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保留酔い
それなりに高いマンションの角部屋で、四人の男女がそこら辺のスーパーで買ったであろう惣菜を囲んで座っていた。一人は箸で唐揚げを摘みつつ、一人は片手に酒缶を持ちつつ、一人は既に酔い潰れ間近だった。その中で一人だけが嬉しそうにペンとメモ帳を持っていた。そう、いつもの同人作家だ。
「……というわけで、同人誌の締め切りが不味いので協力してもらいたいんです」
「嫌です。マジで嫌です」
例の作家、松林の言葉に黒髪の青年がすぐさま拒否の姿勢を見せた。それに作家が受け答えをする。
「いえ、拒否権はないので」
「俺達の人権は?」
「ありません」
「嘘だ!空知先輩からも何か言って下さい!」
青年に空知先輩と呼ばれた白髪の青年が酒を呷りながら「もう無理じゃない?一護君」と笑いながら一護君と呼んだ黒髪の青年へ流す。頬は既に紅潮しており、薄ら笑いを浮かべたままだった。
「っ……俺、弁護士の知り合いがいないか探してきます」
「訴えたら買ってきた惣菜のお金を請求しますね」
「卑怯じゃないですか?!」
「私もカツカツなんです!なので、ネタになって下さい!」
「ネタになれって言われても……別に俺達、普通ですよ」
「昨今には職業BLというものがありまして」
「……やっぱり帰っていいですか?」
そう尋ねた一護に、松林が「お金」と逃げ道を容赦なく塞ぐ。上へ逃げ込む川に土嚢を積み上げるようにして、言葉が積み重なり、一護の表情がどんどん険しくなりつつあった。そのなかで、既に酔い潰れ間近だった四人目が、のそりと上体を起こしていた。
「一護君、諦めた方がいいんじゃない?翔はともかく、松林さんの執念は、締め切り直前の作家特有の呪いでしょ」
そう言って笑うのは先ほどまで飲んでいた柳田で手前の方に、翔と積み上げた缶のピラミッドが鎮座していた。
「柳田さんまで……さっきまで、ほぼ寝てたじゃないですか!」
「寝てたおかげで、今の『人権なし』宣言を夢だと思いたかったんだけどな……松林さん、翔の理由は分かるけれど、僕らみたいなどこにでもいるような人ってネタになるの?」
それに、松林は待ってましたと言わんばかりに、ペンをくるりと回して唇を開く。
「そこがいいんですよね、バイトで従兄譲りの警戒心ゼロ人懐っこワンコ(受)× 大型スーパーの店長で面倒見よし雰囲気だけぱっと見悪めで柔らかめ未亡人(攻)』。《《よくある》》過去の悲しさが絆されていくタイプの王道じゃないですか。柳田さんは結構資格ありますよね?完璧な布陣かと」
「うわ、長……大体、君が僕のことをもう思ってるかは分かったけど、僕そっちなんだ」
「逆でもいいと思いますけどね」
「あはは、僕が受け?面白そうだね」
柳田が完全に他人事のように笑い、缶ビールをカチリと開ける音がやけに爽快に聞こえ、「未亡人というか、天涯孤独なだけでは」と助け舟を言うことはなかった。
「ね、一護君。僕が君をデスクに押し付けて、『仕事は後回しにしようか』なんて言うシーン、松林さんに描いてもらおうか」
「えっ」
「えっ?」
双方が顔を見合わせ、柳田だけがくしゃっと笑って惣菜のコロッケを口に放り込む。一護が放心したままなことに気づいた空知が「酔ってるんだよ」と助け舟の錨を下ろした。その間も松林の手は止まらず、メモ帳にペンが擦れつつ、何かが書き込まれていった。
「では、タイトル案は『逃さず拒ませず』で。一護君は新人の可愛らしいアルバイト。柳田さんはエリート系列の上司、いえ、店長。で、空知さんはその二人の仲を陰ながら邪魔する同僚……」
「僕、邪魔者役なんだ……」
空知が遠い目をして、酒缶を静かに机に置く。柔らかなカンとした音が鳴り終わった頃に、一護が口を開いた。
「いっそのこと、店長の犬役とかどうです?たまにそういうものを描いてる人、いますよ」
「一護君、それはそれでマニアックなジャンルじゃない?」
「俺、同人誌のジャンルとかよく分からないんで……」
「……それもそうだね……」
珍しく何も言わない空知が口を閉じ、隣でいつの間にか完全に潰れた柳田に近くの毛布をかける。それを見た上で、松林がぐっと叫んだ。
「それ!それですよ!いつも、いつもそういうことする!!」
「え、何……怖……」
やや慄いた空知の横で、一護が黙ったままコップに入ったグレープフルーツジュースを飲み干していく。その間にも、松林の猛攻は止まらなかった。
「でも、空知さんと柳田さんって距離近いじゃないですか!」
「いや……別に恋人とかじゃないし。学生時代とかにやたら距離近くて食べっこする女の子とかいたじゃん、それと同じだよ」
「それが他人からすればカップルに見えるんですよ!」
「知らないし……それ言ったら、一護君は?わりと全員と仲良いけど」
「いじられ系の愛されポジです」
直後、横で一護が噎せ、空知が一護の背中を擦りながらすぐに聞き返した。
「……なんて?」
「いじられ系の愛されポジです。王道主人公感って、大人にイジられつつも愛されてませんか?」
「あ〜……うん、つまり?」
「総受けか、総攻めでは?」
「ごめん、専門用語を外してほしいかもしれない」
「ヤられる側か、ヤる側です」
「……だってさ、一護君」
そう空知に振られ、促された一護が「弁護士の知り合いがいないか探してきます」と言い、すぐさま松林が「お金」と呟く。そのまま何も言わなかった一護をいいことに、松林が言葉を続ける。
「仮に、柳田さんと空知さんのどちらかに迫られたら、どんな顔で『ダメです』って言いますか?」
「は?」
「たとえ話です」
「……完全に拒否はしないけど……保留にしますね」
「ああ、絆される系なんですね」
「分析早いな……」
そのまま、松林は、煌々とした瞳で一護に詰め寄り、うっすらと一護が眉をひそめる。
「大体どんな人かは分かりました。じゃあ、ちょっと空知さん」
「なに?」
「一回、一護君と顔を近づけてみてくださいよ」
「あれ……最初のは?」
「多分、柳田さんも一護君と同じタイプですから……」
「ああ……そういうの好きだよね、松林さんって」
「見たことありますよね?」
「……知人が見てただけだよ。おまけにこっちを漫画に当てはめようとするから、いやでも覚える羽目になった」
「ご愁傷様です」
「思ってないよね、絶対!」
叫んだ空知を無視して、松林の「はい、近づいて!」という号令に、空知は溜息をつきながらも、どこか面白味がるような表情で一護の方へ体を向ける。酒の勢いもあるのか、空知の動きに躊躇いはないが、一護は露骨に顔を引きつらせ、背後のソファに深く沈み込んだ。
「……空知先輩、マジでやるんですか?」
「いや、松林さんのペンが止まると僕たち帰してもらえないだろうから……ほら、一護君、ちょっとじっとして」
空知の手が、一護の頬をかすめるようにして背後の背もたれに置かれる。所謂ところ、ソファ越しを介した壁ドンだった。空知の整った顔が、指三本分くらいの距離まで迫る。白髪から漂うアルコールの香りと、彼特有の整髪料の匂いが、一護の鼻孔を支配していた。
「……っ」
一護は呼吸を止め、目を白黒させる。拒絶をしたいが、空知の瞳は酔いで蕩けつつも、どこか実験を楽しむ子供のような無邪気さが混じった瞳が差し続けていた。
「あー、いいですね……!空知さんの『獲物を追い詰めてるのに、本人は慈しんでるつもり』な視線!そして一護君の、嫌がってるのに育ちの良さで突き飛ばしきれない、困惑の極地にある表情……最高です!」
ガリガリと、耳障りなほど激しくペンがメモを走り続ける。一護は額に玉のような汗を浮かべながら、必死に声を絞り出した。
「松林さん、もう十分だろ!空知先輩、離れてください!近い!心臓に悪い!」
「あはは、一護君、耳まで赤いや」
「いつも残念なイケメンなのに!」
空知がいたずらっぽく笑い、一護の耳たぶを指先で弾いた。その瞬間、一護が「ひゃっ」と短い悲鳴のような声を上げ、松林が反応する。
「それです!その天然の距離感!柳田さんが起きてたら、ここで『翔、やりすぎだよ』って言いながら、一護君を自分の背中に隠すやつですよね!?」
「なんで寝てる人の行動まで補完されてるんですか……?」
一護がようやく解放され、ぐったりとテーブルに突っ伏した。その横では、毛布をかけられた柳田が「ん……一護君……仕事、終わった……?」と、プロット通りの寝言を完璧なタイミングで呟いている。
「完璧です……神様がこの本を完成させろと言っている……!」
もはやトランス状態な松林のメモ帳は既に数ページが殴り書きで埋まり、彼女の脳内では「店長と先輩に奪い合われる新人バイト一護」の世に奇妙な特殊な恋愛物語が、フルカラーの映像として再生されているに違いなかった。
「ねぇ、一護君」
空知が今度は優しく一護の背中を叩きながら、おかわりの酒缶に手を伸ばす。
「僕、さっき『邪魔者役』って言われたけど……今の松林さんの顔見る限り、俺も結構『ヤる側』として期待されてるみたいだよ」
「……弁護士、明日一番で探してきます。あと、店長の毛布を剥ぎ取っていいですか」
「それは柳田さんが可哀想だろ」
缶が開く音がカシュっと鳴り、空知が缶を仰ぐ。不満そうな一護が机上の唐揚げに箸を伸ばすのも構わず、松林は最後の一撃を放った。
「決まりました。内容は、かつて深い仲だった店長の柳田善と店員の空知翔の冷え切った関係に、純粋無垢な一護君が飛び込んで、二人とも絆されていく“よくある”泥沼ハッピーエンドです!」
「「設定が増えた!」」
二人の声が重なる中、松林は立ち上がり、戦場へ向かう騎士のような顔で鞄を掴んだ。
「有り難うございます!最高のネタが撮れました!お礼に明日の朝、胃薬置いて帰りますね!」
嵐のように荷物をまとめて金を置き、去っていく作家の背中を見送りながら、一護は冷え切ったから揚げを力なく口に運んだ。
「……俺、もう二度とこのマンション……空知先輩の家に来ませんからね」
「まあまあ……で、さっきの距離、ぶっちゃけどうだった?」
「……保留です」
「あはは、やっぱ絆される系だ」
数人の人権が守られる日は、まだ遠そうで、スーパーの袋に入ったままの開けられていない缶の上に手が伸びる。酒缶の開く音と、誰かの寝息と会話はまだまだ続きそうだった。
しかし、保留が解ける日も、そう遠くはないのかもしれない。
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**おまけ:頬熱の微毒**
カーテンの隙間から差し込む朝日の眩しさに、重い瞼を開く。
視界に入ったのは、机に突っ伏して高い鼾をかく柳田と、その横で空の酒缶を枕元に並べて器用に眠る空知の姿。そして、昨夜の嵐の根源だった松林の姿はない。
ただ、手元には、約束通りの胃薬と、一枚の付箋が残されているばかりで、『一護君、最高のインスピレーションを有り難う!〆切明けに焼肉奢ります(原稿に穴が空かなければ)』と記されている。
「……誰が行くか」
寝起き特有の低い声で毒づき、ズキズキと痛む毒に帯びた頭を押さえながら立ち上がった途端、昨夜の記憶が泳ぐようにフラッシュバックする。至近距離で見つめてきた空知の視線、耳朶を弾かれた時の熱、自分自身の口から漏れた最悪の解答である『保留』。
「……っ、あ〜……くそ……!」
声にならない絶叫を飲み込み、窓に向かって強引に『真顔』を作った。口角を下げ、眉間に皺を寄せ、徹底的に『自分は怒っている、そして一切動揺していない』という鉄壁の表情を構築する。よし、これでいい。誰がどう見ても、昨夜の出来事など記憶の彼方に追いやった、冷徹な一人の男だ。そうに違いない。そうに、違いないはずだ。
「一護君、おはよう……もう帰るの?」
寝癖を爆発させた柳田が、目を擦りながら、あくび混じりに声をかけてくる。一瞬だけ肩を震わせたような気がして、即座に『真顔』をキープしたまま振り返る。
「はい、用事もありますから……昨夜のことは、酒の席の冗談として忘れておきます」
低い、落ち着いたトーン。完璧だ。完璧だと思う。
柳田はぼんやりとその顔を眺めていたが、ふっと口角を上げた顔に、うっすらと甘さを控えた毒が回るような気分がする。
「そっか……でも一護君、その顔で言っても説得力がないと思うよ」
「……何でですか」
「いや、顔は怖いんだけどね。耳から首まで、真っ赤っかで…… 茹でダコみたいだよ」
息が止まる思いだった。慌てて耳に手をやると、指先に伝わってきたのは、昨夜のアルコールの異様な匂いとは別の、心臓から直接送り込まれたような熱い拍動だった。
「…………っ!!」
口からはそれ以上何も言えず、靴をひっつかむようにして玄関を飛び出そうと足を動かす中で、背後から「昨日の夜さ、僕は途中で寝たけど……何してたの」という、小悪魔のような柳田の薄い笑い声が追いかけてきていた。ひとまず、弁護士を探そう。誰だっていい、何が何でも忘れたい。酒に溺れることになっても、今は道を少しぐらい外して妙に甘い毒を抜きたい気持ちだった。
何か、あの時『よくある』と聞いた話の続きを、自分が足を踏み入れているような気がしてならなかったから。
補足:
未亡人、未亡人と言っているが、実際は「天涯孤独」。
柳田は未婚なので配偶者もいなければ、親もいない(死去)。