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2話
言命
足を進めて数分後。しばらく工業地区の奥へ入り続けると、おもむろに緑色は振り向いた。住宅街に比べると比較的薄暗く、湿気た空気の立ち込めた、なんとも陰気臭い場所だった。
「コノヘンノハズ」
「へー」
着いたのは、廃工場の前だった。探せばいくらでもあるような、使われなくなった工場だ。床に散乱する何かの破片やワイヤー。倒れたタンクから溢れる、濁った茶色の乾ききった液体。何に使うかも分からない巨大な工具。誰かの泊まった形跡として、古びた缶が捨てられていた。それらを拾おうと近づくと、崩れて吹き抜けになったらしい天井から、真上の二階が見える。
「人気は無いな…。みどりくん、上行こうか」
そう声をかけるが、緑色は一点を見つめて動かない。
「…どしたの?」
「………」
袖に隠れたままの指で、埃と共に詰まれた缶の山を指さす。そこにあったのは。
「なにこれ、瓶?」
らっだぁは、ラベルのない半透明の瓶を手に取る。持ち上げると、僅かに残った濁った液体が揺れ、微かにツンと医薬品臭い匂いが鼻を刺す。まだ乾いてない。
「…つい最近までここにいたっぽいわ。また帰ってくるかも」
他にめぼしいものはないかと、缶の山に手を伸ばそうとしたとき、工場の外から足音が聞こえた。青鬼の超人的な聴覚が捉えたのは、冷たいコンクリに響く風音に、一つ混じった軽い足音。
「みどり…!来たっぽいから隠れよ…!」
「?……ン!」
なぜ分かるのかと不思議そうな表情をしながらも、信頼の眼差しで緑色は頷いた。隠れ場所を探そうと辺りを見回す。一番いいのは開いた天井から二階に隠れることだけどな、ここで跳躍したら色々…などと考えていると、息の詰まる感覚と同時に、ふわりと地面から足が離れた。驚いて上を見ると、緑色がマフラーを掴み涼しい顔で飛んでいた。他にもっと持つとこあっただろ、せめて何か言ってからにしろという意志を込めて睨むらっだぁをお構いなしに、淡々と二階へ運ぶ緑色。数秒後、再び二階で地に足が着いたときと同時に、錆びた金属製の扉が重々しい音を立てて開いた。
「……はぁ~」
現れるは、茶髪に信号機色のメッシュが入った男。広い廃工場にやや高い声が反響する。
「…あれ、…なんか荒れてね?誰か入ったか…?おーい!」
段々と上がる心臓の拍。男は注意深く周囲を見つめている。このままだと、居場所が見つかるのは時間の問題だろう。らっだぁは男が背を見せた隙を狙い、緑色に目配せする。それを合図に、らっだぁと緑色は2階から飛び降りた。緑色は後方に退き、らっだぁは手に握った斧を首めがけて振るう、が。
「やっぱいんじゃん…」
「…っ!」
男は振り返ると、すんでのところで刃を避ける。そして、腰に刺していた鈍色の剣を手に、らっだぁの斧を凪払った。
「誰だか知らないけど…敵みてぇだな」
「まーね」
相手の剣の切っ先が素早く空を切る。戦闘慣れしたらっだぁだったが、案外相手もいい筋のようだった。風切り音と共に、鋭利な刃が青いカーディガンの長い袖をかすめた。と、思えば刃は90度回転し、腕を両断せんと迎い来る。革靴で回し蹴りをお見舞いし、体ごと相手を弾き飛ばすらっだぁ。
「やるねぇ」
攻守交代。おもむろに地面を蹴り上げると、らっだぁは男を飛び越える。冷えた空気が頬をなで、風の音がいやに響いた。そして、対岸の地に足が着くのも待たず、宙に浮いたまま、背後から男の頭部へ切りかかった。かすめた斧が鮮やかな血をかっさらう。が、かち割ったのは男の頭蓋ではなく、その剣と左手首だった。卓越した反射速度で振り返り、斧を受け止めた剣の刃からは火花が散り、金属音だけが廃工場内にこだました。一旦距離を取ると、再び男は斬撃を繰り出す。しかし、ふとらっだぁはその剣捌きに違和感を覚える。どこかぎこちないのだ。戦闘慣れしてない故のものではなく、まるで何か躊躇するようなぎこちなさ。よくよく見れば、男の剣先は当たる寸前で軌道をずらし、深い傷を避けるよう動いているように見える。
(なんだ…?殺しが怖いのか?)
らっだぁは表情一つ変えず斧を振るう。振るう。小心者なら好都合。こんな、腐敗物を煮詰めたような薄汚れた地下街で、敵に情けをかけるほどの余裕などどこにもなかった。誰もがその日の食いぶちを稼ぐのに必死で、呑気なやつから順に路肩の死体に成り下がる。慈悲をかけたところで今日の腹の足しにはならない。何も変わらず変えられず、全てが終わるいつかのときまで、己の幸福を血と汗にまみれて必死に守って生きていく。そんな世界だ。致命傷には届かねど、じりじりと追い詰めていたらっだぁの斧が男の首をかすめたときだった。一瞬、男が焦燥の表情を浮かべる。握られた剣の切っ先が鈍く光を反射する。そして、男の剣先はらっだぁの額に触れた。一瞬の出来事だった。剣の方が斧より動かしやすいとはいえ、先程までは手加減していたのだとわかる速度の変化だ。らっだぁの開いた瞳孔はその一連の動きを鮮明に捉えるが、体はそれに追いつかなかった。
(やっべ…!これは致命傷になりうる)
自身の群青の瞳が反射する、刃の切っ先に目を見開いたその刹那。鈍い音が鳴ると同時に、男が横に崩れる。そして、その背後から小さな影が姿を表した。緑の魔女帽子。緑色だ。
「どっ、え?」
驚くらっだぁを差し置いて、体制を立て直した男が再び緑色に剣を振り上げる。が、緑色はまるで剣に弾き出されているかのように軽やかに避けると、焦る様子もなく手に持った鉄パイプで相手の喉を突く。無駄の無い動きだった。弧を描く鮮やかな赤い飛沫。倒れる男。廃工場に再び静けさが戻った。
「みどり…?」
「ン?」
「どしたの…?」
「ンー…オレツヨイ!」
返り血が目立つ、白いローブに覆われた両手を挙げる。余裕のない状況下での奇襲だったとはいえ、あの男を数秒で仕留めた緑色の、その洗練された体術には目を見張るものがあった。らっだぁと同格、あるいはそれ以上。
「青鬼も死ぬの?」
「生命力は強いけど、そりゃあ死ぬときは死ぬ」
「フーン」
「普通に助かったわ。ナイスみどり!」
「任セロ!」
「よし。じゃああとは首を切り落として…」
そのとき、再び緑色の袖が目に入る。男の返り血だ。緑色の袖に付着した黄色の返り血は、半透明の体からゆっくり透け落ちていく。
(ん?黄色?)
ふと違和感に気付く。返り血の色は、前みたときは確実に赤だった。しかしそれも、今になって思えば鮮やか過ぎるものだった。呆然と眺めていると、黄色はやがて青へと変色していく。人の血液は赤色。反してこの血液は、彼の髪色と同じく、信号機色。
「…みどり」
「いってぇ~!」
らっだぁが何か言いかけたときだった。案の定、男はふらふらと立ち上がる。
「…殺さなかった?みどり」
「…ウウン。ちゃんと首を折った」
「じゃあ…」
「なーんだ、人外かよ。気ぃ遣って損した」
首にはやはり、黄色と青のグラデーションがかった血液が付着しているが、傷跡はさっきよりも閉じている。
「お前…何?」
「俺の名前?"みこだよ"。首くらいはすぐに治癒するから。残念だったな!」
この世界の魔法には、傷や病を治癒する治癒魔法というのも、かなり希少ながら存在する。しかし、治癒魔法には覚醒した意識が必要である。もし緑色に首を突かれる前、意識を失う前に治癒魔法をかけたとしても、意識を失った瞬間に魔法は途切れる。つまり、この男の場合自然治癒である。人間の生命力では、当然ない。
「お前も人外かよ…」
「さて。今度こそもう逃げ場は無いか…。……できれば、ひとは殺したくなかったんだけどなぁ…」
みこだよは何か決心するような面持ちで懐に手を入れ、一瞬にして手に銃を滑らす。こなれた手つきで取り出されたそれは、黒光りする短銃だった。銃とは比較的高価な武器で、らっだぁも一度盗まれて以来買っていない。しばらくの沈黙の後に、みこだよはゆっくりと、短銃を重たげに持ち上げ目線を上げる。重厚な金属音と薄い硝煙の匂い。空気が静かに変化する。水色の瞳は拒絶に揺れているが、その銃口はらっだぁを捉えて離さなかった。銃身も構えも、一切のブレがない。このみこだよという男は、ただの銃使いではないようだった。こんな遮蔽物のない場所、こんな至近距離ではこっちが圧倒的に不利だ。こいつに斧を振り上げた瞬間、脳天が貫かれると、本能的に察する。青鬼の脚力を惜しみなく出したところで、どこまで通用するかも怪しい。
「来いよ!自分の命の方が可愛いからな、今度は手加減抜きだ!どうせ本部のやつらかなんかだろ?同じく人外の癖して、人外を処刑しにきた」
本部。それは、この球体の地下街の中央にあるらしい、巨大な施設のことを指す。言えば、地下街を支配する場所である。らっだぁは低く、声を抑えて言った。
「違う。お前が区長だとかお偉いさんをほいほい殺すから、賞金出てんの。俺は賞金稼ぎ。本部の審査が俺みたいな人外通すほどザルなわけないじゃん」
少し迷うが、情報を開示することにしたらっだぁに、みこだよは表情を固める。そして、怪訝そうに言った。
「……は?俺、区長なんて殺したことないけど」
「え?」
束の間の沈黙。思わず緑色の方を見るらっだぁ。だが、すぐみこだよに向き直る。
「うそ」
「え?いや。嘘じゃないよ!なんなら人殺しなんてしたことねぇよ!」
少し不満げに眉を寄せ、怒気をはらむその声に、らっだぁと緑色は顔を見合わせた。少し考えた後、信憑性に足ると判断したらっだぁが口を開く。
「うっそぉ…なるほどねー…。え?んじゃ、人違いってこと?」
「…確かに、コイツジャナカッタキガスル」
「お、おぉい!!ふざけんなよ!ここまできて人違いでしたって!?」
みこだよの怒鳴り声が飛んだそのとき、玄関近くで誰かの足音がする。ただ一人その音に気付いたらっだぁが目線を寄越すと、それからしばらく経って扉に重い音が響いた。
「みこだよ大丈夫か!?」
あんなにも重かった扉が勢いよく開かれる。出てきたのは、長身で粗暴な外見の男だった。縦長の瞳孔と、耳まで裂けた口から覗くサメのような鋭利な歯。パーカーの下からは硬質な尻尾が見える。一見して人外だと分かる容姿だ。
「combex!」
「おいお前ら!誰だか知らないが2v1かよ、キモいんだけど!」
みこだよがらっだぁに銃をつきつけている現状を見て、combexと呼ばれた男は懐に潜ませていたナイフを握る。低く響く声が殺気に満ちる。と、みこだよが急いで銃を下ろし、声を上げた。
「待ってこんべ!この人らも人外で、そんで多分敵じゃない!」
「マジでぇ?そんないるもんなの?人外って」
「…俺らもそう思ってたよ」
ため息をつき、抵抗の意志がないことを示すように手のひらを見せるらっだぁ。
「この人ら、なんかここに住んでた殺人鬼を探してるって」
「はあ?殺人鬼なんてそこら中にうじゃうじゃいるだろぉ!?…あぁ!そういやなんかいたな!」
まくしたてるように喋ったのち、combexと呼ばれた男は再び外へと消える。うろたえる緑色と呆れた表情のみこだよを後に、らっだぁはcombexの後を追う。工場の周囲を壁に沿って歩き、建物間の隙間へと進んだ。combexを先陣に、パイプ管をかき分けていくと、やがて二人は立ち止まった。
「こいつだよ。俺のナイフでくたばりやがった」
現れたのは死体だった。ほとんど傷んでおらず、おそらく死後そんな経っていないのだろう。肩をすくめるcombex。顔をしかめるみこだよと、興味なさげに宙を泳ぐ緑色。
「やっぱ人違いじゃん!ちょっと、責任とってもらえますぅ?」
「こらみどり!」
「ヒィン!」
神速の責任転嫁を済ませるらっだぁに、緑色は素直にしょぼくれる。聞いていた特徴から、ターゲットに間違いない。速やかに狩った証の首を穫ると、combexが口を開いた。
「…んで、さようならってわけにもいかない。俺はcombex。怪獣みたいなかんじ。みこだよはなんか生命力の化け物。んで、お前らは?」
そう言い、combexはらっだぁ達を指さす。
「俺はらっだぁ。青鬼っていう人外。で、こっちのゴーストがー…自己紹介できる?」
「………」
「緑色。その辺浮いてたのを見つけた」
らっだぁの後ろに隠れ、最早一言も発さない緑色に変わり挨拶をするらっだぁ。
「ここを根城にしてたっていう区長殺しのために賞金稼ぎに来たんだけど…」
「ははは!そんで勘違いしてみこだよが。まあ何にせよ命広いしたな。ひよったみこだよに感謝しな!」
「おい!」
「やっぱりすごいやつなの?」
らっだぁの問いに、combexは鼻を鳴らした。
「こいつ銃のプロだよ。エイムだけは誰にも負けねぇ」
まさかそんな奴だったなんてと、内心冷や汗をかくらっだぁ。こいつは極力敵に回したくないと、速やかに話題の変換を謀る。赤黒く錆びた交差するパイプをくぐり抜け、再び表側へと足を進めた。
「そういえば、二人はどういう関係なの?人外ってそんないるもんなの?」
その質問に、わざとらしく両手で顔を覆い、みこだよの腕にしがみつくcombex。
「そりゃあお前…!ハレンチだわぁ」
「おいふざけんなよcombex」
「あぁんっ!」
いかがわしい声を出すcombexに、みこだよは容赦なく拳をお見舞いした。なんだかんだ仲がいいのだろう。豪快に笑うcombex。お構いなしにと、みこだよは語る。
「人外のたまり場があるんだよ。俺たちはそこで出会った。まあ、一生そこにいるわけにもいかなかったし。利害一致って感じで、一緒に動くようになったの」
「人外の溜まり場?」
「うん。場所教えるよ。しょぼすけっていう、助けてくれる人がいるからさ。らっだぁたちも困ったらいきなよ。絶対に人外以外に言うなよ」
そう、声を潜めて言った。廃工場の表出入り口、二人は足を止める。
「じゃあ、俺たちはこの辺で」
「もう会うことはないかも知れないけど、…またな!らっだぁ、みどりくん!」
combexが勢いよく手を振る。みこだよも名残惜しそうに笑う。
「うん」
「…ン」
短く別れを告げ、らっだぁと緑色は帰路に着いた。排気口から流れる油くさく重たい風が赤いマフラーをなびかせる。爽やかな別れとは程遠い。こんな排気ガス臭い別れでは、きっと感動的な再会など果たせない。でも、きっとそれでいい。こんな腐りきった世の中で、また会うときも、どうか元気で。蛍光灯は明るく道を照らしていた。