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《幼い子供と優しい軍人さん》【カイ視点】
─何もない、見渡す限りが真っ白な、広大な異空間。
「ん………?」
俺がいた文字通り地獄のような戦場とはかけ離れた、その場所で、ゆっくりと、重い瞼を持ち上げた。
上体を起こし、辺りを見渡す。自分以外誰もいないのか、人の気配が全くない。
そもそも、ここは何処なのか、誰かが作った空間なのか分からない。顎に手を当て、思考にふけている途中、場違いな程幼く、この静かな空間にはよく響き渡る声が聞こえてきた。
「ねぇ、お兄さん!」
いつの間にいたのか、幼い子供が俺の軍服のロングコートの裾をその小さな手で握り、キラキラと好奇心の様なもの宿らせた瞳でこちらを見上げてきた。
「…?誰だい、君は?」
幼い子供と目線を合わせるために俺は膝を折って、しゃがんでその瞳を見つめる。
「僕はね、珀っていうの!お兄さん誰?」
珀は明るい声で、無邪気な笑顔を浮かべて名乗った。普通、面識がない、見かけたこともない人間に対してそう易々と自分の名を名乗らないはずだが、恐らく珀にはそのことが頭にないのだろう。
「…そう、俺はカイだよ。」
親しみやすい微笑みを絶やすことなく、俺も続いて名乗った。俺は自分の情報を出してもし戦闘が起こった際に不利になるのを避けたいため、名前も名乗らない主義だが、相手は子供だ。
只々、悪意も一切ない、ごく普通の子供のように見える。だから俺は警戒心を少しだけ解き、「この子なら名乗って良い」と判断した。
「ねぇ、ここどこ?カイさん、何か知ってる?」
珀は何故か俺のロングコートの裾を掴んで離さないまま、上目遣いで問いかけてきた。明らかに初対面の人に対する行動ではない。
「俺も知らないね…それより、話してくれない?」
珀を見下ろし、その手を振り払おうとするも、珀は離れようとしない。俺は微かに眉を顰めた。
何故こんなにも執着されているのだろうか。もしかしたらと、過去の記憶を探るも、この子供と会ったような記憶は一切なかった。
「やだ…落ち着くんだもん。」
珀はそう言って、裾を握る手に力を込めた。どうやら、離れる気は毛頭ないらしい。俺はため息を一つつき、呆れた目で珀を見つめた。
「あのねぇ…何で俺にそんな構ってくるの?かまってちゃんなの?」
フッと鼻で笑って、皮肉げに、少し揶揄うように珀に向かってそう投げかけた。俺に頭脳を持ってしても、この子供の真意を掴めることができない。いや、只々純粋な気持ちしかこの子供にはない。
そもそも真意というものすらないのだ。
「……カイさん、好き。落ち着く」
珀は急に、思いもしなかったことを口に出した。何故か幸せそうな笑顔をその顔に浮かべて、顔をすりすりと寄せてきた。
「は、はぁ………??」
勿論、俺の頭の中は「?」で埋め尽くされていた名乗るまで名も知らない、会ったこともないこの子供に急に「好き」と言われたのだ。
「ん…?カイさん、顔…赤いよ?照れてる?」
自覚してないのか自覚しているのか、珀は少し小悪魔っぽい笑顔で、抱き着いてきたまま上目遣いでこちらを見つめてくる。
「っ、いや、照れてない……。」
突然の言葉に驚きながら、そう言って片手で顔を覆い隠す。自分では気づかなかったがその時の俺は顔が赤かったようだ。珀は「フフッ」と笑い声を漏らし、それ以上は何も言わずに、だが離れず抱きついたまま。
「な、なんなの…?何がしたいの…?」
顔を覆い隠していた手をずらし、眉を顰めて、いつも閉じている(糸目)目を開け、戸惑いを隠せぬまま何とか震える声を絞り出す。
「ねぇ、抱っこ!抱っこして!」
そんな俺の問いかけなど聞こえていないのか、珀は細い両腕を伸ばし、ぴょんぴょんと跳ねて抱っこをねだってくる。
「は、え、う〜ん…?」
自分でも、この時どんな感情だったのかわからなかった。変な、間抜けな声を出しているなと今思うが。
仕方なく俺は珀の前にしゃがみ込み、その脇の間に手を差しいれ、立ち上がると同時に持ち上げる。当然ではあるが、珀の体はまるで羽毛のように軽かった。
「わぁ…!!」
珀は大喜びで、満面の笑みを浮かべ、俺の首に腕を回す。俺は出身地と能力の影響だからか、人より体温が低く冷たいはずだが、それが逆に心地良いのか、珀はスリスリとその柔らかい頬を寄せてくる。
「…これで満足?」
理解できない、と心の中で思いながらも珀を落とさぬよう、しっかり腰に腕を回して固定する。珀が約110cmと小柄なのに加え、対する俺は183cm。俺の両腕だけで、珀の体を覆い隠せてしまいそうなほどの身長差と体格差があった。
「うん!ありがとぉ…大好き!」
珀は一切の悪意がない、純粋な気持ちを俺に伝えてきたのだろうが、幼少期から人の醜い姿しか見てこなかった俺にとって、その言葉は予想外で、同時に毒のようにも感じられた。
「っ…そ、そう、ならいい…。」
体が急激に暑くなってきたのを自分でも感じる。顔が赤くなり、何とも言えない、説明がつかない感情が湧いてきた。
今の俺は、明らかに照れている。
「う…眠い……。」
珀は目を閉じ、何とか睡魔に勝とうとするも、10秒も経たぬうちに力が抜け、肩に珀の頭がこてんとぶつかる。
「…自分から勝手に頼んで、勝手に寝て…全く…。」
退かそうと思えばいつでも退かせた。だが俺は珀を起こすことなく、自分の声の声量も落とし、耳元で囁くような、そんな声のトーンで1人静かに呟いた。
辺りが静まり返り、やがて静寂が戻る。俺はそれ以上喋ることはなく、腕の中の小さな命を見守りながら、優しく、珀の頭を白手袋の手で撫でた。
何とも言えない、だが俺の心の中には明らかに、失っていたはずのある感情が戻ってきたように感じながら。