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ひとり、おいてけぼり
、、、セミの羽根がくすぐったい。
土のかおりがやわらかい。
汗ばむあの子の手が、ここちよい。
汗が冷えて寒い。
五時のチャイムがむなしい。
虫の声が怖い。
こんな朝、知らない。
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そんな気持ちで、目が覚めた。
目が覚めた?
目が覚めたって、わたしが?
そもそも、目覚めるまでの感覚は何?
感覚? わたし、そんなの感じられたっけ。
ここ、どこだっけ。
そもそも、わたしは何、、、?
まだ視界がよこ向き。
白いうでが伸びて、ゆっくり、ゆっくり起き上がる。足の方でスカートが引っかかる。
さらさらと、朝日が顔にかかる。
さっき感じた「知らない朝」がこれのことなのは分かるけれど、他には何も分からない。誰のものかわからないアルバムの、タイトルのついていない写真を見せられているみたいに、からっぽの思い出があたまの中をくるくるともて遊ぶ。
ここで何かあったのかな。ここにあるものの中に、わたしの知ってるものはあるのかな。
立ち上がると、わたしは案外、いや、、、けっこう小さかった。近くのひまわりの葉で雨やどりができそうなくらい。
わたしはねずみなのかな、とも思ったけれど、さっき見た白いうでとスカートにその期待はかき消された。
ちょっと歩いて、砂場。またちょっと歩いて、シーソー。これまたちょっと歩くと、滑り台。揺れる木馬。
ここって、公園?
わたし、公園でねてたの?
、、、何で?
とても小さい体といい、公園といい、何かを見つけるほどわたしが何か分からなくなってゆく。さっきわたしがねていた所まで、戻ってみることにした。
何で気づかなかったんだろう? わたしがねていた所のすぐそばに、青くてうすい何かがよこたわっている。さっきより強くなった日差しでよく見えないけれど。
近づいてみると、それはプラスチックの虫取り網だった。
それがわかったとたんに、わたしは色んなことを思い出した。
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つかまえたセミの羽根がくすぐったい。
よこたえられた土の香りがやわらかい。
汗ばみながら私をにぎるあの子の手が、ここちよい。
さっきまでにぎられていた所に残る汗が、冷えて寒い。
あの子のいない公園で聞く、五時のチャイムがむなしい。
昼には身をひそめる虫の声が夜になるとあばれ始めて、怖い。
こんなにさみしい朝、知らない。
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気づいたら目の前が、海にいるみたいにぐにゃぐにゃ歪んでいた。頭が熱っぽい。スカートにてんてんとシミができる。
わたしはあの子に、おいて行かれたんだ。
わたしは今、泣いてるんだ、かなしいんだ。
そんなちっぽけな、遠まきなことしか思うことができなくて、もっともっと涙があふれた。
さみしい。早くあの子に会いたい。
何できのうだけ、あの子はわたしをここに置いて行ったの?
もう一回来てくれるの?
あの子は今、どうしてるの?
わたしのこと、忘れちゃったの?
ちっぽけなわたしには広すぎる公園で、ひとりで、何をすればいいの?
どれだけ涙を流しても、心配と不安はひとつぶも流れて行ってくれない。
それどころかどんどん見える世界が広くなって、ひとりぼっちのわたしがどんどんどんどんいやらしく目立ってゆく。
土って、こんなにざらざらしてたっけ。
朝日って、こんなにつめたかったっけ。
セミの声って、こんなにうるさかったっけ。
おいてけぼり。
ひとりぼっち。
みじめで、みじめで、いたたまれない。
十分小さいはずなのに、それだけじゃ満足できなくて、消えてしまいたくなる。
こんなところ誰にも見てほしくないけれど、誰かが来てくれないとずっとこのまま。あの子さえいれば。あの子さえいれば。
にこやかで長いまつげと赤いほっぺをお日さまに透かして、すべらかですこやかな手がわたしの前に伸びて、スズがなるみたいな声で、、、
「大丈夫?、、、もしかしてあなたも、おいてけぼり?」
とつぜんよこから声がした。びっくりしてぱっと顔を起こしたけれど、のこった涙でその子がよく見えない。
「あ、ごめんね、お取り込み中に!」
わたしと、おんなじくらいの背丈? あなた、「も」?
もしかして、仲間?
「怖がらなくていいよ、、、あわわ、泣かしちゃったかなぁ!?」
また涙があふれ出す。でも今度はさっきと違って、あったかい。
押しつぶされそうな胸のひきつりが、ゆるんでゆく。
「、、、ごめ、ごめんなさい、ありがと」
うまく声に出せない。これが精一杯。どうか、届いて。
「ふふふっ、いえいえ。そうだ!お名前聞いてもいい?」
名前? わたしそんなの、、、
「シトリア」
わたし今、何か言った?
言った。シトリア、って。
シトリア。これが、わたしの名前?
これが、わたしの名前なんだ。わたしには名前があるんだ、わたしは誰かにシトリアって呼んでもらえるんだ!
気づけば太陽の光は、いくらかあたたかくなっていた。
うれしさに満ちた言葉が、喉からとび出してかけまわる。
「わたしは、シトリア。虫取り網の、シトリア」
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その公園は、どこにでもあるような公園です。特に大きいわけでもなく、ちょうどよく日の当たる場所にありました。しかし、生き物たちは知らない秘密がこの公園にはありました。
この公園に置いてけぼりにされた「わすれもの」には、タンポポの葉っぱくらいの大きさの、人間そっくりな自由が与えられるのです。
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