫へ。
兄ちゃん、アイドルになれたよ。
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「ありがとうございましたー!」
歓声に見送られながらステージ裏へと退場する。スタッフに挨拶をしながら、6人で楽屋に戻った。
ドアを閉めると、先頭を歩いていたイユニ兄さんの足がぴたりと止まった。ジアン兄さんが「どーしたの?」と声をかけると、イユニ兄さんが突然こっちに走って来て、全員をがばっと抱きしめた。
「うわっ!」
「最っ高‼もう皆ほんと最高だった‼俺たちすごい‼最強‼大好き‼」
「ええ、急に何⁉」
ぎゅうぎゅうにされながらも、皆で互いを抱きしめ合う。ロウン兄さんが笑った。
「あっはは、そーだな!俺達すごかった!みんなすごかった!さいきょー‼」
「もう、ロウンまで…!」
「いいじゃんか!大成功だったんだし、俺すっげぇ嬉しい‼」
ロウン兄さんの明るいオーラで、カオル兄さんも「…そうだね」と笑う。ジアン兄さんも、シウ兄さんも笑っていた。
「セナぁ、お前が楽しそうで、お兄ちゃん感動したよぉ~」
「えっ、ちょ、泣いてるの兄さん…」
「だってぇ~」
泣きついてくるイユニ兄さんを受け止めながら、ふっと笑みがこぼれる。
(「楽しそう」…あの時、俺は楽しかったのか)
久しぶりの感情だったから、忘れていたのかもしれない。いつまでも泣き止まない最年長を引きずりながら、皆で笑い合った。
「疲れた…」
宿舎に帰り、ソファに身を投げる。他のメンバー達も流石に疲れたようで、それぞれが息をついた。
あの後も別のスタジオに移動し、ラジオへの出演、雑誌の表紙撮影とインタビュー映像の撮影、企業とのタイアップへ向けた打ち合わせをして今(午後8時)に至る。
「みんなお疲れ様。よく頑張ったね」
ミンジュさんがリビングに散らばる俺達を見て笑う。机に突っ伏していたシウ兄さんが顔を上げた。
「ミンジュさん、明日もこーゆースケジュールなんすか…?俺もうむり…」
「ああ、ほんとは明日も今日みたいな感じだったんだけどね。なんとか調整してもらって、明日のスケジュールは午前中で終わるようにしたから」
「神様…」
イユニ兄さんが呟く。他のメンバーも感謝の意を込めて一斉に頷いた。
「あはは。で、どうだった?初めてのステージは」
ミンジュさんに聞かれ、全員が顔を上げる。ロウン兄さんが答えた。
「なんか、すげー楽しかった。俺達アイドルなんだなって、改めて思った」
それに賛同するように、カオル兄さんが頷いた。
「僕もだよ。ファンのみんなの笑顔って、こんなに嬉しいものなんだって」
それを聞いていたミンジュさんは「そっか」と微笑み、持っていた荷物を下ろして言った。
「じゃあ今日はデビュー記念として、僕が皆の為に料理を作っちゃおうかな」
「え、まじで⁉」
「いいの⁉」
ロウン兄さんとジアン兄さんが真っ先に反応する。ミンジュさんは特別な日にだけ料理を作ってくれるが、実家が料理店とかでとても美味しいのだ。
「いいよ。何が食べたい?」
「スムージー!」
「酢昆布‼」
「スイートポテト!」
「パン!」
「君らねぇ…」
どう考えても的外れな回答をするメンバー(最年長も含む)にカオル兄さんが苦笑いする。ミンジュさんは軽く笑い、「今日だけね」とオッケーを出した。
「「「「やったー!」」」」
「えぇ…」
「セナとカオルは?」
ミンジュさんが俺達の方を向く。俺達は顔を見合わせ、同時に言った。
「「じゃあゼリーで」」
「一番だめだわ!」
シウ兄さんがツッコんで、皆で笑う。「シウも似たようなもんでしょ」とカオル兄さんが反論して、また笑う。そんな普通の日常も、俺にとっては特別なものだった。
アイドルはデビューしてからが一番辛いと、先輩グループの人が言っていた。でも、俺はやってみせる。託された夢を叶える為に。
―弟への、贖罪の為に。
―裏話―
カオルとセナのヘアメイク担当のヨンジェさんは、イユニが事務所に頼んで直接指名してもらいました。
不安定な二人にとって、包容力のあるヨンジェさんを傍に置いておくことで少しでも安心してくれたらいいなというイユニの気遣いです。