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2月7日
駄作だな〜
2月7日。水曜日。天気は晴れ。
泣いている彼女の顔を見て、私はまず、鼻の形が歪んでるな、と思った。次にどうして泣いてるのだろうと思った。1秒考えて、それよりも慰めるべきだなと思った。私は彼女に声をかけた。優しい声音である。「どうしたの?大丈夫?」大丈夫なわけないことを知りながら訊いた。彼女は嗚咽をもらしながらうん、と頷いた。どうしたの、の部分は無視された。
昼休みのクラスは騒然としていた。なんで飯田さん泣いてるの?誰かが誰かに問うた。知らない、山下さんなんか知ってる?誰かが彼女の友人にさらに問う。問われた、彼女の友人である山下ユミコは曖昧な声を出して、おろおろと不安げな表情を浮かべて彼女の背中をさすったりしている。私は彼女に、ゆっくりとした口調で話しかけた。
「保健室行く?」彼女は数秒して首を縦に振った。山下ユミコが「わ、私、行く…よ。」と小さく声をあげたが私はいや、と答えた。「私、クラス委員だし。山下さんは授業受けて、後日に飯田さんにノートを見せてあげて。」山下ユミコは指示されたことにホッとした様子で頷いた。
「次の授業の先生、えっと鈴山先生には、私たちは保健室に行きましたって言っておいてくれる?」クラスメイトの誰かの了解の声が聞こえて私と彼女は教室を出た。私はスカートのポケットからハンカチを取り出して彼女に渡した。もっと早くに渡すべきだったなと、後悔というほどでもないことを考える。多分彼女の机、あるいは教室の床に、水滴が落ちているだろう。
保健室に先生はいなかった。私は一旦、彼女をベッドに誘導した。彼女は先ほどより少し落ち着いた様子で腰掛け、俯いたまま声を出した。「ごめん、ありがとう、や…まださん。」あ、私の名前、ちょっと忘れてたな。いや、ただ言い淀んだだけか。私は大丈夫だよと笑みを浮かべる。
「どうして泣いてたのか訊いてもいい?」
彼女はさらに俯いた。顎が鎖骨に触れそうだ。もちろん無理なら、大丈夫、と付け加えようとした時彼女は口を開いた。「あの…あのね。」普段よりたどたどしくまるで小学生の子供みたいだった。彼女の目に輝くものが浮かんだ。ああこれはダメかと落胆にも似たものを抱く。しかし彼女は続けた。
「黒田くんが…あの…あたし、黒田くんのこと、好きなの。」
「へえ。」それは面白い。なんてもちろん言わないけれど。黒田くんは凛々しい眉に深い黒色の瞳、スッと通った鼻筋を持つ、いわゆるイケメンな男子だった。女子からの人気も高いが、黒田くんは女子が苦手なのか嫌いなのか対応がとにかく悪いのだ。それをクールな性格とポジティブに受け取った女子だけが黒田くんを追っかけている。
彼女は続ける。
「それで…お昼休みに、高橋くんに訊いたら、あ、黒田くんがあたしのことどう思ってるのかって訊いたんだけど、」
高橋くんとは黒田くんの親友か。頭にその顔を思い浮かべながら相槌を打った。彼女は顔を歪めながら細い声で言った。
「あたしのことどう思ってるかは、答えてくれなくて、で、それよりも、その、グループチャット、見せてくれたの。」彼女の瞳から透明な液体が一粒こぼれおちた。「黒田くんたち、ね、賭けてたの、あたしが…ていうか、黒田くんのこと好きな子、が、いつ告白してくるかって、賭けてた。たか、高橋くんは賭けとか…もう嫌で、見せてくれたらしいけど、あたし…。」驚いた。私は返事に迷い、沈黙が保健室を支配した。その時、保健室のドアが開く音がした。私がカーテンを開けて見ると保健室の先生が帰ってきたようだった。私の姿を確認するとどうしたのと訊ねてきた。私が事情を説明すると先生は、もう大丈夫だからあなたは授業に戻っていいわよ、と言った。
わずかに高揚したまま私は保健室を出て、冬の冷たい空気が広がる廊下を歩いた。
ガラリと自分の教室の後ろのドアを開けると、視線が一斉に私に突き刺さってきた。理科の先生は事情を知っているようで、いま何をしているのかを私に簡単に説明すると、すぐに授業に戻った。私は自分の席に座りながら教科書を開いた。先生の説明を聞きながら、私は視線を斜め前に動かした。
黒田くんがいつも通り、退屈そうに頬杖をついている。きっと彼は何も知らないんだろうなと思うと、その横顔がひどく滑稽になった。先程まで私が抱いていた、何かが変わっているかもしれないという期待と高揚は、彼があくびをしているのを見てあっけなく消えていった。黒田くんの前の席の高橋くんは、落ち着きのない様子でカリカリとシャーペンを走らせていた。私はなんとなくポケットに手を突っ込んだ。ハンカチは入っていなくて、彼女に貸したままだと気づく。しかし、他人の涙と鼻水が染み付いたハンカチはもういらないので、あげてしまおう。特に気に入っていたわけでもない。
先生が無機質な声で授業を進めていく。私はようやくシャーペンに手を伸ばし、ノートを開いた。ようやく、この日常が大して変わっていないことを受け入れられた。
駄作だな〜