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ジェイドヴァインの花
梨花は、親に期待されていた。
「梨花なら絶対に留学する」と思い込まれているのだ。
梨花は頭が良く、いろんな国を調べるのが好きだった。そんな姿を見ていた母親は、留学するためと思い込んでいるのである。
「それで、どこにするの?」
母親からそう聞かれて、どぎりとした。
梨花は留学する気なんかさらさらなかったのだ。しかし、親族がアホばっかりだったせいか、梨花に向ける期待は表面以上の気がする。
「あ、ええと…」
まさか、こんな雰囲気で行かないなど言えるものか。
「TOEICのために、フィリピンに行きたいの」
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夏休み期間、41日間をすべて留学に充てるんでしょ。
母親に無言の圧でそう言われた気がした。
しかし梨花は、正直、フィリピンにはそこまで興味を持てなかった。
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「無事到着…か。」
そもそも、留学なんてする気はなかったのだから、そこまでハイテンションではない。外国に来たという実感も、湧かなかった。
時差が1時間しかないのだって、異国感のないこの感じの理由の一つだろう。
さて、留学先はフィリピンと咄嗟に思いつきで言ってしまったので、フィリピノ語は少ししかわからない状態。必死にフィリピノ翻訳アプリで学習したが、未だ不安。
友人でも作っておくと便利かと思い、その辺をぶらりとすることにした。
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クラーク空港を出て少しした先、現地民と思われる男性を見た。肌は白く、日系の顔をしている。梨花は、フィリピノ語の使い方に対する不安をふっ飛ばして近寄った。
「Medyo mas maganda?(ちょっといいですか?)」
「Oo, ano ang nangyari?(はい、どうしましたか?)」
少し低いが、まだ少年のような声で、彼は聞き返した。
その声には、どこか弟と似たところがある。弟は中2。流石に彼に失礼かと思いつつ、梨花は弟に接するように話した。
「Hindi, ako ay isang turista, ngunit nawala ako ...(いやぁ、私、観光客なんですけど、道に迷ってしまって…)」
「Oo, ang pangalan ko ay Ajorian. Ipapakita ko ba sa inyo?(そうなんだね、俺の名前はエイジョリアン。案内しようか?)」
「Naintindihan na, salamat. Pwede ba kitang tawagin na Aji(分かった、ありがと。あなたのこと、エイジって呼んでもいい?)」
梨花にしては積極的に攻めたつもりだ。早く友達になっておきたかったから。
それから一旦、近くのカフェに寄ることにした。エイジは今までずっと歩いていて、足が疲れたらしい。
やはりフィリピノ語を練習しておいて良かった。
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「Hoy, si Aji ay half Japan at half Filipino! Galing din ako sa Japan.
(へえ、エイジって、日本とフィリピンのハーフなのね!私も日本から来たのよ。)」
「Tulad ng inaasahan? Akala ko mukha siyang lahing Hapon.(やっぱり?日系の顔だと思っていたよ。)」
エイジと梨花は話が盛り上がっていつの間にやら観光のことなど忘れてしまった。
本当は観光客じゃなく留学生である事を伝えたら、もっと盛り上がった。
そして梨花は、彼の優しく25歳とは思えない少年のような明るい性格に、いつしか惹かれだしたのだ。
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ある日、梨花は、初めてエイジの家に遊びに行った。
「Maligayang pagdating, Rika.
Salamat sa pagbisita.(ようこそ、梨花!来てくれてありがとう。)」
エイジに言われて、少し照れくさかった。
TOEICの勉強もしながら、エイジの人脈を利用して様々な人と関わった。そして、《《二人きり》》の時間は、梨花の夏休み、あと14日間の中では最後になるかもしれないことは、エイジも梨花もよく分かっていた。そのため、梨花は、プレゼントを持ってきていた。
今日は家の中でゆったり過ごすという梨花の予想に反し、彼は出掛けようと言い出した。そんな自由さも、彼の魅力の一つなのだが。
「Ang sarap pumunta sa isang lugar, pero saan pupunta
(どこかに行くのはいいけど、どこに行くの?)」
「Secret lang naman di ba(内緒に決まっているだろう?)」
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梨花が連れてこられたのは、植物園だった。エイジが真剣な眼差しで梨花を見つめる。
「Makalipas ang 14 na araw ay wala ka na. Gusto ko na ipakita sa iyo noon.(君がいなくなるのは、14日後だったよね。それまでに君に見せたかった。)」
梨花には意味がわからなかった。なんでこの翡翠色の綺麗な花を、私に見せたかったのだろう、と。
「Ito ay isang bulaklak na tinatawag na Jade Vine. Gusto ko silang ipakita sa ligaw, pero namumulaklak sila sa rainforest.(これは、ジェイド・ヴァインっていう花さ。野生のやつを見せたかったんだけども、こいつが咲いてるのは熱帯雨林だからね。)」
そう言って、エイジは笑った。
その笑顔に引き出されるように、梨花は、素直に聞いてみた。
「Bakit mo gustong ipakita sa akin ang bulaklak na ito(どうしてこの花を私に見せたかったの?)」
エイジは一瞬キョトンとして、それからたどたどしく答えた。
「ドゥシ、て、だろうネ」
日本語を勉強していたのかもしれない。
エイジの中ではうまく言えていたようで、照れ臭そうに笑っていた。
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留学期間はあっという間に過ぎ去った。
梨花は、帰りの飛行機をクラーク空港で待つ。
エイジも見送りに来ていた。
「Rika ay isang regalo.(梨花、プレゼントだよ。)」
エイジは、その手にジェイド・ヴァインを持っていた。
梨花は泣きそうになりながら、
「Bakit...?(どうして…?)」
と尋ねる。
今まで何度もしてきた質問だった。
そして今まで何度もはぐらかされた質問だった。
「Ang bulaklak na wika ni Jade Vine ay, "Huwag mo akong kalimutan."(ジェイド・ヴァインの花言葉はね、「私を忘れないで」。)」
梨花の瞳から、堪えていた涙が溢れ出す。
「Gusto ko po kayo. Wag mo akong kalimutan.(君の事が好きだ。忘れないで、俺を。)」
「っ…」
「大好きだよ、梨花。」
彼のその日本語は、14日前と比べ物にならないくらい流暢だった。
抱き合う二人のことを、嬉しそうにジェイド・ヴァインが見守っていた。
ふぉぉ、書き終わったぜェイ…