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僕は、なんて幸せなんだろう。
だって、顔も良くて、成績も優秀で、運動神経も抜群で、家がお金持ちで。
性格だっていい、はず。
友達もいっぱいいてさ、家に帰ると美味しいご飯が出てきてさ、両親も優しくてさ。
でも。
なんで。
こんなに。
涙が止まらないんだろう?
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ふかふかの布団の中でまどろんでいると、部屋の扉が開いて両親が音を立てないように忍び足で入ってきた。母様が指を唇に当てて父様に静かにと諭すようにゆったりと微笑んでいる。
僕は起きていることがバレないようにそっと目を閉じた。でも実は内心、すごく緊張して心臓が煩いくらいだった。
「大ちゃんの寝顔はいつでも天使みたいで変わらないわね。」
「そうだな、とてもママに似ているよ。」
二人は僕が起きていることを露も知らず、囁き声で微笑ましい会話を交わしている。
「この時がいつまでも続けば良いのに、もう大ちゃんも16歳なのね。」
「時の流れは早いな。でも、大人になってもずっと一緒にいられるだろう。不安になることなんてないさ。」
二人は僕が家を出ていくことを望んでいないのだろうか。薄目でのぞいてみると、俯きがちに話していた母様は父様の言葉に安心したような素振りで頷いていた。
やがて二人は満足したのか、入ってきた時と同じように忍び足で部屋を出ていきそっと扉を閉めた。
僕は幸せ者だなとつくづく感じて布団の中に潜り込んだ。
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朝が来た。
僕はいつものように身支度をしてバランスの整った朝食を食べて家を出た。
登校途中で何人かの友人に出会った。みんな朝は苦手なのか、昼間よりは少し落ち着いた印象である。実は僕も朝は苦手なんだけど、大体みんな同じなのかもしれない。
学校に着くと、いつも僕の話を熱心に聞いてくれるみんなが周りに集まってきた。今日も僕は選りすぐりの面白い話をみんなにした。話終わるといつもみたく「へぇ〜!」とか「すごい!」とか心地よい反応をしてくれる。僕は微笑んでみんなに礼を言った。
そんなこんなで、今日もいつもと同じ一日を過ごして、放課後を迎えた。
僕は寄り道をせずにいきたくするのが日課だ。だって、両親を心配させたくないから。
今日も何人かと一緒に下駄箱にやってくる。
そのうちの一人が僕の靴をとって、揃えて床に置いてくれる。これもいつものことだ。
だけどこれが当たり前でないことを僕は知っている。感謝の気持ちを忘れずに僕は「ありがとう」と言った。
ふと顔を上げると、視界の端で一人しょぼくれた様子で帰っていく子がいた。確か名前は...悠人くんだ。苗字はちょっと忘れちゃった、ごめんね。
彼は一人で正門を出て行った。だけどその横顔は少し晴々としていて。
なんだかいいなと思ってしまった。
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家に帰ると両親はまだ帰ってきていなかった。
父様は食品会社であるダイホールディングスの社長をしていて、母様はその秘書を務めている。二人ともものすごく優秀で、僕なんかには到底追いつけない存在だ。なんて、二人には言えないけど。
僕はハウスキーパーさんが用意してくれた絶品の夕食を食べて、いつものようにありがとうと言って、そしてバスルームに向かった。
服を脱いで暖められた浴室に足を踏み入れる。
扉を閉めて、シャワーを浴びる。
僕は泣いた。水なのか、それとも涙なのか。水が流れる音なのか、それとも鳴き声なのか。
わからなくなるけど泣いた。
どうしてか涙が止まらなかった。
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浴室から出て、鏡で自分の目を確認する。
少し腫れて充血していた。もうちょっと時間が経ってから戻ることにしよう。
僕はドライヤーで髪を乾かしながら、明日のことを考えた。
「明日は、テストか。」
準備は万全、抜かりなし。今回も見事満点を取るつもりで自信に満ち溢れていた。
でも何か漠然とした不安に駆られて、僕はそれを振り解こうと必死になって頭を横に振った。
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リビングに戻ると、中年のハウスキーパーさんが何やらおかしな態勢をしてたので、思わずクスリと吹き出してしまった。咄嗟に謝ると彼女は
「いえいえ!むしろ笑ってくださって誇らしい限りですっ!」
と言って、絶妙なバランスで支えていたウォーターサーバーの積み上げられた段ボールを取り落としそうになった。
「あぶ...な!」
僕はその崩れそうな段ボールをいくつか受け取って床に置いた。ハウスキーパーさんは「ごめんなさいねぇ」と言って柔らかく微笑んだ。
少し心が救われた気がした。
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布団に潜り込む。暖かな布団。柔らかな世界。一人になれる場所。
僕はなんて幸せなんだろう。
大勢の友人がいて、愛してくれる両親がいて、帰る家があって、勉強でも運動でも困ることなんて何一つない。それなのに。
僕はなんて強欲なんだろう。
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だだっ広い牧場で、ただ一匹の牛がポツンと寂しそうに草を|食《は》んでいた。
僕はその牛になっていた。草の味はなんとも言えず青臭くて、僕が普段食べているケールやサニーレタスほど柔らかくはなかった。
首を上に伸ばして空を見上げてみるけど、人の体とは違うので少し見えづらい。
僕は首を傾けて視線が空に届くようにした。空は黄色かった。夕焼け空だった。
誰もいない草原の中央で、僕はただ空を見上げていた。もうそれ以上何もいらなかった。何も考えたくなかった。
気がつくと、朝を迎えていた。
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テストが終わった。
もちろんスラスラと解けた。つっかえるところは何一つなかった。
また昨日と同じ子たちがきて、今回のテストの難しさや互いの結果など和気藹々と話し合った。
僕はこの場から早々に立ち去りたいと、ずっとそれだけを考えていた。
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翌日になっても、また同じことの繰り返し。
テストの点数はいつもと同じ満点。同じ友人。似たような会話。僕の機嫌をとっているみたいなあの、笑顔。
放課後になって、僕は逃げるように教室を飛び出した。みんなに見つからないようにお手洗いに逃げ込んだ。
嫌だ、嫌だ、もう、構わないでくれ...ごめん、ごめん、みんなは何も悪くないけど、僕のただのわがままだけど...
いつもの友人たちが教室を出て行ったことを見届けてから、僕は両親がやってたのと同じように忍び足でお手洗いを抜け出した。
一人で帰るのなんて、久しぶりだな。
小学生の頃以来だ。あの頃は、僕もみんなと同じで、父様も社長ではなくて、肩と足並みを揃えて同じ空を見ることができていたな。
見上げた空は、どこかあの夢に似ていて。
その時だった。
「いってぇ...!」
どこからか小さく、だけどうめくような声が聞こえて、僕は一人になりたかったけれどどうしても心配で塀の陰から声がした方をこっそりと覗き込んだ。
そこにはいつも晴々とした顔で帰宅している悠人くんがいて、芝生の上に座り込んでいた。
彼は何やら俯いて考え込んでいる。瞳は長い前髪で隠れて見えなかったが、何かを見つめていることははっきりとわかった。
「ねぇ、大丈夫?調子悪い?」
僕は思いがけずそう声に出していた。彼に話しかけるのはこれが初めてだった。
話しかけられた悠人くんは、何やら亡霊でも見たような顔をして、何も言わずにただ口を半開きにしていた。
しばしの沈黙。
「あー...えっと、なんかうずくまってたから調子悪いんじゃないかと思ったんだけど...」
僕がそういうと、悠人くんは我に帰ったように目を瞬かせて、
「...や、に...子いとかんなじゃ...」
かろうじて聞き取れた言葉を繋ぎ合わせてみたけど、意味はよくわからなかった。
そして彼は再び芝生の上に視線を戻してしまった。
気になってその先を見てみると、そこには先端が四つに分かれた葉が生えていた。
僕は思わず声に出す。
「あ、四つ葉だ。幸運が舞い込むかもね。」
そういうと悠人くんは長い前髪の間から僕を不思議そうに見つめた。
もしかして場違いなこと、言ってしまっただろうか?罰が悪くなったので僕は逃げるようにこう言う。
「体調不良じゃなくてよかった。今日ちょっと急いでいるからまたね、また明日学校で!」
そして急いで彼の元から離れた。
空は黄みが強くなっていた。
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気がつくと僕は、海に来ていた。
学校の帰りに寄り道するなんて、生まれて初めてのことだった。
思い返してみるとこれまで僕は自分が行く道を自分自身で選んだことは一度もなかった。もちろん両親は僕に決めさせてくれた。だけどそれは最終決定での話で、絞り込みは両親や他の誰かがやってくれたんだ。
黄色い空は段々と赤みを帯びてくる。
水平線の上にのしかかるように沈んでいく太陽は、まるで水上に自分のためのレッドカーペットを敷いてくれているようだった。僕は海に向かってゆっくりと歩き出した。
何も考えたくないし何にも気を使いたくない、でも、誰のことも傷つけたくない。
それが両立することは不可能だと理解していても、どうしても、どちらも捨てることができないんだ。
もちろん僕が裏で名前いじりされていることは百も承知だし、だけどやっぱりそれを否定するのも肯定するのも誰かを傷つけることになるのだから、僕はしない。
つまり、僕は、誰とも関わりたくないんだ。
気がついたら僕は半身を海水につけていた。周りに人はいなかった。凪いだ海面が、僕の元に赤いレッドカーペットを伸ばす。日はもう少しで頭まで隠れてしまう。
今しかない。そう思った時だった。後ろから僕を呼ぶ声が聞こえた。
「おい!何してんだお前!戻ってこい!」
振り返るのが怖かった。もしいつもの友人だったら?
僕は非常に寒くて凍えていたけれど、そのまま身動きを取らないで海水の中にじっとしていた。すると後ろから水を叩く音が聞こえてくる。
「...へ!?」
自分の素っ頓狂な声が凪いだ海の上に広がる。思わず振り向くとバシャバシャと音を立てて近づいてきたのは、同級生の浅葉くんだった。
「おっおま、おままま.......」
浅葉くんはカナヅチなのか、たった膝下までの水位のところでまごついていた。
僕はどうしようもなく、彼の元に近づいてその腕を引いて海から上がった。
我ながら馬鹿なことをしたと思う。もちろん浅葉くんを助けたことじゃなくて、海の中に水着も着ずに入ったことだ。
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浅葉くんは歯をガチガチと言わせながら凍えていた。
その様子を見て、不謹慎にも笑ってしまった。
「おい、笑い事じゃねぇだろ。お前、何しようとしてたんだよ。」
浅葉くんは割とガチめなトーンで僕に詰め寄ってきた。
「えっと、海を見てたんだ。そしたら、そこにレッドカーペットが出てきて、僕もスターになりたいなーって...」
「おま...頭トチ狂ってんのか!?違う意味でスターになっちまうだろうが!?」
彼は混乱しているのか、はたまた体を温めたいのか、まるでインドのダンスのような動きをして感情の昂りを表現しているみたいだった。
「...ごめんなさい。」
そう言って謝ると、浅葉くんはため息をひとつついてから鞄を引っ提げて、浜辺から上がる階段に向かって歩いて行った。
「お前、いや、台、だっけ?とにかく、もうこんな馬鹿なことすんなよ。次やったら今度こそは俺が一発ぶん殴ってやる!...暴力は良くないか?まぁ、いいか。」
彼はそう言った後に少し眉尻を下げて、微笑みのような顔をした後に帰っていった。
「...ありがとう。約束だ。」
僕はこっそり、心の底からの礼をいった。