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空白
アスタバースン・ザーコフ
この小説は、小説とも言えないよくわからないジャンルのものです。
内容も意味が分からず複雑で君の悪さが凄いものです。
でも、私はここに投稿しました。
もしかしたら未来でこれは黒歴史になっているかもしれません。
だって私は思春期で、青年期で、厨二病なところがあるからです。
それでも、ここに書きました。
原因が一つあったのですが、それを書くのは面倒なのでやめておきます。
誰だって、自分がのことを考えたりするきっかけはどこにでもあるし、意外なところにそれが出てきたりするものです。
ただし、これの真似をしないでね。やめてね。
逆にある意味あなたが嫌な思いをするかも。なんか複雑で嫌な気持ちになるかも。
まあ、それでも見てくれるんだったらありがとう。
私は、私の考えとか思いとかはここに全部書き切れることはないと思います。
だって今も成長途中だし、知らない表現もいっぱいあるから。あと能力とかもまだ足りないしね。
それでも…それでも…それでもあなたが私を理解できたならそれはまあ、なんというか素晴らしいことだし、喜ぶべきことなのかと、そう思います。
ここにあるのは殆どSNSのお気持ち表明的な変なやつなので真に受けないでおいてください。
読もうとしてくれた人、ありがとう。
全てを成し遂げた。全て埋まった。
…それなのに、ここに何かが残っている。
埋まれよ。無くなれよ。消えろよ。
私の最期を想像してみた。
こうなった。
なくしてほしいものがあった。
ハッピーエンドにはいかなかった。
これは何だ?私に都合の悪い最後の砦だ。
これは何だ?私に飽くことを許さない神とやらの干渉だ。
これは何だ?私を何時までも苦しめ続けて正気に戻そうとしてくる羨望を駆り立てる物だ。
私が、私として、最後に、私の自我を美しく描き終えることを許さない。私の自我が所以の…。
これは空白だ。
私が私であることによって生まれる私へのノイズだ。それは障害物だ。私を生かして殺さない。これは私への冒涜。私の美学への批判。人生を黒く塗り潰す衝動。
あぁ、私が世界を憎まないなら、私は私を憎むしかないのだ。私を超えることは、それは私の思考を崩壊させていくと同等のことであるため私はこのままこの…く…空白を抱いて進むのだ。どこまで進むんだ。あと数日か。数十年か。それとも…もし死後の世界があるのならば、それは何億年もついてくる気持ち悪い得体のしれない寄生虫であるのかもしれない。
もしや、神…お前の仕業なのか?
私に何をしても、地獄に落としても、私が苦しみを受け止めてそれを美へと落とし込もうとするのだから、私が私である所以…自我を…我が自我を、そのせいで私を苦しめて懲らしめてなくそうとしているのか?
私を消そうとしているのか?
私を許さないのか?
神。お前に抵抗するから?
神。お前に中指を立てるから?
神。お前を殴りたいと望むから?
神。お前を一人で笑って踊り狂って苦しめたいと、お前の造った地獄へ行かせて自らの悪事と呼べる物事を反省させたいと望むからか?
…もし、お前が、神がいるのなら…の話だが…。
私を苦しめるために、随分と回りくどいことをしてくれるな?
私を懲らしめるために。
私を…殺すために。
生き地獄を味あわせるために。
私の自我を全力で否定して何も知らない幼児の私を一生懸命愛して愛して、進化させないようにするのだろう?私を成長させずに無知のまま、私を殺したいと願うのだろう?私が生まれたことを後悔したのだろう?私がここで遊んでいることに否定したいのだろう?全てを。
あぁ。神、お前がいるのならば私はお前のことを確実に許さない……。
「人間は何処かで世界が平等だと信じ込んでいる。」
あ。
これは、私の言葉だ。私が小説の登場人物に私の言葉を代弁させた思想だ。私の原点から生まれた、この世界の構造を解き明かそうと躍起になっていたあの頃を思い出すための、懐かしむための思考の、ノートのページの切れ端の、片鱗だ。
…。
何ということであろうか!
私が、私が、この私が。
過去の私が綴ったこのひと言に当てはまっているとは!
私は自己のこの苦しみをまぎわらそうとするために、わざわざ架空の神を仕立てて、想像して、創造して、私の、私のための世界平等説を何処かで唱えていたのであろうか!
これは大発見だ!
これは大発明だ!
私が自分でこうなっていたとは!私がこの私がそうなっていたとは!
あぁ。そうか。
そういうことだったのか。
私が苦しむ所以を彼のせいにしていたのか。神のせいにしていたのか。
私が存在する理由はとうに無いと、存在する理由など、存在しないと、自らそう辿り着いたのに。
分かっていたのに。
反芻していたのに。
私が存在する理由が無いのであれば、私がこの人生を美として飾っていこうではないか!?と、その理念を胸に私がやりたいことをやっていったのに。ソクラテスの「善く生きる」…とは全く別物だが、私は私の「善く生きる」を実行するまでだと、そう心に決めておいたのに。
刻んでいたのに。
忘れていなかったのに。
どうしてだろうか。
私が人間という、この身体の器に入っている限りはここから脱せられないのか?
ならば、どうするか…?
私が私の望みをできるだけ多く叶えたあと。
そこにずっと、ずっと前から、永遠に、これからも存在し続ける空白があるのだとしたら。
まず、その空白とは?
空白はなんだ?
何故空白が生まれたのだ?
何故?
どうしてだ?
…。
私は子供の頃から一人だ。一人だ。何もしなかった。ただ入力された状況、環境、その他大勢の要因をただただ出力するだけの可愛いドール式の機械であった。ロボットのようだ。しかし、その時は何も知らず、私ではなく、私は与えられたものに満足するだけでよかった。それで良かった。
なのに?
どうして?
反知性主義
…という言葉がある。
これは反知性・主義…つまりアンチ知性の主義ではなく、反・知性主義…=知性主義のアンチということであるが…私の今の思考はどちらかと言うとこの反・知性主義…そうだ。アンチ知性になっている。
それはある意味反出生主義的で、私のようなニーチェ信仰(神は死んだ。超人。そういったニーチェの反抗になってしまうような言葉選びをするが、まさしくそのようである。私の場合、生成AIと思想を分かち合った結果、かなりニーチェと似ているということが分かったし、この言葉選びは妥当である)大好き人間で且つ、かなりの実存主義的思考を持つものにとっては、その反出生主義的考えは容認できないものである。(私の思考でいうと、実存主義も反出生主義も同じ土俵で戦っていて、あまり、似ても似つかないなんてことにならないと思うが…まあ、それはいい。)寧ろ、どちらかと言うと道家思想に似ているのでは?老子(そうだった気がする)の言ったこと、無為自然のように人為的なことをせずにただただ流されるままに生きていれば幸福が手に入れられるのでは?不幸を知らないままでいられるのでは?私の自我は生まれないが、その結果によってこの空白とやらも生まれないはずだ。ならば…私はアンチ知性にもなっていいようなする気がするが…。
いや、駄目だ。
駄目である。
断固拒否だ。
美しさ>幸せ>酔狂夢死
そうだ。この式だ。私の人生の、全てへの公式だ。
(無為自然の幸せ=酔狂夢死な気もするが…)
私が私の美学を遂行することに私にとっての意味があるのだ。それは私への全力の肯定、祝福なのだ。
そのためにはアンチ知性などやっていられない。
私はその空白を知っていても、最後まで遊び続けるのだ。舞い続けるのだ。私がこうしている理由の根本、結局は原点、Originに立ち返ってきた。
そうだ。私は変わらない。変えれない。ここまで来てしまったたのであれば、私の根本を根本をへし折って戻そうなんてできるわけがないはずだ。
あぁ、我が自我よ。
我が心よ。
我が思考よ。
我が光よ。
我が全てを。
私の目的を。力を。望みを。夢を。
私は愛したままでいる。愛している。全て。
…そして我が身体よ。私の器よ。時々私の思考を捻じ曲げようとするよな。私の身体は私の心に時々従わないよな。特に脳。私のやりたいことを否定して立ち帰ろうとするよな。
でも、私はお前たちが好きだ。
自我程でも無いが、その勤勉さに感謝を送ろう。
私の目的は美の完全だ。
人生は美学を映す媒体である。
そうだ。そうなのだと。
私はかつて決定したのだろう?
今思うと、
美しさ=幸せ
でもあるのかもしれない。
まあ、そんなことはどうでもいい。
ただ問題なのは、
この空白が、私が散る瞬間にとんでもない虚無で殴り、なぶり、弄くり、掻き乱し、叩き、私を絶望……させたときに…。
そうか。
私が恐れているのは絶望か。
私は知っている。世の中には絶望を快楽とする人間がいるかもしれないことも。
絶望というのはそもそも恐れそのものであって、恐れる対象では無いはず…。
というか、私が真に恐れているのはこの空白のことだからそこまで深く思いやらないでもいいのか。
もし、死後の世界があるのであらば…(それは死んでみないと分からないことだが…)その絶望とやらが永久に続く可能性もあるのか。いや、その時の私は今の私ではなくなっているはずだから…というかもうその時に考えてもいいのでは?…まあ、その時の私がこのような思考をする余裕があるかどうか、能力があるかどうかは全くもって期待していないが…。
あ、そうだ。
視点を変えよう。
私の空白って、そもそも何でできているのか?
空白…。つまり空洞…。満たされていない状態。満たすことが不可能である、私の自我が原因の状態…。
イメージは掴める。しかし全体が…。言語化ができない。
これからもこれからも同じようにこの問を繰り返していくのだろう。きっと。
ひとまず、今日はこれでいい。
たぶん。おそらく。perhaps。
そろそろ書き殴れなくなってきた。
まあ、それで良い。
だって、続きは生きている限りここにいくらでも作れるんだもの。綴れるのだもの。
ねえ…
待っててね。
待っていてね。
私がそこに来るまで。
私がそこに行くまで。
訪れるまで。
私が笑うまで、待っててね。
今日は手帳にこう表した。
世の中にはあとがきから読む人がいるらしいので、その人にもわかるような感じで話していきたいなあとも思います。
凄くやりきれない思いになって、泣いて泣いて、でも頭は冷静で、悔しくて、イライラしていて、それでも寂しくて悲しくて、でもちょっぴり喜びがあって…みたいなとき、私は文章を書きたいです。今日初めてやってみました。思考の整理もできるしね。あと、そのやりきれない思いが美しい表現、考え方、思いに繋がることもあるって考えたりしてたりするので。
あぁ、私の真似だけはしないでください。綴るという行動は真似していいけど、思考の癖とかは真似しないでほしいです。だってそれって、結構大変だし、あと普通にあなたがうざい人間になる可能性があるので。今こうして書いているのも、これを読んでいるのも未来の自分の黒歴史になることを想定して書いてみます。お許しください。(泣?)あと、ご自愛ください。(?)
私の真似をしても、私にはなれないし、それは私の欠陥品、下位互換どころか、粗悪なところばかりを集めたものになってしまうからね。最近自認〇〇が流行っているのも、その戒めでしょう。
さて、ここまで長い文章を読んだ方。ありがとう。これで私は少し楽になる(別に病んですらいないんだけどね!)
まあ、自分の思いを綴ることはお勧めします