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溶けた継承の境界線
木漏れ日のように暖かい室内の外、窓の向こうではやや光を帯びた陰惨な雲が泣き続けていた。
窓に水滴や白の柔らかな息が貼りつき、その透明な身体を濡らし続ける。
その窓の中では白髪混じりの黒髪と、目立つしみが肌に点々と現れている僕の母、|米倉《よねくら》|美智子《みちこ》が普段とは違う大きな声で話していた。
母は、哲学を専門とした専門学校の教授で、それが今、僕達のクラスの前で“哲学者”として講師をしている。
母が講師という名目で学校へ来ているというのに、僕は半分、授業参観のようだと他人事だった。
そうして、珍しくリップの塗られた唇が言葉を発する。
「皆さんは、哲学というと…どのようなものを思い浮かべますか?」
何の変哲もない問い。この教授らしい質問が僕は嫌いだ。
教室の中は皆、黙って静寂が渦巻く中、一人の果敢な生徒が柔く白い肌を挙げた。
「シュレディンガーの猫やトロッコ問題、テセウスの船だと私は思います」
母はそれを聞き、にっこりと微笑んで「そうですね、そういったものが有名です。素晴らしいです」と生徒を褒め称える。母の教育方針は“褒めて伸ばす”なのを僕はすっかり忘れていた。
そうして、彼女は言葉を続ける。
「今、話されたものも有名ですが…今日は“親の愛情”をテーマにした哲学的な話を紹介していこうと思います」
そうして、脂を失った手が真っ白なスクリーンへ動き、白に色を重ねていった。
『エーリッヒ・フロム:愛は「技術」である 』
まず、それが最初に映されると同時に母の声が耳へ響いた。
「心理学者であり哲学者でもあるフロムは、著書『愛するということ』の中で、愛を“落ちるもの”ではなく“習得すべき技術”だと説きました。
フロムは、母親の愛を“無条件の愛”の象徴と考え、子供が何かをしたから愛するのではなく、“その子が自分の子供だから”という理由だけで注がれる愛と定義しました。
これは子供に“生きることは素晴らしい”という安心感を与えるんです。
一方で、父親の愛は“条件付きの愛”であることが多く、社会のルールや正義を教える役割を持つと分析しました。子供は父の期待に応えることで愛を勝ち取ろうとし、それが自立を促します。
親の愛の究極の目的は、子供を自分に依存させることではなく、“子供が自分なしで生きていけるよう手助けすること”…すなわち、“自立”であるとした…ということです」
更にスクリーンは言葉を走らせた。
『ハンナ・アーレント:世界を愛するための「出生性」』
母の言葉を更に加速を帯びていく。
「政治哲学者で有名なアーレントは、“新しい人間が生まれてくること”…“出生性”及び、“Natality”を哲学の基礎に置きました。
子供が生まれることは、古びた世界に“新しい始まり”をもたらす奇跡です。親が子供を愛し、保護するということは、『この世界は、新しい君を迎え入れるに値する場所だよ』と保証する責任を引き受けることです。
つまり、教育という保護、責任は、親が子供に対して『私はこの世界を愛しているから、君にこの世界を託したい』と伝えるプロセスだと考えたのです」
乾きつつある唇に触れ、スクリーンも触れた手によって、文字も動いていく。
『エマニュエル・レヴィナス:未来への「継承」』
そうしてまた、潤った唇から言葉が流された。
「レヴィナスは、親子関係を“自分ではない他者”との最も深い関わりとして捉えました。
子供は親のコピーではありません。しかし、親は子供の中に“自分を超えて続いていく未来”を見ます。
親が子供のために自己を犠牲にできるのは、それが自分のエゴを超えた“他者への責任”の究極の形だからです。親の愛情を通じて、人間は自分の死を超えた“無限”や“未来”に触れることができると説きました。
これらの哲学は、親の愛情を単なる“好き嫌い”の感情ではなく、“他者の命をどう預かり、どう未来へ送り出すか”という極めて倫理的な行いとして捉えています」
そう終えると母は最後に結論に手を伸ばした。
「これらは甘い情緒的な“愛”の話ではなく、どれも“子供を自立させ、自分から切り離すこと”を最後の到達点としています。
勿論、母である私もそういったことは考えないわけではありません。皆さんに良い出会いと別れがあることを心から祈っています」
そうして、終えられた説明で母は締めくくり、生徒達の拍手喝采を浴びた。
僕は義務的に手を叩きながら、登壇する母の瞳にどこか寂しさのようなものを感じていた。