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怨恨ノ京 #4 射礼と賭弓
今年も宮中では|射礼《じゃらい》が行われるようになった。
射礼とは天皇臨席のもと、五位以上または宮中警護部隊などの強者が、弓の腕を競うものだ。
弓の腕前を天皇に認めてもらうと、褒美を貰ったり宴に参加することができる。
そして、そんな今日のこの日のため、ドンと構えてきた者がいた。
それは大納言・|綾子四隅《あやこよすみ》である。
「綾子氏の名を轟かせてやるわい!」
上品な試合であるが、一人だけやる気満々の炎で燃えているのであった。
そのすがたに、左夜宇もかづらもドン引きである。
「左夜宇は出ないのか?」
宇京も大納言の調子に苦笑いする他ない。
「私はまだ位を持っていません。私が出場できるのは二十一歳からです」
左夜宇は|蔭位の制《おんいのせい》ー祖父の位が五位以上である場合、孫は二十一歳から高い位を貰えるという特権ーにより、左夜宇も若き頃から高い位で仕事を始めることができるらしい。
「でも、左夜宇は意外と凄腕なのよ」
「本当か?それ?そもそも左夜宇に弓なんてできんかよ?」
宇京が左夜宇を嘲笑うかのように言う。
すると今まで相手にされていなかった大納言が、面強く宇京に迫ってきた。
「わしの血を継ぐ者は誰でも弓が上手いのは当たり前じゃ!」
えっへんとばかりに、腕を腰に当てている大納言の姿を見ると、全く説得力がない。
怒鳴られた宇京も、冷ややかな目で見ている。
それに、左夜宇もフォローされた気にはならないようだ。
しかし、かづらは面白そうに笑いながら続けた。
「父上が言うのは全然説得力がないけど、左夜宇はそこらの上達部にだって劣らないくらい弓が上手いのよ」
いつも弟をからかっているかづらが、弟をフォローするなんて珍しいことだ。
母は違えど、本当に仲良しな兄弟なんだと宇京は改めて感じた。
そしていよいよ射礼が行われる時がきた。
大納言はかねてより準備していたキラキラの衣装を見に纏い、舞台に立つ。
まだ若き天皇は期待に胸を膨らませるかのように、目を輝かせる。
射礼に出場する二十人のうち、何故か天皇が特に目を輝かせた人物が大納言なのである。
いつもは茶目っ気で目立ちたがりの大納言も、今日は目つきが凛々しくなる。
的は三重の円になっており、直径七十五センチメートルほどの円板だ。
大納言は的から三十六歩下がると、弓に矢を合わせる。の合図で、矢を力強く引き、目に力を入れながら矢を|兵部省官人《ひょうぶしょうかんにん》放った。
ビュンっ!
矢は目で追えない程、素早く的に突き刺さった。
後、これを二回繰り返し、大納言の放った三本の矢は中心に二本、二重に一歩当たった。
「おお…」
天皇やそこらの公達などは、大納言の腕前に見入ってしまった。
大納言は、「してやったり」と誇らしそうに胸を張っている。
この時ばかりは左夜宇もかづらも心の底から父を誇りに思えた。
「すごいわ、父上!」
「やるときはやるんですねえ」
「ふーん。意外とやるじゃないか」
遠目で見ている宇京も、内心、驚いている。
大納言はその後、禄を賜り天皇の宴にも参加する事になった。
そして直々に
「大納言、ようやった。左夜宇の腕前も楽しみにしておるぞ」
と、お言葉ももらったのだ。
さらにその翌日催される|賭弓《のりゆみ》で、左夜宇に参加特権をも下賜したのだ。
賭弓は射礼とは違い、両者何かを賭けて争う物だった。
そして、勝者は賭けた物や天皇からの禄を賜ることができる。
逆に敗者は罰杯を飲まされることになっているのだ。
本来は|兵衛府《ひょうえふ》と呼ばれる令外官たちが参加する大会である。
翌日の賭弓当日。
左夜宇は、緊張する風もなく頼りなさそうにキョトンとただただ立っている。
実はあまり歓迎されていないのだ。
というのも、あの「威張り屋の大納言」とも称される者の息子であるということや、位さえないのに賭弓に出場することが特に年配にとっては、忌々しくてならなかった。
さらに、
「大納言の息子君が身分もない奴らを連れているらしい…」
「なんと下品な…身分も卑しい奴を帝の御目に入れるなど…」
身分もない宇京を連れているのもまた、大きな原因の一つだ。
それくらい、下っ端を引き連れるのはあり得ない事なのだ。
「久しぶりだな、左夜宇」
そんな歓迎されない左夜宇の前に現れたのは、天皇の三格の皇子・|慶牙親王《けいがしんのう》である。
左夜宇の昔馴染みらしい。
「久しぶりです、慶牙親王様」
どうやら、慶牙も賭弓に出場するようだ。
親王は普通、賭弓に出場することはないのだが、左夜宇が参加すると聞きつけてのことだった。
昔から仲良しでライバルだった仲だ。
更に慶牙は左夜宇の後ろの方に立つ、かづらを見た。
昔から、左夜宇と同じく姉と慕ってきたほどの仲だ。
かづらは軽く頭を下げるが、かづらの隣にいる女は微かだが一瞬、厳しい目つきを向けている気がする。
左夜宇の身分無しの連れだと、噂に聞いていた慶牙は
「左夜宇も落ちぶれたなぁ」
と、ついこぼしてしまった。
とりわけ悪意があったわけじゃないが、悪いことを言ったと、左夜宇に歪んだ視線を向けられる前に、足早に小走ったところで、「勝負の時にな!」と行ってしまった。
左夜宇は追いかける風もなく、ただ苦笑いを残した。
宇京は一部始終を見届けてから、
「あいつ、許さない!」
と、ドタドタ逆方向へ走って行った。
そして、ようやく宇京が帰ってきた…と思えば、なんと男装をしている。
後ろには大納言がついていた。
「どうじゃ?男も同然だ!」
「宇京、その格好はどうしたのですか?」
「言っただろ、あいつを打ち負かしてやるんだよ!」
今の宇京は女と言われても気がつかないほどの美男っぷりである。
「でも宇京ちゃん、弓やったことある?」
「ない。でも絶対に打ち負かしてやるんだよ!」
同じ台詞を繰り返し、自分に言い聞かせるように言った。
間も無く、賭弓は始まり、矢が刺さる音や、歓声が響き渡った。
そして、男装した宇京の順番がやってきた。
誰も身の上なしの左夜宇の連れだとは気がついていない。
相手は、例の慶牙である。
「私が勝ったら、その美しい衣を頂こう」
慶牙は、宇京の纏っている大納言の大切な大切な衣を指差した。
それを見ていた、大納言は冷や汗が止まらない。
何と言ったって、大納言家で一番価値のある物で、四隅の尊敬している祖父から貰った物だった。
しかし宇京にとっては衣などどうでもいいので、深く頷いてから、
「私が勝ったら、あんたの位、頂くぜ!」
ニヤリと笑った宇京の男装姿は男前そのものだった。
さらに今の発言で周りを圧倒させたのだ。
「あの男君、度胸があるわ」
「たくましい!」
女君だけに限らず、老若男女共にこの対決を期待と緊張で見つめている。
慶牙も面白そうに一つ頷いた。
両者真逆の的へ向かって立つ。
お互い、三十六歩離れて、弓を勢いよく引いた。
どちらとも、いい筋である。
果たして、結果はー
慶牙、中心に一本、二重に二本。
宇京、三本とも的外れ。
あれだけ期待させておいて、宇京は見事に全て外したのだ。
約束通り纏っていた高価な衣を、慶牙に渡す。
「なかなか面白い者だったな。名は何という?」
「てめえに名乗る筋合いはねえよ!」
宇京は悔しさにその場を去ってしまった。
大納言はそんな宇京を励ますどころか、衣のことを怒鳴ったが、後悔しても後の祭りである。
さて、次は左夜宇の番だ。
再び慶牙が自信をつけた様に登場する。
これが決勝戦というわけだ。
お互いに譲る気はなく、早々と賭けるものを言い合った。。
「私が勝ったら、左夜宇の連れをもらう」
慶牙がその場に言い放った。
先程の対決で、あの美男子は宇京だと見破ったというのだ。
しかし左夜宇は余裕そうに微笑む。
「では私が勝ったら、衣を返し、先程の対決は無かった、ということで」
周りにいる者は何の話だかわからないが、二人だけの世界に入った左夜宇は平然と話し続けた。
弓を手に取ると、左夜宇は見違える様に頼り甲斐のある男に見えた。
いつもよりも凛々しい気品を放つところは、大納言譲りだ。
(宇京の仇討ちだ!)
なぜか宇京のためだと、勝手に思い込んだ左夜宇は目一杯、弓を引いた。
宇京と大切な衣を賭けた戦いである。
そして、最初に三本の矢を放ち終えたのは慶牙だ。
三本とも見事中央を射抜いて見せた。
(ふん。これで勝負は決まりだ)
勝負ありと笑って、左夜宇に振り向いた次の瞬間。
バキッ!
左夜宇は一本の矢で、的の中心を貫き破って見せた。
慶牙はもちろん、周りにいる者は目を丸くするどころか、口を開けない者はいなかった。
「さすが我が子じゃ!」
大納言は泣き目になりながらはしゃぐ。
隅っこの方にいた宇京も、木板が割れる変な音に思わず振り返った。
そして嬉しくも悔しくもある複雑な声で言った。
「あいつ、やりやがった!」
(やって、しまった…)
しかし、この場で一番驚いているのは何を隠そう、左夜宇だった。
仮にも天皇臨席である神聖な場で、今まで長年使ってきた的をこんなにしてしまったのだ。
どうすればよいのか、その場から一歩も動けない左夜宇であった。
「ふん。今回は負けを認めてやる」
慶牙は悔しい風もなく、淡々と言う。
結局、この勝負は左夜宇の勝ちとなり、大納言の大切な衣も戻り、宇京も罰杯を飲まずにすんだ。
「今度こそあいつを打ち負かしてやる!」
宇京はこれからも慶牙を負かすことを諦めないらしい。
「しかしなんだって、慶牙親王様は宇京をもらって行くと言ったのでしょう」
「左夜宇って、本当に鈍いわね。慶牙親王様は宇京ちゃんのことが好きなのよ」
そして、このかづらの基本的な見解を、左夜宇も宇京も全然理解出来なかったのだった。
宇京君と四隅君