公開中
あなたの握力。
「私の自慢は握力です!」
向かいの華奢な女の子が胸を張って答えた。
腕は細くて白いし、特に強そうな感じはしない。
「まじ?じゃあ俺と握手してよ!」
宗大はいつでもどこでもちゃっかりしていやがる。
俺も、早くこんなところからおさらばするために宗大に学ばなければならない。
「えー、わたし、この男の子がいーなー」
俺だった。
華奢なこの女の子の手を握るなんて……。
女の子の手を握ったのなんて幼稚園以来だ。
急に口元の吹き出物が気になりだした。
「えっ……」
俯きながら差し出してきた手を握り返したが、そっと握られるだけで、握力は感じなかった。
ただ、俺の手汗で溶けてしまいそうな初雪に包まれていただけだった。
「どう?」
ぷっくりと涙袋を作ってこっちを見つめる女の子。
左手の小指で小鼻を掻いて、笑顔を作ってみせた。
茶色がかった不思議でなめらかな黒目から、目を逸らせなかった。
「ずるいぞ啓介!」
手と手は引き剥がされた。
わたがしのように柔らかくて、氷のように心地いい冷たさ。
ジョッキを握っても、まだあの手が恋しかった。
「まじで強かったよ」
どうだったどうだった、と口々に聞かれて、俺はそう答えるしかなかった。
女の子は、小さく小指を立てて、満足そうに頷きながら酒を一息で流し込んだ。
ちょんちょん。
太ももをスマホでつつかれた。
『一緒に抜け出しません?』
スマホの画面には、大きな文字でそう書かれていた。
その横には、困り顔で俺の顔を覗き込んでいる可愛らしい女の子がいる。
唇はラメできらきらと光っていた。
俺もスマホで打ち込んで、その子と同じく落とした物を取るフリをして、女の子の足をつついた。
「ちょっと、お手洗いに」
女の子はこちらを向いて、しーっ、と口に小指を当てた。
席に四千円を置いて、ロングコートを羽織る。
ふすまを閉じて女の子の後ろについて歩く。
ゆっくり小さく振られる腕。
長い廊下の冷気で赤くなった手先。
前髪のない薄い茶色のロングヘアー。
女の子の顔を照らすのは、電球から月明かりに変わった。
騒がしい繁華街の視線から逃げるように、俺たちは路地の入り口に入った。
人の熱気がなくなり、深夜の冷え込みを肌で感じるようになった。
美怜さんは、白い息で手を温めている。
「どうして握力あるなんて嘘ついたの?」
スマホが震えたが、もう二人で逃げる準備はできている。
美怜さんの手に触れないようにコーヒーを手渡した。
「んー?嘘じゃなーいよ」
開かないや、と笑ってコーヒーをバッグにしまった美怜さんは言う。
俺の前に、そっと手が差し出された。
「啓介くんはどー思うのー?」
俺はもう、完全に握られている気がする。
「手の握力じゃないでしょ?」
さっきと同じように、俺は美怜さんの手を握った。
「ふふ」
美怜さんは、手の結び方を変えた。
溶けかけた氷のように、細くしなやかで柔らかい指。
今度は、ほどけそうになかった。
俺のレザーバッグと、美怜さんのショルダーバッグが寒さを切り裂いてゆく。
美怜さんは足を止めて、こちらを振り返って微笑んだ。
「せーかい」
真下から声が聞こえた。
俺の胸にこつんと頭を当てて、屈託のない子どものような笑顔で見上げられていた。
美怜さんのロングヘアーは水のようになめらか。
その頭は、俺よりずっと小さく柔らかい。
頬に、手が奪われて帰ってこなかった。
「美怜さん……」
俺の唇にはレモンの匂いが残った。