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夏が来る前に
向日葵は首を垂れてなお、明日の方角を向いていた。
梅雨明けを告げるように、花弁が一枚、また一枚と剥がれ落ちていく。
アスファルトに張りついた黄色は、もう二度と空へは戻れない。
七月三十一日、この街では今日失踪する人間が一番多い。
理由は、簡単だった。明日、夏が始まるからだ。誰もが待ち望むはずの八月一日を、この街の人間だけは異様に恐れていた。
八月一日になる、午前零時。
この街では、誰かひとりが必ず夏に連れていかれる。海で溺れたわけでも、山で遭難したわけでもない。朝になれば、ただひとり分だけ綺麗に痕跡が消えているのだ。
部屋、写真、連絡先。ひどい時には、存在した記憶さえ。
だから皆、七月の最後の日になると家に鍵をかけて朝まで眠らないようにする。
子どもの頃、母は言った。
「明日はね、いちばん楽しい日なの」
楽しい日が、どうしてこんなにも多くを奪うのか。その答えを、私はまだ知らない。知らないまま、屋上のフェンスに指をかける。眼下では、夏祭りの準備が進んでいた。提灯が揺れ、屋台から甘い匂いが漂う。世界はこんなにも浮かれているのに、私だけが明日に拒まれている気がした。そのとき、隣で誰かが言った。
「そこ、僕が先に連れていかれる予定なんだけど」
間の抜けた声、振り向けば制服姿の少年がラムネ瓶を揺らしながら立っていた。
ひどく場違いな笑顔で、まるで明日が来ることを少しも恐れていないみたいに。
「消えるなら、せめて花火見てからにしない?」
夜空に、最初の一発が上がった。散るだけの光が、やけに綺麗だった。