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#8:イレギュラー
真夜中の路上。あくびを噛み殺しながら、私たちは行進を続けていた。
「それで、何で私についてきて欲しいんですか?」
まだ書類仕事にも慣れていないのにもう現場か、と付け加えようとした。その前にアシスタントさんが口を開いた。
「現場と書類仕事と研究、どれに適正があるのか分からないからっスね。」
「なぜここにいるんだ。君たちアシスタントも別に暇じゃないだろう。」
「うん?ああ、『兎』はまだ分かっていることが少ないギルティだから、オレがついて行った方がいいってミナ様が。」
「それはそうだが……。」
|アシスタント《上層部》がいるからか、ナロさんは少し緊張しているようだ。
いや、私以外の全員がナロさんと同じ考えのように思われた。そのうち、アシスタントの権威がピンとくるようになるのだろうか。
「まあいいじゃないっスか。任務をこなすにあたって、戦力は多い方がいい!」
速度を一度落として、背負っている金属バットを撫でると、またオレンジさんは歩き出す。
今日は分厚い雲がときどき月を覆い隠している。私たちが特別保安局を出る前に雨が降ったようで、道路は薄暗く湿っていた。きらめいたり曇ったりする水たまりを靴で叩き、スーツに嫌な感触とシミをもたらす。
「……!」
「ルレットさん、奴らがいたんですか?」
上品に首を傾げて、どこぞの令嬢じみたウォリアー、ルイセイさんが問う。
「……。」
ルレットさんはこくりと頷き、表情筋を動かすことなく銃を構えた。宵闇に溶け込む、墨のような黒色のピストルを二丁。
「ルレット」さん。今日の昼、現場に行くと知らされて、初めて会ったウォリアーの少女。顔合わせの時も、彼女は一言も発しなかった。無言でお辞儀し、すぐに明後日の方向を向くだけだった。
「結界をお願いできますか?」
貴族令嬢を彷彿とさせるようなその声にあわせて、ウォリアーたちが武器を抜いた。私たちも仕事道具を用意する。
サポーターのオフィスにルイセイさんは訪れたことがあったので、私もぼんやりと顔は分かっていた。間近で洗練されたオーラに晒され、自分の品のなさが否応なしに分かってしまった。少し悲しくなったのは、彼女には秘密。
「了解です。」
先輩からレクチャーされたことを、ついに実践する時だった。
半透明の綺麗な結晶を、手のひらに乗る程度の器具に重ねた。鈍い駆動音が静けさを破っていく。音の広がりに伴って、緑色の結界も広がっていった。
ぐわんぐわんと頭を揺さぶられるような感覚に襲われる。辛い。胃がじくじくと痛み出す。出来ることなら、今すぐにでも逃げ出したい。
結界を張った代償だった。人間にだけ訪れる、精神的苦痛。ちっぽけな私は耐えるしかない。
「う、気持ち悪い……。」
「高木サンもそのうち慣れる。しばらくの辛抱だ。」
サポーター、という人間でもつける職業でも、やはり人間の比率は低かった。周りがリバースだらけで少し引け目を感じていたところで知り合ったのがこの人、酒匂さん。
しばらく特別保安局に勤めているからか、この結界が与える精神的ダメージも平気そうだった。
「今日はチョット少なそうだなァ。何でだ?」
「〈回収〉が済めば分かるかもしれませんね。……行きますよ。」
酒匂さんの問いかけに答え、一呼吸おいて飛び出していったルイセイさん。
曲がり角の向こう側、そこに兎がいるのだろう。重い銃声、鈍器を振り回す音、刃物が空を切る音。全てが空気を揺らす。音が収まったところで、邪魔にならない程度に覗いてみた。
「……。」
ルレットさんは確かにギルティを撃ち抜いていた。銃声もしていた。黒光りするそれは、薄く煙を吐き出している。
ただ、彼女が撃ち抜いたものの色は金色ではなかった。それだけだった。
「ハズレだな。給料にはなるからいいけど。」
同行していたウォリアーの1人、コンゴウさんが液体になったギルティに触れる。
給料になるからいい、という意見にこっそり同意する。
「これ、よろしくな。」
手渡された赤色の欠片には、まだ温かい同じ色の液体が付着していた。
「ほとんど赤だなァ。」
「黒もいますね。奥に残っているので、まだ近づかないでください。」
黒。ついその単語に肩を震わせた私を気遣うように、局員たちは手早く黒い結晶の収集作業を進めていく。
……この個体は足を盗ったやつじゃないし、もううずくまって助けを待つ一般人じゃない。私はもう守る側だ。だから、動かなくては。
足を動かし、屈み、手を伸ばす。窓ガラスを思いっきり割ったかのように、散らばっている結晶たちを背負っているカバンに収納する。
この結晶、ギルト結晶を運搬するのは私の役目だ。使い道は多岐にわたる。
先ほどの結界の展開、維持、ウォリアーの武器の製造。さらには協力施設で燃料の原材料として利用されてもいるらしい。エネルギーを抽出し、医療や滋養強壮食品としても使われているとか。
国から渡される予算だけに頼らないための知恵だった。
「……!」
ふと顔を上げたその時、顔の左側を風が撫でた。空を切る音がして、目の前に黄色いインクの塊となってギルティが砕け散る。
「!」
ルレットさんがこちらに駆け寄る。私の周りをゆっくり一周した。どうやら怪我がないか確認したようだ。
「流石ですね、ルレットさんの探知能力は。」
「ようやくメインディッシュだな!」
「メインディッシュ、って何だ?今度ミナ様に聞いてみるか。ま、今はぶっ倒せばいいんだろ!」
三者三様の反応をする戦闘員。次から次へと現れる兎を屠っていくその姿を見届けて、ギルト結晶を回収しようとした。
「あれ?」
住宅の塀、そして道路には蛍光色の液体がべっとりと付着しているのみで、煌めく結晶はどこにもない。
「これが兎のやべェところだな。」
「生体だけじゃなくてできれば液も欲しいってアイツが言ってたからな。」
瓶をいつのまにかナロさんは持っていた。匙で掬って液体を詰めながら続ける。
「|ギルト結晶が体内にない《・・・・・・・・・・・》。これがおかしいところだ。」
そうだ。コンビニ前で兎に襲われた時も、兎はギルト結晶を残すことなく溶けていた。
「前に私に言ってましたよね。ギルト結晶はギルティにとっての核であり、倒すと必ず手に入るって。」
「ああ。イレギュラーってことだ。倒しづらいとか、そういうことはないんだがな。」
ナロさんがあらかた詰め終わったので、私たちは別の体液だまりに移動する。いくつか瓶を用意してきているようだ。
「でも困るよなァ。ゲームで言えば、戦闘に勝ったのにご褒美が貰えないってところだからなァ。」
「ギルト結晶による恩恵が得られないのに、兎に対応する時間は増えている。結界を作るのに結晶を使う必要もあるしな。なぜ突然兎が増え始めたのかを早急に突き止めなくちゃいけない。」
瓶が満杯になったところで、ナロさんは掬うのをやめた。
「しかし、何もヒントがないからな。」
「……。……?」
「ギルティ!?」
すっと現れたルレットさんをギルティ呼ばわりしてしまい、彼女はむっとしたようだ。
「……!」
ルレットさんは私に冷たい視線を浴びせると、すぐにウォリアーたちが戦っている方を向いた。
「ごめんなさい。その、兎について何か分かったってことですか?」
こくりと頷いたルレットさんは、スマートフォンの画面を突き出した。近すぎてよく見えないので後ずさる。
「これは?」
ナロさんと酒匂さんも瓶を片付けて、スマートフォンを覗き込んでいた。
「合体?」
「子供の粘土遊びって感じがするなァ。」
球体に、兎をたくさんくっつけたようなギルティ。ピントは綺麗に合っていて、それの歪さを鮮明にしている。
ルレットさんが今戦場と化している場所を指差した。どうやら、もうじき戦闘が終わるようだ。
化け物としか形容できない叫び声をそいつは上げた。そして、自らと融合していた兎を引っ剥がして投げるところだった。月の光は分厚い雲に遮られ、その兎の金色は濁る。
金色の液体がぼとぼととこぼれ落ちている。あまり体力は残っていないのだろう、最後の抵抗という言葉がしっくりと来た。
俊敏に飛んでくる兎をオレンジさんが叩き割り、ルイセイさんが本体を深く突く。ゲームセットだった。
大量にインクを吐き出す亡骸を尻目に、結晶を探す。虚しく水音が鳴るだけだった。
「もう他にギルティもいないんじゃないか?」
あたりをしばらく観察して、ルレットさんが首を横に震わせた。コンゴウさんに加えて、ルレットさんも索敵したのだから、危険はないと見て大丈夫だろう。
「帰ろうか。お疲れ様。」
ナロさんの一言で、張り詰めていた空気が弛緩する。特別保安局からそう離れていないので徒歩だ。元々ギルティだった液体は地面に染み込むし、建物なども壊していないので、後処理をする必要もない。
「ナロさんもお疲れ様です。」
「メロンパンがより一層美味しくなるな。」
「ふわふわメロンパンですね?」
先頭で穏やかな瞳をして、ルイセイさんと会話するナロさんを私は眺める。今日のナロさんはルイセイさんを見つめていることが多かった気がする。
もしかしたら「今日の」ナロさんという表現は間違っているのかもしれない。
「あの目はまるで、恋をしているみたい。」
「俺は恋をしたことがあるかどうか分からないけど、多分そうなんだろ。」
「……。」
私の意見にウォリアーの2人は同意した。片方は無言で。
やはりそういうことなのだろうか。私の気のせいではないということなのか。
「初々しいなァ。ちょっと羨ましくなる。」
「三角関係ってことか!?」
「オレンジ、多分違う。」
オレンジさんとコンゴウさんが三角関係について議論を交わし始めたところで、酒匂さんはぽつりと漏らした。
「そういうことじゃねぇんだよ。懐かしくなる、っていうか。今はもう、分からないけどな。」
寂しげに目を伏せた姿に釘付けになる。どう彼に声をかけてあげればいいのか分からなくて、結局私はその後ずっと黙って歩くのだった。
今回初登場したのはルイセイちゃん、酒匂くん、コンゴウくん。参加ありがとうございます!
※ルレットちゃんは私考案です。これからもちょこちょこ出ます、おそらく。