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葬儀屋 鶴丸南雲の小噺
虚塔
皆様。お初にお目にかかります。私、鶴丸南雲と申します。しがない葬儀社員でございます。名前が名字のようだとよく言われますが、名付けの由来は良く知りません。
さて、今回は皆様に、私の体験談を少しお話させて頂きたく参りました。初めてなので至らぬ点もあるかとは思いますが、最後までお付き合い頂けると幸いです。
それでは皆様、お立合い。鶴丸南雲の怖い話、はじまりはじまりでございます。
これは、私が数年前に担当させて頂いた葬儀での出来事です。
亡くなられたのは、とある初老の男性です。喪主を務められたのは、彼の奥様でした。
葬儀の前に行う納棺の儀——簡単に言うと、ご遺体を棺に納める儀式のことです——の準備を済ませ、いらっしゃったご遺族の皆様と儀を進めておりました。
儀式自体は滞りなく進みます。ご遺体の身を清め、死装束へと着替えを済ませました。皆様が厳かな空気でそれに臨む中、私はふと、小さな違和感を覚えました。問題なく進めているのですが、見知りつつもここにあるにはあまりに不自然なものを覚えたのです。
納棺師が作業を進める中、作業の手を止めた私は暫し思考に耽りました。そして違和感の正体に気付いたのです。
(線香、買い替えたのでしょうか……?)
この部屋ではありません。ですが、どこかから線香の匂いが漂っていたのです。
私は姿勢を正しつつ、他の斎場の予定を思い出しました。本日は私だけが斎場を使う予定となっており、他の職員が何かを行っている予定はない気がするのです。
幸い、ご遺族や納棺師は線香の匂いに気付いた様子がありません。不思議には思いましたが、突然葬儀屋がそんなことを言い出して不安を煽る訳にも参りません。私は鼻孔を擽る線香の匂いをなるべく気にしないよう努めながら、儀式に取り組んでおりました。
しかし、時間が経てば経つほど線香の匂いは強くなってきました。流石に無視できない程にまでなりどのように対応しようかと案を練っていたところ、集まっていたご遺族の数名がざわめき始めました。不安が伝染するように、一人また一人と耳打ちで会話をするうちに、斎場は騒然とした空気に包まれました。
「あの、鶴丸さん?」
喪主である奥様が口を開かれました。
「はい」
「どこかでお通夜をされているの?何だか……線香の匂いが……」
不安げな笑みを浮かべる奥様が私に問いかけます。
私は僅かに言い淀みました。素直に『やっていません』と申し上げるのは簡単です。ですが、ここでそのようにお伝えしてしまってはご遺族全員の不安を煽る結果になりかねません。かと言ってここで嘘を吐いて、後ほどそれが嘘だと見破られてしまっては、この葬儀社の信頼に関わるかも知れません。何より気付かれてしまっては、ご遺族がより一層怖がってしまうことさえ懸念されました。
私は数秒熟考した後、申し上げました。
「申し上げにくいのですが……本日は他の部屋で葬儀等をしている予定はございません」
そう私が言い終えた時です。
チーン……
チーン…………
チーン……………………
やけにはっきりとした、御鈴の音が響きました。
吸った息が肺の中で膨張するような息苦しさが胸に巣食い始めました。音はご遺族の耳にも届いております。
御鈴の音を聞いたご遺族から悲鳴が上がりました。
「な、何!?」
「ちょっと……何よこれ!」
とても儀を進められる状態ではありませんでした。私は慌てて落ち着くよう皆様にお伝えしましたが、皆様が冷静さを取り戻す気配は一向にございません。
やがて、ご遺族の中から声が上がります。
「ちょっと、葬儀屋さん!あなた見てきてよ!」
「そ、そうだ!こんな状況で納棺なんて進められるかよ!」
ご遺族は次第に皆口を揃えて、私に他の部屋を確認してくるよう訴え始めました。私は当然気乗りしなかったのですが、このまま納得して頂くことも出来ず儀式だけ進めてくれと言うこともできません。
私は責め立てるような視線に押される形でその場に立ち上がり、「承知いたしました。少々お待ちください」と一礼して斎場を後にしました。
廊下を進む間も、先ほどから漂っている線香の匂いは止みません。更に御鈴の音も時折耳を突き刺しています。御鈴の音が響く度に、斎場からご遺族の短い悲鳴が聞こえます。
私は御鈴の音を頼りに、少し離れた斎場に辿り着きました。今も音は続いています。
恐怖心が胸を締め付けます。ですが、ここで立ち往生していても事態は変わりません。私は頭を振り、意を決して襖に手を掛けました。
バン、という音と共に部屋が開かれました。
斎場には、誰もいませんでした。
ただ、点けてもいない筈の伝統がチカ、チカと音を立てて点灯と消灯を繰り返していました。
まるで、消える寸前の蝋燭の火が揺れているかのように。
皆様、今回の話は如何だったでしょうか。
匂う筈のない線香、鳴る筈のない御鈴、そして点く筈のない照明。
果たして原因は何だったのでしょうか。
亡くなった男性の最期の訴えだったのかも知れません。何かに目を向けて欲しかったのか、将又ご遺族に伝えたいことがあったのか。もしかすると偶然が重なっただけの事象だったのかも知れませんね。
勿論、真実は誰にも分かりません。真実を知っている者がいるとするならば、とっくに灰となってしまった故人様だけです。
それでは、今回はこの辺で筆を置かせて頂きます。
私の話にお付き合い頂き、誠にありがとうございました。私が体験した奇妙な話はまだまだございます。機会があれば、他にもお話させて頂きたく存じます。
それでは皆様、良い夜を。
もし、葬儀のことでお困りであれば、この鶴丸南雲をどうぞ御贔屓に。心穏やかなお別れを、誠心誠意お手伝いさせて頂きます。