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友へ仄暗し
ごとん、がたん、ごとん。
地平線までのびる緑々の大地が、風に揺られて引っ張られ、車が揺れる度に景色が歪んでいく。煙草の残り香が鼻につく車内には蝉の声が木霊して、カーナビの音も聞こえそうにもなかった。
それでも、膝の上の黄色や白の菊は生き生きとして花束の中で嬉しそうにしている気がした。
「……|翔《しょう》さ、なんか行きたいところってあるの?」
不意に運転席で真っ直ぐ水田を見つめたままの|柳田《やなぎだ》|善《ぜん》がそう聞き、笑うような紫の瞳が見つめてきていた。
「特には……」
「近くに、クレー射撃場があるらしいけど」
「へぇ、そうなんですね」
静寂だけがカーナビを丸め込んで、数百メートル先の信号へ右折を促す。煙を吹き消してもいない線香の薫りが鼻へ突き刺してくるようで逃げ出すように運転席の横顔を見る。長い黒髪を後手で日替わりに変わる紐に括り、溢れた髪の一つ一つがやわな白肌の上についた高い鼻筋と大人びた紫に閉じこもった瞳が見える。その横顔が淡い朱色に染められもせず、頬は冷たさを保ったままだった。
身体の底から蝉のように五月蝿い鼓動が高鳴っている。ごとん、がたん、ごとん……そこに、心が動きを見せつつあった。
雨の降った匂いの中に変わらず煙草の残り香が混じっている。今はただ、それが心地良かった。綺麗に並んでいるのに、高低の大きな墓石ばかりの道を花束と線香を持った手で足踏みして、水の入った手桶を持つ善が手前を歩く。
「誰の、墓なんですか?」
「親だよ」
「どちらの?」
「両方」
ぶっきらぼうな返答が続き、必然的に開く空白の中に蝉の声が目立つ。手桶に入った水の上の顔はいやに歪んで寂しそうだった。腕に抱えられた菊の花が桶の水面に揺れる度、同じように映った曇り空がどんよりとしたままだった。
やがて、目指していた墓が見えて善が墓へ水をかける。それが少し終わると、腰を下ろして線香の準備を始めていた。
「火、つきますか?」
「多分ね」
いつもの、金色の猫のマークが入ったライターに浮かんだ火が、線香の一つ。じわり、じわりと黒く焦がして侵食するように赤く燃えがった後に、すぐに吹き消されて白い煙が立ち昇る。鼻につんとした、線香の香りだけが生々しさを残して消えなかった。
線香が置かれると、水を入れたばかりの水鉢に菊が挿されていく。挿されていく花と、水鉢から抜かれて枯れ花が少し不憫だった。
「……あの」
「どうしたの?」
「善さんって、今の所に来る前に何してたんですか?」
「……それって今、聞く?」
「ダメですか」
その言葉に、彼が少し笑った後に「ダメじゃないよ」と返す。そのまま続けて、唇が動いた。
「前は市役所職員、地方公務員だね。給料は悪くないけれど、結構疲れるし、やりがいがあんまりなかった」
「辞める時、何か言われませんでした?」
「いや、何にも。昔からの友達からは、勿体ないぐらいは言われたかな」
「公務員ですもんね」
「そう。お金はそこそこいいよ」
善が立ち上がって、近くのゴミ箱に枯れ花を入れていく。全て入れ終わった辺りで、片づけていた荷物を持って出口の方へ足を動かしていた。
カーナビの声の中に、二人の会話が混じって音楽のようだった。蝉はいつしか昼下がりの声色を帯びつつあった。
「翔は、前は何してたの?」
「何がですか?」
「ここに来る前。翔も、教えてよ」
音楽の声が、一つ抜ける。カーナビと蝉だけが歌っている。その歌に追いつくようにして、声を続ける。
「僕は、会社勤めですね。ブラック企業で、人の顔と名前も一致しない質ですから、わりと苦労しました」
「ああ……それ、キツいよね。髪染めたのは、なんで?」
「なんとなく、っていうか……個性が欲しくて。黒髪の僕、想像してみて下さいよ」
そう促すと、少し考えた後に善の声が音に乗ってきていた。
「……なんか……ただの真面目そうな、クールなイケメン?」
「じゃあ、今の僕は何なんですか」
「すっごい残念なイケメンって感じ」
「……酷くないですか?」
「冗談だよ」
音楽の中に笑い声が混ざって、溶けあってゆく。ごとん、がたん、ごとん。まだ帰り道は長い。二人だけの会話も、きっとまだ長いだろう。その中で、何を聞けて、何を深く踏み込めるかなんて分からない。
それでも、鳴らし続ける音楽は、地平線までのびる緑々の大地のように長く、長く、長く……曇り空を突き抜けて、青空まで届くかもしれない。