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お前が笑う、それだけで
薄暗いスタジオの鏡に、洸人の背中が映る。
「はい、そこワンカウントズレてる。結愛、もう一回」
音楽が止まり、低く通る声がスタジオに落ちる。私はバツが悪そうに舌を出しながら「ごめん!」と両手を合わせた。
ストリートダンスチームのなかで、洸人は圧倒的なエースだった。音の取り方も、指先の角度も、すべてが別格。私はといえば、その背中を必死に追いかけているだけのドジな初心者だ。いつも振りについていけず、こうしてメンバーの前で洸人に注意されてばかりいる。
「ほんと結愛ってドジだよな。笑」
呆れたように笑う洸人に、私は頬を膨らませた。
「もぉ、そんなこと言わないでよ! 私だって本気でやってるし!」
「はいはい、もっと練習しろよ」
そんな風に、いつまでも続くと思っていた。
あの日の帰り道、原宿の路地裏で有名な海外の振付師を見かけるまでは。興奮した私が大声で騒いだせいで、その人に鋭く睨まれ、私たちは慌てて逃げ出した。あの時、笑い合いながら走り抜けた夜風の冷たさを、私はまだ覚えている。
数日後。スタジオの隅でペットボトルの水を飲んでいた私に、洸人はスマホの画面を突きつけた。
「これ、お前受けてみなよ」
「え……? オーディション?」
「ああ。有名なアーティストのバックダンサー兼、オープニングアクトの選考会。お前がセンターで踊る姿、俺が一番見てぇし」
からかわれているのかと思って顔を上げると、洸人は真剣な目をしていた。その言葉が嬉しくて、照れくさくて、私は勢いのままに応募した。
だけど、その話をしていた時、洸人はふと言葉を詰まらせ、小さく咳き込んだ。
「……どうかした?」
「いや、ちょっと最近、息苦しい時があってさ」
笑ってごまかすその横顔に、かすかな違和感を覚えたけれど、まさかそれが命のタイムリミットだなんて思わなかった。その時にはもう、洸人は自分の余命半年という宣告を受けていたのに。
それから数日。いつも通り一緒に学校へ行こうと、私は洸人の家のインターホンを押した。けれど出てきたのは、どこか影のある表情をした彼の母親だった。
「洸人、熱出して休むの。今日は行ってあげて」
それから、彼はパタリと学校に来なくなった。連絡もつかないまま、時間だけが過ぎていった。
不安が胸を埋め尽くす中、奇跡的にオーディションの一次審査を通過した。この喜びを一番に伝えたくて、私は震える手でスマホの発信ボタンを押した。
コール音が鳴り響き、やがて電話に出たのはまたしてもお母さんだった。
「……結愛ちゃん、ごめんね。洸人、今、病院にいるの」
指定された病室の扉を開けた瞬間、私の足が止まった。
ベッドに腰掛けていた洸人は、抗がん剤治療のせいで髪が抜け落ちていて、頭には白いニット帽をかぶっていた。痩せこけたその姿に、言葉が喉まで出かかったまま引っかかった。
「……なんで、言ってくれなかったの?」
震える声で絞り出した私に、洸人は目を伏せ、冷たく言い放った。
「……お前が子どもだからだろ」
頭を殴られたような衝撃だった。あんなに欲しかった未来を私に託してくれたくせに。私がどれだけ彼の背中を見ていたかも知らないくせに。
「私が子どもだから何も言えなかったってこと……? 私が子どもだから、何も助けられないって言いたいの!? もう知らない、大嫌いだよ!」
感情のままに叫んで、私は病室を飛び出した。それから、二度と彼の元へ戻らなかった。戻れなかった。あんな最悪な別れ方をしたせいで、素直になれなかった自分のことが許せなかった。
それからしばらくして、彼の母親から「体調が少し良くなったから、また顔を出してやって」と連絡が入った。
急いで病院へ向かった。けれど、病室のベッドは綺麗に整えられていて、洸人の姿はどこにもなかった。退院できたんだ、そう思い込んで私は彼の家へと急いだ。
玄関のドアを開けた彼の母親の、赤い目をすえた顔を見た瞬間、心臓が凍りついた。
「結愛ちゃん……洸人、今朝、息を引き取ったの」
リビングの窓から差し込む夕日が、やけに眩しかった。
「お前がセンターで踊るの、一番見てぇし」
あの日の洸人の声が、頭の中で何度も、何度も響いていた。