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    戦況の変化
    
    
    
     モルズにあたたかな朝日が照り注ぐ。
 それに促されるように、モルズの意識が緩やかに浮上した。
「ふわぁ……っ」
 大きくあくびをして、寝起きでぼんやりする頭を覚醒させる。
 日の光によってぼんやりと照らされた部屋の中で、モルズが活動を開始した。
 枕元に置いていた短剣の状態を軽く確認する。錆もなく、刃こぼれもない。状態は極めて良好。
 荷物を全て身につけ、部屋に忘れ物がないか点検する。モルズが室内で動いた範囲は狭かったため、すぐに終わった。
 外に出て、部屋の扉に鍵を掛ける。
 昨日とは打って変わって、中に人の気配がない部屋がぽつりぽつりと見られるようになっていた。朝になって宿を引き払った者がいるのだろう。
「ありがとよ」
 受付に鍵を返却し、宿を出た。
 その足で傭兵組合に出向く。昨日、レイに来いと言われていたからだ。
「あ、モルズさん! いらっしゃったんですね」
 大きいという言葉では表し切れないほどの巨大なカゴ付の台車を押したレイが、モルズに声を掛けた。
「少々お待ちください」
 カゴの中には魔獣の死体がいっぱいに積まれている。昨日、レイが言っていた死体回収だろう。
 レイは台車がぎりぎり通れる大きさの入り口をくぐり、魔獣の死体をどこかに運び込んだ。
「お待たせしました!」
 三十秒ほど過ぎたあと、レイがモルズの元へやってくる。
「B区域の受付はこちらになります」
 モルズはたくさんの受付カウンターが並ぶところの一角、右側に設けられた受付に案内される。
「あとはよろしくお願いします」
 受付嬢に|囁《ささや》くように言ったレイは、そのまま階段で上の階へ上がっていった。
「モルズだ。報酬を受け取りに来た」
「はい、モルズ様ですね。報酬は、金貨五十七枚と銀貨十二枚となっております。金貨五十枚以上の場合、小切手とすることも可能ですが、いかがなさいますか?」
 金貨五十七枚。モルズは、まずその数字に驚いた。
 モルズが二年間で貯めた金貨は二千枚弱。一ヶ月あたり八十枚と少しの計算になる。
 その半分以上を一日で稼げてしまった。
「……金貨五十枚を、小切手で」
「はい、かしこまりました」
 前の二千枚の時のように、モルズに貯金のための明確な目標があるわけでもない。たくさんの金貨を持ち歩けば、無駄遣いしてしまいそうだった。
「こちらになります」
 金貨七枚と銀貨十六枚に、金貨五十枚分の小切手。受付嬢が言った額面と相違ないことを確認し、モルズは報酬を革袋に収めた。
「ありがとう」
「ありがとうございました!」
 モルズと受付嬢の言葉が|被《かぶ》る。それに少しの気まずさを感じながら、モルズは傭兵組合を後にした。
「行くかな」
 屋台で朝食を摂り、自身の担当区域へ出向く。昨日レイに案内してもらったため、およその位置は把握した。
 昨日より僅かに密度を増した魔獣がモルズに押し寄せる。夜間、魔獣を狩る傭兵が少なかったからだろうか。
 魔獣が爪を振るう。強引に距離を詰め、密着した。魔獣の爪は空を切るのみに留まる。短剣を首に押し当てるようにした。
 動かなくなった魔獣を蹴り、後続の魔獣に対する盾とする。同時に、後ろへ下がった。
 全体を把握し、どの魔獣から|殺《や》るか決める。
 一体目。魔獣の体で視界が塞がれているところを一閃。
 二体目。倒れた魔獣の体につまずき、転倒。そのまま後続に押しつぶされて死亡。
 三体目。懐に飛び込み、腹部を突き刺す。
 四体目、五体目、六体目。短剣を持った腕を振り抜く。一直線に並んでいたため、斬りやすかった。
 七体目。腕を大きく振ったモルズに隙ありと判断したのか、モルズの背後に魔獣が迫る。モルズは足で魔獣の体を踏みつけ、動きを阻害した。短剣を投げつける。
 八体目。体を低くして魔獣の股下を抜ける。未だ気がつかない魔獣の足元から腹をぐさり。
 九体目。群れの中にいた魔獣が突然血を噴き出し、群れ全体に動揺が走る。短剣を構えたモルズは、隙だらけの魔獣を屠ろうと踏み込んだ。
 短剣を振るう直前――嫌な予感、死の気配を感じる。
 体が悲鳴を上げるのを無視し、後ろへ飛び退いた。
 急な回避、隙だらけの姿勢。魔獣がモルズに群がろうとするも、それは阻まれる。
 ――魔獣の後方、衝撃波を引き連れた拳によって。
「がっははは! 大丈夫か!?」
 人の頭すら通りそうな風穴を魔獣の体に開け、グノンは高らかに笑った。
「助けに入ってくれてどうもありがとう。俺は大丈夫だ」
 下手すれば死んでいたこともあり、モルズは喧嘩腰に返した。
「そうか。それは良かった!」
 やはり、遠回しな表現では伝わらない。
「じゃあな! 俺は先を急ぐ!」
 そう言い放った後、土煙を立てて走り去っていった。――モルズがいる更にその先、最前線へ。
「何だったんだ」
 突然現れ、突然去る。破壊を添えて。
 まさしく暴風雨。
 モルズは、余計にグノンのことが分からなくなった。
 モルズと同じくグノンに意識を奪われていた魔獣。モルズは魔獣より先に我に返り、魔獣を睨みつけてにやりと笑った。
 今なら、呆気にとられた魔獣を、視界内の魔獣を一掃できる。
 モルズは、まず目の前の哀れな獲物に狙いを定めた。
 ◆
 数分後。
 視界内の魔獣を撫で斬りにしたモルズは、次の獲物を求めて戦場を歩いていた。
 短剣を体の一部であるかのように操り、そばを通りかかった魔獣を切り伏せる。
 そうしていた時だった。
「ぬぅ、おおおぉぉー!」
 モルズの進む先から、雄叫びが聞こえた。
 その声は、先ほど会った人物――グノンのものに酷似している。
 モルズは声が聞こえた方向に意識を向けた。
 戦闘中。グノンが若干劣勢。
 グノンの助けとなるべく、モルズは全力で走り、グノンの元へ駆けつける。
 そして、グノンと戦う《《人影》》へと切りかかった。
 足の腱を切り裂く。
「グノン! 大丈夫、か?」
 グノンの安否を確認するモルズの言葉は、最後に失速する。
『あ? 誰だ……!?』
 グノンと対峙する人影の顔を、その姿を見て。
「俺と、同じ顔?」
 他人の空似と言うには、あまりに似すぎていた。
『チッ……!』
 驚愕、というよりは焦燥。
「よく分からんが、こっちが敵で良いんだよな!?」
 敵を殴りながら、グノンがモルズに確認する。
「あ、ああ……」
 自身と同じ顔をした相手を攻撃する。奇妙なことだが、|躊躇《ためら》ってはいられない。
 敵がグノンの拳を受け流す。
 どこからか灰色の長剣を取り出し、グノンの脇腹を狙った。
「させるか」
 足元の石を拾い、投|擲《てき》。敵の手に当たり、狙いを逸らした。
 敵は苛立たしげに顔を歪め、足を踏み鳴らす。
 地面に衝撃が走った。
 普通ならありえない現象に、モルズの思考に空白が挟まる。が、すぐに我に返り、これから起こる現象に備えた。
「下か!」
 振動の発生源が近づいてくる。
 モルズが上に跳んだのとほぼ同時、地面から灰色の棘が伸びた。
 高度が足りず、両足が傷つく。
 高く跳んだモルズは、現在無防備な状態。追撃されれば避けられない。
 格好の的のはずだが、攻撃は来なかった。
 あの能力にも、何か制約があるのだろう。
「その特異な力! 魔獣だな?」
 ただの人間には、あんなことはできない。
「がはは! そんなこともできたのか!」
 グノンの楽しそうな声が響く。敵が強い力を持っていることに、喜びを感じているようだった。
『御明察』
 棘を地中に戻しながら、魔獣は言った。
『ただ』
 上から落ちてきたモルズが、魔獣の頭に短剣を振り下ろす。
『俺たちは』
 魔獣の頭がぐにゃりと歪み、モルズの攻撃は無効化される。
『理性を持っているんだ』
 魔獣が腕を伸ばし、モルズの短剣を掴む。
『獣と同じにしないでくれ』
 グノンが魔獣に突進する。モルズと距離を離され、さらにモルズが短剣を握り込んだことにより、魔獣は短剣を取り落とした。
『そうだな』
 魔獣の体が縮む。グノンの股の下を通り抜け、背後から奇襲した。
 グノンは獣じみた反射で魔獣の攻撃を捉え、拳を打ち込む。
 魔獣は体内で衝撃を分散させ、拳は有効打とならない。
『ぐっ……』
 だが。拳によって生まれた衝撃が、魔獣の体を揺さぶる。
 数秒間、魔獣は身動きを取れない。
「決めろ!」
 グノンが吠える。
 グノンがどれだけ頑張っても、この魔獣の命には届かない。
 衝撃を分散させられる相手に、打撃というのは相性が悪すぎた。
「らあァ!」
 短剣を構えたモルズは、魔獣の胸に迷わず飛び込む。
 先ほどの様子を見た限り、頭は急所ではない。
 ならば、胸。胴体の中心。
 今までにない速度で足を動かし、刃先に力を集中させた。
 キィン! と硬質な音が響く。
 人体と刃物がぶつかった時にはおよそ鳴り得ない音。
『「魔人」とでも呼んでくれ』
 あとに響くは、やけに静かな魔獣の声。
 本体より一足先に停滞から脱した棘が、モルズの攻撃を防いでいた。