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鳩の国 3話
波の音が、絶え間なく暗闇に響いている。
アステリを離れ、一行は海沿いの断崖に近い場所で夜を明かすことにした。
焚き火の爆ぜる音だけが、重苦しい沈黙を繋ぎ止めている。
「……あーあ、腹減ったなあ。お姫様、何か作ってくんない?」
ウノがいつもの軽い調子でスターに声をかける。
スターは力なく首を振った。
「ごめんなさい、今はそんな気分じゃ……」
「冗談だよ。ほら、ディア。あんたの番だろ」
「はいはい、わかってるわよ」
ディアが手際よく食事の準備を始める。
その輪から少し離れた場所で、ロージーは膝を抱え、ただじっと海を見つめていた。
ウノがそんな彼女の様子を伺い、ふらりと近づく。
「……なあ、ロージー。そんなに固まってると、体に毒だぜ? 少しは——」
ウノがその肩に手を伸ばしかけた瞬間、ロージーはその手を叩く。
ロージーの鋭い拒絶が、夜の空気を切り裂いた。
その拍子に、彼女の顔を覆っていた長い前髪がわずかに揺れる。
火に照らされたその奥に、痛々しく走る大きな傷跡が、一瞬だけスターの目に映った。
「……ちっ、相変わらずだな。寝るよ」
ウノは面白くなさそうに鼻を鳴らし、少し離れた場所で横になった。
ディアもそれを見届け、スターに優しく毛布をかけると、深い眠りについていった。
夜が深まり、焚き火が小さくなった頃、スターは眠れずに体を起こした。
そこには、変わらず海を見つめ続けるロージーの背中があった。
「……ロージー」
スターが小さく声をかけると、ロージーは振り返らずに答えた。
「……なぜ起きてるの」
「あの、さっきの傷……。ウノと、何かあったの?」
ロージーは長い沈黙の後、ゆっくりと髪をかき上げた。
右目を縦に貫く、隠しようのない深い傷跡。
「……昔の話。私は、親に無理やりバーで歌わされていた。客の相手も、歌も、全部反吐が出るほど嫌いだった」
彼女の声は、凪いだ海のように静かだった。
「それをあいつ……ウノが見つけて、『助けてやる』と言い出した。私を連れ出そうとしたわ。でも、私は断った。逃げたところで、親に見つかればもっと酷い目に遭う……。絶望しか、なかったから」
ロージーの指が、傷跡をなぞる。
「私が拒絶した時、ウノは逆上した。『せっかく救ってやろうとしているのに、恩知らずな女だ』って。彼は正義を盾にして、私を力ずくで従わせようとした。……この傷は、その時に彼がつけたものなの。」
スターは息を呑んだ。
「……誰も信じない方がいい。この世界は、それほど綺麗じゃない」
ロージーはそう言うと、再び前髪を深く下ろした。
スターは自分の指輪を見つめた。
緑の光線は、変わらず闇の先を指している。
「……それでも私はみんなを信じる」
ロージーは何も言わなかった。 遠くで、ウノの寝息だけが虚しく響いていた。