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始まりであり、終わり
※2025/06/15、改稿しました!
日々の小さな嬉しいことを、これからも大切にしたいです。
新年。それは新しい年の始まりであり、今年の場合は終わりだ。
「世界宇宙機構は日本時間の新星歴650年1/1、22時ごろに隕石がこの世界と衝突すると発表しました。ぶつかったらほぼ地球は消滅するとのことです。日本政府は……」
私は結局何もできなかったのかな、と夜空を見上げる。
ただいま新星暦649年12/31の22時だ。つまり、予想で言えば明日のこの頃にはもう世界は終わっていることになる。
うん、紛れもなく明日だ。1年後とか10年後じゃない。明日、なのだ。
本当ならおめでたい日なのに、本当なら……。
長く、深くため息をつく。白く空気は濁り、そしてまた無色透明に戻る。
新しい年になったら。大学を卒業して、素敵な企業に就職して。みんなと笑顔で過ごす。それが私の、ささやかな夢だった。
なのに、どうして。
流石に外は寒い。特にすることもないし、したところで地球滅亡は変わらないわけなので、部屋に戻ってインターネットを見ることにした。
予想通り、ネット上にはいろいろな心無い言葉が書き込まれている。世も末だ。……本当に世は末なのか。
「あはは」
軽く笑ってみた。乾いた声しか出なかった。
「……お母さん、お父さん。結局夢を叶えられなかった私って、親不孝だよね?顔見せ、出来ないなあ。あはは。」
もうこの世界にはいない家族に向けて、私はそう言った。もう一度、乾いた笑いを漏らした。言葉は先ほどの息のように、ふわふわと浮いて、空気と一緒になるだけだった。
「……はぁ。」
今夜2度目のため息が、白く藍色の空を彩った。
明日は、いったいどんな日になるんだろうか。私にはまだ、分からない。
「……うーん」
目を開ける。知らず知らずのうちにソファーで眠っていたようだ。
こんなことを繰り返していたら風邪を引く。健康に良くないので、明日こそやめないと。
大きく伸びをして、そして気づいた。
もうこの世界に生きる私たちに明日は、やってこないのだと。今日が最後なのだと。
「……あけまして、おめでとうございます。」
家中のいろんなものに新年のご挨拶をして、最後にこう呟いた。
「今年ももう少しだけ、よろしくお願いします」
とりあえず、適当に支度をして街に繰り出した。家にあった全財産を持ってきた。
友人たちはもう既にみんなどこかに旅行に行ったり遊んだりしている。私が入り込む余地なんてどこにもなかった。
「このスイーツ屋さん美味しいから……今日、食べちゃおうかな?」
最近は大学の勉強ばかりで来れてなかった、小さい頃から大好きなケーキ屋さん。
うーん、でも食べるのは明日にしようかな。
また、とぼけた私は気づく。
「いや、今日食べよう」
私に出来ることは、今日を全力で生きることだけだ。ドアを開けて、顔馴染みの店員さんにこう挨拶した。
「あけましておめでとうございます。いつものパンケーキ……頼んでもいいですか?」
「ふう。」
あのパンケーキは本当に美味しかった。口の中で甘さがとろけて、まさに至高の食べ物だった。最近はスイーツを食べていなかったから、なおさら。
ふと突っ込んだ。
「いや私、なんで新年の朝からパンケーキ食べてるの……?」
ここはおせちだ。日本のお正月なのだから。
そういえば、私はおせちを頼み忘れていた。勉強ばかりで最近周りが見えていなかったのかもしれない。
……まあ、美味しかったからいいや。
人間は欲望に正直なのだった。欲望に素直でいられるうちは、そうなっておきたかった。
「また食べに来たいな。」
またっていつだろうか。明日?明後日?一週間後?
いや。
「今日の夜、もっかい行っちゃおうかなぁ…なーんて。」
記念に撮った写真を、もう一度眺める。
「案外私、可愛いじゃん。久しぶりにアカウントに上げちゃおうかな?」
私たちが選べる選択肢は、着々と減ってきている。
馴染みの商店街に来てみた。今日はいつもより活気がある気がする。今日というのが、最高で最悪な皮肉だが。
「あれ、すみれちゃん!久しぶりじゃない、あけましておめでとうございます!」
八百屋をやっている近所のおばさんが声をかけてくる。
「あけましておめでとうございます。お久しぶりです。最近、来れてなくてすいません……。」
「すみれちゃんは大学生でしょ?やりたいこともたくさんあるだろうし、忙しいのは当たり前だわ。」
ふふふ、と和やかに世間話をする。まるで、今日から精一杯目を逸らすように。
「あら、そうだわ。これ持って行って!」
渡されたのは、綺麗なミニトマト。
「どうせ今日が最後なんだから、このミニトマトも食べてもらいたいわよ!すみれちゃん、よく買ってくれたでしょ?……おばさんからの、ありがとうの気持ち。ね?」
少しだけ寂しそうな表情で告げたおばさんは、こちらを優しく見つめた。
「いただきます。ありがとうございます!」
店を出た。ミニトマトを太陽に透かしてみる。きらきらと太陽の光を反射している。瑞々しい、とても美味しそうなトマトだ。
そのまま食べてみた。甘酸っぱくて、優しい味だった。こういう甘さもいいな、と思いながら商店街をまた歩き出す。
時刻は現在、午前10時。世界の終わりまであと12時間ほどだった。
道を歩いていると、小さな少女に出会った。
「うううっ、ぐすっ……いたいよぉ……。」
どうやら少女は転んでしまったようだ。
「どうしたの?もしかして転んじゃった?」
「……しらないひととはおはなししちゃいけないって、ままがいってた」
ぷい、と少女はそっぽを向いた。相変わらず、そのあどけない瞳から涙をこぼしたまま。
私は苦笑しつつそっとあるものを取り出す。小さく息を吸って、裏声でまた少女に話しかけた。
「こんにちは!」
「わぁ、ねこちゃん!」
カバンに付いていたねこのストラップを取り出して、ぴょこぴょこと動かす。
「お手当するから、ちょっといいかな?」
私はカバンから応急手当てグッズを取り出した。持っておいて良かったと、今までで1番実感した瞬間だった。
「もう大丈夫かな?」
「うん、ねこちゃんありがとうー!」
笑顔が戻った少女は、くるくるその場で回って、そしてあることを思い出したかのように立ち止まった。
「あけましておめでとうございます。ことしもよろしくおねがいします。……これでいいのかな?」
きっと覚えたての挨拶で、ぺこりとこちらに頭を下げた少女。
「あけましておめでとうございます。素敵なお正月にしてね。」
私もそう返した。今年もよろしくお願いします、とは言えなかった。
「おーい?どこにいるのー?」
「あっ、ままだー!またね!」
こんなに小さい子からも未来を奪うなんて。神様がいるのだとしたら、残酷すぎる。
走り去って行く少女をそっと眺めて、私はまた歩き出した。歩き出すことしか、出来なかった。
コンビニでお昼ご飯を買った。今日は天気が良いので、公園で食べようと思った。
いつもよりリッチなおにぎりやお菓子を山ほどかかえて、近くの公園のベンチに座る。
もぐもぐとチョコレートを頬張っていると、近くに見覚えのある男性が座った。
「もしかして……矢野さん?」
「先輩!?」
心臓の鼓動がよく感じられる。
やっぱり、この人はいつも私の心をおかしくさせるんだ。
「あけましておめでとうございます。いやー、びっくりしたよ。」
「あけましておめでとうございます。私もです……。」
のんびりと晴れた空の下、私たちは会話する。私の心も晴れた気がした。朗らかな先輩の声は、今日聞いても心地よい。永遠にこの時間が続いてくれればいいのに。
「そうだ、矢野さんってこのあと予定ある?」
「えーっと、ないですね。」
「じゃあ、このあと映画行こうと思ってたんだけど……ペアチケットでさ。良かったら、観ない?」
返事はもちろん。
「喜んで!」
ああ、なんて素敵なんだろう。冥土の土産、ってやつかな。もう少し、メイクをしっかりしてくれば良かったな。変なところないかな。
手鏡をさっと取り出して、私は身だしなみを整える。
人生最後の、デートに向けて。
「うーん、やっぱり面白かったね。」
本当なら年末年始は観られないんだろうけど、今日は特別サービス!ということで開館していた。この街は人間が暖かい。だから、大学に入ってからもここに住んで、ずっと通っていたのだった。
「あの映画、結局私観られてなかったんですよね……観ないままか、と思っていたので嬉しいです。」
「来たかいがあったね。良かった、矢野さんに声をかけられて。」
もうここで終わってもいい。片思いの相手と世界の終わりの日に会話して、しかも一緒に映画まで行けるなんて、今日は吉日なのだろうか。
結局先輩の卒業までに告白出来なかった意気地無しな私に、神様がチャンスをくれたのかな?
「あっ」
あの服可愛いな。
はぁ、こんな普段着じゃなくてあんな感じの可愛い服でお出かけしたかったな。先輩と。
人間は、ただただ欲望に正直なのだった。
「もしかして…あの服、気になってる?」
図星だった。
「え、いや、そんなこと……ないです。」
「良かったら、買おうか?」
「でも、流石に先輩に買ってもらうわけにはいきませんよ。もう着る機会も、たぶんありませんし。」
良いよ良いよ、と笑う先輩を見て胸がぎゅっと締め付けられる。
「……今日着ればいいんじゃないかな。今日が最後だから」
最後の先輩のひとことで、一気に現実に引き戻された気がした。
それからは買ってもらった服を着て、いろいろとショッピングをしていた。そうして、どんどん太陽は落ちていく。
「よし、ディナーも行きますか!」
「先輩が良ければ!」
秘密の隠れ家みたいな名店。ディナーのお店はそんな印象だった。おしゃれな洋食のお店だ。
席に着く。お代は要りませんと、でかでかと書いてあった。
そんな文字につられてたくさん頼んでしまった。先輩と同じメニューを頼んでいて、どきりと胸が跳ねる。また話すきっかけが、できた。
「ここ、雰囲気良いでしょ?」
「はい!また今度行ってみたいな……あ」
空気が少し冷える。
「……すみません」
顔を逸らす。先輩の前で言うなんて、私の馬鹿。
「全然、気にしないで。また行こうよ、また。」
「えっ?」
「このお店、さっき頼んだやつ以外もすごく美味しい料理がたくさんあってさ。お気に入りは……」
それから、私たちは話し続けた。
美味しいという料理のこと、昨日の年末歌番組のこと、大学や先輩の仕事の話。
それから、ありもしない明日の話を。
気づいたら既に空は暗くなりきって、2人とももう遅いねって笑って。
「今日は楽しかった。すごく、楽しかったよ。」
「私もです。……あの、先輩。」
「どうしたの?」
熱くなる体温。心を落ち着かせるように息を吸って、吐いて、こう言おうとした。
『好きです』と。
でも、でもやっぱり。
「……なんでもないです。」
私には言えない。言えなかった。どうしようもない、意気地無しだった。
「そっか。」
2人で静かに歩く。人々はよりいっそう賑やかに、かつ、虚しく騒いでいた。
「ねぇ、すみれちゃん?」
先輩が私の下の名前を呼ぶ。私は驚いて、立ち止まった。
「もし、良かったらさ。また明日、デートしようよ。」
「そんな、私が?先輩とまた、デート?」
うまく言葉が発せない。頭がハテナマークで埋め尽くされる。パニックになる頭を落ち着かせるように、私はゆっくりと瞬きをする。
「うん、また明日。あのお店の前で集合しよう?……いい?」
「はい!もちろん、です。」
きらきらする空気。ああ、やっぱり今日は吉日だ。
「じゃあ、今年もよろしくお願いします!」
微笑んで、先輩はそう言った。
「はい。今年もよろしくお願いします。」
私も、微笑み返すことができた。
「また明日。」
「また明日。」
手を振って、私たちは別方向に歩いて行く。
「また明日」。
それは、魔法の言葉だ。
「人生の最後に、すみれちゃんとデートできて良かったな。明日こそ、明日こそ。告白、できたらいいな。」
家に着く。手を洗って歯磨きをして、お風呂に入る。いつも通りの、夜のルーティンをこなす。
そして、またベランダに来た。
きらきらと輝く星々が、私を出迎えてくれる。
「わぁ……。」
空の向こうに、隕石があった。目で直接、見られるんだ。
場違いなくらい綺麗だった。本当に、言葉に形容できないくらいに、綺麗。少しずつ、私の体温が上がっていく。緊張のせい、だけではない。
あの隕石で、私たちは。
それでも。
「今日は楽しかった。」
新年も、案外良いかなって。思ってしまったのだった。
明日は、きっと。
先輩とデートして、今度はあのスイーツ屋さんのパンケーキを2人で食べに行って、し忘れた初詣に行って、それから、それから。
やりたいことはたくさんある。まだ今年は終わっていない。これからなのだ。
私のスマートフォンが22時という時刻を表示して、そして。
世界は揺れて、破壊されていく。
消えゆく、途方もないくらいに美しい世界が、私の目に映った。
大丈夫、これはきっと夢だから。明日がきっとある。この一年はまだ続く。私は先輩との約束を果たせる。
「今年もよろしくお願いします」
また明日ね。