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1 その左手は恋を聴く。
「君は、私の左手が怖くないのか?」
震える手にそっと触れる。
私は何度だって、いつだって、この手をとる。
「怖くなんてない。私はこの手を、絶対に離しません」
ただ好きな人に、愛する人に触れるだけ。
1 その左手は恐ろしい
「おいアシュリー!」
身を震わせる。
寝不足の頭に響いた怒声がずっと離れない。
「申し訳ございません……すぐにお食事の準備を致します」
ふんっと鼻を鳴らし、自室に戻って行った。
私はシェナル伯爵家のメイド、ではなく、次女のアシュリー・シェナル。
母イヴェッタが病死してから経営が上手くいかず、父は私に当たるようになった。
まともな食事も与えられず、誰も手を差し伸べてくれない。ここに、私の居場所はない。
でも、私はここを出る勇気も、その後のことを考える想像力も、自分の手で何かできる自信も術もない。
怒られないよう、言われたことをできるように、努力して怒鳴られる日々。
灯りのない暗くて狭い倉庫が、私に与えられた部屋。
小さな窓から差し込む月明かりだけが、私に光を見せてくれる。
「やっと寝られるわ……」
夢だけでも良いから、幸せになりたい。
願いながら、私は瞼を下ろす。
〜〜〜
「なにをしているんだ?」
暖かな空気と、柔らかい草花。
お母様が大人の話をしている間、ここで遊んでいなさい、と言われた。
なんだか難しそうな話をしていて、私にはよく分からない。話が終わった後のお母様はいつも少し疲れた顔をしている。
戻ってきたお母様に、花冠をプレゼントしようと一生懸命白詰草を集めていた。
「花冠をつくっているの。一緒につくる?」
訊くと、男の子はこくりと頷いて、一緒に白詰草を集めてくれた。
男の子の胸下まである髪は、リボンで結ってある。それが、時々ふわりと揺れる。
「こうやってつくるのよ」
覚えてたての花冠の作り方を、私は自慢げに披露した。
できた花冠を、壊さないように、潰れないように、両手で優しく持つ。
「これね、お母様にあげるの」
「そうか。きっと喜んでくれるよ」
「あなたのは誰にあげるの?」
男の子のつくった花冠は、丁寧で美しかった。もらったら、とっても嬉しいだろうな。
「……これは、君に。花冠をつくったのは初めてだ、楽しかったよ」
私の頭にそれをふわっと乗せ、満足げに頷いた。
「うん、似合う。お姫様、名前は?」
「アシュリー! あなたは……」
男の子を名前を訊こうとしたところで、お話が終わったお母様に名前を呼ばれた。
ワンピースの端を持ち上げ、礼だけして私はその場を去った。
「アシュリー……また会おう」
何か言われた気がするけど、よく聞こえなかった。
〜〜〜
「……っ」
目覚めると、お花畑ではなく、見慣れた倉庫にいた。
最近よく夢に見るあの光景は、幼少期のもの。
夢では靄がかかっていて、男の子の顔も分からない。
せめてお名前だけでも分かっていたら……。
あの時もらった花冠は、私が大事にしているのを見て、枯れる前にお母様が押し花にしてくださった。
辛くなったとき、たまに眺めている。
もう一度、あの方にお会いしたい。また一緒に花冠をつくって……
「朝食の準備をしないと」
お父様とお姉様を起こさないように、朝食の準備と掃除をするのが私の朝。
「アシュリー、お前宛に婚約の話が来ているぞ」
いつの間にか起きていたお父様から渡されたのは、乱暴に封を開けた形跡のある手紙だった。
封筒に書かれた送り主の名前は、
「ジェス・フォルジェ公爵……?」
公爵家の方が、どうして私に求婚なんて……
「お前がいなくなって清々するな。おいアシュリー、何をぼさっとしてる! 早く返事の手紙を出せい!」
驚きで固まっていた体を動かし、返事の手紙を書く。
ここから出られる、解放される喜びがあったはずなのに、どうしてか、すごく怖い。
他に、もっと良いご令嬢なんてたくさんいるというのに、わざわざ私に求婚するということは、私は向こうでもきっと、ここでのような扱いを受けるのでしょう。
『喜んで、お受けいたします。』
その文字を綴った時、なぜか大粒の涙が溢れた。
光のない、暗くて狭い静かな倉庫で、私は一人、声を殺して泣いていた。
〜〜〜
王都からの迎えの馬車が来たのは、それから一週間後。父と姉の見送りなんて勿論なく、私は少ない荷物を持って家を出た。
「……すみません、少し寄りたいところがありまして」
もっとゆっくりと来て、ゆっくりとお話がしたかったけれど、この一週間は忙しくて、息が詰まりそうで、とてもそれができる状態じゃなかった。
お母様のお墓。辛いとき、よく来ていた。ここに来て、今日あったことを話せば、前みたいに二人で話している気分になった。返事が、笑い声が、聞こえてくる気がして。
「お母様。私ね、結婚するの。お顔も、知らない方と…………でも、きっと良い方よね。お会いする前から決めつけちゃ駄目だわ。お母様みたいに、しっかりした人になれるように、頑張るね。どうか、見守っていて」
行ってらっしゃい。昔聞いた母の言葉が、聞こえた気がした。
「……行ってきます」
馬車に揺られ、私は王都へ向かう。
ジェス・フォルジェ公爵様、社交会に出たことのない私は噂程度の情報しか知らない。どのような方なのか、何も分からない。
一つだけ、聞いたことがあるのは……
「いいえ、噂で人を決めつけては駄目よ、アシュリー」
そう自分に言い聞かせる。ちゃんと、自分の目で確かめないと。
王都までは、馬車で二日。途中でご飯や着替えなどのために降りるから、もう少しかかる。
道が長ければ長いほど、不安になる時間も増える。出してもらうご飯も、美味しそうだけれどあまり喉を通らない。ご飯が食べられることは、素晴らしいことなのに。
「アシュリー様、もうすぐ到着ですよ」
疲れていつの間にか眠っていた時、御者が言った。
馬車の窓のカーテンを開けると、お昼の温かい日差しが差した。
「……わぁ」
白い石造りのお城は輝いていて、菜園も美しい。
さっきまでの緊張が、一気に解けた。
城から出てきたメイドが私に一礼をし、こう名乗った。
「アシュリー・フォルジェ様。お待ちしておりました、長旅お疲れ様です。私は、侍女のミース・ルメールと申します」
所作が綺麗、フリルのついたスカートがふわりと揺れた。
「……お荷物、お預かりします。ジェス様はお仕事が長引いているそうで、まだお帰りになられていません。部屋まで案内しますので、それまでそちらでお待ちになってください」
まだ、お会いできないのね……。
「分かったわ」
ミースは、私の軽い少ない荷物を運んでくれた。
お城の使用人たちに挨拶をしつつ、案内された部屋のソファに腰掛ける。柔らかくて、包まれているような感覚がした。
「紅茶はお好きですか」
「えぇ、大好きよ」
ミースは優しく微笑んで、温かい紅茶を淹れてくれた。
香りの甘さと紅茶の軽やかなコクがほどよく調和し、心をふっとゆるめてくれる。
「アシュリー様、ジェス様がお見えになったようです。私はお迎えに上がりますので、少々お待ちください」
ミースが部屋から出て行って、私は広い部屋に一人。ミースの優しさと紅茶のおかげで少し楽になったけれど、ずっと心臓の音が煩い。
いろんな考えが頭を巡っていると、ドアがノックされた。
「はいっ」
私は立ち上がって、ゆっくりを開いていくドアを見つめていた。
「……君が…………」
吸い込まれそうな、海のように深い、青い瞳。ロウのように半透明の白い髪は、サイドで一つに結ってある。
騎士団のきっちりとした服から除く白い肌。
そして……左手を覆う、真っ黒な手袋。
「初めまして、本日はお会いできて嬉しいです」
私の挨拶に、一瞬ジェス様が反応した気がしたけれど、すぐに表情は戻り、ソファを指差した。
「少し話をしよう、そこに座ってくれ」
さっき座っていたソファにもう一度座り、ジェス様も向かいに腰掛けた。
そして、私の目を見て話してくれた。
「私の左手は、触れたの者の心が読めてしまうんだ」
ジェス様は辛そうな表情で、自分の左手を見つめている。
聞いたことがある。希少な魔法で、一定量の魔力がある人にしか使えない、扱うのが難しい【読心魔法】。触れると聴こえる、目を合わせると聴こえる、読心魔法の中にも様々な種類がある。
「このように手袋をしていれば、触れても問題はない。しかし、君も、この左手を恐ろしいと思うのなら…………」
読心魔法は、辛い魔法だ。
聴きたくない人の内側まで、聴こえてしまう。それが原因で恐れられて、そうやって手袋をしている。
きっと、ずっと、しんどかっただろうなぁ。
「貴方は、私に触れるのが怖いですか?」
気付けば、私はそう聞いていた。
ジェス様は驚いた顔で、私を見つめた。
「…………怖くない、と言えば嘘になるか。これをしていれば聴こえないと分かっていても、どうしても私の手は臆病だ。」
ジェス様の手をとった。震えていた。冷たかった。
「聴こえますか?」
「……いいや」
「私は、貴方も、貴方の左手も、恐ろしくなんかない」
驚いた顔、泣きそうな顔、困った顔、嬉しそうな顔、いろんな顔をしてから、ジェス様はゆっくりと私の手を握ってくれた。
「君の手は、温かいな」
しばらくして、ジェス様が私の手を離した。
「君は私の妻となる。式は三ヶ月後、好きに過ごしてもらって構わない。何か欲しいものがあれば、遠慮なく言うこと。ミース、部屋へ」
改めて言葉にされて、やっと実感ができた。
「アシュリー様、お部屋へご案内いたします」
ジェス様に会釈をして、ミースと部屋を出る。
すれ違うとき、ゆっくり休んで、と言ってくださった。
とっても、温かい、優しい人。
「アシュリー様には、今日からこのお部屋で過ごしていただきます。何か足らないものがあればお申し付けください」
ミースがそう言って見せてくれたお部屋は、私がつい最近まで暮らしていた倉庫とは比べ物にならないくらいに広くて、綺麗で素敵なお部屋。
「私、ここで過ごすの……?」
「はい、そうですよ」
聞き返した私に、ミースは冷静に言葉を返す。
預かっていてくれた荷物を受け取って、机に置く。
「夕食の時間になったら、また呼びにきますので、それまで自由にお過ごしください。何かあれば、廊下にいる使用人に声を掛けてください」
ぱたん、ミースは扉をゆっくりと閉めた。
また一人になった私は、しばらく部屋を見渡していた。
「本当に良いのかしら…………」
広い部屋はやっぱり落ち着かない。気を張っていて疲れたから、夕食まで少し眠ろう。
私には勿体無いくらい大きいベッドに入ると、すぐに眠くなる。
また、夢を見ていたかもしれない。
「アシュリー様、夕食のお時間です」
目が覚めたとき、丁度ミースが部屋に来てくれた。
「ありがとう、今行くわ」
ミースと一緒に食堂へ行くと、既にジェス様が座っていた。
「すみません、お待たせしました……」
「……座って」
手招きされて、またジェス様の向かいに座る。
すると、テーブルが埋まるほどのたくさんのお料理が運ばれてきた。
「嫌いなものがあったら言ってくれ」
王都の方って、いつもこんな量の食事を摂っているのかしら。
色鮮やかなお料理、美味しそうな香りが食欲を唆る。苦手なものも、好きなものもあまり分からないから、ジェス様がお好きだというお料理を頂いた。
手を合わせて、口に運ぶ。
柔らかいお肉は、噛むたび口いっぱいに幸せが広がる。
「……気に入ってくれたみたいでよかった」
ジェス様は私を見て優しく微笑んでくれた。
こんなに温かい食卓なんて久しぶりで、忘れていた。誰かと食べるご飯は、こんなに美味しいのね。
「これも私の好きなものなんだ」
「ごめんなさい、食べたいのは山々なのですが……お腹がいっぱいで」
「まだ、それしか食べていないだろう。体調が悪いのか」
ジェス様がすごく心配してくださっている。美味しいし、ジェス様が好きなものを知りたい。それに食材も勿体無い。でも、普段あまり食べていなかったせいで、これ以上は食べられない。
「いえ……えっと、いつもそんなに食べないので…………すみません」
ジェス様に、悲しそうなお顔をさせてしまった。
「……そうか、謝ることはない。これはまた明日にでも食べようか」
少し困った顔のまま、ジェス様はそう言ってくれた。
その後、驚くほどに広いお風呂で温まって、私は眠りについた。
「ミース、アシュリーは?」
紅茶を淹れてくれているミースに訊く。
「先ほど眠られました。お疲れなのでしょう」
いつもそんなに食べない、と言っていたか。遠慮しているというわけではなさそうだった。あまり好きな料理ではなかったか、味が好みではなかったか。
「ジェス様、手を動かしてください。その報告書、明日の会議で必要なのでしょう」
アシュリーの様子を見に行きたいが、今日は書斎から離れられそうにない。彼女のことが心配で仕事も手に付かないというのに。
「はぁ…………やっぱり、アシュリーは私のことを覚えていないようだった」
〜〜〜
「ジェス、お母さんたちは大人の話があるから、良い子にして待っていてくれる?」
12歳のとき。
日差しも、風も暖かい、心地の良い春の日だった。
中庭に、地面をじっと見つめる女の子がいるのが目に入った。
母上に言われた通り、ここで良い子にして待っていなくちゃいけない。勝手に動いてはいけない。……私の左手で、あの子を怖がらせてはいけない。
そう思うのに、私は気付けば彼女に声を掛けていた。
「なにをしているんだ?」
女の子は大事そうに両手で白詰草をぎゅっと握りながら、私に笑いかけた。
「花冠をつくっているの。一緒につくる?」
彼女と一緒に、白詰草を集めた。
時々、彼女を盗み見た。
春の風に撫でられ、ふわりと揺れる綺麗な髪。優しい、桃色の瞳。綺麗に上がる広角。
美しい、心の底からそう思った。
「こうやってつくるのよ」
つくったことがないと告げると、彼女は何だか嬉しそうに、自慢げに作り方を披露してくれた。
「ねえ、どうして手袋をしてるの? 寒い?」
彼女の説明通り、私が花冠をつくろうとしたとき、彼女から投げられた質問。
「……寒くないよ。この手袋は、僕を守ってくれる壁なんだ。これがあれば、聴こえないから」
彼女は、この左手を知らないのか。
なら余計、怖がらせては駄目だ。
「?」
分かっていないらしい彼女は、首を傾げた。
誤魔化すように、私は笑った。
「これね、お母様にあげるの」
できた花冠を、彼女は大事そうに持った。
「そうか。きっと喜んでくれるよ」
彼女は嬉しそうに笑った。
「あなたのは誰にあげるの?」
「……これは、君に。花冠をつくったのは初めてだ、楽しかったよ」
彼女の頭にそれをふわっと乗せた。
「うん、似合う。お姫様、名前は?」
「アシュリー! あなたは……」
私が名乗ろうとしたとき、女性の声がアシュリーを呼んだ。
アシュリーは、礼をして嬉そうに走っていった。
「アシュリー……また会おう」
彼女には、届かなかった。
遠くで花冠を渡して、頭を撫でてもらっている彼女を見ていた。
〜〜〜
初めまして、彼女は今日会ったときそう言った。
当然だ。小さい頃の出来事なのだから。そんなのは分かっていたはずなのに、どこか期待している自分もいたらしい。
「彼女は、私がこの手で幸せにする」
「……ジェス様、素晴らしい宣言ですが、早く報告書を進めた方がよろしいかと」
ミースは呆れたように言った。
「声に出ていたか」
そう言うと、私に聞かせるためのため息を吐いた。
でもいつか、思い出してくれたら――。
読んでくださってありがとうございます。【その左手は恋を聴く。】、1話は如何だったでしょうか?
リクエストをくださった方、私に異世界ものを書くチャンスを与えてくださってありがとうございます!!そして大変お待たせしました……!!!
それから、日記での進捗報告などに応援コメントをくださった方々もありがとうございます。いつも見てにやにや……じゃない、嬉しくなっています🎶
もし良ければ応援コメント・ファンレターで感想など送っていただけるととっても嬉しいです!!
短くてもすんごく長くても、愛のある文章でしたら何でも喜んで受け止めます!!!
最後にお名前などを書いてくださったら、もしかしたらお返しできるかもしれません。
異世界ものど初心者ですので、文中で「おかしいぞ!!」などのミスがありましたら、優しくご指摘くだされば幸いです…!!!
2話もお楽しみに!
🌷┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
白詰草の花言葉 … 「私を思って」「約束」「幸運」