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第6話:キスのコツ、伝授。
その夜、大塚家のリビングは、さながら「作戦会議室」の様相を呈していた。
父が、ホワイトボード(どこから持ってきたんだ)を前に、真剣な表情でペンを走らせている。
「……いいか、大雅。キスとは、ただ唇を重ねる作業ではない。それは、魂の……いや、『間合い』の攻防だ」
「…………間合い。」
大雅はノートを広げ、父の言葉を猛烈な勢いでメモしていた。
サングラスを外し、その鋭い眼光は、まるで国家機密を解読する暗号兵のようだ。
「まず、角度だ。右から行くか、左から行くか……相手の鼻の高さ、首の傾きを瞬時に計算しろ。そして、最も重要なのは『呼吸』だ。相手が息を吸う瞬間……そこが、最大級の好機(チャンス)だ!」
「吸う瞬間……。……わかった。肺活量も計算に入れる」
「バカ者! 計算しすぎてフリーズするな! 自然に、かつ大胆に……。これぞ、大塚家に伝わる『一流の技術』だ」
和正が胸を張る。その背後で、母が紅茶をすすりながら「……あらあら、また変なこと教えて。大雅、お父さんの真似すると、最後は正座させられるわよ?」と優しく(怖く)釘を刺した。
翌日の放課後。
大雅は校舎の裏庭で、琥珀を待っていた。
心臓の鼓動が、ワイシャツを突き破りそうなほど激しい。
(……角度は30度。……相手の呼吸を読み……。……よし。……やるぞ)
そこへ、琥珀が「お待たせ、大雅くん!」と駆け寄ってきた。
夕日に照らされた琥珀の唇は、果物のようにツヤツヤとしていて、大雅の脳内計算機を瞬時にオーバーヒートさせた。
「……琥珀。……ちょっと、こっちに来い」
「え? なあに、改まって」
大雅は、父に教わった通り、ゆっくりと琥珀の肩に手を置いた。
その指先は、生まれたての小鹿のように震えている。
(今だ……。……今、琥珀が息を吸った……ッ!)
大雅は決死の覚悟で、顔を近づけた。
30度の角度。……完璧だ。
琥珀の瞳が驚きで丸くなり、大雅の唇が、あと数センチで彼女に触れる――。
「…………っ、……あ、あ、あああ!」
至近距離で琥珀の「可愛い顔」を直視してしまった大雅。
あまりの破壊力に、父の教えがすべて脳外へ吹き飛んだ。
「だ、大雅くん!? 顔が、顔が真っ赤だよ! 熱あるの!?」
「……な、なんでもない! ……ただ、その……」
大雅は咄嗟に、琥珀のおでこを、自分の指でパシィィィン! と弾いた。
「いっ……!?」
「……デコピンだ。……以上だ」
「ええっ!? 何今の、怖い顔して近づいてきたと思ったらデコピン!? 意味わかんないよぉ!」
結局、一流の技術は「ただのデコピン」へと昇華された。
大雅はそのまま、逃げるように背中を向けて歩き出す。
(……親父。……無理だ。……中身が追いつかない……!)
背後で「もう、大雅くんのバカっ!」と怒っている琥珀の声を聞きながら、大雅は一人、夕闇の中で「正座したい気分」に陥っていた。
🔚