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恋愛三年説
「恋は三年、愛は四年って言葉...ご存知ですか?」
ある教授が講壇の上で、そう語った。
決して端正というわけでもない顔をした白髪混じりの中年の男性だった。
その問いに誰も答えず、黙って前を向いていた。
「...そうですか。では、貴女方に恋人はいますか?好きな人でもかまいません、今...好きな人を想い浮かべて下さい」
問いに応えるようにある程度の全員が誰かを想い浮かべる。それが、一分ほど続き、やがて全員が前を向いた。
「思い浮かべることができましたか?
では、その人へ対する愛は、どのくらい続きますか?
抽象的ではなく、具体的に数字の値として表してみて下さい。
今、それを答える為の用紙をパソコンへ配布します」
パソコンの画面に目を通した。
画面から、一件の課題の通知。それをクリックして開かれたアンケートのページ。
質問は一つだけ。
--- 講義中の質問の“貴方が思い浮かべた人”への愛の数値を可視化して下さい。 ---
--- (年単位、数ヶ月単位 可) ---
質問の下の入力欄に『∞』と打ち込み、送信する。
前を向くも、『分からない』『0』『数ヶ月』『数年』『∞』と欄に別れた投票アンケート。
その中で『数年』が50%を締めていた。
なんだか馬鹿らしくなりながら下の時間を示すタイムウォッチが止まるまで待った。
やがて、ピピッとした機械音が響き、教授の声が続いた。
「お疲れ様です。では、集計の結果の前に『0』や『∞』がある理由をお伝えします。
人間には人を愛する、という行為が必然的に存在します。それは次の世代へ種を託す、広めるなどの本能的な行為の上で成り立ちます。
しかし、稀にその本能的な行為に懐疑的ではない...所謂、消極的な人や、かえって本能に素直な積極的な人がいます。この素直な人は一般的に恋愛体質と言いますね。
真逆で、消極的な人は、恋愛感情も性的欲求もない人という意味で“アセクシャル”。
また、男性が男性を好きになる人を“ゲイ・バイセクシャル”。
女性が女性を好きになる人を“レズビアン”。
最後に異性、同性問わず好きになる人を“バイセクシャル”。
この三つの方々を性的少数者、“セクシュアルマイノリティ”と言います。
近年ではそういった考え方が多く知られるようになり、差別的な言葉が飛び交うことも少なくなりましたが、やはり本能的な行為の上で成り立つことをしないというのは些か不信がられるようです。
では、『0』や『∞』がある理由のうち、『0』は先程挙げた、アセクシャル用からです。『分からない』は、はっきりと明確に表すことを避ける日本人の心理的実験の為です。
そして、『∞』。これはシンプルにそういった方もいるだろうと予想し、追加しました。
では...集計結果についてお話しましょう」
---
『分からない』 10%
『0』 5%
『数ヶ月』 20%
『数年』 56%
『∞』 9%
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教授がパソコンを弄り、『数年』の平均値をスクリーンへ表示させる。
『3.5年』
ほぼ、四年だと言っているようなものだった。
少しざわつく生徒を抑えるように教授が口を開いた。
「大抵の方が一年から五年で、平均値は3.5年でした。
最小値は一年、最大値は五年。全体的に三年、四年の回答が多く見られました。
これは恋愛感情が三から四年までしか持たない、というやや定説じみた話に基づき、行ったものです。
しかし、本当にそうでしょうか?
人類学者のヘレン・フィッシャー氏は、人間の男女の“愛の揺らぎ”についての研究に取り組み、“恋愛感情は3年で冷めやすい”と恋愛三年説を説きました。
これは、そもそも恋愛の定義を男女、として仮定してこの説を始めに解説しましょう。
男女が出会って恋に落ちると、恋愛の最初のステップである①では、ドーパミンやPEAが脳内に放出され、胸がドキドキとした感覚を覚えたり、相手のことしか考えられなかったりと、周りが見えにくくなる...所謂、盲目的な状態に陥ります。
そして、主に動物的本能から“快感”を覚え、やみつきになる...中毒と酷似していますね。
ですが、半年から3年ほどで恋愛気分を忘れ、一部は別の異性に目移りし始めることがあります。
それは、ドーパミンにはブレーキホルモンが働きやすく、PEAの放出期間は長くて4年程度だからです。
更に男性は、テストステロンが3割も減少し、少しの間、“父親になる準備”を始める。
男らしさは失われ、コロンと丸みを帯びた体格になり、セクシーさは影を潜めてしまいます。
こうなると、『恋人の魅力が薄れた』と感じる女性もいるでしょう。女性も、胸がキュンとなるような恋愛気分は、往々にして長くは続かないのです。
そそんな最中、男性が別の女性に目移りし、再び繁殖の準備を始めたと分かれば、ますます『なぜこんな人と付き合っていたのか』とバカらしくなるのも当然です。
...では、恋に落ちてから4年後に、すべてのカップルは必ず、全員が別れるのでしょうか?
もちろん、そんなはずはありません。
また、すべての男女が『愛がすっかり冷めたのに、子どもや社会的信頼などのため“やむを得ず”夫婦やカップルで居続けている』のかといえば、そうでもないようです。
となると、彼らを繋ぎとめている感情とは、一体どんなものなのでしょうね?」
教授が乾いた唇を舐め、更に話を続ける。
「それは、“幸福感”です。
癒しや信頼、愛着に近い感情を抱かせるものこそ、快感系のドーパミンとは真逆とも言える“幸福ホルモン”で、その代表がセロトニンやオキシトシンです。
セロトニンは、脳を落ち着かせ、リラックスさせる効果をもつ神経伝達物質です。
フィッシャー氏によれば、情熱的な恋愛の①ではドーパミンなどに押され、分泌量が低下しやすいものの、うまくいけば更なるステップの②で正常に分泌され始める、といいます。
一方のオキシトシンは、親しい人と手を繋いだりハグし合ったりと日々スキンシップを深め合うことで、長く持続的な放出が期待できます。一般に、出産・子育てに関係する“母性”のほか、社会行動形成や抗ストレス作用もあるとされ、別名“愛情ホルモン”とも呼ばれています。
ある大学の研究によって、オキシトシンが脳から遠く離れた脊髄にまではたらきかけ、オスの交尾行動を脊髄レベルで促進させることも判明しています。
つまり、①で放出されやすいドーパミンは、激しい恋愛感情や性的快感、すなわち“恋愛”や“性行為”と関連が深い一方で、②で放出されやすいセロトニンとオキシトシンは、信頼や愛着といった穏やかで持続的な愛情、あるいは|繁殖行動《スキンシップ》の一環としての性行為や“結婚(生活)”に関連する欲求に近い、とも言えるでしょう。
この欲求はそれまでの行為が信頼や愛着のステージへ変化していることが分かります。
①や②の感情とは異なり、フィッシャー氏の先の提言に基づけば、ヒトにおいて交配と生殖から進化した恋愛系のシステムは3つ、すなわち性欲、恋愛、愛着です。
性欲は、空腹のときのようなちょっとした“苛立ち”に近く、また恋愛は、気分の高揚や、対象者に初期に感じる“執着”に似た感情だと言います。
では愛着はと言えば、“長年のパートナーに対して感じる、落ち着きや安心感”とのこと。
そんな互いに繋ぎ止められた、三年以上、長続きするカップルや夫婦はそのような感情を抱いているのです。
では、セクシャルマイノリティの方々はどうなるのでしょうか?
アセクシャルを抜きにして考えても、恋愛三年説は“一般的な男女のカップル・夫婦”でしか説かれていません。
貴方が女性で、女性が好きなら、貴方の恋愛感情は三年で冷めますか?
貴方が男性で、男性が好きなら、貴方の恋愛感情は三年で冷めますか?
貴方が女性で、男性が好きなら、貴方の恋愛感情は三年で冷めますか?
貴方が男性で、女性が好きなら、貴方の恋愛感情は三年で冷めますか?
...どうですか、貴方の恋愛感情は三年で冷めますか?」
講義が終わり、教授が席を時計を見た。
直後、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響いた。
引用:文春オンライン
「恋愛感情なんて3~4年しかもたない」が定説…それでも関係が長続きする夫婦・カップルはいったい何が違うのか 『恋愛結婚の終焉』より #2 /牛窪 恵
https://bunshun.jp/articles/-/65600
参考:TED日本語 - ヘレン・フィッシャー: 恋する脳
https://digitalcast.jp/v/19232/
参考:TED日本語 - ヘレン・フィッシャー: 人が恋する理由
https://digitalcast.jp/v/19351/
わりと本文そのままですね。
『人が恋する理由』が作中と記事のものです。