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ご機嫌は尻尾を振って
逆の方がしっくり来るのだが、何の因果か双子の兄が犬で、僕が猫になった。本当に犬猫になったというわけではなく、犬の耳と犬の尻尾が増えたくらいで、完全な人であった頃の耳はあるだけで聞こえなかった。
こうなってしまった原因を一応の代理だった|🍤《ころも》に問えば、「貴方が見たいと言ったんでしょう」と意味の分からないことを言われた。まぁ、確かに犬猫は嫌いではないが……兄や血縁上の妹のそんな姿が見たいと口にしたことはない。どこかで願ったのかもしれないが、覚えていない。ただ、まぁ、兄の梶谷湊は僕に笑いもしなければ、話しかけもしないし、そもそも嫌そうな顔をするので、尻尾や耳で感情が分かるのは正直嬉しいことではある。大抵が不機嫌で、感情が分かりやすいくせして誰にも尻尾を振らない。僕にも尻尾を振らないので、正直腹が立つ。それが梶谷湊であると言えば、僕にとっては正しいことではあるのだが。
だから、どうしても諦めきれずに尻尾を振らせてやろうと思って、彼が好きそうなものを粗方買い漁ってきた。スピリチュアルなものが嫌いなのは知っているが、好きなものは分からない。そうであるから、好きそうなものだった。
柔らかめのプリン、無糖のコーヒー、唐揚げ、ハンカチ、赤いチューリップの花束。
心底、女性のご機嫌取りをするような男が贈るラインナップのようなことは重々理解している。
机の上の片づけもしない選ばれたラインナップを点々と並べつつ、前よりも高い位置にある耳が求めていた足音を拾って、ぴんと立った。そうして、数分後に無愛想な犬が顔を出す。
「なに、話って」
いつもと変わらない声色と口調で、いつものように振られない尻尾。
「机の上に兄さんが、好きなものってあるかな」
「……何がしたいの?」
「ただ、知りたいだけだよ」
そう答えた途端に、彼の尻尾は内股に入るような形で振られもせずに固定されていた。警戒をされているらしい。
「変なものはないからさ」
「信用ならないね」
「双子なのに」
「存在すら知らなかったくせに」
「あはは、そうだね」
醒めたあの瞳が追うように刺す。この瞳が、初めて見た時から好きだった。最も、初めて見たのはもう何年も前のことで、血縁だというのにわざわざ調べて近づいたのも、こうした間柄の過程に過ぎない。
「僕、硬めのプリンの方が好きだけど」
柔らかいプリンを掲げつつ、訝しげに瞳が僕からずれる。そうして、プリンから無糖のコーヒーへ視線が移動していく。
「甘いもののの方が好きかな」
ぼそりと呟かれて置かれたコーヒーの代わりに、パックの唐揚げを「これはどう?」と差し出す。
「唐揚げ?子供じゃないんだから……」
「ああ、大人だったね」
代わりに差し出したハンカチは、少しだけ彼の耳をぴんと立てるも、尻尾は動きをみせることはなかった。
「…………」
そのまま、ハンカチだけは何も言われずに机の隅へ置かれ、湊がたどたどしく言葉を続けていった。
「……あのさ」
赤いチューリップの花束を見て、彼が言葉を続ける。机の上に黄色い花粉が散って、乱雑な絵を描く。
「僕のこと、何だと思ってんの?」
ことごとく失敗した。眉をひそませた湊のやや黒い尻尾がぺしぺしと床を叩いている。
「恋人のプレゼントみたいなものばっか選んでるけど、何がしたいの」
耳は平たくヒコーキ耳になって、尻尾は高く上げられ、ドラムを叩くように揺れ動き続けている。醒めた瞳はいつしか、苛立ちを含んだものに変わって、いつものように落ち着きがある。
「最初に言ったよ。ただ、知りたいだけだよ」
強引な言い訳だとは分かっている。それで、警戒や不快を払拭できるなどとは思っていない。それでも、欺瞞に満ちた言い方をするのは錯綜して欲しいからなのか、ただほんの少しでも僕に気を向かせて欲しいと願うからなのかまでは、まったく分からない。それに、分かっていても、きっと知らぬ顔をするのが僕だろうから。
尻尾の叩く音がとても激しく、激しく、激しく鳴っている。ふと見れば彼の顔が、視線を僅かに逸らして翳が差している。そこに浮かんだ苦悶の表情がなんとも言い難い。
「……気持ち悪」
置き土産にそう呟いて部屋を出た湊の背が先程よりも、ひどく疲れているような気がした。不憫に思って無糖、いや、砂糖入りのコーヒーでも淹れようかと立ち上がった瞬間、動いた視界が朝ぼらけの布団の上に転がっていた。
体には犬猫の耳や尻尾はなく、髪の隙間を覗く人の耳だけが夢を指し示すように生えているだけだった。
「『貴方が見たいと言った』……ね」
確かに、悪くない。今度、気まぐれに買ってみようか。どうせ付けてはくれやしないだろうけれど。