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くるり、時もどし (前編)
若木が、草花がさかさか生えている場所に、一般の川が走っている。
チョロチョロした水の音だけが静かに聞こえる。誰にも秘密の、オレだけの場所だ。
8月に入ると、やっぱ夏が来たって感じがする。
夏は好きだ。だって、オレの名前とお揃いだから。
オレは川で泳ぐ魚を、一匹ずつ網ですくって、バケツにドカドカ入れていった。
オイハギみたいな大きさのやつもいれば、ほんっとうにミミズみたいな大きさのやつもいる。
今のニホンの嫌なことなんか、魚を獲ってると自然と忘れられる。オレはただひたすら、ピチピチとはねる魚を獲っていた。
気づいた頃には遅かった。
川の流れがだんだんと早くなって来てるのはわかってた。だけど、こんなに土砂降りになるとは思わなかった。
川の真ん中で、オレはただ立ち尽くしていた。
「こっから歩いたら…あぁ……」
夏の天気は気まぐれだ。
わかっていたのに、どうして、
とにかく、早く帰ろ____。
足を前に出した途端、ツルッと体ごと持ってかれた。バシャーンと大きな音が鳴ったと思えば、気がつけば水の中だった。
ゴポ、ゴポポ…
呼吸ができない。
上がろうと必死にもがいても沈むだけでダメだった。
いずれ川の激流に乗せられて、オレは硬い岩石に思っきし頭をぶつけた。水の中でも、はっきりゴンッと聞こえた。
気づけば水の中が赤くなっている。
オレは、そのまま死んだ。
「死んでも案外退屈しねーんだな。」
村の真ん中でどかっと寝そべってみた。
誰も気にすることもなく、誰かがオレを踏んできても、全然痛くないどころか、すり抜けたようだった。
すぐ横で、男と女がきゃいきゃい遊んでいる。
男の方はジュン、女はハナ。
どっちもオレの大切なダチだ。
今はダチと遊べないことが退屈で仕方がないけれど…
1人遊びはし慣れてるし、あの時だって、アイツらはわざとオレをハブってきた。
ムカつくけど、殴れない。殴ってもどうせすり抜けるし。
祟ることなんかも考えたが、難しいことはよくわからなかった。
でも、本当は殺したくない。それは本心。
「でも、ヒマだなぁ。」
子供達の遊び声が、痛いほど耳に通る。
…あ、そういや、今日ってジュンがこっから出ていく日だっけ。
あーあ、絶対見送るって言っちゃったよ。オレ、情けねー。
ほんと…情けねーな。
「チャウネン、何処に行っちゃうの…?」
ハナがジュンに聞いていた。
そういや、行き先とか言われてなかった。
何処いくんだろ、アイツ。
「銀河町。ここからあんまり離れてないらしいけど。会えるのは、1年後ぐらいかな。」
銀河町といえば、もともとオレが住んでいた町だ。学校もあるし、商店街も海もある。
だけど、あまりいい思い出はない。
「あら、私、寂しいな…」
ハナはジュンの話を聞いてがっかりしていた。
「がっかりすんな。てか、別に会えなくなるわけチャウネン。来年の盆には来るから。」
ジュンもハナを励ますように話した。
どーせ見えんけど、見送ってやらんこともないな。
「ナツキ様が特別に見送ってやろう。」
返事はなかった。
---
「行ってらっしゃい。」
「チャウネン、ちゃんと来年来てね。絶対!」
村の子供達に見送られながら、ジュンとその家族達は、銀河町に向けて歩いて行った。
「チャウネンー!私!あなたに言いたいことがあるのー!!」
ハナが大声で叫んだ。
ジュンは立ち止まり、ハナの方をじっと見た。
「あなたを好きになりましたー!!」
ハナの目からはたくさんの涙がこぼれていた。
「こちらこそだよー!!」
ジュンも叫んだ。微かにジュンの声が涙ぐんでいた。
皆んなが拍手する中、気づくとオレも手を叩いていた。
体はもうすっかり冷たいのに、目頭が熱くなっていた。
すっかりチャウネンたちの姿は消えてしまっていた。ハナは同じ場所で、ずっと遠くを見つめて、手を振っていた。
「オレも、あんなことやれたらなー。」
オレは村のハズレの方に行った。
ただ村にいるのがなんとなく辛くなって、気づけばほったらかされた麦畑にいた。
草木がボーボーで、日に当たると少し光って見えた。
オレは迷いもなく寝転がった。
セミの声も届かない、静かな場所だった。
「幽霊になって、変わっちまったかなぁ。」
前まではお祭りみたいな騒ぎが好きだった。
孤独って、こんな悲しいのな。懐かしい。
「あほくせ。」
オレは立ち上がった。
すると遠くに人影が見えた。
誰だろ、いや、錯覚だな。人がいるわけない。
「おーい、オレ、わかるー?」
試しに人影に向かって叫んでみた。
だけど人影は、こっちに向かって歩いて来た。
「えっ、なんか、やば。」
オレは人影から逃れようと、気づけば必死に走っていた。
人影はずっとずぅーと早い。
まずい、追いつく____。
ドサッ。
「もーっ、なんで逃げるのさ。」
人影の正体は、オレぐらいの男の子だった。
丸いメガネをかけていて、髪は短く切り揃えられている。
そして今、オレの上にのしかかって来ている。
抵抗してもびくともしない。馬鹿力にも程があるだろ。
「離してくれーっ、苦しくてたまらねぇよー…」
オレがそういうと、男の子が不思議そうに答えた。
「幽霊なのに?苦しいの?」
半ば面白半分に聞いているような気がする。
「てかあんた何者…」
「そんなことより遊ぼーよ!さっきみたいに追いかけっこしよ。話はその後ー!」
無理やり話題を変えて来た。
なんなんだよ、この不思議くんは…
---
かけっこをしてかれこれ5時間…
幽霊の体でも流石に疲れた。
夕焼け小焼けで。ちょっと体が透けている。
「あはははっ、キミみたいな子は初めてだ。」
男の子は楽しそうに話している。
「ハァ…ハァ…お前…なんなんだょ…」
息が上がってたまらなかったから、オレは地べたにどかっと座った。
「みんなぼくの足が早すぎて、すぐあきらめちゃうんだよねー。あー、足早いのつらいなー。」
「なんなんだよ…ハァ…本当に…ケホッ…」
男の子はずっと走っていても平気そうな顔をしていた。
「あーそうそう、ぼくはトシオねー。トシって呼んで。」
「あ…トシ、よろしくな。」
トシはオレの前に座った。
トシはオレを面白そうに見つめてくる。
「あ…あのさ…」
「あっ、もしかして恥ずかしい?」
「いや…」
あったばかりで変だけど、オレはトシに伝えた。
「ダ…ダチになってくれないか…?オレの…」
「…ダチ?って、なに?」
トシは不思議そうに聞いて来た。
ちょっとドキッとした。
「…友だちのことだよ、だから…オレと…」
「いいよ。面白そうだし。」
「やっぱダメ…って、いいのかっ…!?」
トシはヘラヘラ笑っている。
「それじゃっ、今日からぼくたちはトモダチだ。よろしくね。」
黄金に輝く壮大な麦畑を背にして、トシの顔はとても輝いていた。
「…う、うん…!」
一瞬、少しだけ息をのんでしまった。
---
「そー、実はぼく、神様なんだよね。」
ぎゅっとトシに強く腕を握られて、村のハズレにある神社に連れて行かれていた。
突然、トシがそう言ったのだ。
「ふーん、自惚れてんのか?」
オレはかまをかけるように言った。
だけどトシは起こる気配もなくて、キミがそう思うならそれでいいと言った。
「あー、でも、ひとつだけ願いが叶うとしたら?」
いきなりのトシの質問に、オレはドキッとした。
「うーん、ダチともう一度遊びたいな。」
「そう、子どもらしいね〜。」
「おめーも子どもだろっ。」
いつのまにか神社に着いていた。
「ほらほら、手を合わせて。」
トシはオレの背中を押して、無理やり賽銭箱の前まで行かされた。
「ちょっ、何すんだよ!」
「はーい願ってー!」
抵抗するオレの手をギュッと掴んで、無理やり手を合わされた。
「目を瞑ってー!」
なんだか屈辱的だ。
ギュッと力強く目をつぶり、オレはあの時の質問を思い出した。
願いが叶うとしたら、か…
それなら…
どんな代償でもいいから…
だんだんと瞼が重くなって、いつのまにかオレは眠ってしまっていた。
---
「目が覚めたかい?」
目が覚めると、トシがオレの顔を覗き込んでいた。
背中が冷たい。手にもなんか不思議な感覚がする。
「…あれ…?」
顔が熱い。体も、全身が熱い。
「キミをあの日に戻したんだ。どう?これで信じた?」
あの日って…
「オレが死ぬ前、か…?」
「飲み込みが早くて助かるよ!そう!ぼくが!キミを生き返らせたんだ!」
トシはケラケラ笑って、崇めてと言わんばかりに仁王立ちをして腕を組んでいた。
「あー…やっぱ、神様なんだな、本当に…」
さっきまでの感覚が嘘みたいで、体もずっしりと重たい。
「あっ、大切なことを言わないと。」
トシはオレに手を差し出した。
オレはその手をつたって、よいしょと立った。
「今日の6時までに、ここに戻って来な。もし時間がすぎたら、お前に呪いをかける。」
「うん…って、なんだよ呪いって!」
「戻したんだしそういう約束もアリでしょ?等価交換だよ、等価交換。」
「でもっ、オレ言われてねーよ!んなこと!」
「願いを叶えたのはぼくだよ?」
「ぐっ…」
いきなりそう言われて、オレは怖くなった。
しかも相手が神様だ。
てか、なんだよそれ。願いを叶える前に言ってくれよ!
ふざけてるよ、この神様…
「甘い話には罠がある。そもそもキミは、どんな代償でも受け入れると言っていただろ?」
「ぐっ…ハメられた気分…」
「気を悪くするな。さっ、トモダチに会いに行きな。ぼくはここで待っている。」
でも、オレの目的は…
ダチに会いに行くんだ。
約束さえ守れば、代償なんて気にしなくていいだろ。
「いってきます。」
オレはだっと走った。