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    思い出を、ふたりでやり直す。
    
    
    
     なんで、今日までコウちゃんに会いに行こうと思えなかったんだろう。
 気づくともう雪が降ってて、冬休みが始まっていた。
 先月、今までにないほどのひどい発作を起こして、母に説得されてこの間治療を始めた。
 カウンセリングを受けたり、服薬治療を始めてみたり。カウンセラーさんと、よくわからない目の運動とかもしてみた。効果があるのかはいまいちわかってないけど。
 けれど今日、ふと思った。
 リハビリ中のコウちゃんのお見舞い、1度も行けていないじゃないか。
 なんで、今まで行こうと思えなかったんだ。
 いや……行けなかったのか。
 無意識に、あの日を思い出さないように避けていたんだ。
 あの光景を、目の前に映さないように。
 ……ってことは、それに近づけるようになったんだから、治療は意味があったんだな。
 母に「お見舞い行きたい」と言うと、半年前のあのことがあったから心配してくれた。
「大丈夫、……きっと」
 きっと。
 半年ぶりにやってきた大病院は、あの時よりは静かだった。今日は浬のお父さんはお休みで、コウちゃんの担当の看護師さんとお見舞いに行くことになった。
 9階まで上って、そして長い長い廊下を歩いた。
 機械音しか聞こえなくて怖い……。
 わずかな恐怖はしばらく続いた。
 病室の前まで来て、震える手でノックした。
「紘矢くん、入りますよ」
「コウちゃん、言葉、分からないんじゃ」
「でも一応言ってあげないと、こっちが落ち着かないんですよね。無断で入ってるような気がして」
 そして、看護師さんが引き戸を開けた。
 椅子に寄りかかって、こっちを見るコウちゃんがいた。僕の顔を見て、一瞬誰か分からなかったようだけど、しばらくしてやっと僕だと気づいたのか、ちょっと笑って、手を伸ばした。
 15歳にしては筋肉も脂肪もない。たどたどしくて、頼りなくて、ぎこちなくて、剣道を始めて半年の僕が親指と人差し指で簡単に折ることができそうなくらい細い腕。
「最近やっと、椅子に座ったままでいられるようになったんですよ」
「そうなんですか……」
 10年寝たきり状態だった患者さんは、歩くまでにもかなりかかる。そう、看護師さんが言った。
「まぁ、半年でここまで筋力がつくなんて、もう奇跡みたいなものですけどね。しかも、眠り始めたのがまだ幼児だったころなのに」
 僕はコウちゃんのところに行って、手を握った。手の大きさは、僕より1まわりか2まわり小さい。それに、まるで骨にベージュの絵具を塗っただけみたいに細い。
「最近は手のリハビリもやってて、クレヨンで絵を描いたりもしてるんですよ」
 そう言って看護師さんが持ってきたスケッチブックには、顔っぽいものと色でかろうじて人間だとわかるもの2つ――そのうち左の人間は、赤い棒を持っている――と、黄色い何かが描かれていた。
「こっちが紘矢くんで、こっちが唯都くんだそうです」
 左から順に看護師さんが指差す。
 この赤い棒は、と聞く前に、看護師さんは言った。
「それで、真ん中のこれは蝶々なんだそうですよ」
 一瞬、背中にひやりとしたものが走った。
 虫――。
「じゃあ、この棒って……」
「おそらく、虫取り網の柄か何かだと思います」
 昔のことが、ふっと思い出される。
 あの日、コウちゃんが捕まえたのは、真っ黄色のモンキチョウだった。
 涙が零れていたのに、しばらく気づかなかった。
「え⁉あ、すみませ……⁉」
「いや……大丈夫です」
 そう言って、目を拭った。
 コウちゃんのことが見れなかった。繋いだ手を、少し強く繋ぎなおした。
 この絵の僕らは笑ってた。きっとコウちゃんは楽しかったから、こんな顔で描いたんだ。
 ごめんねコウちゃん……僕、もう虫捕りには行けないかもしれない、なんて、言えないし伝えられない。
 モンキチョウの黄色が、網膜に貼りついて離れない。