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    王都奪還作戦
    
    
    
     王都に集まった傭兵は百人弱。
 現在王国に雇われている傭兵は三百人以上いるはずだから、かなり少ないと言える。
 案の定、それを不思議に思ったイバネスがたった一人でここまでやって来たテトラに詰め寄る。
「テトラさん。あなたの預かりとなっていた傭兵たちはどうしたんですか?」
「逃げました。魔王軍との戦いに怖気づいたのでしょう」
 テトラは不都合な事実は隠し、己の都合の良いように語る。
「彼らは、いずれ来る魔王軍との戦いにおいて貴重な戦力となるはずだった者たちです。その役割に応じた待遇は用意していたはずですが」
 テトラは、何も間違ったことを言っていない。
 ただ、少しだけ美化していただけで。
 傭兵はいくらでもいる。なくなれば金で釣り、その都度補充すれば良い。
 ならば、その傭兵が担う役割もそこまで重要ではなく、いくらでも替えがきくものだ。だからテトラはそれ相応の待遇をしたまでであり、そこに責められる謂れはない。
 そんなテトラの考えが伝わったのか伝わらなかったのか、イバネスは諦めたように口を開いた。
「分かりました。あなたの対応についてはまた後で調査を行い、上に報告します。とにかく今は戦力を結集することが先決です」
「そうですね。では、私は武器の最終確認があるので、これで」
「……」
 立ち去るテトラを無言で見送るイバネス。
「どうせ俺たちを見下しでもしたんだろう」
「まさか、そんな。……いえ、でも」
 モルズの言葉を否定するイバネスだったが、心当たりがあったのか途中で言葉を変えた。
 今の王国騎士団を構成する騎士の中には、少なからず騎士らしくない者たちがいる。
 それは良い意味でも悪い意味でもあるが……少なくともテトラは後者だ。
 |自ら《騎士》は傭兵より上の存在だと信じて疑わない。それが思想のみに留まるならまだしも、態度にまで現れてしまっては騎士失格だ。
「まあ、私たちのいざこざは後にしましょう。モルズさん、準備はできましたか?」
「もちろんだ」
 綺麗に手入れされた腰の短剣の刃を少しだけ見せながら、モルズは言った。
 今回の作戦において、騎士と傭兵の役割は主に三つに分けられる。
 一つ、魔王軍の掃討。
 一つ、強力な魔獣の撃破。
 一つ、指揮官の護衛。
 この内、モルズとイバネスは二人一組で強力な魔獣の撃破に回されている。
 テトラたち単身でやってきた騎士は、優先的に指揮官の護衛に回された。だが、それでも数人ほど余る。
 余った騎士は遊撃に回された。
「それでは、今回の作戦の最終確認をしておきましょう。私とモルズさんは、二人一組で強力な魔獣の撃破を行います。一組では対処が難しい場合は、他の人たちに援護要請を出します。その逆もまたしかりで、助力を請われたらできるだけ助けに行ってください」
「分かった」
 話が一段落したところで、
 ――ゴオォォン、ゴオォォンと鐘が鳴った。
 作戦開始の合図だ。
 魔王軍の掃討を行う者たちが真っ先に前へ出て、強力な魔獣の撃破を担う者たちが先に進めるようにする。
 前へ、前へ。
 たとえ共に戦った仲間が魔獣の攻撃を食らってよろめいたとしても、モルズたちは決して足を止めず進んでいく。
 掃討は行う者の数は一番多いが、一番死にやすい役割だ。
 モルズたちが駆け抜けていくその横で息絶える傭兵もいた。
 彼らの死を越え、モルズたちはひときわ体が大きく強そうな魔獣へと散っていく。
 ◆
 コエトは魔王軍の掃討を任されていた者の一人だった。
「なん、なの、これっ……!」
 足元をちょろちょろ動き回る鼠を相手に、身の丈ほどもある大剣を振り回す。
 鼠の動きは意外と素早く、刃を当てるのは難しかった。
 だが、剣を当てることは容易だ。
 鼠はそこまで硬くなく、大剣で轢き殺すことはできた。
 鼠の魔獣の死と共に、血狼がコエトになだれ込んでくる。
「はあ……」
 一旦深く息を吐き出し、息を整える。
 コエトがいたのは比較的魔獣の被害が少ないところだった。このレベルの密度は経験したことがなく、肉体的な疲労以外にも精神的な疲労が蓄積していく。
 一対多ではなく、一対一を複数回繰り返す感覚で、血狼を一体ずつ確実に倒していく。
 血狼の後ろには、刺々しすぎる鰐が控えていた。
 相手もお行儀よく待つつもりはなく、隙あらばコエトへ攻撃しようとしているが、間が悪い。
 鰐以上に攻撃的な血狼が、他の魔獣が入り込む余地のないほど勢いよくなだれ込む。
 結果として、コエトは他の魔獣の乱入を受けることなく血狼との戦いを続けられているわけだが。
「さすがにっ、これは、不利でしょっ!」
 単独で戦うコエトに対し、魔獣は群れで対抗する。質より量、数は力。
「上、下、左、右!」
 まさに上下左右、四方八方から襲いかかってくる血狼の攻撃を避け、いなし、反撃する。
 血狼の数が一時的に減り、他の魔獣が入る隙間ができる。
 それを見逃さず、コエトと血狼の戦いに鰐が入り込んできた。
「針鰐……!?」
 全身が鋭い棘に覆われている鰐。凶器の塊とも表現できるその鰐――針鰐が、コエトに突っ込んでくる。
 食らったら確実に死ぬ。
 回避するか、受け流すか。
 既に周囲は血狼で埋まり、空白はなくなっている。
 故に、回避するという選択肢はなく。
 ――本当に、受け流せるのか?
 そんな不安がコエトの脳裏をよぎる。
 幸い、コエトの得物は大剣。攻撃は大ぶりになりやすいが、面での攻撃ができる。
 今まで一切挑戦したことのない大剣の使い方。
 だが、やるしかない。やらなければ、その先に待っているのは死だ。
「おぉぉぉおぉ!」
 雄叫びを上げ、針鰐とコエトの間となる地点に大剣を置く。
 針鰐が衝突するまで、あと少し。
 コエトは無意識のうちに目を瞑ってしまっていた。
「……へ?」
 いつまで経っても衝撃が来ない。
 恐る恐るコエトが目を開くと、目の前に迫っていた針鰐の姿がなくなっていた。
 どこに――とコエトがあたりを見回すと、針鰐は針鰐がいた地点からそう遠くないところに倒れていた。
 なぜ針鰐が倒れているのか。
 その答えは、針鰐のすぐ側に倒れていた。
 鉄猪。
 コエトの体の二倍ほどはある大きな猪が、針鰐に突っ込んできていたのだ。
 鉄猪の巨体の下敷きになり、針鰐は死んでいた。
 鉄猪の体は鉄に例えられるほど硬く、針鰐の針では薄皮一枚を裂く程度の傷しかつけられていない。
 鉄猪はコエトのことなど眼中にないのか、大きく吠えたあと明後日の方向に駆けていった。
 その場に残されたのは、コエトと血狼。
 割り込んできた針鰐は鉄猪に倒され、その鉄猪もどこかへ去った。
 状況は振り出しに戻ったわけだが。
 コエトは大剣の柄を握りしめ、血狼を睨みつける。
「いくぞ!」
 ◆
 大きく吹っ飛んでいった鉄猪を追いかけ、モルズはイバネスと共に駆けていた。
 この個体は鉄猪の中でも大きく、硬い。
 モルズの短剣では傷一つ付かず、イバネスの長剣でも結果は同じだった。
「こっちだ!」
 大声を出して鉄猪の気を引き、モルズはある場所に誘導する。
 土煙を上げ、駆ける鉄猪。
 その巨体に全くひるまず、モルズはさらに速度を上げた。
 鉄猪もさらに加速する。
「――かかったな」
 かなりの速度で走っていたモルズが急に後ろに方向転換、鉄猪を避けて上に跳躍する。
 鉄猪は止まらない。
 あの巨体を止めるのには、モルズが方向転換するのよりよほど大きなエネルギーを使わなければならない。
 ――ドオォォオォン!
 轟音を立て、鉄猪が王都を囲む防壁に激突した。
 これはさすがに鉄猪といえど無傷ではいられず、頭からだらだらと血を流している。
「ようやく隙を見せましたね」
 イバネスが鉄猪の傷口を穿つ。
 鉄猪が硬いのは皮膚だけであり、筋肉や内臓は普通の猪と同じぐらいの硬さだった。
 その程度の硬さならば、イバネスが斬り裂くのに支障はない。
 鉄猪は断末魔の叫びを上げ、地面に倒れ伏した。
「次」
 次なる強者を求め、モルズとイバネスは戦場を駆け回る――
 ◆
 王都奪還作戦、本部。
「テトラ」
「はい、グラディオ指揮官」
 この作戦の指揮官であるグラディオを、テトラ含む十五名ほどの騎士が囲んでいた。
「騎士や傭兵たちのサポートをしながら、戦場を見てきてくれないか」
「そのお役目、謹んでお引き受けいたします」
 テトラは天幕の外に出て、向かう方向を定めると走り出した。
 行うのは騎士のサポート。
 傭兵のサポートは基本的に行わない。
 そもそも、テトラがグラディオに命令されたのは戦場の様子を見てグラディオに伝えることだから、サポートを行うことがその命令より優先されることはない。
 傭兵が血狼に噛みつかれ、血を流すところを見た。
 テトラはそれを黙って見ているだけで、介入する素振りはない。
 ――あちこちで、これと同様の光景が見られた。
 戦況は人間側の不利。
 戦いの最中で力尽きたのか、傭兵の骸がいくつも転がっていた。
「……!」
 テトラの目の前で、傭兵の男が角牛の下敷きになりそうになっていた。
 近くで戦っていた騎士の男がそれに気がついて動こうとするが、間に合わない。
 ――見なかったことにしましょう。
 テトラは傭兵が嫌いだ。
 金に汚い傭兵が嫌いだ。
 簡単に主を変える傭兵が嫌いだ。
「――俺がここで死んで、誰が王国を守るってんだ……?」
 実際は、ここでこの傭兵が死んだとしても、この戦いの結果にさしたる影響はない。
 だが、今はそんな無粋な事実よりも、己を鼓舞する言葉の方が大事だった。
 テトラは騎士が好きだ。
 金なんて俗っぽいものに左右されず、己の信念を貫く騎士が好きだ。
 ただ一人の主君に忠誠を誓い、主君のために死んでいく騎士が好きだ。
 だから、テトラは動いた。
 今際の際に命乞いをするのではなく、生きることを諦めず己を鼓舞した傭兵の男に、テトラが好きな騎士らしさを感じたから。
 傭兵の男の手を取り、角牛の前から脱出する。
「あ、ありがとう……」
 男がおずおずといった様子でテトラに礼を言う。
 テトラは、角牛の角を切り落としながら言った。
「ただの気まぐれです」
 その言葉の通り、一度も傭兵の男たちを振り返らず、テトラはその場を走り去った。
 グラディオに報告する内容を考えながら、テトラは戦場を駆け回る。
 傭兵と騎士が連携して魔獣を倒していた。
 たくさんの傭兵が死んでいた。
 鉄猪が倒れ伏すところを見た。
 傭兵と騎士の二人だけでは敵わない魔獣がいた。
 あるところでは人類が優勢であり、またあるところでは魔獣が優勢である。
 戦況は混沌を極めていた。
 どちらか一方の何かが欠ければ、途端に戦況がそちらに傾く。
 テトラは傭兵が嫌いであり、それと同じくらい王国を愛していた。
 自らの手で王国を守ることに誇りを感じていた。
 たとえ傭兵だろうとなんだろうと王国のためになら使うことができる。
 テトラの傭兵嫌いが少し改善されたのは、やはりあの傭兵の存在が大きいだろう。
 自らの理想の騎士像。
 その正反対の姿を描く傭兵。
 傭兵がテトラの理想を体現した。
 彼によってテトラの考えが変わった。
 目が覚めた、と言い換えても良いかもしれない。
 先ほどまでの自分は異常だった。
 今のテトラなら、そう確信をもって言える。
 私情を優先し、王国を不利な状況にした。
 テトラがあんな対応を取らなければ、テトラの元にいた十名余りの傭兵が参戦していたはずだ。
 今の状況なら、それだけで戦況が一気に人間側に有利になったかもしれない。
 個人の感情で綱渡りをする戦いに変えてしまったことに、テトラは深く後悔し、反省した。
「――グラディオ指揮官」
 本部に戻ったテトラは、先ほど見聞きしてきた情報をグラディオに報告する。
「人間と魔獣で戦力は拮抗しています。恐れながら、我々の中から何人か援護に出すべきかと」
「ふむ」
 グラディオは周囲の騎士に目配せすると、何人かの騎士が天幕の外へ出ていった。
「死者も無視できない数出ています」
「構わない。元々そういう作戦だった」
「報告は以上です」
 ◆
 三者三様、各々が自らの信念に従い動く。
 ――信念を持ち動けるのは極少数で、大多数は状況に流されていただけだが。