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第5話:君の隣は、静かだ
図書室での「秘密の共有」から数日。
愛菜にとって、学校の喧騒は相変わらず苦痛だったが、その中に一つだけ、暖炉のような居場所ができていた。
休み時間になると、真蓮は必ず愛菜の席の近くに現れる。
「おい、今の数学、意味わかったか? 俺、一文字も理解できねーわ」
「……ふふ。秋葉くん、寝てたもんね」
真蓮は、宣言通り「世界一静かな男」にはなれなかったが、愛菜の隣にいる時だけは、声をワントーン落として話すようになった。
クラスの連中が騒げば、さりげなく愛菜の耳を塞ぐように間に立ってくれる。
愛菜は、彼の大きな背中越しに届く、少しこもった笑い声が心地よくなっていくのを感じていた。
(秋葉くんの隣は、不思議……。騒がしいはずなのに、私の心は静かだ……)
そんな、ささやかな「ひだまり」を打ち砕いたのは、体育の時間の後の、些細な出来事だった。
更衣室から教室に戻る途中、愛菜は階段の踊り場で、上級生とぶつかりそうになった。
「あ……すみませ……っ」
慌てて身を引いた拍子に、愛菜の手から教科書が滑り落ちる。
「おい、大丈夫かよ!」
近くにいた真蓮が、反射的に駆け寄り、落ちた本を拾おうと愛菜の腕を掴んだ。
その、なんてことのない、助けの手。
「――っ!! あ、あぁっ!!」
愛菜が、悲鳴に近い声を上げて、激しく体を震わせた。
真蓮の手を、まるで汚らわしいものを見るような、あるいは刃物を向けられたような、異常な恐怖の眼差しで振り払う。
「……愛菜?」
真蓮が呆然と立ち尽くす中、愛菜の制服の袖が、激しい動きで少しだけ捲れ上がった。
そこにあったのは、不自然な形をした、どす黒い「大きな痣」。
白い肌に、誰かが無理やり掴んだような、指の跡がくっきりと残っていた。
「……それ、どうしたんだよ」
真蓮の声が、地を這うように低くなる。
愛菜は血の気が引いた顔で、慌てて袖を引っ張って隠した。
「……なんでもない。転んだ、だけ……」
「転んで、指の形の痣ができるわけねーだろ!!」
真蓮の咆哮が、静かな廊下に響き渡る。
愛菜はビクッと肩を跳ねさせ、涙をボロボロとこぼした。
真蓮の怒りは、愛菜に向けられたものではなかった。
けれど、愛菜にとっては「怒鳴り声」そのものが、地獄へのスイッチだった。
「……ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
謝りながら、逃げるように走り去る愛菜。
真蓮は、自分の拳を壁に叩きつけた。
愛菜の震える肩。あの、どす黒い痣。
自分に「静かにして」と言った、本当の理由。
真蓮の瞳に、赤黒い怒りの火が灯る。
第一章の終わりを告げる、激しい「鳴動」が、少年の胸の中で制御不能なほどに膨れ上がっていた。
🔚