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『夢は終わらない』
ライブハウスの裏口を出ると、夜の空気がひんやりと頬に触れた。
時計を見ると、午前二時半を指していた。
さっきまで鳴り響いていたドラムやギターの音は、もう壁の向こうに消えている。
裏路地は静かだった。遠くで信号の電子音だけが、規則的に鳴っていた。
肩にかけたギターケースの重さを少しだけ持ち直す。
「……終わったな」
思わず口から出た言葉は、誰に向けたものでもない。夜の空気に溶けて消える。
今日のライブは散々だった。客はほとんどいなかった。
ステージのライトに照らされた客席には、数人しか影がなかった。
それでも演奏はした。いつも通り、全力で。
だけど、最後の曲が終わったとき、拍手はまばらだった。
それが悪いわけじゃない。慣れている。問題は、そのあとだった。
「悪いけどさ」
ライブハウスの店長が、少し困ったような顔で言った。
「次の出演、ちょっと考えさせてくれ」
遠回しな言い方だったけれど、意味は十分わかる。
俺のような客を呼べないバンドは、場所を借り続ける理由がない。
「……まあ、そうだよな」
六年前。高校を出たばかりのころ、友達と組んだバンドだった。
最初は楽しかった。スタジオで音を合わせるだけで笑い合えた。
初めてライブをした日は、緊張で手が震えていたが、とても楽しかった気がする。
客が十人しかいなくても、拍手がもらえれば嬉しかった。
でも、時間は流れる。メンバーは一人ずつ辞めていった。
就職するやつ。結婚するやつ。「将来が不安だ」と言って去るやつ。
気づけば、残っているのは自分だけだった。ギターケースを軽く叩く。
「……潮時かな」
その言葉は、思っていたよりもあっさり口から出た。
諦める理由はいくらでもある。売れていない。金もない。年齢も、もう若くない。
夢を追うには、少し現実を知りすぎた。深夜の街は驚くほど静かだ。
昼間の喧騒が嘘みたいに消えている。街灯の光がアスファルトに淡く落ちている。
そのとき、道の端にある光が目に入った。自動販売機のようだ。
赤と白のネオンが、夜の闇の中でぼんやりと光っている。
どこにでもあるはずの自販機なのに、なぜか目を引いた。
喉が乾いていたし、ちょうどいいやとポケットから小銭を取り出す。
カチャン、とコインを入れる音が夜に響く。適当にボタンを押す。
ガコン
取り出し口に手を入れる。
指先に触れた感触に、少しだけ眉をひそめた。
冷たい缶ではない。小さな紙だった。
「……は? 詐欺かよ。」
取り出してみると、小さく折られた紙だった。そこには、たった一行。
『夢は終わらない』
その文字をじっと見つめてみる。
自販機の光が、紙を白く照らしている。
「……なんだこれ」
いたずらだろう。そう思うのに、目が離せない。
『まだ終わってない』
さっき自分が言った言葉が、頭に浮かぶ。
[潮時かな。終わったな。]
そんな言葉ばかりだった。小さく笑う。
「タイミング良すぎだろ」
紙を軽く振る。誰かが仕掛けた冗談かもしれない。
それでも、不思議と嫌な感じはしなかった。ギターケースを見る。
この重さに、何年付き合ってきただろう。思い出す。
初めて作った曲。初めて客が一緒に歌ってくれた夜。
ライブが終わったあと、メンバーと笑いながら歩いた帰り道。
悔しいことも多かった。でも、楽しかった。ゆっくり息を吐く。
「……まだ終わってない、か」
紙をもう一度見る。そして、ポケットに入れた。
「もう一回だけやるか」
誰に聞かせるわけでもない言葉。
でも、さっきより少しだけ背筋が伸びた気がした。家に帰ったら曲を書こう。
新しいやつを。今までより、少しだけ本気のやつを。俺は歩き出す。
ギターケースは相変わらず重い。
でも、その重さはさっきとは少し違う気がした。