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    「おやすみ、」
    
    
    
     『ひなぁ』
 「どしたの、|未海《みみ》」
 『まだ起きてる?』
 「返事したじゃんw」
 私は携帯から聞こえる、眠そうな声に苦笑した。未海も確かに、と言って笑う。一人きりの部屋に二人分の笑い声が咲いた。
 私と未海は同じ高校に通うクラスメートだ。お互い一人暮らしということもあって、毎晩寝落ち通話をしている。と言っても二人とも不眠症なので結局明け方まで話している。今だってもう午前4時だ。きっと5時までこうしているのだろうな、と比奈は思った。
 『ねぇ…比奈…』
 「なぁに」
 『昨日ね、親に言ったの……バイセクシュアルのこと』
 未海は|両性愛者《バイセクシュアル》だ。バイセクシュアルとは男性と女性の両性に対して恋愛感情を抱き、性的に惹かれる性的指向のことを指す。
 友達になり暫くした頃、未海はこのことを教えてくれた。親が同性との恋愛を認めてくれなかったから一人暮らしを始めたことも。
 『そしたらね、烈火みたいに怒っちゃってさ。もう家帰ってくるな、だって』
 「……それは」
 『もうさ、笑っちゃうよね。なんで娘がバイセクシュアルだったら家に帰っちゃいけないのかな。意味不明じゃん。理不尽じゃん』
 そう言って未海は笑った。笑いながら、声は涙で震えていた。喉の奥で、悲しみと怒りと失望が揺らいでいた。そういう声だった。
 「大丈夫だよ、未海は悪くないよ。」
 私がそっと呟くと、未海は耐えきれなくなったのか小さな声で啜り泣きを始めた。しかし段々と声が大きくなり、やがてうわああんと子供のように鳴き始めた。
 自分から進んで家を出たとはいえ、やはり家族だ。自分の気持ちを、感情を認めてほしいという思いはあっただろう。だからこそ本当は隠したい事実を話した。しかし実際は、認められるどころか家の敷居をまたぐことさえ出来なくなった。その悲しみは私では測りようもなかった。
 私は未海の頭を撫でられない。ぎゅっと抱きしめてあげることもできない。ただ電話越しに、未海が落ち着くのを待った。出来るだけ寄り添えるように、電話を耳に近づけていた。
 『私…一生こうなのかなぁ、皆から変って言われて、避けられるのかなぁ』
 「そんなことない。皆いなくなっても、私だけはいるから。絶対、傍にいる。」
 『……有難う……比奈……』
 暫く涙声が続いていたが、そのうち泣きつかれたのか寝息が聞こえてきた。
 きっと未海は今まで大変だったのだろう。周囲から嫌悪の目で見られ、ある者は上っ面だけの軽い同情さえ見せる。家族にさえ自分の気持ちを分かってもらえず、誰にも自分の本音を話せなくなる。
そういう気持ちは、よく分かる。
 私も《《同じだから》》。
 きっと未海はこれからも苦難の連続だろう。死にたいと思うことが何度もあるだろう。それでも、今電話越しに聞こえる未海の寝息はとても穏やかだった。
 せめて、今だけでも安らかな時間を。
 「おやすみ、未海」