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【曲パロ】あなたはヒーロー
※citrus様の「あなたはヒーロー」の二次創作です。ニコニコ動画概要欄から一部引用しております。
罪告ナエちゃんには強気な裁判官という性格設定があります。(罪償え)私はギャップに破壊されました。良き。
鍵の音がした。ドアノブが回る音がした。玄関の明かりがついた。小さな影がワンピースを引き摺るようにして、テレビのリモコンを放り出して、すぐに音の元へと向かう。
「ただいま」
「おかえりなさい。今日もおつかれさま」
今日もヒーローが帰ってきた。まいにち食い扶持を稼ぎ、飢えからも嫌なことからも守ってくれる、彼女のヒーローだった。少々疲れた顔をしているが、無事だ。ぺたぺたと生まれたてのカルガモのように、少女は後をついて行く。スーツを青年が脱いで両手を広げたのを見て、ひたすらに顔をうずめる。青年の匂いが、今日はいつもより煙たかった。
「最近遅いね、大変ね」
少しませた口調で、少女は話しかけてみた。少し煙草の匂いに咳き込めば、頬に触れるワイシャツの感覚がなくなった。部屋着に着替えるのだろう。邪魔してはいけないと思って、大人しく席に着いた。
「うん。ごめんね、ナエにいろいろ任せちゃって」
「へいきだよ、私ちゃんとできたよ」
少女――ナエは浴室までワイシャツの袖を引っ張っていく。湯気の上がった湯船を指差した。何も壊していないし、変な動きもしていなかった。我ながら完璧だ、というように、少女は胸を張って笑った。
「私は大丈夫」
「じゃあ、明日はお米を炊いてほしいな」
「できるよ」
しばらくして、たぶんね、と付け足した。
今日は調子が良かっただけかもしれない。明日になったらまたできることが減っているかもしれないけれど、できることならなんでもやってあげたい。せめてと、ナエはそう思って生きている。
「あ、テレビつけっぱなしだ」
「ごめんね、今止めるね」
ナエはぱたぱたと走ってゆき、録画しておいた戦隊番組を止めた。ちょうど怪人が炎を吐き出しているところで、少し見入ってしまったが、しばらくしてあわてて消した。
「いただきます」
いつもの食卓だった。ナエには到底火は扱えないから、買ってきてくれたお弁当をふたりで頬張った。明日、ナエが米を炊くことに成功したら、おかずだけを買えば良くなるだろう。
ふたりは今日のことを話した。とはいっても、ナエは一日中家に引きこもっていたので、職場での話だとか、お昼は何を食べただとか、青年の他愛もないことを聞く側にずっと回っていた。ナエは引きこもるようにになって以来、おしゃべりをすることが苦手になっていたから、心地が良かった。
そもそもナエにとってはおかえり、と言えることが奇跡みたいな幸せだった。劇的なことがあったわけでもない。なんとも言えない不安がずっと頭に住み着いて、いつの間にかたいそうな病名までついていて。とうとう家にいることまで、許されてしまった。
なにも手伝ってやれない、なにも頑張れない。そんなナエを、頼れる親もいないのに、懸命に養ってくれているのだ。ナエの唯一の家族は、兄は。
だからナエは、青年のことが好きだった。
「最近遅いね、大変ね。ほんとに、無理しちゃだめだからね」
そう言ったところで、青年は本気にしない。背伸びしているだけだと思われているのだろうか。いつもいつも、優しく笑って流すだけなのだ。だから強く見える。弱い自分が迷惑をかけてばかりなのが嫌になる。嫌になるけれど、すぐに変えようはないのだと思う。
せめて、職場の煙草の匂いが染みついたスーツを脱いだ後くらいは、弱くたっていいのに。
それをうまく伝えられる言葉を、ナエはずっと探している。
そうして日々を繰り返し、早く床に就いたところで、ナエはすぐに眠れるわけではない。静養という名の元に運動も勉強もろくにしていないわけなので、もちろん睡眠の質は悪い。深夜になるまで長く長く考え事をするのが、ナエの毎日の日課となっていた。
今日の考え事はこれだ。睡眠も食事もとっているのに、ぬるま湯の中にいるみたいに、疲れが取れないのはなぜだろう。
もしも温室から出るタイミングがあったとして、そこで運悪く病原菌を拾ってしまったらどうなるか。間違いなくナエは風邪を拗らせて死ぬだろう。テレビCMの映画では、ドラマチックに人が死んでいたわけだが、おそらく現実ではそうもいかない。わりと現実味がある。引きこもりをやめるよりは、きっとそっちの方が確率が高いんだろうな。そうナエは結論づけて、寝返りをうった。
シミのついた天井を眺めて、ナエは何かを待っている気分になる。少しだけつけてもらうよう頼んだオレンジ色の照明が、どうもやがて我が身を焦がす炎のように見えて、ナエは嫌な想像をした。なぜか待たなければいけない気がして、待って、意識がとろけていって、やがてナエは薄目になる。
少し離れたところで、青年はビールを飲み干しているのが見えた。ナエが寝た頃を見計らっているのだと思う。そのまま飲酒しながらバラエティ番組を見るのかと思ったが、青年はネクタイを手に取って、ナエににじり寄った。
これを待っていたのかもしれない。私が、ネクタイを締めることすらもできないからか。
ただ、首に端が触れたところで、パッと青年は手を引っ込めた。本当に触れたのは僅かだったから、幻覚だったのかもしれない。ともかく、ナエは寝入った。
その次の記憶は、青年が何食わぬ顔で皿の破片を拾っているところから始まった。こういう時に限って、気持ちの良い朝だった。そうか、|また《・・》やってしまったのか。
ナエは癇癪を持っている。都合の良いことに、これにも病名がついている。ナエが何か面倒ごとを起こした後には、頭の中はまっさらになっていて、ぐっすり眠れた後みたいにさっぱりしている。要は大怪獣みたく暴れていた時の記憶が、自身にはほとんどないのだ。迷惑をかけている身分で。
ナエは指先を見つめた。血の赤色なんてものはなく、日光を浴びていない青白い指だった。ナエに出来るはずだった裂け目は青年に出来ていた。ナエがあ、ともえ、ともつかない声を上げると、青年は顔を上げた。穏やかな顔だった。だいじょうぶだよ、とやわらかく告げた。
その顔が、どうも哀しそうに見える。
何回目なんだよこんなこと。どうしてお前の尻拭いなんてしなきゃいけないんだ。ぐうぐう眠りやがって。
違う。そんなことを言う人ではない。いつもいつも兄はだいじょうぶだとか、ナエは悪くないだとか、まったく心も体も痛くなさそうに心配するのだ。
ナエは机上のポリ袋を手にした。キッチンに向かい、シートに穴を開けて、錠剤を一気に水とともに飲み干す。ポリ袋の中、無造作に入っていた明細書をナエは手にした。胃の中にいくらしまわれたのかが分かった。抗う薬のはずなのに、より重苦しいものが増えてしまったような気がする。
これから死ぬまでずっと、あの人の優しさを食べて生きていくのか。
ナエはリビングに戻って、落ちた破片を摘んだ。必死に使い終わったポリ袋にしまっていくが、青年は邪魔なのか、困ったような眼でナエを見た。
「ごめんね、こんなこともひとりでできないみたい」
視界がぼやけてきたので、ナエはうずくまった。結局十に満たないくらいしか拾えなかった。その前に全て、青年が拾ってしまった。
「お互い様だよ」
またそんな声だ。もはや罵ってくれた方が、ずっといい。
だけれど、おそらくそんなことを言う資格なんてない。ナエは溜息を飲んだ。焼けるように痛くて、喉が引き攣った。
しばらくして、ナエは見送った。平日なので会社員も学生も電車やバスに詰め掛ける時刻である。ナエはそれらを放棄しているので、今日も青年からの水を待つ鉢植えみたいに、靴箱を眺めている。随分と長い間履いていない運動靴。おしゃれ用の靴。茶色の大きな革靴。黒色の同じもの。それから、と数えていくうちに、ナエは棚の上段に箱を見つけた。
見慣れない箱だ。パッケージを眺めてみた。長々と警告文が書いてある。煙草だ。ナエの記憶では、青年は煙草を吸わなかった。ナエが知らないうちに覚えたのだろう。ライターも隣に転がっている。ボタンを押し込んでみれば、赤い炎が控えめに灯る。買ったばかりなのか、特に傷はない。
青年のスーツの煙草臭さは、これが原因だったらしい。ナエは知らなかった。職場の上司の匂いが染みついたのだと言われていた。
ナエとしてはなるべく怪我しないで、健康でいて欲しいから、煙草のことも止めたくなる。青年もそれを見越して、嘘をついていたのだろう。ストレスが溜まっているみたいだから、ないとやっていけないのかもしれない。知らないふりをした方が良さそうだ。
ナエは無性に寂しくなった。だから、青年のスーツを眺めた。珍しく洗濯機が動いていない。中のスーツは昨日のままだった。ふわりと漂ってくるのは、予想していた煙草の匂いと、何か甘い香り。知らない香りだ。香水だろうか。
ナエは悟った。
とっくのとうに荷物で、あの日の夕べもきっと幻覚なんかじゃない。本当は気づいていた。申し訳ないとか、それでも兄のことはかけがえのない家族だから好きだとか言っている場合ではない。不憫な少女ごっこに付き合わせてしまっていたのだと思う。
ナエはスーツを戻して、固形の洗剤を投げ入れて、失敗した時の記憶を引っ張り出しながら洗濯機を弄った。無事に回ったらしく、異音はしない。こんなことでも、青年の役に立てるなら嬉しかった。それももう、おしまいにすべきだ。
青年が帰ってきた。今日もとびきり遅かった。こたつに座って、ナエは寝ずに待っていた。
「最近遅いね」
「今は色々忙しくて。家に居られなくてごめん」
少しの逡巡の後、青年はいつものように告げた。やはり穏やかだったけれど、ふたりの目は合わない。スーツに今日も、あの甘い匂いがついている。
「そっか、そうだよね」
ナエは伸びた爪を隠すように腕を組んで、笑い返した。
「いいよ、私、おとなになれないから」
青年は何も言わなかった。なぜこんなことを言ってしまったのかわからないけれど、これでもう決まりきった。
明日も帰りは夜遅くになるだろう。遅ければ遅いほど良い。くすねたライターをポケットに隠して、ナエは黙ってこたつに入った。
ここでやり切らないと駄目になる。
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晴れて空気が乾いた、良い天気の日だった。戻ってくるかもしれないから、青年の出発から数時間待ってから準備を始めた。
ナエは、ストーブのそばにあったポリタンクを担いだ。ふらつきながらも玄関の鍵を開ける。ドアの隙間から少しだけ外を覗けば、寒くて乾燥した冬の空気が、暖かい室内に流れ込んでくる。これなら失敗しないだろう。
ナエは外に出る前に、付箋を棚から取り出した。ボールペンで丁寧に書き綴っていく。明日がもうこなくなってしまったら、ナエはもうこれ以上のことは全部伝えられなくなってしまう。だから、今のナエの思いの丈を伝えてしまおうと思った。便箋をびっちりと埋めた。難しくて書けない字もあった。
あなたは私のヒーローだったこと。見捨てないでいてくれていたのが、嬉しかったこと。作ってくれたご飯がおいしかったこと。今まで普通の生活じゃなくて、普通の女の子じゃなくて、申し訳なかったこと。働きすぎないでほしいこと。これからは私を気にしないでほしいこと。私がカイジンになったら、ちゃんと眠って、ちゃんと食べてほしいこと。それから、それから……。
そこまで書き終わったところで、ナエはどうにも悲しくなって、テーブルに一滴だけ涙をこぼしてしまった。手でそれを乱暴に拭き取る。ポケットに青年のライターを突っ込んで、ナエは逃げるように家の外に出た。タンクを揺らしながら、家から数分の河川敷まで走った。階段を降りて、裸足で雑草を踏みつけて、目立たない橋の下までやってきて、そうしてようやくナエは止まった。
震える指でタンクの蓋を開ける。タンクは軽いが、思っていたよりは多い量の灯油が、ちゃぷちゃぷと揺れていた。
少し息を吸い込んでから、ナエはそれを、頭から被った。ツンとした匂いがナエの鼻をつく。苦いような甘いような味が広がる。もう後戻りはできなかった。ナエは泣きながら、灯油を最後の一滴まで、真っ白いワンピースに垂らした。あたりの雑草にも散ったから、きっとよく燃えるだろう。
ただ、最後は少し焼け残るくらいが丁度いい。行方不明扱いになってしまうと、きっと探されてしまう。それこそ、ナエの目的が果たされない。
今くらいは、自分のことを褒めてあげたい。ナエはポケットから取り出したライターを眺めて、そんなことを思った。得意なことはなくなってしまったけれど、勇気だけは、美点としても。
いや。もっと早く、決めていれば良かった。そうしたら、あんな顔をさせなくて済んだのだから。
ヒーローがいなければ成り立たない、吹けば飛ぶような脆い自分。導火線から崩れていくさまを、まだ無事な頭でナエは想像して、唇を噛み締めた。痛くて痛くてしょうがなかったとしても、絶対に水には飛び込んだりはしない。それが、ナエが自分に課した最後の仕事だった。眼から流れ出る水は少量だから、それで消えたりはしないだろう。
風にはためくワンピースの裾をぎゅっと掴む。灯油の匂い混じりの空気を思い切り吸い込んでから、ナエはライターのボタンを押した。
思っていたよりは、ドラマチックだったよ。いつかの自分に向けて、そんな思考をしながら。
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爆ぜる音は河の流れにかき消される。幸か不幸か、しばらくナエは気付かれることがなかった。そうして、甲高いサイレンの音が届く頃にはもう、ナエの姿はどこにもなかった。
ナエは、やり遂げてしまった。
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その日の午後のことだった。日はとうに暮れてきていて、太陽の光が届かなくなりつつあったから、とても寒かった。青年は、普段より早く家に着いた。
かじかんだ手でドアに鍵を差し込んだが、うまく開かない。いや、既に空いていたのだ。鍵を閉め忘れたのか?そんなことはないはずだ。なぜなら、この家には家族がいるからだ。1人ではどうも心配な、家族が。
青年は声をかけながらドアを開き、寒々しい廊下を見た。いつもなら近寄ってくるはずの、唯一の家族がいない。
青年は、途轍もなく嫌な予感がした。
リビングに雪崩れ込んだ。テレビはついていないし、少女が毛布にくるまっている様子もない。がらんとしたダイニングキッチン、テーブルの上に、何か書き置きがあった。
懇切丁寧な文字で書かれていたのは、あまり無理しないでねとか、いつもありがとうとか、本人から渡されたら非常に嬉しかったであろう言葉たちだったが、どことなく悲壮な感じがした。まるで遺書のようだった。
ようだった、とするのはおかしいかもしれない。青年に知る由はないが、ナエは勿論、そのつもりで書いたのだから。
青年の背中に、悪寒が走った。
青年は逆行した。走って走って、自宅周辺にあの白いワンピースの人影がないか探し回った。いない。どこにもいない。そう遠くには行っていないはずだ、探せばきっとどこかに――
そんなところだった。
いつもはがらんとしている河川敷に、人だかりができている。主婦が、老人が、会社帰りのサラリーマンが、みんなして同じ場所を見つめて、噂している。何かに引き寄せられるように、青年は近づいた。
警察がいた。救急隊員がいた。しかし、少女の姿はどこにもない。ただ、雑音混じりでもよく聞こえるのは、白いワンピースを着た少女が。
<もっと、もっと沢山話し合っておけば。話す?俺の何を伝えるべきだったというんだ。救いになるような気持ちなど、ひとつも持っていなかった癖に。>
そこから先のことを、青年はよく覚えていない。たったひとつ確かなのは、あの部屋にはもう、少女の姿はどこにもないということだ。